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ラビットプレス+12月号


謝罪・・・(土讃線御免駅・イメージ)

平成の時代に入って30年。激動の昭和と呼ばれた63年の月日から引き継いだ平成の日本社会における思い出と言えば、読者各位において様々な興味とそれぞれのお立場、年齢、タイミングで心に刻んだ出来事を思い起こすことであろう。
この30年間に起こった出来事の多くに関係するキーワードが存在する。その中でも、「事象と謝罪」をキーワードに、平成の時代に際立ってきた『謝罪』という行為の裏側、すなわち「謝罪する人、させる人、傍観する人々」それぞれの思惑と人間模様が如何なる平成の文化を彩って来たのかを分析し、平成の人々が新しい時代に贈ろうとするメッセージをお伝えする。

《1989年:平成元年1月7日》
昭和天皇は1月7日午前6時33分、皇居吹上御所で崩御された。87歳、前年9月19 日に出血されて以来、111日目のこと。天皇の崩御により、憲法と皇室典範に基づき、皇太子であった明仁親王が皇位を継承し、同日即位された。

世の中は好景気に突入し、高度成長期の「岩戸景気」に迫る37ヶ月連続の景気拡大を迎えていた、所謂「平成バブル」の到来である。
その年の国民総生産(GDP)は410兆1222億円前年比+5.4%という伸びを示し、東証一部日経平均株価の年度最高値は、3万8915.87円を記録。この記録は現在まで破られていない。
この年、世間を大きく揺るがせた大事件と言えば、「リクルート事件」が挙げられる。お忘れの方、事件そのものを知らない方も多くなってきている昨今であるから、事件の概略を記しておく。
【リクルート事件とは】
平成の前年、1988年6月18日付朝日新聞に、JR川崎駅西口再開発のために、高層建築を可能にする便宜供与を目的として、川崎市助役へリクルートの子会社・リクルートコスモス社の未公開株が譲渡されたというスクープ記事が一面に踊った。これを端緒として、竹下登首相(当時現職)をはじめ、中曽根康弘、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄、小渕恵三、橋本龍太郎、森善朗などなど、出るわ出るわ、90人を超える有力政治家がコスモス株の譲渡を受けていた事実が発覚し、ロッキード事件(米国ロッキード社と日本政界との間に起こった自衛隊哨戒機購入に係る贈収賄事件)に次ぐ疑獄として一年を通して大きく取り沙汰された。


ロッキード社の対潜哨戒機P3C購入疑惑(資料:川崎重工業)

江副浩正元リクルート会長は贈賄罪で起訴され、2003年(平成15年)3月、東京地裁にて懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受けることとなったが、竹下登首相(当時)は、「国民に政治不信を招いた」として『謝罪』し、平成元年4月に内閣総辞職を表明。ポスト竹下に名乗りを挙げようとしていた自民党の大物議員が軒並み事件に関与を疑われていたことから、ダークホース的に宇野宗佑外相(当時)が後継総理に就任。しかしその直後に愛人スキャンダルが発覚し、併せてリクルート事件や消費税導入と逆風を受けた自民党は、同年7月の第15回参議院議員通常選挙で結党史上初の参議院過半数割れを招く大敗を喫した。当時の社会党・土井たか子委員長の名言、「山が動いた」は有名である。

《1995年:平成7年1月17日、同年3月20日》
平成7年1月17日。午前5時46分に発生した兵庫県南部地震(行政名は、阪神・淡路大震災)。神戸市をはじめと、兵庫県内の阪神地区各都市、および淡路島北部に生じた直下型大地震。死者約7000人、負傷者約4万人以上。家屋の全半壊及び焼失約2万5千戸以上、JR 新幹線の高架線はじめ各種鉄道・高速自動車道等の倒壊や寸断という未曽有の大被害をもたらした。


阪神淡路大震災慰霊祭(神戸新聞社)

平成7年3月20日。午前8時。東京都内の営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷、丸ノ内線の電車内で、同時多発的に強い刺激臭が漂い、多数の乗客らが体の不調を訴えた。警視庁が午後1時にまとめた発表では、築地、茅場町など16駅から乗客や駅員ら909人が病院に運ばれ、東京消防庁の調べでは、11人が心肺停止状態で、うち6人の死亡が確認されたとしている。その後の警察の調べにより、電車内で液体が撒かれたことによる中毒で、液体は猛毒のサリンである可能性が高いとして、警視庁捜査1課に捜査本部を設置。その後、無差別殺人の容疑で宗教団体オウム真理教を捜査し、我が国犯罪史上類の無い国家テロ事件の全貌が明らかになった。


当時の号外(北海道新聞社)

この年は、平成の時代にあっても特筆する事件や騒動が起こった一年であったといえる。その中で、現在に至るまで問題が解決に至っていない事件が「高速増殖原型炉 もんじゅ」による原発事故である。
電気事業連合会の発表によれば、福井県敦賀市にある「高速増殖原型炉 もんじゅ」において、1995年(平成7)年12月8日、2次主冷却系Cグループの配管からナトリウムが漏えいする事故が起こり、配管室内の空気とナトリウムが反応して燃焼した。その原因は、温度計鞘管の設計にミスがあったため、ナトリウム溶液の流れによる振動の結果、破損したものと判断されたが、この事故による周辺環境および従事者の放射性物質による影響はなく、原子炉への影響もなかったといしている。

高速増殖原型炉の仕組みを簡単に説明すると、炉心では、プルトニウム(ウラン235)などの燃料を核分裂させて発電に利用するのは軽水炉と基本的には変わらないが、核分裂したプルトニウムから飛び出した中性子を別のプルトニウムに衝突させ、核分裂させようというもので、本来核分裂しない原料であるウラン238をプルトニウムに変化させることで核分裂が維持され続けるのである。
すなわち、地球上に存在するウランの99%以上が核分裂を起こさないウラン238であると言われ、この方法が成功すれば燃料となるプルトニウムを発電の過程で増殖させることになるから、夢の様な発電システムなのである。


廃炉を伝える記事(東京新聞社)

前述した事故依頼、運転を停止していたもんじゅだが、2010年(平成22年)5月に再稼働を行った。このとき、もんじゅの炉心内部では、運転していない15年の間に燃料のプルトニウムの一部が核分裂しにくいアメリシウム241に変化していたため、198体の燃料のうち、6割にあたる117体を交換したと発表している。そうして再稼働にこぎつけたもんじゅであったが、同年8月に今度は燃料交換装置が落下し、炉内中継装置が変形するという事故を起こした。高速増殖炉の場合、原子炉容器内はナトリウムで満たされているから、炉内中継装置を使って燃料棒の交換を行う必要がある。この事故により、事実上燃料棒の交換が出来ないという事態になり、再びもんじゅは稼働を停止したのである。

《2011年:平成23年3月11日》
東北地方太平洋沖地震による地震と津波災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による大惨事が世界中を震撼させた。
20世紀のスリーマイル島、チェルノブイリ各原子力発電所の事故以来、これほどの惨事を伝える原子力関連事故注1はない。
注1
国際原子力事象評価尺度(International Nuclear and Radiological Event Scale INSE):原子力関連の事故に関しては、国際原子力機構と経済協力開発機構原子力機関によって策定された評価尺度に照らして判定され、当該評価尺度を採用している各国の協力によって対応が採られている。東日本大震災時の福島原発の事故については過去最高(チェルノブイリ原発事故と同等)のレベル7(深刻な事故)と判定された。


放射能汚染避難指示区域の人口と世帯数(福島民報・2017年1月9日)

福島第一原発の事故から7年を過ぎて、その間、当初から係わって来た関係者(東京電力、政府閣僚、学者等)の謝罪の数々は、平成の時代にあって原子力神話の裏側を暴露した虚しさの歴史として後世に伝えなければならないものとなった。
1.事故から2ヶ月以上経過して、初めての謝罪会見。管直人首相(当時) 炉心溶融の判明遅れを、陳謝2011/5/20
2.当時の経済産業省主要幹部刷新(事務次官、官房長、局長と、原子力安全・保安院長らが交代:海江田経産相)人事による新旧次官が記者会見で「大変申し訳ない」と、陳謝2011/8/12
3.原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長と経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長から、事故時の対応や原発規制などについて国会事故調査委員会から事情聴取。両氏は原発の安全審査指針が不十分だったと認め、謝罪。2012/2/15
4.東京電力の清水正孝社長(当時)が事故の発生後初めて佐藤雄平福島県知事に謝罪し、その後原発近くの5町村が仮役場を置く県内外4施設を回り、住民らに膝をついて、謝罪。2012/4/22
5.事故当時の官房長官だった枝野幸男・経済産業相(当時)は、国会事故調査委員会に対し、内閣としての情報発信を反省したうえで、「私が思っていたことと、被害を受けた方の受け止めの間にずれがあった。申し訳なく思う」と、陳謝。2012/5/27
6.菅直人前首相は国会事故調査委員会に対し、事故の責任が国にあることを明確にし、「責任者として事故を止められなかったことを心からおわび申し上げる」と陳謝。2012/5/28
7.自民党の高市早苗政調会長(当時)は、東京電力福島第一原発事故で死亡者が出ていないとして再稼働の必要性を主張した自身の発言について「撤回し、おわび申し上げる」 と、謝罪。2013/6/19
8.官邸の福島第一原発事故をめぐる「吉田調書(東京電力福島第一原発元所長)」公開にあたり、第二原発への退避を、朝日新聞が「命令違反」と報じた記事を取り消し、謝罪。2014/9/11
9.福島第一原発事故の際に、炉心溶融(メルトダウン)の公表が約2カ月遅れた問題について、当時の社長の指示によって公表を控えたことについて、「隠蔽と捉えられるのは当然だ。対応が不適切であったと深く反省し、心よりおわび申し上げる(東京電力ホールディングス広瀬直己社長)」と、謝罪。2016/6/21
10.福島第一原発事故で炉心溶融(メルトダウン)の公表が遅れた問題で、東電HDの姉川尚史常務らが新潟県庁を訪れ、泉田知事に「不十分で誤った説明をした」と、謝罪。2016/8/26
11.福島第一原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣3人の第30回公判(東京地裁)が開かれ、元副社長の武藤栄被告人(68)への被告人質問が始まり、冒頭、「多くの方に迷惑をかけた。当事者として深くおわび申し上げる」と、謝罪。2018/10/16
12.福島第一原発の事故をめぐり東京電力の旧経営陣3人が強制的に起訴された裁判で、 当時、経営の最高責任者だった勝俣恒久元会長に対する被告人質問が始まり、勝俣元会長は事故について、「亡くなられた方々、ご遺族の方々、負傷された方々、地域の皆さま、広く社会の方々に大変申し訳なく、東京電力の会長を務めたものとして、深くおわび申し上げます。申し訳ありませんでした」と、謝罪。2018/10/30


《平成の三大謝罪はこれだ!(注:筆者独断)
★ 第3位
~号泣議員、記者会見で前代未聞のあり得ない謝罪~


…前略 ですから、……皆さんのご指摘を真摯に受け止めて、議員という大きな、、カテゴリーに比べたらあ、政務調査費、セィッム活動費の、報告のォォー、オェエ、折り合いをつけるっていう~、ことで~、もう一生懸命ほんとに、少子化問題、高齢ェェエエ者っハアア~~!! 高齢者問題はぁ! 我が県のみウワッハーン!! 我が県のっォハア~! 我が県ノミナラズゥ! 西宮みんなのォ、日本中の問題じゃないですかァ!!
そういう問題・・ヒョオッホ~!! 解決じだいがためにィ! 俺はネェ! ブゥッフンハア~!! 誰がぜエ! 誰が誰に投票じでもオンナジヤ、オンナジヤ思っでえ~!(この辺りから号泣)
中略
この世の中を! ウッ!グーン! ゴノ~、ゴノ世のブッヒィフエ~~ン!! ヒェーッ フウン~!! ウ…ゥ……。ガ~っがーーー!! ゴノ~! 世の~! 中がっハッハアン!! ガア゛ーー世の中を! ゥ…変えだい! その一心でええ!! ヒーフーッハゥ~、一生懸命訴えて、西宮市に、縁もゆかりもない西宮っ へ~市民の皆さまに選出されてェ! やっと議員にィ なったんですう~~!! (後略)
(聞き取った音声と文字を合わせたため、本人の発した声音と相違することがあります。)

2014年(平成26年)7月1日。当時の兵庫県議会議員・野々村竜太郎氏が行った記者会見の様子(一部)が全国のTVニュースに一斉に流れた。あれから4年余りが経つが、皆様の記憶に鮮明だろう。思い出してみれば、苦悩に歪んだ表情を惜しげもなくメディアに晒し、挙句に嗚咽と号泣に引きつった顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、意味不明の釈明を延々と続ける姿に苦笑いする読者も多かろう。
元議員は後、7月12日付の個人のブログに謝罪文を投稿した。

(議員辞職に伴うお詫び等・野々村竜太郎ブログの一部抜粋)
この度は、私の政務調査費・政務活動費収支報告について、議会の再調査でも、説明できない・不適切な支出がありましたことが明らかになり、ご近所、県民の皆様、地方議会の議員の先生方、議会の先生方や事務局職員、当局の皆様、知人や家族・親戚の皆様はじめ、関係者の皆様方にお詫びし、私の不祥事を全国は勿論世界に拡散し、全ての混乱の全責任を取り、議長の辞職勧告を厳粛に受け止め、議員辞職しました。中略・・・本当に誠に心からお詫び申し上げます。
その後、政務活動費約913万円をだまし取ったとして、詐欺と虚偽有印公文書作成、同行使の罪に問われた野々村竜太郎被告人に対し、神戸地裁(佐茂剛裁判長)は平成28年7月6日、懲役3年、執行猶予4年(求刑・懲役3年)の有罪判決を言い渡し、控訴期限内に検察、被告人共に控訴手続きを行わなかったため、確定した。

全世界に拡散されたこの号泣会見以後、元議員ご本人は言うに及ばず、全国の議員職に就く人々に衝撃が走ることとなった。すなわち、議員に支払われる政務調査費や政務活動費といった報酬以外の経費の使い方、在り方について各地でオンブズマン等による調査がなされ、ひとごと、対岸の火事では済まない“容疑者”が炙り出されることになったからだ。地方の一県会議員が仕出かした不祥事で、普通?の謝罪会見で終わらせていれば事は収まった感が否めないが、野々村元議員の常軌を逸した会見のせい(お陰?)で、全国の地方議会(勿論国会も)は蜂の巣を突いた騒ぎとなった。ある意味、この謝罪によって、議員の在るべき姿が再確認される結果となり、例えば、地元兵庫県議会では、議員自ら政務活動費の領収書の全てをHP上で公開したり、議員提案で政務活動費の甲府に関する条例(規程を含む)を制定したことなど、公金の使用の透明化を推進し、早稲田マニュフェスト研究会の議会改革度評価で、兵庫県議会が第1位に認定されている。何とも皮肉な結果である。


号泣!!(イメージ)

★ 第2位
~戦争謝罪 河野談話に見た日本の戦後処理の顛末~


1993年(平成5年)8月4日、当時の宮沢喜一内閣の河野洋平内閣官房長官が発表した、第二次世界大戦中の日本軍に従事した慰安婦問題をめぐる政府の調査結果に基づく公式発表。正式名称を「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」という。要点は、「前略…本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」と公式に謝罪したのである。
その後、村山富市内閣に至って、1994年(平成6年)8月31日、当時の村山首相自ら「前略…いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。我が国としては、このような問題も含め、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、関係諸国等との相互理解の一層の増進に努めることが、我が国のお詫びと反省の気持ちを表すことになると考えており、本計画は、このような気持ちを踏まえたものであります。」(平和友好交流計画に関する談話・村山談話)と公式に発表した。

2007年(平成19年)、第一次安倍晋三内閣が誕生。当時の安倍首相は、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった。」との政府答弁書を閣議決定した。安倍首相は、戦後レジームからの脱却と日本国憲法の改正を唱え、歴史認識問題でも戦前日本の侵略性を否定する持論を展開していたので、河野談話、村山談話の見直しについても言及。2012年の自民党総裁選の際に河野談話を見直す考えを公的に表明。そのことから、韓国は猛反発。時期を同じく、尖閣諸島問題で領有権を主張してきた中国も安倍首相の歴史認識を強く批判するなど、日韓・日中関係は完全に冷却状態に陥った。
また、安倍首相や政権閣僚の靖国公式参拝や憲法改正、河野・村山談話見直しなどが、米国議会や同政府に東アジア情勢の国際的安定を揺るがせている原因の一つと懸念され、日米同盟と韓米同盟を基軸とする「アメリカのアジア戦略」が揺らぎかねないという警戒感をも植え付けることとなった。
斯様な国際社会の中で我が国の孤立傾向が表面化する中、河野談話発表後は従軍慰安婦問題等、日本の戦後処理に対する補償は求めないとしてきた韓国側から、元従軍慰安婦の損害賠償訴訟が相次いで提起され、韓国国会議員が日本政府に賠償を要求(2007年)し、2012年(平成24年)には当時の韓国大統領・李明博や韓国国会が賠償措置などを含めた従軍慰安婦問題の解決を改めて要求する事態となった。
こうしたなか、安倍首相は参議院予算委員会(2013年1月)で、「安倍内閣で河野談話を見直すことはしない。中略…歴史に対して我々は謙虚でなければならない」と明言するに至り、従軍慰安婦問題を、「政治、外交問題化させるべきでない。総理である私が申し上げることは差し控える。」と答弁の中で述べて、それまでの戦争謝罪に関する我が国の対応を見守る姿勢に転換し、河野談話の見直しは封印された。

我が国において、戦後74年の間に首相の座に就いた者は、皆何らかの手段で戦争謝罪を公式に述べている。中でも河野談話の重要性は、それ以降の戦争責任追及に対する不可逆的な賠償責任の回避として象徴的に作用するものと期待されていた。しかし、度重なる政治家の不用意な持論(慰安婦の強制連行の記録の不存在や、公募制度による自主的な従軍という一部の状況を楯にした本質的な責任論など)や、特に安倍談話と呼ばれる安倍首相の強硬論によって、河野談話以降、一旦は終息していたこの問題をきっかけに、韓国のみならず、中国、最近では北朝鮮までもが戦争責任を改めて問う姿勢を顕著にしてきているのである。
平成最大にして最重要課題の解決に向け、満身創痍の中で行った“謝罪”も、その本旨を見失おうとしているのである。


河野談話全集(ゴマブックス社)

★ 第1位
~山一証券自主廃業・大企業不倒神話が崩れた日に見せた一世一代の謝罪~


野澤正平(のざわしょうへい1938年(昭和13年)4月3日生)は、日本の実業家である。1997年(平成9年)に自主廃業した山一證券の最後の社長として、同年11月24日、負債総額3兆円という戦後最大の巨額債務の果てに自ら廃業をメディアの前で報告し、平成の名言と揶揄された「社員は悪くありません!!!」という言葉を発し、カメラの前で号泣、そしてその場に崩れ落ちた。そう、あの人である。
東京証券取引所の記者会見場:
野沢社長は自主廃業を発表した。
報道陣の質問のピークが過ぎ、まばらになった。と、その時、震える右手でマイクを握りしめた野澤社長は突然、テレビカメラや報道陣の前で泣きながら叫んだ!
「私らが悪いんであって社員は悪くありませんから。どうか社員の皆さんを応援してやってください。お願いします。
1人でも2人でも皆さんが力を貸していただいて再就職できるように、この場を借りて私からもお願いします。」

これが、野沢社長の悲痛なお願いであった。

日本の上場大企業の社長が号泣しながら頭を下げ、謝罪する映像が全世界に配信された。米ワシントン・ポスト紙は、その写真付でこんな見出しの社説を掲載した。

Goodbye Japan Inc.

ワシントン・ポストOFFICIAL

それは紛れもなく日本の大企業不倒神話が終わりを告げた瞬間であった。
2017年(平成29年)11月、旧山一の経営陣や幹部社員らの同窓会的な集まりが企画され、その中に野沢元社長も同席していた。野沢社長に、あの時の記者会見でのお願いの意味を問うと、「振り返ってみると、あの涙の会見を悪くいう人も良くいう人もいるが私はあれは自分でも恥ずかしくない。あの涙には2つあって、7割が社員の事で頭がいっぱい、3割は社長になって頑張ったけれど駄目だったと悔し涙。」だと返って来た。(WBSワールドビジネスサテライト「山一証券破綻から20年!」より)
いつの時代も、人の言葉や行動には賛否が付き物である。当時も勿論だが、今回述懐した野沢社長の思いにも批判的に評論する人は多いだろう。だが、この言葉には真実の裏付けが存在する。

~廃業会見の2日前(平成9年11月22日)~
経営幹部執行役員や組合幹部らが集合した会議室に現れた野沢社長は、すでに泣きじゃくった顔をしていた。メガネの奥の目は充血して真っ赤に腫れていた。
当時は知られていなかったが、山一には簿外の債務が約2600億円あった。簿外債務、つまり、粉飾決算の違法行為を隠していたということである。そのことが重く、大蔵省証券局も会社更生法の手段ではなく、廃業を強硬に迫っていたという。山一ほどの大企業ともなれば、また3兆円という小国の国家予算に匹敵する債務の額からすれば、救済には日銀の特別融資が必要となる。しかし、違法行為を続けていた会社に政府が加担出来るはずもなく、裁判所も更生法の適用を見送る公算が高いのであり、もはや道は閉ざされていた。
その事情を聞かされた組合幹部委員らは、社員の救済を強く求め、会見の場で社長自ら「社員は悪くない」ことを説明すべきだと迫ったという。野沢社長は、その約束を果たしたのである。
そうして、創業明治30年(1897年小池國三商店)、社歴100年の老舗、兜町の雄として野村証券と双璧を競い、一方で家庭的な社風を残し、「人の山一」とも呼ばれた旧富士銀行(現・みずほ銀行)を中心とする芙蓉グループの系列である名門企業で、永遠に残る会社の一つに数えられた「山一証券」は、この世から姿を消した。


平成9年11月22日土曜日朝日朝刊のスクープ(朝日新聞社)

当時の社員であった複数の人達は口を揃えてこう振り返る。
「あの時の社長の涙はパフォーマンスではなかったと思いますよ。あの会見のお陰で、現に再就職を申し出る企業さんや、当時のお客さんまでが私たちを心配してくれて、就職先を探してくれた。ほんとうに有難かった。」(山一証券元社員の証言から)

謝罪
そこにはそれぞれの理由と、秘められた思い、戦略、策略とその後の方向を決める原因となる要素が多分に含まれている。平成の時代に入り、特に最近になって公の場で謝罪する人々の姿を目にすることが確実に増えたと感じる。
謝ることは許しを請うことに他ならない。他国では、謝罪は敗北を意味するとした文化が育っていることも聞く。しかし、我々日本人は、謝罪に対して悪意は感じない。だが、近頃見受ける謝罪の多くは、一体誰に対して、何に対して謝っているのか見当が付かないことも多い。
平成は謝罪の時代なのだろうか。そうだとしたら、誰に対して、何を謝ってきたのか。謝り方を違えれば、結果は思った方向には進まないのだ。