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女不動産屋 柳本美土里

隆志はバッグの取っ手が薄汚れているのに気付き、膝の上に置かれた、くたびれたバッグを持ち上げた。
身の回りのものを、放り込んだバッグの大きさが、これまでの自分の人生の全てかと、不意に笑いが込み上げてきた。
車内が急に明るくなったことに気付き、手元に落としていた視線を窓の外に移した。
点在する田畑と家々、小さな雑居ビルの中を縫うように走る列車が、国道を隔てた海岸沿いに出てきた瞬間だ。
世界最大と言われる吊橋の下を2台の大型タンカーが交差し、大きく弧を描く吊橋のロープの向こうには、見慣れた島がくっきりと形を現している。
隆志は、この景色が好きだった。
トンネルから出たときに、真っ暗な世界からいきなり光の中に飛び込むような、そんな開放感とはまた異なり、間近の景色が車窓を素早く流れるところから、一気に時間の感覚が緩慢になり、視界が水平線まで大きく弾けて広がることで、地球のスケールを感じられるから。
子供の頃、進行方向に向かうこの窓側の席は、いつも隆志の指定席だった。
年に数度、母に連れられて、県内最大の街にある百貨店に向かう列車内では、海が間近に見えるその席に座るのを3人の姉と共に競ったものだが、結局は1番幼い自分が駄々をこねて譲ってもらうのが常だった。
長姉は齢の離れた弟のわがままを優しい目で許し、こだわりが少ない3番目の姉は器用に自分の関心を他にコントロールし、正義感の強い2番目の姉だけは、不公平だという理由で母に食って掛かったりしていた。
そんな2番目の姉も、母と2人の姉妹に宥められ、結局引き下がるのが常だった。
その頃の隆志にとって、わがままとは、最終的には許されるものであった。
それが、小学校、中学校と進むにつれ、家の外での生活は、他人との協調が必要だということを知ったが、それは自分の気持ちを押さえつける我慢を必要とするものだった。
だったら、他人となるべく関わらないほうがいい、許してくれる家族とだけでいい。
自分の気持ちを他人にぶつけて諍いを起こし、その後の協調を得ようとしなくても、最初から自分の気持ちを察して動いてくれる人たち、少なくとも僅かな言葉で自分を理解してくれる人たちだけと過ごせばいい、そう思っていた。

子供の頃には、あの橋はまだ無かった。
そんな思い出が、島に向って伸びた橋の角度が、しだいに鋭角となり、一直線となり、また次第に広角に広がる列車からの風景とともに流れていく。
そんな人生で、これまで自分は、心を開いて他人と付き合ったことはあったのだろうか?と自問する。
子供の頃から、一緒に遊んだりする友達はいたが、彼らとの縁が切れたとしても、大きなショックは受けることはなかった。
進学をすることで環境が変わり、付き合う仲間が変わると、かつての仲が良かったと思っていた友達とも疎遠になったし、その役割は新しい仲間が担ってくれた。
彼女にしても同様だ。
恵まれた容姿のせいで彼女という存在は途切れることはなかったが、どれだけ付き合っても、冷静で自分を表に出さない隆志に埋まらない距離を感じる女性たちは、いつの間にか離れ、そして、またいつのまにか別の彼女が出来るという繰り返しだった。
自分が主体的に事を起こすことは、無かったのかもしれない。
沙織との結婚に至ったのも、彼女の強い希望と、しっかり者であるという、隆志の家族が求める嫁の条件を彼女が満たしていたからというのが大きな理由だろう。
では自分は結婚に熱心ではなかったのか?
自分に無い強さを持った沙織に惹かれていたのだろうが、どうしても彼女を嫁にしたいという気持ちよりも、特に非を主張する点はなく、流れのままに結婚式を迎えたように思う。
結婚をすると女性は変わるという。
沙織が結婚を機に変わったのだろうか?
いや、そうではなく、沙織も自分も変わったのではなく、単に自分が結婚生活に向いていなかったのだと思う。
他人が共同生活を営む結婚とは、それまで自由に自分のためだけに使うことができていた時間やお金や判断する役割が、共同の管理下に置かれるということなのだ。
そんな共同生活に、心がついていかなかっただけ。

線路の継ぎ目の音と振動が隆志の意識を戻した。
道路の北側を走っていた列車が高架をくぐり、南側に移ると、眼下には砂浜とテトラポットと海だけとなった。
錆止めの赤いペンキが塗られた鉄骨が伸びた海釣り公園が後方に流れていくと、列車のスピードが徐々に緩やかになり、駅に到着した。
海水浴場に隣接しているこの駅からは、夏ともなれば、多くの海の家が開かれ、水着姿の若い男女を臨むことができる。
そんな海水浴場の景色は、夏の盛りの賑わいが大きければ大きいほど、ほとんど人の姿が見えないこの時期は、公衆トイレだけが取り残されたように、寂しさをつのらせていた。
膝に置ける程度のバッグだけで、これまでの人生の全てを捨てて列車に飛び乗った隆志の胸に、海水浴場からの初冬の風が吹き込んできたようだった。
どこへ行くという当てがある訳でもない。
誰も知らないところへ、誰とも関わりを持つ必要のないところへ行きたい。
そんなところがあるのだろうか?
全く知らない場所で生きるとしても、食べていくためには仕事をしないわけにはいかず、住民登録を動かすこともできない人間が、まともな仕事に就くこともできないだろうことくらいは、自分でも解る。
住民登録がなくても、仕事がありそうなところ。
日雇いでも雇ってもらえそうなところで、自分を隠して生きていけそうな場所は?
テレビで映されていた大阪のあの町しかない。
その町では、日雇い労働者を集め建設現場に送り込む手配師と呼ばれる人種が跋扈し、多くの浮浪者が寄せ集められ、ドヤと言われる低所得者向けの簡易宿所で暮らす。
そんなドヤにも泊まることができない屋外生活者も多数いるという場所。
その地では、ボランティアの炊き出しがあったり、わずか100円で食事ができるという飲食店もあるらしい。
かき集めてきた財布の中身は、十分とはいえないけれど、そうした町なら暫くは暮らすことができそうだ。
日雇いでも何でも仕事に着くことができるなら、なんとか生きていけるのではないだろうか?
漠然とした不安のなかにも、自分の意思で過去を切り離すという決断をした清々しさを隆志は感じていた。

沙織は長男の北斗を寝かしつけ、リビングの掛け時計に目をやった。
普段は夜の8時過ぎ、遅くとも9時頃には帰ってくる隆志が、まだ帰ってこない。
事故にでもあったのだろうか?
でも、それなら病院もしくは警察から電話がありそうだ。
しかも隆志の携帯電話は繋がらない。
堪らずに、沙織は隆志の勤める不動産会社へ電話を掛けた。
「はい、セレクトルームです」
「恐れ入ります、田原の妻ですが、主人は居りますでしょうか?」
「えっ?田原君の奥さんですか?いつもお世話になっております、課長の横田です。今日は田原君は昼過ぎにお客様の物件案内に出掛けた後、物件の調査を行って直帰すると聞いていますけど・・」
「え?まだ帰ってないんですか?」
「そうですか、いずれにしても、事務所には居りませんよ。携帯電話にも出ないんですか?そうですか・・・すみません、でもこちらでは行き先は、ちょっと判らないですね。時間も時間ですから、今日ご案内したお客さんに明日にでも連絡をとって、何かあったのか確認してみます」
沙織は、手間を掛ける労を言葉にして受話器を下ろした。

隆志は、どこへ行ったのか?
もしかして女と一緒?
以前、隆志が社内で付き合っていた女がいた。
彼女はあのとき、徹底的に追い込んで辞めさせたものの、もしかして今でもまだ続いているのかも?
そして、一緒に居るのか?
沙織は、あのとき、女の携帯電話番号を調べたことが頭の片隅に残っており、その電話番号をリストから見つけ出し発信ボタンを押した。
「おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません」
何度発信しても、アナウンスは同じ。
それは着信拒否の状態。
そりゃ~そうだろう。
あの頃、何度も電話を掛け、さんざん怒りをぶちまけたのだから、私からの着信を拒否するように設定されているのは、不思議でも何でもない。
沙織は、そんなことにも気づかずに電話を掛け続けた自分の愚かさに笑いがこみ上げてきた。
たかが1日帰って来なかっただけの話じゃない。
帰ってきたらただじゃおかないけど、とりあえず今日は隆志を頭から叩き出してやるわ。
沙織は、テーブルの上に並べていた鯛の刺身をシンクの三角コーナーにぶちまけて、リビングを後にした。

結局、隆志は翌日も帰ってこず、実家にも戻っていなかった。
会社でも、お客さんを物件案内してからの行方が判らず、連絡もつかないらしい。
心当たりをあたり尽くし、どこにも隆志の痕跡を見つけられず、4日目に行方不明の届けを警察に出した。
隆志が行方不明になったことを抱えきれない義母は、義姉たちに早々に伝え嘆いた。
数日間は、義姉たちが立ち代り義母の嘆きに耳を貸し宥めていた。
話し合いを行うために、義兄が姉妹夫婦全員を呼び出したのは、隆志が居なくなってから1ヶ月が過ぎようとしていた。
「もしかして自殺したんやろか?」
まともに寝れなくて顔の皺がより深くなった義母は、今にも泣き崩れそうな声で言った。
「お母さん、それはないわ。隆志に、そんな勇気がある訳ない。自殺しようと思う人は、もっと責任感とかを背負うタイプの人や」
2番目の義姉は、義母に安心させるためなのか、隆志の性分を見抜いて言っているのか判らなかったが、案外その言葉には、その場の全員を納得させる力があった。
隆志が失踪した原因は何なのか?という話に及び、沙織を責めるような言葉を口にする義姉もあり、今はそういうことを言っている場合じゃないと、たしなめる妹がいたり、話はあちらこちらへとぶつかりながら、隆志の家族の今後を考えると、なんとか探し出さないといけないという結論に落ち着いた。
「警察に届けをしてもな~、山ほどいる行方不明者を探してくれるわけもないし、結局は自分たちで何とか探し出すしかないんちゃうか?」
「それでも、どこかで事故や事件に隆志が関わった場合、行方不明の届けをしていることで、所在が判るかも知れへんやない」
長姉夫婦は、そう言った。
「それなら、叔父さんに言うてみたらええんちゃう?」
「叔父さんって、お義母さんの実家にいる稔さんか?」
「そうそう、叔父さんは、もう退職しているけど警察官やった人やし、たしか息子さんは、警察キャリアのはずや。親戚なんやから、ちょっとは力を入れて探してくれるかもしれへんわ」
お義母さんに稔さんの連絡先を聞き、長姉の旦那が電話をすることにした。

「ご無沙汰しています。実は隆志君が行方不明になったみたいで・・・」
姿を消す以前の隆志の状況を話し、協力を求めた。
「そうか~、隆志君がな~」
話にくそうに続けられた言葉は、あまり期待できないこと、とりあえず警察署の署長をしている息子に連絡をしてくれることだった。
1週間ほどして、叔父さんから義母に連絡があった。
具体的な場所は判らないけれど、隆志は大阪で暮らしているらしい。
数日後、それを裏付けるように、沙織のもとに大阪の町の消印のある封筒が届き、中には離婚届だけが入っていた。

隆志は自殺しているんじゃなくて、行方をくらませて、なんとか生きているようだ。
それを知ったことで、義母は落ち着きを取り戻した。
次の課題として、隆志が送ってきた離婚届をどうするかという点に移った。
「沙織さんも、まだ若いんやから、いくらでもやり直すことはできるでしょう。その方があなたのためじゃない?」
義母は、隆志の無責任さを詫びながらも離婚に同調していた。
「じゃあ、北斗はどうするんですか?お義母さんは、北斗を連れたまま他の人と再婚すればいいって言われるんですか?」
「もし北斗が沙織さんの再婚の妨げになるんやったら、私が預ってもええ。私にとっては、北斗は可愛い孫なんやから」
「そんなん嫌です。北斗は私の子供なんですから、私が育てます。それに隆志さんと離婚もしません。離婚したら、あの人はこれまでの私たちとの生活を無かったことにして、他の人と再婚するかもしれません。離婚せずに、いつまでも、どこまでも隆志さんに責任を負ってもらいます」
沙織は義母に宣言すると、席を立った。
パートで働いていた沙織はフルタイムに切り替え、生活を繋げようとしていたが、子供を抱えた女性の収入だけで、これまでの生活を支えることはできず、住宅ローンの支払いは滞り、金融機関から家の競売申立がされ、退去を迫られた。
家を建てる費用の一部として、自分の親から相続したお金も出したのに・・・
沙織は、恨みの言葉を義母にぶつけた。

沙織は義母に啖呵を切った手前、家計が苦しくても隆志の実家に頼るわけにもいかず、朝から晩まで仕事に就き、公団住宅で北斗と細々と暮らした。
そんな母の苦労を間近にみていた北斗は、高校へ入学すると喫茶店でアルバイトを始め、自分で学費を稼ぎ卒業をした。
北斗が就職し、東京へ転勤となり、沙織が独りになっても、離婚をしていない以上は田原家との繋がりは続いていく。
義父の13回忌の法事の出席をめぐって、ちょっと渋っただけで、義母から酷い嫌味を言われたりもした。
そんな義母が、体調を崩したと入院すると、あっさりと息を引き取ってしまった。
義母の遺影を前に、そうした過去が思い出された。

「隆志は来るんやろか?」
相変わらず隆志とは連絡が取れず、所在も不明。
それでも、携帯電話番号だけは変わっていないようだ。
ほとんどは電源が切れている状態で「おかけ直しください」のアナウンスが流れるだけなのだが、どうした拍子か、たまに留守番電話になっていることがある。
義兄が義母の臨終と通夜の日程を、隆志の留守番電話に残したという。
「葬式は家族葬でええ」
そう言っていた義母の言葉通り、小さな通夜会場には、親族からの花輪だけが祭壇の側を飾っていた。
時間になり、導師が中央に座り読経を始めた。
経が半ばに達した頃だろうか、微かな空気と足音が入り口から入り込んできた。
参列者が一様に振り返ると、そこには隆志の姿があった。
そして、参列席の傍らに、唇を噛み締めて隆志を睨みつける沙織の眼差しがあった。
無言の緊張感が漂うなか、隆志は1番後ろの席に腰を下ろし目を閉じた。

大阪へやってきた当初は、建築現場での日雇い労働で生計を立てていた。
そのうち、縁があって新聞販売店に住み込みで勤めることになった。
朝夕刊の配達と集金が、隆志の仕事だ。
これなら、集金の際以外は、ほとんど人と関わらなくても済む。
隆志にとっては、ありがたい業務だった。
夕刊を配り終え、携帯電話の電源を入れると、伝言が1件残されていた。
母が他界したことを告げる義兄の言葉だ。
母が死んだ。
母の年齢から考えると、決して唐突の出来事ではないのだろうが、自分が行方をくらませたことで、どれだけ晩年の母に心配をかけてたのだろうと想像すると、胸が締め付けられた。
あれほど溺愛してくれた母を裏切った。
当時の自分の心を打ち明けて、母に許しを請うことも、もうできなくなった。
思い起こせば、あれから、もう7年が経つ。
沙織は、離婚届を役所に提出しただろうか?
北斗は、既に成人している年齢だな。
彼女たちがどうなっているのか?
夫として父親としての立場を放棄して逃げ出してきた自分が、いまさら彼女と息子のことを思い出し考えることすらも、罪のように思える。
そんな自分が、のこのこと母の葬儀に顔を出せる訳がない。
その場に、沙織や北斗がいるかどうかは判らないが、もし彼女たちがいたとすれば、どんな顔で言い訳をすればいいのだろう。
参列しているはずの姉たちからも、こっぴどく罵倒されるに違いない。
それも当然のことだろう。
やっぱり行きたくない。
でも、本当にそれでいいのだろうか?
消そうとした過去には人がいて、その人たちが隆志を過去から消してくれるとは限らない。
自分が逃げることで、その人たちの人生に負の影響を与えてるとしたら、どこかの時点で向き合わなければならないのだろう。
そして、母の死が、隆志にその機会を与え、教えてくれているのかもしれない。
「人生からは、逃げても逃げ切れない。辛くても立ち向かわないといけないことがある」と。
過去に戻って贖罪することは出来ないが、これまで中途半端に投げ出してきたことに、真摯に向いケリをつけよう。
いくら罵られても詰られても、逃げるのはもうやめよう。
隆志は、母の葬儀に参列することにした。

柳本不動産の女社長である美土里に、従兄妹の正三より、しばしば相談が持ち込まれていた。
正三の嫁の弟が、奥さんと子供を残して失踪してしまったというのが始めだった。
義弟の建てた自宅が差押えを受けて競売にかかるというとき、義弟の家族が転居しないといけなくなったときに、自宅の差押えの際には、単なる行方不明で、本人がどこかで生きていることが推測される状態では、つまり死んだり高度障害が残ったりしているのでなければ、団体信用生命保険で住宅ローンの完済はできず、ローンを払い続けるか、金融機関と相談をしないと差押えされることを教えた。
競売がされれば、柳本不動産も入札に参加したものの、他の業者からの入札額が僅かに高く、結局、落札できずにいた。
義弟の家族が家を追い出され、転居しないといけなくなったときには、賃料の安い物件の紹介を依頼されたが、母子家庭であることなどから、公営住宅に入居することが最も安く住めることを伝えた。
そして、義母が亡くなった。
「義母が住んでいた自宅くらいしか財産は無いと思うんだけど、義弟がこういう状態で相続をすることは可能なのか?」
「お母さん亡くなられたんですね。それは大変なことになったわね。」
「大変なこと?」
「そう、お父さんは既に亡くなっているのよね?そうすると、お母さんが亡くなれば、4人の子供で相続するというのが基本なのよ。そのうちの1人、義弟さんが参加しないと遺産分割協議はできないから相続が難航するのよ」
「何か、方法はないんか?」
「そうね、特別危険なところに行って行方不明になったんじゃなくて、普通に失踪してから7年間、生死不明の場合は、裁判所に申し立てて失踪宣告をしてもらうってこともできるんだけど、期間は7年経ってる?」
「ちょっと微妙かも?失踪した始めの頃に、大阪で生きているという情報もあったから・・」
「もし、失踪宣告を受けるのが難しいようなら、家庭裁判所に不在者財産管理人選任の申立をして裁判所に選出してもらい、その上で、裁判所に権限外行為の許可を得る必要があるわね。そうすれば、行方不明者に代わって不在者財産管理人が遺産分割協議に参加することができるわ」
「それも結構、大変そうやな。費用もだいぶ掛かるんか?」
「はっきりとは判らないけど、利害関係のない人がなるということだけど、一般的には弁護士や司法書士などにしてもらうから、管理費用として数十万円ほど要るかもね」
「ええ~、そんなに費用がかかるんか~。あんな古くて小さな家を相続するだけで」
正三の顔が歪むのが目に浮かんだ。
「費用も時間も掛けたくないというのなら、なんとか頑張って探し出すことね。本人が相続するか、相続放棄するかを明らかにして、手続きをしてくれるなら、そんな費用もかからないけどね。」
「そっか~、わかった。ありがとう。明日の通夜と明後日の葬式に、もし隆志君が来てくれたら、裁判所にお世話になることも探すことも不要になるやろうから」
「そうね、それが1番よね。私も祈っておくわ」

正三からの報告で、義弟は通夜にやって来たという。
これまでどこで、どうして暮らしていたのかを口にし、これまでの失踪を詫びた。
正三としては、嫁の沙織と、どれだけ揉めるのだろうかと心配だったが、7年の月日が沙織の心を慰めたのか、子供が成人し社会人になったことで過去の辛い記憶が薄れたのか、沙織自身の器が大きくなったのか、比較的静かに話が行われたという。
隆志が非を認めて土下座し、心から詫びたことで、沙織の怒りを削いだのかもしれないが。
結局のところ、姉たち3人が相続放棄し、隆志ひとりが家と僅かな預金を譲り受け、それを全て沙織に渡すことで慰謝料とし、離婚をすることが決まったとのことだった。
「沙織さんは、田原の実家に住むのかしら?」
「どうやろう?あんまりいい思い出がある家じゃないからな~、できれば住みたくはないとは思うけど、いつまでも家賃を支払って団地に住み続けることも厳しいんじゃないかな?」
「そんなの、いつまでも団地に住み続けるとは限らないじゃない。沙織さんも独身になったんだから、再婚して旦那さんと家を構えるかもよ」
「まあ、それならええけど。そうなるなら、柳本不動産に田原の実家を売ってもらうように宣伝しておくわな」
正三と美土里は、笑いあった。

柳本不動産も、明日から年末休暇に入る。
今年中に、田原家にも区切りがついて、新たな気持ちで新年を迎えられそうだ。
柳本不動産の玄関に今年の営業が終了したという貼紙をピンで留め、建て付けの悪い木製引き戸を絶妙な角度と力で蹴っ飛ばし、美土里はドアを閉め鍵を掛けた。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。