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ラビットプレス+11月号


戦時さながらの沖縄嘉手納基地でのTouch & Go・・・(イメージ)

11月2日。市民団体が憲法9条をテーマにした討論会を東京都内で開いた。自民党石破茂・元幹事長、国民民主党玉木雄一郎代表、そして立憲民主党からは山尾志桜里衆院議員がパネラーとして参加し、安倍晋三首相(自民党総裁)が示している憲法9条1項、2項を残し、自衛隊を明記する改正案に対して夫々の持論を基に安倍改正案を徹底的に批判した。
自民石破氏は、「戦力の不保持」を定めた9条2項を削除し、軍隊の保持を定めるべきだ、と主張。「(軍隊に)最高の規律と名誉を与え、文民統制を徹底すべきだ」としたうえで、安倍首相案について、「(自衛隊の活動が)際限なく広がる可能性がある」との懸念を示した。
また、国民民主の玉木氏は、「今の9条に欠けているのは規律性」と指摘。更に、「9条を一文字も変えないことと、安倍首相の言う自衛隊を書き込むことは同じこと」と首相案への批判を展開したうえで、「少なくとも日本に対する(外国からの)攻撃には対処できるようにし、地球の裏側には行けないよう、憲法上の規制を働かせるべきだ」と述べ、9条2項を削除すると共に、「制約された自衛権を明確に位置づけるべきだ」との立場を示した。併せて自衛隊を「軍隊」、「自衛官を軍人」として認める必要性にも言及した。
立憲山尾氏は、自衛隊を憲法上も「戦力」と認めるべきとしたうえで、「日本が発動できる自衛権の範囲を憲法で定め、自衛隊を法律で厳密にコントロールする必要がある」とした。「米国とは、一緒に戦争をしないという立場ははっきり示すべきだ」とも述べた。(朝日新聞)


改憲論議に石破茂氏はこの表情…(イメージ:産経新聞社)

安倍晋三首相は、去る9月の内閣改造後の記者会見上で、「自民党のたたき台(=改憲4項目注1)は党大会で承認され、党としての意思となっている」と答えた。これに対して前述の自民石破氏は、「改憲4項目は党総務会の了承を経ておらず、平成24年に自分自身が主導した自民党憲法改正草案が党としての正式な改正草案である」との主張を譲らない。

注1.(改憲4項目)

自民党が憲法改正の優先的なテーマとして掲げた①「自衛隊の明記」②「緊急事態対応」③「合区解消・地方公共団体」④「教育充実」―の4項目を指す。
そのうち、9条関係として自衛隊が広く国民に支持され(災害派遣等)ているにも係わらず、憲法論争上合憲を主張する学者は少数であること、中学校社会科教科書における自衛隊違憲論は主流であること、国会議員を擁する政党に自衛隊違憲論を唱える政党が存在することなどから、先ず自衛隊違憲論を解消しなければならないとし、現行9条1項及び2項を残したうえで別途「自衛隊」を明記するという案を提示している。

平成24年草案は、戦力の不保持と交戦権を否定した既存の9条2項を削除し、集団的自衛権行使を全面的に容認する姿勢を打ち出していた。
一方、改憲4項目の9条改正案では、既存の9条をそのまま残したうえで、自衛隊の存在を明記するというものであり、石破氏は、「自衛隊は立派な戦力であり、そのまま明記すれば、戦力不保持の9条2項と整合性が取れない」と反発している。(産経新聞)

【現行9条を読み解く】

日本国憲法(昭和21年11月3日公布・昭和22年5月3日施行)
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

先ず、現在まで論争の中心をなしている文言解釈(法解釈は言葉=日本語の解釈そのものである)についておさらいしておこう。
9条1項についての論争の中心は、戦争と武力行使の放棄に対し、限定放棄説と全面放棄説がある。

  • 1.限定放棄説 これまでの国際法上の解釈では、国際紛争を解決する手段としての戦争とは、「侵略戦争」を意味するものであり、自衛のための戦争までは放棄していないとする説。
  • 2.全面放棄説 戦争とは、すべて国際紛争を解決する手段として行われるものであるから、自衛のための戦争も含め、すべての武力行使を放棄しているとする説で、学説上の多数説である。


論争の原因の一つとして、「国際紛争を解決する手段としては」という文面の解釈が挙げられる。限定説では、「武力による威嚇又は武力の行使」のみに掛かるとする。つまり、国権の発動たる戦争行為の全てを放棄しているのではなく、国際紛争を解決する手段として、武力による威嚇又は武力の行使はしないが、それ(国際紛争を解決する手段)以外の理由(例:自衛)による戦争は含まれていないとする。
一方、全面放棄説は、「国権の発動たる戦争」にも掛かっていると解釈する。


外務相官邸跡地に在る「日本国憲法草案審議の地」の碑(イメージ画像)

憲法9条論議の定説(異説は殆ど見られない)として、1項はそもそも国際条約である「パリ不戦条約(ブリアン:ケロッグ協定)」の条文(第1条)の踏襲であるとする。これは、1928年8月フランスの外相アリスティード・ブリアンが、アメリカに対し戦争放棄を目的とした仏米協定締結を提案し、それを受けたアメリカの国務長官フランク・ケロッグが、国際条約にする必要があるとして世界各国に働きかけ、ドイツ、日本注2も含む15ヶ国が参加してパリで調印して成立した(後に63ヶ国に拡大)。その第1条には、『締約国は、国際紛争解決のために戦争に訴えることを非難し、かつ、その相互の関係において国家政策の手段として戦争を放棄することを、その各々の人民の名において厳粛に宣言する。』と記されている。

注2

パリ条約第1条の、「人民の名において」とある部分は国体に反する(当時は専制君主制)として、枢密院(明治憲法下における天皇の至高顧問機関)が反対したので、田中義一内閣(当時)は、「この一句は日本には適用されない」ことを条件として翌年に批准した。その結果、この条約に拘束された日本は、後の中国侵略を“自衛のための行動”であるとして、「満州事変」や「日華事変」というように、戦争を「事変」と表記せざるを得なかった。

次に、「国権の発動たる戦争」とは何を意味しているのか。これは、国際法の適用を受けて、宣戦布告・最後通牒といった正式な手続きを経て行う戦争(形式的意味の戦争ともいう)という意味である。つまり、国家の権利(主権)に基づいて、国家間で武力闘争をすることであって、国際法の適用を受けてとは、この場合、戦時に適用される国際法(武力紛争法)を指し、具体的には「ハーグ法(「開戦に関する条約」、「陸戦の法規慣例に関する条約(これに付属する「陸戦の法規慣例に関する規則」)」、「陸戦の場合における中立国及び中立人の権利義務に関する条約」、「海戦の場合における中立国及び中立人の権利義務に関する条約」など一連のものを指す)」である。従って、国権の発動たる戦争以外は国際法上の戦争とはならず、そのような手続きを経ずに行う戦争(実質的意味の戦争ともいう)と区別している。ただし、この実質的な意味での戦争は、「武力の行使」に含まれると解釈される。

「武力による威嚇」は、現実的な武力行使には至っていないが、武力を背景に、自国の要求を受容れなければ武力行使も持さない、という構えで相手国を強要することをいう。具体的には冷戦時代の軍拡競争や核開発競争、中国と台湾間や南北朝鮮の軍事演習などが典型的である。


パリ不戦条約締結式・Kellogg – Briand Pact(資料:国立国会図書館)

2項に目を向けよう。2項の論点は、「陸海空軍その他の戦力」と「保持しない」という部分である。一般的に「戦力不保持」として1項の「戦争放棄」と並び9条の骨格をなしている。

「陸海空軍」については軍隊(軍事を専門とした人間の武装集団)を想定していることは明らかである。軍隊には国家的組織(国軍=正規軍)と、非正規軍(民間軍や反政府軍、ゲリラ組織など)が存在する。2項では、「その他の戦力」をも規定しているため、正規軍以外の軍隊も国として保持してはならないこととなる。また、1945年当時とは異なり、科学の著しい進歩、発達が地球上から100Km以上離れた宇宙空間や、これまで戦争の道具(武器)として使用されてきた銃火器、艦船、戦闘機などとは異なる次元での兵器(サイバー兵器=ネットワーク攻撃用の電磁波やコンピューターウィルスなど)などを生み出している。それらも含め、今後開発される未知の兵器もすべて、戦争のために使用する前提では“戦力”と看做し得るので保持してはならないことになる。

「前項の目的を達成するため」という語句の挿入は、そもそも9条の解釈に重大な影響を及ぼす部分となっている。
~芦田修正~
1946年、政府が国会に提出した憲法改正案は、衆院憲法改正特別委員会のもとに設置された小委員会で修正が図られた。その際、芦田均・小委員会委員長の提案で、戦力の不保持と交戦権の否認を定めた9条2項の冒頭に、「前項の目的を達するため」との文言が加えられた。この修正の意図は公には明らかにされていないが、後になって芦田は内閣憲法調査会の会合で以下の通り発言している。
昭和32年12月5日議事録(西修著「日本国憲法の誕生」)
「私は一つの含蓄をもってこの修正を提案したのであります。『前項の目的を達するため』を挿入することによって原案では無条件に戦力を保持しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないということになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります。そうするとこの修正によって原案は本質的に影響されるのであって、したがって、この修正があっても第9条の内容には変化がないという議論は明らかに誤りであります」
これは正に、芦田本人からして来るべき時には9条を改正し、明確に主権国家として自衛の問題をどうするのかを明文化せよ、と言っているかのようである。しかしながら、芦田修正による9条2項の解釈において、日本政府は芦田理論を採用してはいない。これは現内閣に至るまでの歴代内閣の姿勢である。それは何故か。

それは当の芦田本人が、新憲法成立前の帝国議会衆議院本会議で、「新憲法9条は、侵略戦争だけでなく自衛戦争も含むすべての戦争を放棄したもの」という趣旨の説明をしているからである。前述の憲法調査会小委員会での発言は、帝国議会本会議の発言とは矛盾していること、芦田がそのことについて言及していないことを踏まえると、政府見解として、「自衛権のための戦力保持を許容する芦田修正論」に、憲法改正の大義を求めるわけにはいかなかったという事情があるからだ。所謂、政治家として触れてはならないタブーなのである。

※芦田均(1887-1959)昭和時代の政治家。
明治20年11月15日生まれ。外務省参事官から昭和7年衆議院議員(当選11回)。戦後、自由党創立に参加するが、22年日本民主党を結成し、総裁。社会党首班3党連立の片山哲内閣の外相に就任。23年同じ連立内閣の首相兼外相となるが、半年後昭和電工疑獄事件で辞職した。昭和34年6月20日死去。71歳。京都出身。東京帝大卒。


芦田均日記(イメージ:新潮社)

「交戦権はこれを認めない」とは、交戦権の定義の問題で、一般的には主権国家の戦争をする権利と、交戦状態に入った場合に、交戦者として国際法注3上認められる権利の行使であるとする論争がある。
戦争をする権利を認めないのか、戦争状態に入った後の国際法上の権利が認められないのか、であるが、日本政府は一貫して後者の解釈である。

注3

国際社会の諸関係を規律する法で、国際公法ともいわれるが、現在は国際法の呼称が適切とされる。国際法の主体は原則として国家であるが、国際社会の組織化に伴い、特に第1次大戦後は種々の国際組織・団体も主体としての地位が認められ、さらに今日では特定の場合には個人が主体となることも認められている。国際法は国家間の文書による合意の明示としての条約と、国際社会の慣行を基礎として暗黙の強制力をもつ国際慣習法とからなる。国内法と異なり、国際法はその制定・執行や違反行為に対する制裁などに当たる統一的権力や機関がなく、もっぱら当事国の手によって運用される。19世紀以降制定法としての多国間条約が増え、また第1次・第2次大戦を経て戦争を違法とする考え方が一般化したこと、更に国際裁判の発達などから、現在では普遍的な法としての地位が確立しているといえる。(株式会社平凡社:マイペディアより抜粋)

【自民党改正案:9条の2を考察する】
ここでは政局に関わる推測はせず、憲法改正4項目(平成30年3月26日自民党憲法改正推進本部:「憲法改正に関する議論の状況について」)において示された、現行9条1項、2項の維持と9条の2の新設について検討を加える。

自民党 改正憲法素案 第9条の2(新設)
第9条の2

  • (第1項)前条の規定(現行9条)は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
  • (第2項)自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。


この「9条の2」の前に、前掲の原稿9条1項、2項が鎮座していることを連想し、「これでスッキリしましたね!」と納得する国民は殆ど居ないだろう。
国民投票注4という最高意思決定の制度をもってしなければ進まない憲法改正に対し、これまで多くの年月と専門家の論議を繰り返した根底にあるが「自衛隊は憲法違反か否か」である。現在までに費やした労力を全く顧みない新設の条文に国民が納得するとは思えない。否、納得してはならないと思うのである。

注4

日本国憲法第96条に定める日本国憲法の改正に関する手続を内容とする「日本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正国民投票法)」が、平成22年5月18日に施行。同法の一部を改正する法律が、平成26年6月20日に公布・施行され、具体的な手続きは整備されている。


旭日旗を掲揚する自衛隊艦船(イメージ:海上自衛隊)

そもそも自衛隊存立の法的根拠について、政府は「自衛の措置≒個別的自衛権の行使」という国際法上(国連憲章第51条)も認められている権利については、我が国の存亡に関わる事態に直面した場合、憲法13条(国家に国民の生命・自由・幸福追求の権利の保護を義務付ける規定)の優先適用という運用解釈を根拠に、9条の例外を導き出して必要最小限の武力の行使は許されるとしてきた注5。しかし、現行9条の解釈に個別的自衛権以外の権利行使は含まれず、日本政府は一貫して集団的自衛権の行使は憲法違反であるとの認識を示してきた。

注5

内閣法制局 昭和47年10月14日参議院決算委員会提出資料(参・決委 昭47・9・14 における水口議員要求の資料)「集団的自衛権と憲法との関係について」
(要旨)
・国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権を有しており、我が国も主権国家である以上、当然である。
・しかし、政府は一貫して、国権の発動として集団的自衛権を行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界を超えるものであって許されないとする。
・憲法9条において戦力の保持を禁止しているが、国民の生命・自由・幸福追求の権利の保護(13条)という観念から、必要な自衛の措置まで禁じられているとは到底解されない。
・しかし、自衛のための措置を無制限に認めているとは解せず、国民の権利を脅かす急迫・不正の事態に対処するため止むを得ない措置として、必要最小限度の範囲にとどまるべきである。
・そうだとすれば、他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない。

にも係わらず、平成26年7月1日閣議決定以降、自民公明連立の政府(安倍内閣)において、集団的自衛権容認の解釈を現行9条に求め、自衛隊の明記という人目を惹く技巧を使って、これまでとは真逆の解釈を正当化させる手法を採ったと言わざるを得ない。

~次月号に続く