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ラビットプレス+4月号


サービスを終了したSNSの先駆者・グーグル orkut“オーカット”(イメージ:Google)

平成31年≒2019年。
ついにその時がやってきた。新元号が発表され、国内の全産業で新元号への対応に追われることとなったこの一カ月。本誌も平成最後の発行となる。

先月号ではインターネットの発達と共に世界中の人々の生活スタイルが革命的に変化したことを述べた。更にはスマートフォンに代表される所謂モバイル(端末機器)の普及により、一気にインターネット環境が身近になった。
本編ではその様な環境下で、人々がそれら端末を駆使して一体何をしているのか。そこから何を得、何を失っているのか。ソーシャルネットワーキングサービス注1という本来人類が持っていなかった人と人とを繋ぐコミュニケーションの新しい形を通して検証する。

注1

social networking service(SNS):インターネット環境を使用する社会的ネットワークの構築提供を目的としたウェブサイトサービス(広義)を指す。主な機能としては、プロフィール公開、メッセージ送受信機能、タイムライン(ウォール)機能、ユーザー相互リンク及びユーザー検索機能、その他情報発信機能やチャット(コミュニティ)などを備えたサービスである。ソーシャルネットワーキングの発想は、コンピュータが登場する以前、人間の社会的繋がりは、友達の友達を辿ることで全ての人と間接的に繋がれるというスモールワールド現象の仮説(この仮説をもとに「6次の隔たり」という有名なフレーズが生まれ(Six Degrees of Separation)、理論の最初の支持者であると云われる カリンティ・フリジェシュ(Karinthy Frigyes:ハンガリーの作家)による小説「鎖」(1929年)において採用した概念が世間に広まった。その後、米国社会心理学者 スタンレー・ミルグラム(Stan-ley Milgram)が1967年に行ったスモールワールド実験で検証された)を根拠として構築されたものとされる。


アカウント・それはネット上の個人を特定する

【スモールワールド現象とSNS】

インターネットの普及によってもたらされた現代社会では、人と人との繋がり(関係性の種別は考慮しない)が希薄になってきている、と言われる。しかし、それは繋がりの度合いの希薄性という意味で使われているのか、ネットワークそのものが縮小している意味なのかといえば、前者である。過疎の村落に独りで暮らすご老人が、他人との関わりの減少に孤独感を募らせるという現実は在るのだが、大都会に居住していて、隣人、近所、コミュニティにおいて他人と深い関わりを好まない人々や、好むと好まざるとに関わらず、希薄な人間関係で成り立つ社会の渦中に埋もれている人々も多い。一方で、人間関係の希薄な繋がりは、インターネットが普及する以前、それよりも前の携帯電話の普及以前と比べると、格段に「知り合い注2」の数は多くなっている。

注2

知り合い:互いに相手を知っていること。また、その相手(小学館国語大辞典)。本来知り合いとは相互関係を軸にした人的交流やその相手方を指す言葉であるが、現代社会においてソーシャルネットワークサービスの利用者などが使う「知り合い」の定義は、ツイッターやフェイスブックを見る関係が30%近くに上る(「友達」と「知り合い」の境界線はどこ?I ovo)。mixi、twitter、skype、Facebook、LINEなど、全体を通して約60%の人がSNSやコミュニケーションツールを使用する現代では、使われる言葉の意味は変化し、そうでない人とのコミュニケーションの障害にもなっている。

コミュニケーションツールの利用者間で、「拡散」という現象が常態化している。これはある利用者が例えば自慢話や誹謗中傷の類を発信した場合、SNS上の「知り合い」を通じて瞬く間に広められ、一気に万単位のユーザー間に拡散されることを指す。現在、世界の総人口は70億人を超えているが、人間一人一人の個々の知り合いを辿ることで、世界中の誰とでも繋がりを確認することが出来るという社会心理学上の概念が「スモールワールド理論」である。
皆さんにも経験があるだろう。あるパーティーや会合の席、同人趣味的なイベントなど、不特定多数の人が集まる場で、友人(この場合、顔を知っているという程度の希薄な関係ではない)に紹介された人が実は共通の知人を持っていた、というようなことを。「はぁ~、世間は狭いですね~」という言葉が交わされる、それである。これがスモールワールド現象である。


声を掛けたら知り合いだった!?

この現象を実験によって実証し、「6次の隔たり」理論を裏づけたのが前述の社会心理学者スタンレー・ミルグラムである。彼はある人物を起点(スタートパーソン)に、全く繋がりの無い人物(ターゲットパーソン)に対して手紙を転送するという実験を行った。スタートパーソンからターゲットパーソンを知っていそうな人物を選んでもらい、その人物が同じように手紙を託すというもので、1回目の実験ではスタートパーソンにカンザス州ウィチトー、2回目の実験ではネブラスカ州オマハ在住の人物を160人選び、1回目はターゲットをマサチューセッツ州ケンブリッジに住む神学校の学生の妻、2回目のターゲットはマサチューセッツ州シャロン在住の株の仲買人を指定し、ターゲットの名前と情報(当然住所や居所を示すものは何も無い)、委託の方法(探索の禁止、次の委託先へ引き継ぐ事項)と転送に参加した人のリスト、追跡カード(参加者が誰から受取り、誰に委託したかを書き込み、ミルグラムへ返送する)を入れた封筒を用いて行った。
1回目の結果は、起点人物の一人が転送を始めて4日後、神学校の講師の元に封筒が手渡され、その講師からターゲットに直接封筒が届けられた。封筒のリストにはカンザスの農家から牧師に、牧師からケンブリッジの神学校の知り合いの講師に封筒が渡っていったことが記録されていた。このケースではターゲットに到達するまで仲介した人数が2名。その他2回目の実験も併せ、スタートパーソンから発信された封筒は次々とターゲットに届けられ、それぞれのケースでの仲介者数も概ね2~10名であって、この2回の実験での中間値は5という結果が出た。
ミルグラムは、「アメリカのいずれの人達も、僅か6人を介した向こう側に存在する」という論文を発表し、米国内で大きな反響を得てこの理論が知られるところとなった(Six Degrees of Separation・1993年に映画化:邦題「私に近い6人の他人」)。
しかし、ミルグラムの実験で明らかになったことは単にカンザスのスターターからマサチューセッツ州のターゲットまでのパスの中間値が5であったということだけで、実証というには拡大解釈であるという批判も出され、論議を呼んだ。

2016年、Facebookはアクティブユーザー15億9000万人を対象にスモールワールドに関する調査を行ったところ、平均して3.57人を介すれば誰とでも繋がっている状態であることを公表した。Facebookは2008年から定期的に調査を続けた結果、2008年の調査では繋がるのに必要な仲介ユーザーの数は平均4.28人、2011年の調査では平均3.74人であり、更に2016年までの5年間に0.17ポイント縮まっていることが分かった。つまり、「6次の隔たり」は、Facebookの世界においては「3.5次の隔たり」であると言え、SNSでは一層スモールワールド化が進んでいる。


世界は繋がっているのか??(イメージ)

【SNSには貴方の気付かない罠が存在する】

2017年11月、ロンドンに住むモリー・ラッセルさん(当時14歳)が寝室で自殺していることを家族が発見した。自殺の原因について特に心当たりがなかった家族は、モリーさんが生前によく使っていた画像共有サイト、「インスタグラム」のアカウントを調べたところ、「不安」、「落ち込み」、「自傷」、「自殺」などのキーワードにリンクされた画像を閲覧していたこと分かった。2019年1月、父親のイアン・ラッセルさんはBBCの取材に対し、「インスタグラムのアルゴリズムが、関連画像を集めて娘が閲覧できるようにしたことが自殺につながった」と語った。「インスタグラムが娘の死をほう助したことには疑いがない」(BBCニュース、2019年1月22日)。

上記はSNS関係の事件、事故に関するほんの一例だが、多くのSNSユーザーや、本編の読者のみなさんにおいても、「それはちょっと極論過ぎないか?」とか、「娘さんの自殺の直接的な原因は、娘さんの弱さじゃないの?」という評価を下すだろう。そうでなければ、SNSを多用している人は皆自殺するのか?ということになってしまうからだ。確かにその理屈は間違っていないし、現実に悲劇をターゲットにすることでニュースになるわけだから、専ら因果関係について強引に結び付けて論じる手法は、メディアの常套句である。


弱い紐帯と強い紐帯とは・・・

スモールワールドは、以前、社会心理学の分野で研究されていた理論である。1998年、米国コーネル大学で応用力学の博士課程で研究していたダンカン・ワッツ(Duncan J. Watts:アメリカ合衆国の社会学者。コロンビア大学教授、ヤフー・リサーチ主任研究員)は、スモールワールド現象を研究し、計算機(コンピュータ)科学の分野に移行させきっかけとして総合学術雑誌・ネイチャーに発表したのが、スモールワールドの定式化注3である。
これによって様々なネットワークがスモールワールドの性質を持っていることが検証され、インターネットにおけるスモールワールドの活用が盛んに行われることとなった。このように、自然界、人工人造物、社会全体においてもスモールワールドの性質を備えた「繋がり」があることが知られるところとなり、研究範囲は格段に広がった。

注3

(characteristic path length) : グラフ中のすべてのノードの組についての最短パスの長さの平均。
(clustering coefficient) : グラフ中のノードv がkv 個のノードと隣接しているとき、kv 個のノード間に存在しうるkvC2 = kv(kv −1)/2本のエッジに対して、実際に存在するエッジの割合をCv とする。すべてのノードv についてCv の平均をとったものがである。人間関係のネットワークでいうと、共通の知人を持つ2人が、直接の知人である確率を表す。
スモールワールドは、ノード数n が大きく、疎に結合した、分散したグラフ(n≫Kmax ≫1) であり、L がランダムグラフと近く(L~Lrand)、Cがランダムグラフに比べて極めて大きい(C≫Crand)ものである。
P≒パス(繋がり)
ノード≒起点、結び目
エッジ≒繋がりの線
グラフ≒いくつかの起点とそれらを結ぶ線(繋がり)からできている図


P=0P=1
P=0は規則的な繋がり。P=1はランダムであり、その中間がスモールワールド。

米国の社会学者、マーク・グラノヴェッター (Mark Granovetter)は、二人の人の人間関係を強い繋がり(紐帯)と弱い繋がりに分け、任意に抽出した二人(AとB)と、第三者S(複数人でC,D,E,F…)をAとBいずれの一方と紐帯を持つ人々として検証を行った。
先ず、AとBが強い紐帯であれば、Sの内の誰かがAとB両方と紐帯を持つ確率は高くなる。この関係は、AとBに紐帯が無いときは小さく、紐帯が強いときには大きい。そして紐帯が弱いときにはその中間である。例えば、A-BとA-Cの紐帯が強ければ、AはBともCとも多くの時間を共有するから、BとCは知り合う確率が高いということになる。つまり、A-BとA-Cが強い紐帯ならば、B-Cは関係を持ちやすくなり、A-BとA-Cの紐帯が弱ければ、B-Cは関係を持ちにくくなるということになる。
現実の社会においては、あるネットワークに関係する人同士の紐帯は強く、「A-BとA-Cは関係あるが、B-Cは関係が無い」という三人の関係が起こる確率はランダムな期待値よりも小さい。このことから、例えばある人が噂を紐帯が強い、つまり親しい仲間に話したとする。するとその友人も同様に噂を広めるが、それは当然スタートパーソンと関係の深い友人に、ということになる。するとそのネットワークでは多くの関係者が同様の噂を聞くことになるが、それ以上の広がりは見せず、限られたネットワークでしか共有されない。
一方、これがSNSではどうか。SNSの「友だち」は、明らかに紐帯が弱い繋がりである。すると噂は紐帯が弱い関係の中で拡散する。共通のパスを持たない関係は、その噂の内容に囚われず、関係ない者同士の間でどんどん広がるのである。
すなわち、紐帯が弱い方が噂は広がる、言い換えれば“弱い紐帯には強い拡散力がある“ということである。


友達は多いけど、誰も知らない・・・(イメージ)

「SNSの罠」の一つは、この弱い紐帯に潜む拡散力である。顔も性格も全く知らないもの同士だから、少々プライベートな内容でも気にせずに話してしまう。それは、全くの他人だから深入りされない安心感と、悩みの心労は誰かに話すことで軽減されるという心理によって実行される。現実として、近しい者にはなかなか話し難いのが人間の思考パターン。
しかし、インターネットの世界には、そのセオリーは通用しない。

SNSのもう一つの「罠」は、弱い繋がりのネットワークに在住する人の心理に在る。
ソーシャルネットワークの中に在っては、全ての住人が自らを起点として参加している。つまり、如何なる場面でも自己中心的に送受信を行うのが特徴である。従って、誰かの悩みに対しても、全く無責任なリツイートや情報を時間の限り垂れ流すので、ターゲットパーソンにとっては予想もつかない量の、好む好まざるに関係なく、無神経で無節操な文字や画像が大量に送りこまれるのだ。
前述のモリー・ラッセルさんの悲劇は、自らの意思でアクセスしたインスタグラムではあっても、関連wordで表示された無数の画像にはじめは傷心しても、やがて強い刺激にも馴化(じゅんか)し、最後には恐怖心も感じなくなる。すなわち、モリ―さんの自殺は、「死」という状態に至る重苦しいプロセスに対し、繰り返しそのイメージを刷り込む刺激に触れ続けたことが、結果として実行を容易に導いたと言えるのではないか。また、SNSの問題点として、事件との因果関係を証明出来ないということも挙げられる。なるほど、彼女の思考を死の淵に誘導し、安楽に行為に及ばせたのがインスタグラムを通じた情報の洪水であったとしても、それを現実世界で立証することは不可能なのである。

【平成が終わる。だが、時は止まらない】

インターネットやSNSの功罪について、それこそインターネットで検索すれば、無数のサイトにアクセス出来る。どのサイトでも「なるほど!」「そのとおり!!」「間違いない!!!」論評や分析、大事なポイントが解説されている。しかし、どれも一律に締めくくる言葉は、ICT技術と上手く付き合うレクチャで終わる。便利なツールであるからこそ、人間がテクノロジーの奴隷になってはいけない、というのである。ごもっとも。


SNSとの関わり方は勿論大切だが・・・(イメージ)

しかし、拙者は少し異なる見解を持っている。それは、すでに“手遅れ”だということだ。道具としての使い方を言うなら、SNSの登場時にルール化を明記しておかねばならなかった。ルール違反には罰則を適用しなければ人間は言うことを聞かない。日本のSNSの草分けである“ミクシィ”登場から15年。僅か15年の間にどれだけのSNSが登場したか。SNSと一括りにされるそれぞれのサービスも、少しずつ仕様が異なっているが、特徴としてターゲットは全世代に及ぶ。つまり、乱暴に言えば現在18歳以下(人としての自我が3歳程度から芽生えるとして)の世代は、SNSしかコミュニケーションツールを知らない。そして、SNSは世代によって使い方が違う。SNSは主に友だち同士で利用するから、使い方を学ぶのもそこからが最も影響が大きい。SNSにはローカル・ルールが自然発生する。主に10代からだ。しかし、現在の10代は、“自由にならない時間が在る”という観念が無い。起点は全てにおいて自分自身であるから他人の状況など考えることはしない。強制的に送りつけられたメッセージに対する“反応”、特に若年層はそのスピードも尺度に入れる。内容は二の次だ。返事が遅いということは、自分を軽んじている、嫌っている、避けていると捉える。これはルールだ。そういうルールで参加するものだからである。

ローカル・ルールは世代間のコミュニケーションを寸断し、隔絶をもたらした。
「おくちょ」、「おys」、「草不可避」、「FA」、「ブロック大会」、「らぶりつ」、「アチュラチュ」、「(ry」、「ふぁぼ」、「ガジェ獣」、「gdgd」、「ショッキングピーポーマックス」、etc。これらは10代ユーザーが日常的にLINEやツイッターで使うSNS用語だ。読者諸氏にこの意味が全て解かる30代以上の方が居るだろうか?この用語を使いこなし、日々造語を繰り出す世代とコミュニケーションをどうやって取ろうというのか。もう無理だ!彼らを止められない。それが時というものなのである。


次の世代の為に…(イメージ)

本編の締めくくりとして、願わくは、人類が滅亡しないよう、10代、そしてこれから生まれ来る、間違いなく新人類の皆さんにお願いしたい。
年寄りはもういいから、大人の言うことも聞かなくていいから、皆さんで新世界の生き方を創って下さい。私たちが束になっても考えもつかない、しかし人間として、新しい世界を豊かに、そして美しく生きていく社会と、そしてその為のルールを。

では、拙者はこの辺で『リムります』

新しい時代が素晴らしい世界を導きますように。
平成31年3月吉日