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ラビットプレス+9月号


国会議員の頂点に上り詰めた苦労人?(イメージ:共同通信)

令和2年9月16日、衆参両院の本会議で行われた総理大臣指名選挙の結果、菅義偉内閣総理大臣(第99代)が誕生した。「雪深い秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現湯沢市)から高校卒業後上京。段ボール等の製造工場に集団就職し、勤めながら学費を貯め、法政大学に入った。卒業後はサラリーマン、衆議院秘書を経て、地縁や血縁もない中で横浜市議になり、47歳で衆院議員になった」という経歴は既にご存じのことだろう。
就任早々、菅内閣の支持率は全国世論調査(読売新聞社)において74%で、内閣発足直後の調査(1978年発足の大平内閣以降)としては、小泉内閣(87%)、鳩山内閣(75%)に次いで歴代3位の高さで順調に船出したように見える。歴代トップの安倍前首相の任期満了までを引き継ぐことから、世論では“繋ぎ”の声も多く聞こえるが、衆議院の早期解散を実行して、長期政権に臨む本音もあるのでは、との憶測もあり、党内派閥に配慮した閣僚人事を見ると、あながち的外れともいえまい。


歴代内閣発足時の支持率上位(大平内閣以降のデータ:読売新聞社)

そんな新首相に早速試練の第一弾が撃ち込まれた。日本学術会議注1会員任命拒否問題である。同会議は、会員210人で構成される。会員の任期は6年で、3年ごとに半数が入れ代わる参議院とよく似た仕組みだ。政府は本年10月1日付で日本学術会議の新会員として99人を任命したが、会議側が推薦したのは105人。
問題は、任命されなかった6人が、これまで安保法制や共謀罪法などの立案に対して反対の立場を取っていた学者ばかりだというのだ。また、今まで会議の新会員に任命されないケースは一度もなく、今回が初だとされることも注目を集めた。
10月8日。参議院内閣委員会で質問に立った日本共産党の田村智子議員は、「菅首相の任命拒否が、1983年当時の国会答弁注2と矛盾しないか?」との問いに対して、内閣府大塚幸寛官房長は、「必ず推薦の通りに任命しなくてはならないとは言及はされてない」と答弁した。

注1
日本学術会議は、日本学術会議法を根拠とする我が国の人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の約87万人の科学者を内外に代表する機関であり、科学者の意見をまとめ、国内外に対して発信する日本の国立アカデミー。内閣総理大臣の所管にあり、その運営費は国費で賄われ、210人の会員と約2000人の連携会員によって職務が担われている。

注2
1983年5月12日の参院・文教委員会において、国会では、日本学術会議法の改正案が審議されていた。時の中曽根康弘内閣は、それまで選挙で選ばれていた日本学術会議の会員を「推薦制」とし、推薦された者を首相が任命する方式に変更しようと法改正をすすめた。この時、日本社会党など野党は、「政府からの独立性が失われるのでは」と懸念を指摘した。
これに対し、当時の手塚康夫・内閣官房総務審議官は、「実質的に首相の任命で会員の任命を左右するということは考えていない」と否定している。


質疑と答弁の様子(インターネット国会中継より)
田村智子議員:「形式的任命だから推薦されたものは拒否しない」。これが政府の答弁です。今回の任命拒否は、83年当時の答弁を覆す行為ではありませんか?

大塚官房長:繰り返しで恐縮ですが、今ご紹介いただきました昭和58年当時の答弁も、平成30年の文書も、いずれも憲法15条を前提としていること。これは改正当時からも前提になっていたことでございます。 「形式的な発令行為」という発言がなされてることは十分承知ですが、必ず推薦の通りに任命しなくてはならないとは言及はされてないところであります。

田村智子議員:違います!83年の会議録は、「推薦に基づき総理大臣が任命する。それは形式的任命。形式的発令行為であり、推薦された全員を任命する。拒否はしない」。一貫した政府答弁です。国会会議録は、国会と国民に示された条文解釈そのものです。
法制局に聞きます。逆に、推薦された者を任命拒否することはあり得るという、日本学術会議法の法解釈を示す文書はあるんですか?

木村第一部長:はい、お答え致します。私どもとしては、平成30年の説明資料について当局に意見を求められました際に、ご指摘の国会議事録の他、昭和58年の日学法改正時の法律案審議録の中に、総理府作成の想定問答集があります。それについては確認は致しております。そういう意味で言いますと、今、委員がご指摘されましたような、「義務的な任命であるのかどうか」という点について、明瞭に記載したものというのは、私が知る限り見当たりません。但し、先ほども言及ございましたような、高辻長官以来の答弁の積み重ねの上に立ちまして、昭和58年の法改正以来、一貫した考え方として成り立っているものと理解しています。~以下省略~

ざっとこんなやり取りが交わされた。
この件に関しては、様々な意見が国会内外から出ている。野党議員やOBを中心とした政治家からは、概ね批判的な意見が集中している。
一方で、元東京都知事舛添要一氏や、元大阪府知事、市長の橋下徹弁護士などからは、菅擁護ではないが、学術会議そのものに対する知見が足りないと切り捨てる。
舛添要一氏はツイッターで、「私はこの組織は不要という立場だ。首相が所管するような組織は学問には相応しくないからだ。廃止しないのなら、今回のような措置は、たとえば政治学という私が東大で教えていた学問(例:自民党研究)を不可能にする。その後、政治家になり、権力を行使した私が言うのである」(10月2日)と発信している。また、会議に対し、「首相が所轄する長老支配の苔むした組織など、新進気鋭の若い学者には無用の長物。首相は優秀な学者に個別に意見を聞けばよいし、政治的発言は各学者が個別に行えばよい」と主張し、「税金の無駄遣いだ」と批判した。
橋下氏は、「日本学術会議は、まず学者の会費で運営すべき。そうすれば、政治から口を出されることは一切なくなる」と、〝民営化〟を推奨する。そして、「今は当事者の学者や一部インテリたちだけが、『学術会議には意義がある!』と叫んでいるだけ」と、舛添氏同様に学術会議の存在そのものについて言及している。

【アカデミーの歴史】
古代ギリシャ最大で最高の哲学者と云われるプラトン(紀元前427年~紀元前347年)によってアテネ近郊のアカデモス神を祀った神域に、「学園アカデメイア」を開いたのが起源。学士院のような学界の最高機関や、種々の学校教育機関の意味に使われる。学界最高機関として学術の研究、奨励などにあたるアカデミーの元は17~18世紀頃の西洋諸国で創られた(ブリタニカ百科事典)。
今(執筆時点で)巷で騒がれている“日本学術会議”(前述)なるもののモデルは、古代ギリシャのアカデメイアではない。学術会議のモデルは、全米科学アカデミー(National Academy of Sciences) と、国立研究評議会National Research Council(NRC)を意識して作られたという(黒川清・元日本学術会議会長 第19期、第20期)。
アメリカのアカデミーシステムは、学者メンバーが集まって、国の政策について提言する。これは、リンカーン大統領が、アカデミーが大事だと考え、1863年ゲティスバーグ注3の頃に作ったとされる。その時のアカデミーに与えられた任務は、「あなたたちは学者の集まりなのだけども、国の機関にはしない、非営利の民間組織です。しかし、政府の様々な政策について評価、アドバイスをして下さい」というものだった(前出・黒川清氏)。


映画にもなったリンカーンの3分(イメージ:Amazon)

注3
『人民の人民による人民のための政治』というフレーズで有名な、米国史上最も重要な演説と位置付けられているエイブラハム・リンカーン大統領の「ゲティスバーグ演説」が行われたのは、ゲティスバーグ国立戦没者墓地の開所式で、1863年11月19日、南北戦争の激戦地で双方合わせて45000人以上の死傷者を出し、南北戦争の転換点と云われたのがゲティスバーグの戦いである。
 
我が国のアカデミーの歴史上、最も古く且つ権威を与えられてきた団体として、日本学士院が挙げられる。同院は、日本学士院法に基づいて設置されている国立アカデミーであり、文部科学省の特別の機関であり、東京学士会院として発足、その後、帝国学士院に改組され、太平洋戦争後に日本学士院と改称し、現在に至っている。1925年には貴族院に帝国学士院会員議員が設置され(1部・2部から各2名ずつ計4名、任期7年)、学術分野からの国家政策立案が期待されたが、戦後(1947年)の貴族院廃止に伴い、議員登用制度も廃止された経緯を持つ。その2年後、帝国議会の諮問機関として設置されていた学術研究会議を前身とする日本学術会議がGHQの影響下で組織され、当初は日本学士院もその中に組み込まれたが、日本の主権回復後、日本学士会と学術会議は再び袖を分かつこととなる。

【アカデミーの役割】
日本学術会議法(昭和23年法律第121号)前文には次のような記述がある。
「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。」

日本学術会議が、「政府の諮問機関」と報道されることに対し、政府へ提言を行うだけではなく、日本を代表して各国の科学アカデミーと国際交流に取り組み、国内学会の連携、研究者や学際領域のあり方についての調査も行っている」と、同会議に対する誤解に言及したのは、同会議元会員で文化功労者注4、東京大学名誉教授(イスラム学者)の板垣雄三氏である(朝日新聞デジタル・令和2年10月6日)。
前述の日本学士院において、1879年の東京学士院発足時の目的は、「研究者の議論や評論を通じ、学術の発展を図ること」である。1890年に「東京学士会院規程」が勅令として公布され、国立アカデミーとして組織の充実を図られると共に、所管する文部省より必要経費の国費支出が認められた。従って、当然のことながら(東京学士院規則により)文部卿(現文部科学大臣職)は、東京学士会院の会議に出席することが許されており、投票権は持たないが、討議への参加も認められていたことから、既に政府機関としての役割を担っていたと言える。
注4
日本において、文化の向上発達に関し、特に功績顕著な者を指す称号。文化功労者年金法(昭和26年法律第125号)に定められ、文化勲章よりも多くの者が選ばれ、文化人にとっては同勲章に次ぐ栄誉となっている。なお、選考基準に国籍要件は無く、文化功労者には、終身、政令で定める額の年金(年額350万円)が支給される。

大正期半から昭和初期にかけ、特に昭和6年の満州事変の前後から、学術研究が国力の基礎であり、産業・国防の根底を培う上からも、その振興が重要であると考えられて、学術研究に対する国際社会の関心が高まった。やがて世の中に戦争の足音が響き、軍国主義化した日本は、科学技術分野における研究は、戦勝目的に最大限利用されることとなる。
当時、既に帝国学士院の存在価値が、碩学の優遇・栄誉機関的な色彩が強く、恩賜賞・学士院賞の授賞と欧文紀事の刊行以外には学術振興の事業を積極的に実施する機関ではなくなっていた。そこで、新しい国際機関に対応する国内学術研究機関として設立(大正9年)されていた“学術研究会議”が帝国学士院に代わって、わが国学術の国際的な活動の中心機関となり、国際社会の中でも重要な役割を演じていく。

現在、日本政府直轄のシンクタンクは日本学術会議ではなく、内閣府に設置されたのが総合科学技術会議である。同会議は、内閣総理大臣及び内閣を補佐する「知恵の場」として、我が国全体の科学技術を俯瞰し、各省より一段高い立場から、総合的・基本的な科学技術政策の企画立案及び総合調整を行うことを目的とし、平成13年1月、内閣府設置法(平成11年法律第89号)に基づき、「重要政策に関する会議」の一つとして内閣府に設置された(首相官邸)。
総合科学技術会議は、閣僚と有識者議員が一同に会して科学技術に関する政策形成を直接行う役割を担う。一方、日本学術会議は、ボトムアップ的に科学者の意見を広く集約し、科学者の視点から中立的に政策提言を行う役割を担う。
こうした役割分担に沿って、両者は、「車の両輪」として、我が国の科学技術の推進に寄与するものと位置付ける(総合科学技術会議による日本学術会議の在り方提言平成15年2月26日)。冒頭、この度の菅総理による学術会議任命拒否問題に対する意見の中で、学術会議の存在価値を問う意見も多く見られたが、学術会議に対する議論はかなり以前から課題として検討がなされてきたことが分かる。実は、我が国87万人科学者の代表として、崇高な理念の下で運営されてきた中で、毎年10億円を超える国家予算を拠出して得られた成果は、国民が納得するような、国家や国際社会の利益に資するものであったのか、ということも検証が急がれるべきである。


世界遺産:プラトンアカデミーの場となったイタリア・フィレンツェのメディチ家別荘(イメージ)

【国家の発展に不可欠なシンクタンクの在り方】
欧米主要国のアカデミーが政府から独立した法人格を有する組織であり、法律、勅許等によってその設置根拠を有し、政府から財政支援を受けているのが通例である。政府による専門分野別の研究機関や調査・分析機関の利用は、今や至極当たり前の関係となっている。官民連携という言葉以上に密接な関係を構築しており、各省庁ごとに「シンクタンク」として、ほぼ国の組織の一翼を担う民間団体なども存在する一方で、政府系シンクタンクと呼ばれる省庁が母体となって設立された非営利団体も在る。政府系シンクタンクの主な活動内容は、省庁から直接の依頼を受け、政府・自治体に政策の研究・提言を行うことである。シンクタンクで収集・分析した情報は、省庁が公開している白書やロードマップなどの作成に活用され、提言された内容が直接政策に反映されることも多いので、政府系シンクタンクは立法・行政そのものに影響を及ぼす重要な機関だと言える反面、省庁高官の第二の就職先の受け皿としての存在も問題視されている。

日本にはどれぐらいのシンクタンクがあるのか。ペンシルべニア大学のシンクタンクランキングに関する2018年レポート(University of Pennsylvania, Scholarly Commons, ”2018 Global Go To Think Tank Index Report”)によれば、対象となった日本のシンクタンク数は128で世界主要国(G20)中第9位注5であった。
注5
1位はアメリカ(1871)、2位インド(509)、3位中国(507)、以下イギリス(321)、アルゼンチン(227)、ドイツ(218)、ロシア(215)、フランス(203)と続く。9位の日本の次はイタリア(114)など。総数比較ではアメリカが突出しているが、人口割合で見ると、シンクタンク数で10位圏内に位置する国のうち、1人当たりのシンクタンク数が日本よりも小さいのは10億人以上の人口を抱える2位のインドと3位の中国だけであり、それ以外の国は軒並み日本を上回っている。また、絶対数では日本に劣る国10位以下の国であっても、OECD(経済開発協力機構)諸国の1人当たりシンクタンク数自体は日本のそれを優に上回っている(一般社団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ:「シンクタンクとは何か」)。


日本の主な民間系シンクタンクの売上高(資料:株式会社ビズリーチ)

高度経済成長期は、我が国の産業、社会政策において、政府が欧米から成功モデルを輸入し、日本流にマイナーチェンジすれば、政策の効果は一定程度保証されていたようなものだった。外交・防衛に関する政策面でも、東西冷戦下における環境も手伝って、国防軽視と言われても、日米安全保障条約の堅持と自衛隊の消極的管理さえ行っておれば、我が国の安全はそれなりに護れた時代であったが、平成バブル崩壊以後、「失われた20年」による経済の低成長、少子高齢化、税収減の三重苦にあえぎ、併せて地方創生も大きな課題として浮上してきた。他方、テクノロジーの加速度的発展に対し、政府の法律規制や制度設計の速度が追いついていない。
また、トランプ政権の誕生から、米朝・日韓関係、中国対策、宇宙開発、サイバーテロなど課題が山積し、更には米国以外の国々との防衛外交などの新領域の政策分野に至るまで、安全保障環境は激変している。
こうした中で、日本はいかに積極的な内外政策を実行していくのか。関係諸国からも結果を求められている。

斯様な課題の解決は、霞が関だけで完結するものではなく、また、霞が関なくしても解決できるものではない。制度・法令を熟知した官僚から、現場での課題とその解決を巡る知見を持つ各分野に長けたシンクタンクの存在、諸外国とのネットワークを持つ大学など、多様な叡智の結集が求められている。今こそ、過去の既成事実に囚われず、政府系シンクタンクに必要な改革を促すと共に、国との関係を再構築し、民間シンクタンクの育成に国費を廻すべきである。


シンクタンクの必要性とは…(イメージ:船橋洋一著・中公新書)

新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止対策下での政府の対応は各分野、海外シンクタンクからも苦言が呈されている。
同専門家会議やその後に立ち上げた同対策分科会における提言と、首相官邸の判断に首をかしげる場面は幾度となくあり、日本医師会COVID-19医学有識者会議をはじめとして、様々な分野の民間有識者会議が発足し、国民及び政府に向けた提言を発信するようになった。
菅政権にとって、官邸主導型政権運営を成功に導くためには、多方面に亘る秀逸なシンクタンクの登用を惜しんではならない。