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ラビットプレス+2月号


教員による教員の虐め問題に謝罪する教育委員会担当者(イメージ:朝日新聞社)

昨年後半に話題となったニュースのうち、読者の記憶にも強く残っておられるであろう、小学校教諭ら複数の教師による同僚教師への「虐め」事件。平成の時代に在って幾度となく問題が浮上した児童、生徒らの間で起こったイジメ事件による痛ましい結果は、文部科学省、地方自治体の教育委員会の責任はもとより、希薄な家族関係や、イジメの温床とも言われるようになった通信機器を使ったSNS(ソーシャルネットワークサービス)上での誹謗中傷の氾濫に、大人たちは右往左往してきたわけだ。
その大人たちの中でも、最もイジメに関する核の部分に直面し、且つ児童、生徒間の見守り役を職務としているはずの教育現場で、当事者として告発されたのが現職の教育者(敢えて今はそう表現しておく)であったことが、社会に激震を走らせた。

神戸市須磨区の山手。私鉄駅に隣接する名門・神戸市立東須磨小学校で起こった教師間の虐めが明るみに出た。令和1年9月4日になって、神戸市教育委員会は緊急の記者会見を開いた。「前代未聞、深刻に受け止めている」と深謝した脳裏に浮かんでいたのは如何なる思いであったのか。
・後ろから羽交い絞めにし、別の教師が激辛カレーを無理やり口に押し込む。
・激辛ラーメンのスープを顔や目に塗り込む。
・対象教員の自家用車のボンネット上で飛び跳ねる動画を撮影。
・別の女性教員に対してセクハラを強要する。
・暴言、暴力、飲酒の強要などは日常茶飯。他多数
これが小学校の内外問わず日常的に繰り返され、加害者側には女性教諭がリーダーとなって他の教諭に指図していたというから、日本の男女平等雇用均等など、表向きの理念の裏側に、斯様な状況も生み出されてきたのか。

新元号移行後、我が国の国民すべてが期待と夢、新たな誓の下で歩みだそうと決意した矢先。国内外の情勢においても問題が山積している中で、初等教育の現場で蔓延る(はびこる)常軌を逸した行動に、全ての問題の根幹は『教育』に在るとするなら、その教育とは如何なるものか。いったいどうすれば良いのか?をテーマに、令和において解決しなければならない課題として論じようと思う。

【教育の始まり】
教育という語句の定義をしておこう。
各国語辞典によれば、我が国における教育とは、主体と客体は人であり、主体となる人が客体である人に対して、「意図的な働きかけを行うことによって、その人を望ましい方向へ変化させること。広義には、人間形成に作用するすべての精神的影響をいう。」と説く(例:大辞林第三版)。他方、言い回しは異なるが概ねそのように解説している。つまり、人が人を様々な方法を用いて意図する方向に導いていく作用の総称である。


親から子、子から孫へ伝えるべきものは・・・(イメージ)

人間が誕生し、霊長類として地球を支配(人間側の主観であるが)し始めてから、意図的に教育という行動を起こすようになったのはいつごろからであろうか。教育学という学問の範疇から、我が国における教育史を紐解いてみよう。
資料として確認できる教育制度の施策は、大宝律令注1によるものと推測されている。その制度は中国の国子監制度を取り入れて作られたものである。国子監とは、西晋武帝の時代(西暦276年)に国子(貴族・官僚の子弟)の教育機関として設置され、その後、教育機関として恵帝の時代(同293年頃)に実際に機能し始めた国営の教育施設である(隋の593年に「国子学」、607年に「国子監」と改称。現在の南京・東南大学の源流)。それ以前では、確たる教育制度の形は見えないものの、厩戸皇子(うまやどのおうじ≒聖徳太子)の経典研究において、「三経義疏」という注釈書の中で、聖徳太子の教育思想であると云われる、「一乗思想(すべての人に等しく教育を説き、理想の実現と人間は平等であるとの考え方)」が反映されていることが読み取れる。『教育』という概念について、初めて思想として提起されたものであろう。
ただし、この時代の教育制度の利用者は氏族などの身分、位階の高い一部の人々に限られ、奈良時代から江戸中期頃までの間、支配する側とされる側の教育環境の差は歴然としていた。


聖徳太子二王子像(奈良国立博物館蔵:イメージ)

注1
日本の古典法。中央集権国家創設の課題の中で、中国(唐代)の律令(法律)を模倣して作られた飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう≒681年に天武天皇から発令された詔によって編纂作業が始まり、持統天皇のとき(689年)に施行された)の不備を日本に合致した内容に改定する必要から編纂され、文武天皇が公布(701年)した。「律」6巻・「令」11巻の全17巻からなる日本史上初めての国家基本法と考えられている。「律」は主に刑法典であり、「令」は民事法、行政法典として纏められ、令の項目に「学令」として教育制度に関する編目が確認できる。
※大宝律令という名称は歴史学上の法典名であり、当時は「新律」「新令」と呼ばれていた(渡辺晃宏著「日本の歴史:平城京と木簡の世紀」)。

有史以前、制度としての教育が確立するまで、古代の人々の教育概念は如何なるものであったか。当然ながら親から子へ、子から孫へと受け継がれた自然で当然の「教え」の継承は、狩猟民族から農耕民族へと移行する過程で、集落形成に至る頃には、人々が生きていくための知恵の伝承というある種の教育が行われてきた。つまり、教育の原点は、人間が、人間として、人間らしく生きるための経験から生じたモラルの伝承であると言える。

【民衆教育の歴史】
中世以前に既に制度化されつつあった教育が高官子弟や氏族を対象とする官憲教育制度であるのとは対照に、支配下に置かれる民衆に対する教育は、どのような歴史を辿ってきたのか。
民衆教育の原点は親から子への伝承にある。生きるための知恵と経験から学ぶ生活の知識、家族から集団に至るまでの共同体に必要な秩序形成を「モラル」という概念で確立させてきた民衆社会の教育制度は、世界中に同様である。
一方、特権階級(国家形成の過程で生まれる縦の関係)に用意された制度も、やがて民衆の間に拡がりを見せる。日本では近世になって武家社会における子弟教育機関の民間開放が行われた。「寺子屋」「手習い所」などと呼ばれる民衆教育機関がそれで、主に文字の読み書きを中心とする日常生活に必要な知識習得の場として普及した。ただし、これらの機関には武士階級の子女は同席出来ず、明らかに身分制度を前提とした教育の本質が存在し、身分階層別に必要な知識と道徳教育が行われていた。
また、郷黌(ごうこう、きょうこう≒郷校、郷学所、郷学校、明治期には義校とも称した)と呼ばれた江戸時代から明治初期にわたって存在した武士・庶民のための領主公認の教育機関で、特に藩主・代官、民間有志が庶民教育のために設立し、藩主や地頭がこれを補助して保護し、監督運営した学校も造られた。儒学を中心に、文(読み書き計算)武を授け、未成年者、成人を一体的に対象とした生涯教育型のものが多く、全国に1000余りの郷学が設立されたが、多くは明治初年に集中している(その後の「学制」による公的教育制度の前身)。


備前岡山藩校の旧閑谷学校は日本最古の郷黌(岡山県備前市:イメージ)

中世から近世における身分階級社会の民衆教育において、その教育は儒学が中心であるが、特定の学統によらず、庶民(主に町人)の実践道徳に重点を置き、封建的身分制を超えた人間性の問題を提起している点は、近代民主主義に繋がる歴史変遷の過程で特筆すべきである。

【宗教と教育】
難しいテーマであることを承知で、憲法理念(日本国憲法第20条第3項)及び援用された教育基本法第9条注2をも踏襲しながら人間の人格形成に宗教教育(一般的な宗教の教義、儀式、習慣、概念、歴史などを教授すること)が必要か否かを考察してみたい。

注2
日本国憲法(昭和22年5月3日施行)
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

教育基本法(昭和22年法律第25号)
第9条 (宗教教育) 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

そもそも日本国憲法の成立過程における20条関連の協議については、GHQを中心として戦前教育の在り方が全面的に否定され、宗教の自由という欧米的な個人主観による選択の範疇として明文化された。しかし、国家が特定の宗教教義に基づいて国民を洗脳扇動する全体主義に繋がらないよう、政治の宗教活動は完全に禁止したのである。このことについては、性悪説による政治的判断として理解の範囲であるが、宗教の情操教育という側面をも活用することが出来ず、いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の続発など、教育の崩壊に絡めてその必要性を説く意見も多い。
平成12年12月に「教育を変える17の提案」と題した報告書を纏めた内閣総理大臣の諮問機関である教育改革国民会議(座長・江崎玲於奈 芝浦工業大学学長 当時)はその中で、「宗教教育に関しては、宗教を人間の実存的な深みに関わるものとして捉え、宗教が長い年月を通じて蓄積してきた人間理解、人格陶冶の方策について、もっと教育の中で考え、宗教的な情操を育むという視点から議論する必要がある。」と、新時代に向けた教育基本法改正の理念に宗教教育の重要性を盛り込んでいる。


古代から中世においては、教会が教育の場でもあった(イメージ)

~宗教教育とは何か~
宗教教育はその内容から、おおまかに分けて二つの要素から成り立つと考えられます。ひとつは「宗教についての知識の習得」であり、もうひとつは「宗教的情操の育み」です。
前者は、宗教の概念をはじめ、各宗教の歴史や教理などについての「客観的な学び」と言えます。
後者は、人間を超えた存在や宗教的な真理に対する「主体的な信の育み」です。そこには、よく言われる「畏敬の念」や「愛・慈悲」といった宗教的情操感情が生まれ、自分自身の内面を深めていくと考えられます。
~情操教育の可能性~
お釈迦さまが語った真理のひとつの表現が「縁起」です。「法を見るものは縁起を見る。縁起を見るものは法を見る」と原始仏典に説かれているように、縁起こそが仏教者が依って立つべき真理と言えると思います。
すべての物事は何らかの原因によって起こる(生じる)という意味です。
縁起を体感するということは、「人は多くのものに支えられて生きている。他から多くのものをいただき、自分の中に取り込んで生かされている」という真実に気づくことです。
それは「自他一如」の世界であり、縁起という真理に照らせば、人を殺したり傷つけることは、すなわち自分自身を殺し傷つけることに他ならないことになるのです。縁起という真理を少しでも体感すれば、現在世界中に蔓延している暴力の嵐は、自ずと収まっていくことでしょう。
~情操教育の担い手~
宗教情操教育というものは、一定の形のあるものではなく、融通無碍、多種多様なあり方で存在しうるものではないでしょうか。重要なことは、それを誰が伝えるかということです。
つまり、宗教情操教育は、教師側の信の確立、または確立への姿勢が必須条件となるのです。
※公益財団法人全国青少年教化協議会(仏教教団60余宗派と関連企業で構成 会長・森川宏映天台座主 現在)が会報誌に掲載した提言内容の一部抜粋

【道徳教育の重要性と必要性】
道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする(文部科学省平成27年3月告示・改正小学校学習指導要領)。
従来、義務教育課程では、道徳の時間が週1回、教科外活動として設けられていたが、平成27年に学習指導要領の一部改正により、道徳は「特別の教科」(道徳科)として位置づけられた結果、新たな学習指導要領では、小学校では平成30年度から、中学校では平成31年度から年間35時間の授業が実施されるに至っている。これは教育史上、戦前以来のこと(「修身」が教科として採用され、教育勅語を基本理念とする戦前の教育制度が廃止されたのは昭和23年)であり、非常に大きな改正だということを認識する必要がある。


国民学校「修身」教科書(2年生用):奈良県立図書館蔵(イメージ)

道徳教育は人の信条や価値観、物事の善悪の基準など、人間形成上重要な意思決定プロセスにも直接的に影響を及ぼす恐れがある。国家が教育制度として「道徳」の教科指定を行ったことに東京弁護士会は意見書を提出(平成26年7月11日)。国家が学習指導要領により特定の価値観を「正しいもの」として設定し、子供たちに提示するという内実を有している道徳教育は、「正しい」とされた特定の価値観を受け入れない子供への事実上の不利益評価をもたらす恐れがあり、国家による子供達に対する特定の価値観の受け入れを強制するものとなりかねない、と指摘した。また、愛国心を育む教育方針を示した中学校学習指導要領の項目に対し、自国を愛するかどうか、どのような内容の愛国心を有し、それをどのように表現するかは、個人の価値観に委ねられるべき事柄であり、愛国心を持つか否か、一定の内容の愛国心やその表し方について、国家により押し付けられるものであってはならないのであって、「国を愛」することを単純に「善いこと、正しいこと」として公定する道徳教育は、個人の価値観に介入し、特定の価値観の受け入れを強制するものとなりかねない、というのである。

道徳教育(モラル形成教育)の重要性は学校教育に限定されるものではなく、家庭、地域社会において体得すべき“学び”の要素が大きいと言える。すなわち、親や親族、または地域特性から来たす価値観によって、就学前から意識形成がなされている場合も想像され、学校教育に課された「指導要領」どおり、児童生徒が受け入れるかどうかも懸念される。更に、多様性を前提とする道徳は、教員の価値観や観念に左右されることなく子供の心情に寄り添うことが求められ、回答が決まっている他の教科とは違い、教える側の資質を重要視する。
従って、冒頭の事件に代表される「大人のモラルハザード」が常態化しているような社会状況の中で、いったい誰が子供たちに道徳を説くのかという切実な問題が浮上する。他方、前述の東京弁護士会意見書では、道徳教育に関し、教員研修の抜本的強化や教員養成課程の充実化を図ることとした文部科学省の「今後の道徳教育の改善・充実方策について(報告)」と題する報告書の該当項目に言及し、教育委員会の指導主事が、教師に対し道徳教育の指導計画の作成について指導することや、道徳教育に関する研修や教育課程を充実・強化することは、教師の自主性や自律性を制約し、これまで個々の子供の実情や学校の状況に即して、教師の創意工夫によりなされてきた様々な取組みを阻害することになりかねず、教師の教育の自由が侵害、ひいては子供への受け入れが強制される結果、学習権自体の侵害に繋がることになる、という懸念も指摘している。

【個人の教育と国民としての教育】
読者諸氏は「公民」という言葉をご存じか?また、正しく理解されているだろうか?
「公民」と聞けば、それは中、高等学校の教育カリキュラムにおける授業の一科目、教科として一定時間を過ごした経験から思い出す文言ではないだろうか。
さて、我が国において公民教育が開始されたのは、1890年に実業補習学校における職業教育に付随して、「公民トシテ心得ヘキ事項」として公民教育が組み入れられたのが最古と云われる。ただし、その本格化は、社会教育の重要性の高まりと普通選挙の導入が決まった大正時代末期のことだそうである。(参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


中学校公民教科書(イメージ:東京書籍 Amazon)

人間は個で存在できない。有史以来、集合と離散を幾度となく繰り返し、人間の社会を形成して今日に至っている。それが前提の本論であり、教育の本質は多様性の下で語られなければ先が見えてこない。つまり、教育とは全体論の中で議論すべき課題であって、個人教育に関しては既に完結している問題である(学業の向上や芸術、音楽などの才能教育、情操教育や哲学的な教えなど、あらゆる分野の教育問題は、対個人に関しその方法論や達成メソッドは出尽くしている)。
従って、現代教育の問題点として、個人の資質や受けてきた教育の内容にその原因を求めたとしても、全く無意味であることに疑いの余地はない。
一方、日本国内において生きている人々は国民として存在し、社会集団の一員であることは変えようもない。たった今、分娩室で産声をあげた新生児も、その瞬間から社会の一員であり、日本国民としてカウントされるのである。国家はこの新生児にも憲法で保障した様々な義務を負う。そして憲法26条(教育を受ける権利)に基づき、教育基本法、学校教育法他多くの法律の規定に従い、国家は義務教育を履修させなければならい。この期間、学校教育に関する権限と責任は行政(政府)が担うことが実務であって、主権者たる国民は、行政に対して受益権に基づく国務請求権(憲法上国民に認められた国家機関に対する様々な請求権)を発動できる。
本編で述べてきた学校教育における種々の内容について、本来国民一人々は行政に対してものを言える立場なのだ。しかし、そこには公共の利益、公の秩序と善良な風俗に反しない範囲でという制約が付き、且つ国民の代表として国会に参画する議員が国民の意見を代理して反映させる仕組みを利用することがルールである。ここに議会制民主主義の根本的な欠点、つまり議員以外の国民と政治の齟齬が生じる。

日本が太平洋戦争に突入する際、国民の代表機関である国会において戦時体制下における学校教育の大幅な改革が実施された。その牽引役を務めたのが「教学刷新評議会」であり、評議会の基本思想によって教育改革の中心となる方策を立てたのが「教育審議会(昭和12年12月内閣承認)」注3であった。教育審議会は昭和16年10月に解散したが、翌年2月に大東亜建設審議会が設けられ、大東亜建設に処する文教政策を発表し、これに基づいてその後の教育施策が立てられた。これらの答申に示された基本方針によって、戦時下の教育体制がしだいに明らかになり、それに基づく教育実践を進めていった。

注3
昭和12年に国民教育基本方針の改訂がなされ、「我ガ国体及国憲ノ本義特ニ肇国ノ精神及憲法発布ノ由来ヲ知ラシメテ以テ我ガ国統治ノ根本観念ノ他国ト異ル所以」を明らかにすることを教育目標に掲げることとなった。これは欧米の近代的市民育成の方針とは異なる「絶対主義思想」に基づいた帝国臣民育成理念を前面に出したものとなった。
また、文部省の行政教育機構において昭和12年7月に「思想局」を廃し、教学局を設けて国体の本義に基づき教学の刷新振興に関する事務を行なうこととなた。教学局では学会の開催、思想情報の収集、思想対策、教員再教育、文化講義、印刷物の刊行などにあたった。数学局は『臣民の道』の刊行及び『国史概説』の出版なども手掛け、これらは戦時下思想練成に必須な読みものとして、一般国民、特に教育界に頒布され、全国に普及した。これらの刊行物は、教員研修に欠くことのできない教科書となり、解説書も作られたが、思想指導に果たした役割は重大であった。


教学局編纂「臣民の道」(国立国会図書館蔵:イメージ)

現代社会の大問題である教育の荒廃を正す方法論として、国民に対する公民教育を幼少期から義務教育全体を通じて丁寧に行うことを提案したい。拙者の言わんとする「公民」とは、『より良い暮らしの創造は国民一人々が自らの力で積み上げていく先に得られるものであることが理解でき、地域、町村、市と繋がる社会の担い手であるが故に自分達それぞれ、住民自身が連帯してこれを治める、つまりそれを負うのだという責任感を備えた国民のことである』。
個人が社会の一員である意識を明確にするためには、自己の心の奥深くで考え、哲学することが必要である。公民を育てる、言い換えれば国民を公民に押し上げるための教育を「公民教育」と位置づけ、道徳教育とは別の教育制度の改革を行う必要がある。公民教育は学校、地域、家庭(家庭の定義は広義である)の三か所で行われなければならないことは道徳教育と同様である。しかし、道徳とは人の心の教育であり、公民の資質である社会的価値判断能力と秩序形成能力は、公民教育以外をもって体得は出来ないと考える。当然個人差はあるにしても、国民一人々がこの能力を備えたとき、地方自治も国政も、国民の真の監視下に置くことが実現し、市民、国民こそが主人であることの社会的なコンセンサスが確立するのである。それに拠らなければ、議会議員に「一票の力」は伝わらない。一票の力は、「国民の公共事業に対する熱意と関心」そのものによって強くなるのである。この時代にあって、国政選挙の平均投票率が40%以下であること自体、この国に未来など訪れるはずはない。
第二次世界大戦の戦時下において、公教育の誤った方向によってもたらされた結果は、実は我が国の国民(明治憲法下であっても民主主義国家であったことに変わりはない)に対する公民教育が欠如していたことが大きな要因である。そのために一部の全体主義、軍国主義に国家全体が引きずられ、陥落したと言える。同じ過ちを繰り返してはならない。
戦前、戦後に行われてきた公民教育のカリキュラムを見れば、それは社会の仕組みを概観的に解説し、知識として理解させるに留まっていた。この授業を受けた経験のある方は、公民=政治経済概論という認識をお持ちではないだろうか。公民教育とは、前述の通り社会と個人の関係に関し、自己の心で考え、哲学できる人間を育てるための教育であり、そのためのカリキュラムが求められる。これは宗教的情操教育や道徳教育と似ている様でも別物である。
公民教育とは、「主権者教育」と言える(故・大濱徹也筑波大学名誉教授)。すなわち、国民としての権利と義務を学び、外部から行政に対する働きかけと監視をしっかり行える社会を造ることを目的とするのである。


国を動かせるのは本当は誰か!?(イメージ)

教育制度は行政の手によって進められるのが実務であるが、制度の構築は議会に委ねられ、議会構成員たる議員は公民たる国民の代表であることからすれば、公民教育を制度化することもまた、国民一人々の熱意に委ねられている。