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ラビットプレス+6月号


(イメージ:天皇即位後、初めてのご公務のお姿・共同通信)

新天皇即位(皇位継承)から2ヶ月を過ぎて、天皇陛下、皇后陛下は精力的にご公務をこなされている。
天皇の公務は大別して、「国事行為」、「公的行為」、「その他の行為」の三つが在る。
「国事行為」は、憲法改正、法律や政令、条約の公布、内閣総理大臣と最高裁長官の任命、国会の召集、栄典授与など、憲法で規定されている(第3条を根拠とし、第6条及び第7条で列記)。これに関連する執務として、親任式、国会開会式、各種勲章親授式などにもご台臨される。
「公的行為」とは、政府見解によると、「天皇が象徴としての地位に基づき、公的な立場で行われるもので、国事行為以外の行為」としており、法的根拠は無い。具体的には、外国賓客の接遇及び外国訪問、国会開会式でのお言葉、新年一般参賀へのお出まし、全国植樹祭や国民体育大会へのご臨席などである。先般の米国トランプ大統領の謁見もこれにあたる。

一方、「その他の行為」は私人としての行為であり、最も馴染みのあるものが「祭祀(儀式)注1」であろう。祭祀はある種、象徴天皇として極めて国家的な、国民思想の柱をなす行為といえるのだが、政教分離は由緒ある伝統的行事の一面を有するといえど、宗教行為を国事行為とみなすわけにはいかず、完全な私的行為として位置づけられる。
ただし、天皇が行う祭祀には宮内庁の所管とされ、一般国民がイメージする私的行為とは概念が異なる。
その他、私的行為としては福祉関係施設等や企業への訪問、大相撲、音楽会、展覧会などスポーツや文化芸術関連イベントなどの観賞・観戦及び、趣味や自身の研究などに関わる日常行為である。

本編、改元記念として特集を組んだロイヤルファミリーに関するトピックの締めくくりとして、皇室の経済についてお話ししよう。お金の話だから、やもすれば俗っぽくなってしまうかもしれないが、出来るだけ言葉を選んで書くよう注意するので失礼の段はお許し願いたい。


祭祀が行われる宮中三殿(左から皇霊殿、賢所、神殿)(イメージ:宮内庁)

注1

祭祀(主要な祭儀一覧:宮内庁)

1月1日 四方拝
しほうはい
早朝に天皇陛下が神嘉殿南庭で伊勢の神宮、山陵および四方の神々をご遙拝になる年中最初の行事。
祭旦祭
さいたんさい
早朝に三殿で行われる年始の祭典。
1月3日 元始祭
げんしさい
年始に当たって皇位の大本と由来とを祝し、国家国民の繁栄を三殿で祈られる祭典。
1月4日 奏事始
そうじはじめ
掌典長が年始に当たって、伊勢の神宮および宮中の祭事のことを天皇陛下に申し上げる行事。
1月7日 昭和天皇祭
しょうわてんのうさい
昭和天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所でも祭典がある)。
夜は御神楽がある。
1月30日 孝明天皇例祭
こうめいてんのうれいさい
孝明天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所でも祭典がある)。
2月17日 祈年祭
きねんさい
三殿で行われる年穀豊穣祈願の祭典。
2月23日 天長祭
てんちょうさい
天皇陛下のお誕生日を祝して三殿で行われる祭典。
春分の日 春季皇霊祭
しゅんきこうれいさい
春分の日に皇霊殿で行われるご先祖祭。
春季神殿祭
しゅんきしんでんさい
春分の日に神殿で行われる神恩感謝の祭典。
4月3日 神武天皇祭
じんむてんのうさい
神武天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所でも祭典がある)。
皇霊殿御神楽
こうれいでんみかぐら
神武天皇祭の夜、特に御神楽を奉奏して神霊をなごめる祭典。
6月16日 香淳皇后例祭
こうじゅんこうごうれいさい
香淳皇后の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所でも祭典がある)。
6月30日 節折
よおり
天皇陛下のために行われるお祓いの行事。
大祓
おおはらい
神嘉殿の前で、皇族をはじめ国民のために行われるお祓いの行事。
7月30日 明治天皇例祭
めいじてんのうれいさい
明治天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所でも祭典がある)。
秋分の日 秋季皇霊祭
しゅうきこうれいさい
秋分の日に皇霊殿で行われるご先祖祭。
秋季神殿祭
しゅうきしんでんさい
秋分の日に神殿で行われる神恩感謝の祭典。
10月17日 神嘗祭
かんなめさい
賢所に新穀をお供えになる神恩感謝の祭典。この朝天皇陛下は神嘉殿において伊勢の神宮をご遙拝になる。
11月23日 新嘗祭
にいなめさい
天皇陛下が,神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって、神恩を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになる祭典。宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。
12月中旬 賢所御神楽
かしこどころみかぐら
夕刻から賢所に御神楽を奉奏して神霊をなごめる祭典。
12月25日 大正天皇例祭
たいしょうてんのうれいさい
大正天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所でも祭典がある)。
12月31日 節折
よおり
天皇陛下のために行われるお祓いの行事。
大祓
おおはらい
神嘉殿の前で,皇族をはじめ国民のために行われるお祓いの行事。

※お断り

本編の前編及び中編を通じて書き起こした文章中に一部、「平成天皇」の表記があります。慣例上は、崩御された天皇を表す語句として、「○○天皇≒○○は当該天皇の元号」が使用されていますが、法的根拠はありません。しかし、現上皇陛下におかれては生前退位のうえで皇位を譲位されており、通常は太上天皇陛下または上皇陛下として記すべきところ、分かり易さの面で当該語句を使用して表記させて頂きました。ご理解頂ければ幸いです。

皇室のお金の話

狭義の皇室≒内廷(宮廷の内部)に関するお金は、皇室経済法によって規定されている。また、現在では、すべての皇室財産は国に帰属する。従って、皇室の費用は毎年度予算に計上して国会の議決を経る必要がある(憲法第88条)。
皇室経済法では、内廷費、宮廷費及び皇族費として区分する。

内廷費

天皇・上皇を含む内廷にある皇族の日常の費用、その他内廷諸費に充てる定額。
平成31年度は3億2,400万円。※平成8年度から変更無し

皇族費

皇族としての品位保持の資に充てるための費用。各宮家の皇族に対し、年額により支出され、基礎定額は法律により定められる。
平成31年度の皇族費の総額2億6,423万円。
(皇族費には皇族が初めて独立の生計を営む際に一時金として支出されるもの及び、皇族がその身分を離れる際に一時金として支出されるものがある。

宮廷費

儀式、国賓・公賓等の接遇、行幸啓(天皇のお出まし、お出かけ)、外国ご訪問など皇室の公的活動等に必要な経費。皇室用財産の管理経費、皇居等の施設の整備に必要な経費を含む。
平成31年度は、111億4,903万円。


原資は勿論歳費ですが…(イメージ)

上記のうち、宮廷費については支出される細目は公開され、高額となる土木建築関係(施設整備や建物修繕費、陵墓の建造費など)や皇居の維持費、水光熱費、宮内庁直営牧場等の飼料費や管理費などが主だったところである。実務的には国が管理し、公用財産として取扱うので、直接皇室に請求書が廻ることはない。
一方、内廷費と皇族費に関しては、それぞれの御手元金となって宮内庁の経理には計上されないお金である(皇室経済法第4条2項)。これについては税法上、全額が免税(所得税法第9条)となっている。
また、内廷費の定額の変更については、皇室経済法第4条3項に基づき、皇室経済会議において検討され、意見書を内閣に提出し、内閣が国会に報告する仕組みになっている(変更は宮内庁の予算措置で行われる)。なお、皇室経済会議は8人の議員によって構成される会議で、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、財務大臣、宮内庁の長並びに会計検査院の長で組織される(皇室経済法第8条2項)。なんとも凄いメンバーだ。

皇族の日常におけるお金の使われ方

内廷費は皇室の生活費である、というのは多くの国民が誤解している部分である。内廷費の使い道は、大きく人件費と物件費に分けられる。全体のおよそ3分の1が人件費で、残りが物件費であるとされる。物件費とは、衣食関係費、私的旅費(御用邸への移動費なども含む)、交際費や研究費の他、祭祀に係る費用もここから支出され、通常一般人の日常生活に係る費用と変わらない支払いもなされている(勿論、皇后陛下が玄関先で財布を開いて・・・などという俗っぽい想像は当てはまらないが)。また、人件費は宮内庁職員に対するものではなく、皇室が私的に雇用する職員(内廷職員と位置付けられ、祭祀における式典を司り、諸事一切を任される。掌典長、掌典次長、掌典までが管理職で、役所で例えると課長以上。その部下として掌典補、女性の内掌典が祭祀の実務を担当し、20~30人程度が従事している)などに対する給与等(国家公務委員に準じた規程がある)である。従って、内廷費については一般家庭の生活費というレベルの内容ではない。

天皇家の私的財産

先にも述べたが、皇室や皇族の住まい(皇居や御用邸)や、京都御苑(御所)、別荘である「離宮」、陵墓と呼ばれる墓地(近畿地方を中心に、山形県から鹿児島県まで一都二府三〇県に陵188、墓554の他、分骨所・火葬塚・灰塚など陵に準ずるもの42、髪歯爪塔など68、陵墓参考地46があり、総計898に及ぶ)などは国有財産である。皇室財産として区別(国有財産法第3条により、行政財産と普通財産に区分され、皇室用財産は行政財産に属する)されているが、天皇をはじめ皇室、皇族には土地建物の所有権は持たれてはいない。
しかし、国有財産法によるところの国有財産とは、不動産とその従物(建築物等)、船舶・航空機、株券・債券などに限られ、一般の動産は入らない(皇位継承と共に受け継がれる三種の神器など、天皇家に伝わる「御由緒物」なども国有財産とはならない)。ただ、それ以外の金融資産(現金等)、動産類に至っては、天皇家及び皇族の私的財産は認められているのだ。
戦後の新憲法下で洗いだされた天皇家の財産は約37億円(所有地は長野県全体に匹敵する広さで、当時の国家予算の約7%)であり、財産税約33億円相当を物納したことで、天皇家の固有資産は殆どが国有財産となったのである。その後皇室財産は全て国有財産に移管されるが、昭和21年当時で約1,500万円の金融資産や美術品、宝石類などが私有財産として除外された。不測の事態に備えてのことであった。その中には株式も含まれていたようで、天皇家の私的な資産運用はその後も行われていたようである注2

注2

「天皇家の財布」 森暢平著2003年:新潮社 1964(昭和39)年埼玉県生まれ。京都大学文学部卒。1990年毎日新聞社に入社、社会部で宮内庁、警視庁を担当。成城大学文芸学部准教授。
「天皇家の経済顧問として石坂泰三・旧経団連会長(1965年ごろ)や、森永貞一郎・元日銀総裁(1989年ごろ)などがおり、アドバイスを受けていたようですし、資産管理の実務は皇室経済主管という肩書の宮内庁官僚が努めていた」という。

上皇陛下は相続税を払っていた!?

昭和天皇崩御の時、ある問題が浮かび上がっていた。昭和天皇は個人資産として約20億円に上る金融資産を持っていたことが明らかにされたのである。
昭和天皇の資産を相続したのは香淳皇后と明仁親王(現上皇陛下)である。大葬に掛った費用や日本赤十字社への寄付金5,000万円を控除した課税対象遺産額は18億6,911万円。長寿科学振興財団へ5,000万円を寄贈し、香淳皇后が2分の1(配偶者控除により全額非課税)、上皇陛下が2分の1の各9億956万円を相続し、相続税として約4億2,800万円を納められている。
平成元年。昭和天皇崩御によって皇位を継承された明仁新天皇陛下は、御即位の会見において「相続税の支払い」に関する質問に対し、「相続税の問題については、法令に従って行うのが望ましいと考えます」と述べられている。


相続税は国税です。(イメージ:東京国税局)

~トピックス~
ホテルニューオータニ東京の日本庭園
東京都千代田区紀尾井町のホテルニューオータニは、旧皇族・伏見宮邸の跡地である。元々加藤清正の下屋敷であったが、その後近江彦根藩井伊家中屋敷(麹町邸)として使用された。明治維新後、伏見宮邸として維持されたが、第二次大戦後に伏見宮邸は売却されることとなり、外国人の手に渡るところを実業家・大谷米太郎が買い取って自邸とし、東京オリンピックに向けたホテル整備の要請を政府から受けて、この地に現在のホテルニューオータニを建設した。約4万平方メートルの広さを誇る日本庭園は、加藤清正の泉と呼ばれる「清泉池」を中心に四季折々の表情を巧みに見せる名園である。庭園内の滝は、ホテル建設の際に新たに造られたものであるが、400年の時を超えてなお、人々に安らぎと歴史の深さをもたらしている。



ニューオータニ東京の日本庭園(イメージ:ホテルニューオータニinst)

皇室とは何か?国家とは何か?

現代において、天皇を中心とする皇室の意義は、国家的、政治的な定義だけで語れるものではない。国民一人一人、老若男女個人々がそれぞれに抱く皇室像と存在意義を、全て網羅した定義を文字にすることは不可能である。本編でも述べてきたように、神話の世界観を巧みに利用した王政誕生の物語は、歴史的資料の乏しい我が国の創世期にあって、当時の大国であった中国(後漢≒五代の後漢(こうかん)と区別する為、中国では東漢という)への朝貢に関する資料(二十四史(にじゅうしし)・中国の王朝の正史24書のことで、伝説上の帝王「黄帝」から明滅亡の1644年までの歴史を含む)の該当書から、紀元年前後の混沌とした古代日本(邪馬台国を中心とする九州地方)の姿が想像出来、その状況と日本神話のストーリーが妙に符合していることに気づかされる。
記紀神話の編纂時期が8世紀中ごろであることや、現代のような通信手段も記録媒体も存在しない時代であるから、国王としては、畿内大和朝廷が誕生する以前、つまり5世紀までの歴史(歴史学上、空白の4世紀と呼ばれる)を紐付けねばならなかった。そこで、神々の存在と天皇家の系譜を結びつけることを考え、それを史実(正史)とするには、人々の想像を掻き立て、拠り所となるSF超大作(日本神話)が打ってつけであったといえる。
当初はこうして創られた天皇家126代の系譜であるが、時代の変遷と共に皇室の存在意義や定義は様々で、その時々の社会状況に応じ、天皇を始めとする皇室や皇族の政治的利用が図られてきたことは周知のとおりである。しかしながら、古代から中世日本における皇室の存在は、極限られた上流階級層に影響力を持っていたに過ぎず、長期に亘って皇室の拠点であった奈良や京都などを除けば、朝廷の影響は庶民階層に届くことはなかった。更に、1185年(源氏方・文治元年)鎌倉幕府開設による武家社会の到来以降、700年にも及ぶ武家政治の影響を受け続けてきた一般国民においては、皇室に対する意識の芽生えはやはり明治以後ということになろう。その最たる出来事が、1890年(明治23年)10月30日に明治天皇の詔勅として発布された「教育ニ関スル勅語(俗称:教育勅語)」である。


教育勅語(イメージ:国立国会図書館)

国家は教育によって形作られ、国体は教育によって護持される。自由経済を謳歌する現代社会においては尚更である。近代国家樹立を命題とした明治政府は、特異な社会構造を数百年に亘って維持してきた日本の武家社会から離脱し、西欧諸国と肩を並べるためには、日本人のアイデンティティを確立させる必要があった。それを実現できるのは天皇を神聖化し、神と崇める天皇を中心とした国体の創造以外、道は無いものと結論付けられた。伊藤博文初代内閣総理大臣による欽定憲法(君主によって制定された憲法)制定は、紆余曲折の末の結論であり、その後の日本の進路を示した羅針盤であった。
第二次世界大戦終結後、新憲法の下で天皇は象徴として存続したが、昭和の時代が終わるころ(昭和63年)のNHK国民意識調査(前編号において記載)において、天皇に対して「無関心」と答えた割合がほぼ50%という、天皇制そのものが崩れようかというときに、現上皇陛下がその翌年即位し、30年余りに亘り美智子上皇后陛下と共に新たな象徴天皇の姿を追い求めて来られたのである。

有史以来、天皇という地位に就いた“人間”は、一般人が想像すら難しいほど、究極の孤独感を抱えながら、崩御の瞬間まで降りることが許されない立場である。庶民や国民には到底理解出来ない境地を、日本国建国の時から歩き続けて来られたのが126代にも亘ったそれぞれの天皇である。そのこと自体が神秘的であり、且つ神聖であると言えよう。
国家は生き物であり、生き物にはその中枢に位置づけられる存在が必要である。適した言葉は見つからないが、常に意識せずとも生き物の生を司り、護り、体幹を支えるような存在。象徴という言葉の定義として、採用を検討頂けないだろうか。