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ラビットプレス+11月号


未来のために(イメージ)

少子化。高齢化。メディアが繰り出す毎日のニュースにこの文字が踊らない日は無いほど、平成にあって我が国の大問題として取り上げ続けられてきた。
しかし、国民の多くはその本質的な意味を知っていない。言葉の定義もさることながら、少子化や高齢化がもたらすこの国の行く末を様々な角度から分析し、科学的な推測を加えて考えようと試みる。そこには身の毛もよだつ恐ろしい結末が待っているかもしれない。

【少子化とは】
定義:
親世代よりも子世代が少なくなることを指す。合計特殊出生率(15歳から49歳の女性の、年齢別出生率を合計した指標で、女性一人が一年間に子供を何人産むかを表す)が人口置換水準※1を下回る状態が続き、子供の数が減少することで、総人口に占める子供の人口の割合が低下することをいう。
※1
人口置換水準とは、人口が増加も減少もしない均衡した状態となる合計特殊出生率の水準(若年期の死亡率が低下すると人口が減りにくくなるので、この水準値は減少する。因みに平成27年現在での我が国の置換水準は2.07である。国立社会保障人口問題研究所)


平成28年(2016年)の日本の合計特殊出生率は1.44(人)であり、人口の維持に必要な人口置換水準2.07を下回っていることから、少子化が進行していることを示している。我が国では、第1次ベビーブーム(1947〜1949年)までは4.0を超える置換水準であったが、その後急速に低下に転じ、1970年代に2.0を割り込んでからも年々最低記録を更新し続けていた(1993年1.46、1998年1.38、2004年1.29、2006年1.26)。2012年に1.41まで回復したが、今後は出産適齢期の女性の数そのものが減少するため、少子化傾向は止まらないとされ、高齢化社会の進行(生産年齢人口15〜64歳の比率の低下)によって、高齢者を支えなければならない若年層への過度な負担が大きな問題となっている。現実的には医療費の増加と社会保険制度の崩壊や、年金制度の抜本的な見直しによる受給年齢や支給額の問題など、すでに表面化し、対象者への影響は広がるばかりである。


内閣府:出生数及び合計特殊出生率の年次推移

【少子化の原因】
ずばり、女性が子供を出産する機会が減った、ということである。ではそれが何故減ったのか。この答えは多岐に亘る。政府の少子化対策推進関係閣僚会議での答申は次の様に述べている。
『近年の出生率低下の主な要因としては、晩婚化の進行等による未婚率の上昇がある。その背景には、結婚に関する意識の変化と併せて、固定的な性別役割分業を前提とした職場優先の企業風土、核家族化や都市化の進行等により、仕事と子育ての両立の負担感が増大していることや、子育てそのものの負担感が増大していることがあるものと考えられる。なお、昭和50年代前半以降、夫婦の平均出生児数は平均理想子どもの数よりも少なく、ほぼ一定の開きがあるまま推移してきているが、こうした仕事と子育ての両立の負担感が、その要因の一つとなっているものと考えられる。』(少子化対策推進基本方針より)

未婚率の上昇には様々な社会的要因と、個人的な主観、考え方の変化が影響し、日本人の価値観(男女共)が特に平成に入って多様化してきたことが大きく影響している。政府の諮問会議において発表される“言葉”には、公的文書では使用し難いと考えられるストレートな表現が封印されているから、一般国民の心には響かないことが多い。
例えば、
育児に対する負担感、仕事との両立に対する負担感の説明として、「家庭よりも仕事を優先させることを求める固定的な雇用慣行と企業風土がある」、としている。また、「根強い固定的な男女の役割分業意識、男性の家事・育児参画が進まない実態」がそれを如実に表している、という。これは一体どういうことなのだろうか。庶民の感覚で表現すれば、男性中心の社会構造が生んだ現代社会の歪み、すなわち、「男尊女卑と言っても過言ではない、男にとって都合の良い日本社会」の弊害ではないのか。
また、個人の結婚観、価値観の変化という表現には、現実問題として家庭内労働における男女の不公平、男性絶対主義的な世間の仕組みが生んだ暗黙のルールの下で、男女共同参画社会への早期移行が叫ばれ、平均的収入世帯の可処分所得の減少(すなわち、男性諸君の稼ぎの悪さ)から共稼ぎ世帯が増大し、結婚によるメリットを見出せなくなってきた女性たちの選択の結果だ、という風には書かれていない。断わっておくが、拙者は男であるので、女性目線での評論ではない。つまり、我が国の歴史上、長きに亘って続いた男性中心の社会構造に歪みが生じて来たにも拘らず、それらを放置し、傍観して来た男性指導者たちの責任なのである。生物学上、人間の男性には妊孕力(にんようりょく:広義には男女の生殖能力をいう場合もあるが、狭義では女性の受胎能力を指す)は備わっていない。従って、女性に子供を産んでもらわないことには少子化の解決は不可能なのであるにも係わらず、そのための環境整備を怠ったことに対するしっぺ返しが襲いかかってきているのが、現状である。


普通の家族って何??(イメージ)

【少子化を助長する?インターネット社会】
インターネットの普及に伴うSNSの全盛期が平成時代の象徴ともいえる。我が国に限らず、通信環境の整備されている各国地域に共通する問題がSNSを介した人権侵害、情報漏洩、悪意の情報拡散など多岐に亘るトラブルは枚挙にいとまが無いほどである。SNSの普及によって、老若男女誰でも何処でもいつでも自身の情報を世界中に発信することが可能となり、それまではメディア等を通じて露出を許された特権的な人々にしか与えられていなかった“発言”は、利用する者全ての権利として手中に入った。一方で、自らの意思で、苦労して探し当てなければ目にすることの出来なかった特異性の際立つ情報に限らず、自らが必要としていない情報までもが、手のひらサイズのモニターに、いとも簡単に届けられることとなった。
ICTにおけるSNSの発達と少子化との関係は、過去に少数意見として日の目を見ることが極端に少なかった情報が市民権を獲得し、多数意見と並列対等に評価されるステージに登場したことと深く係わっている。すなわち、個人の尊厳や生き方、考え方を無視して“その他大勢”の方向付けによって社会規範や常識という枠組みが形成され、国家の情報操作による強制の上に固定されてきた日本国民の画一的思考を司る回路は外され、自由な感性で個人の趣向に応じた回路が与えられたのである。その結果、これまでは女性というだけで当然のごとく言われてきた結婚、出産、子育てや、良妻賢母という美徳観念、専業主婦という社会的地位獲得のコースラインに疑問を投げ掛け、性別の違いによらない生き方を主張する女性たちによって、個人が肯定される時代が到来した。インターネット時代に相応しく、その拡散速度は凄まじい限りであり、宗教的規律の上に存在する国々にも蔓延し、たった一人の個人的意見であっても、共鳴する人が多ければ、国家体制をも揺るがしかねない潮流となって世界を席巻する事態となっている。


電波の向こうには大勢の仲間が居る?(イメージ)

【少子化問題と未婚化】
厚生労働省の機関で、国立社会保障人口問題研究所が平成27年に行った、第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査・対象者は未婚の18歳から34歳までの男2706人、女2570人)によれば、独身生活に利点があると考えている未婚者は男女とも高い割合を維持しており、男性では 83.5%、女性では88.7%である。
独身生活の利点は、男女ともに「行動や生き方が自由」を挙げる人が圧倒的に多く、男性では69.7%、女性では75.5%であった。それ以外では「金銭的に裕福」、「家族扶養の責任がなく気楽」、「広い友人関係を保ちやすい」が比較的多い。これらの傾向は、第9回調査(1987年)以降ほとんど変わっておらず、結婚すると行動や生き方、金銭、友人関係などが束縛されるという未婚者の感じ方は根強い。ただし、女性では友人関係が束縛されるという意識は弱まってきている。これは恐らく結婚後も夫婦が一定の自由度を認め合うライフスタイルや、共稼ぎ世帯故の個人の尊重という観念が若い世代に根付いてきており、既婚の友人などを客観的に見たときに受ける印象の結果だろう。

また、同年度に内閣府が発表した「結婚・家族形成に関する意識調査」で(20代と30代の男女2643人が対象)、未婚で恋人がいない男女761人に対し、「恋人が欲しいか」と尋ねると、37.6%が「欲しくない」と答えた。その理由の大半は「恋愛が面倒」、「自分の趣味に力を入れたい」というもので、面倒で自由度が制限される結婚生活に対する期待が持てないという考えが浮き彫りとなった。


彼女なんて要らない!!(イメージ)

上記の様な調査結果の背景には、前述した少数意見(マイノリティ)に対する社会的認証傾向が挙げられる。偏見が改善され、個人の考え方や生き方が認められてきたと言えば結構なことだが、そのことによって本質には存在していた結婚願望も薄れ、オンラインゲームやSNSなどを介して、自分と同様の考えを持ち、結婚しない生き方を実践する仲間との結びつき、その輪がどんどん広がっていくのだ。
しかし、実際のデータ(平成27年度出生動向基本調査)では、いずれは結婚しようと考える未婚者の割合は、依然として高い水準にあり、18~34歳の男性では85.7%、女性では89.3%を占めている(ただし、「一生結婚するつもりはない」と答える未婚者の微増傾向は続いており、男性では12.0%、女性では8.0%となった)。そうであるのに、結婚願望すら捨ててしまう男女が増え続けるというのは、“仲間”の存在が後押ししてくれる安心感の表れなのだろう。


国立社会保障人口問題研究所・出生動向基本調査(厚生労働省:2015)

【少子化、高齢化がもたらす社会資本の崩壊】
少子高齢化の進行がもたらすダメージは深刻である。すでに公的年金制度の崩壊が叫ばれて久しいが、生産年齢人口の減少は高齢者福祉に対してだけではなく、国全体の社会資本(公共インフラ)の崩壊にも暗い影を落とし始めている。
高度成長期以降に整備された道路橋、トンネル、河川、下水道、港湾等について、今後20年で建設後50年以上経過する施設の割合が加速度的に高くなっていく。

建設後50年以上経過する社会資本の割合
  H25年3月 H35年3月 H45年3月
道路橋[約40万橋注1)
(橋長2m以上の橋約70万のうち)]
約18% 約43% 約67%
トンネル[約1万本注2)] 約20% 約34% 約50%
河川管理施設(水門等)
[約1万施設注3)]
約25% 約43% 約64%
下水道管きょ[総延長:約45万km注4)] 約2% 約9% 約24%
港湾岸壁[約5千施設注5)
(水深-4.5m以深)]
約8% 約32% 約58%
注1建設年度不明橋梁の約30万橋については、割合の算出にあたり除いている。
注2建設年度不明トンネルの約250本については、割合の算出にあたり除いている。
注3国管理の施設のみ。建設年度が不明な約1,000施設を含む。(50年以内に整備された施設については概ね記録が存在していることから、建設年度が不明な施設は約50年以上経過した施設として整理している)
注4建設年度が不明な約1万5千kmを含む。(30年以内に布設された管きょについては概ね記録が存在していることから、建設年度が不明な施設は約30年以上経過した施設として整理し、記録が確認できる経過年数毎の整備延長割合により不明な施設の整備延長を按分し、計上している)
注5建設年度不明岸壁の約100施設については、割合の算出にあたり除いている。
資料:国土交通省


上記以外でも、道路、砂防、公営住宅、公園、空港、航路標識、官庁施設、鉄道など、国が施設整備を行っている公共施設等は全て老朽化が進み、同様にメンテナンスの必要性が生じてくる。これらを支えているのは全て税金であり、国民の勤労によって賄われているのであるから、生産年齢人口(15歳~64歳)の割合が減少すれば対応が出来なくなるのは自明である。高度成長期時(1965年・昭和40年)には生産年齢人口の割合が7割であったが、平成61年(2050年)には5割まで減少すると予想されている。
これらの社会資本を更新して行くためには、年間約8兆円強といわれる予算が別途必要で、現在の国家予算のうち、公共事業関係費の総額約6兆円(平成28年度)と比べても、それを大きく上回っているのだから、その深刻さがお分かり頂けるだろう。

公共インフラの設備更新やメンテナンスが出来なくなればどうなるか。
「老朽化した水道管が破裂し、高圧の水が地下に空洞を作り道路が陥没する。集落に向かう橋が落ちてライフラインが途絶える。学校の体育館の天井が落ちて、部活中の生徒が亡くなる、といった事故が多発し…」(「朽ちるインフラ」東洋大学教授・根本祐二著)、日本全土が廃墟と化すのもSF映画の中だけの話ではない。


繁栄の歴史は短い…(イメージ)

【個人偏重、生き方の多様性は人類の崩壊を招くのか?】
非常に難しい問題として、少子化の原因を多角的に分析し、あらゆる角度から可能な限り策を講じる動きが活発化している。行政においては子育て支援や新婚世帯への助成補助等、言うに及ばず、出産に至る社会的前提として結婚、もしくはそれ以前の「出会い」にまで税金を投じ、現代の若者の恋愛離れに歯止めを掛けようと真剣である。これを愚の骨頂と嘲笑に付すお方も多いと思われる。時代遅れ、税金の無駄、役所のすることではない、など、ごもっともなご意見である。今や個人の生き方を尊重する時代。マイノリティは少数派ではなくなり、“個性”として評価されるべき対象となった。
明治以後太平洋戦争終結まで、殖産興業を旗印に富国強兵の基盤をなす国家人口の増大を目的として出産を奨励し、国策として「産めよ、増やせよ※2」は当時の合言葉となった。事の善悪ではなく、結果として第一次、第二次ベビーブームも到来し、我が国の人口は急激に膨れ上がった。


総務省国勢調査報告・人口推計年報より(国土交通省国土計画局)

※2
「産めよ、増やせよ政策」とは、昭和16年(1941年)1月22日、近衛文麿内閣の閣議決定による政策である。当時の日本は大東亜共栄圏の確立を目指し、人口増強策を国策としていた。その背景で生まれた「人口政策確立要綱」は、一家庭最低五児出産を謳うなど、軍国主義的な人口政策であった。


文字通り高度成長期と人口増加は比例し、我が国の経済の飛躍的発展を支えてきたのである。その発展の上に今が在るのは揺るがない事実である。国際紛争を70年以上経験せず、物理的な幸福度はマックスを迎えた今、国民は個人主義的民主主義へと進み始め、国体の護持という公的使命感は希薄であり、アイデンティティこそが人間の根幹をなすものとして捉え始めている。
しかし、そのアイデンティティも、個人主義も、平和で豊かな国家体制をかろうじて維持している我が国だからこそ主張し得るのであって、この後日本が国内外における危機を無事に乗り越えていく保証など何処にもないのである。
恋愛はコストが無駄、パートナーは自由を阻害する、自分の生き方のみが大切、子供は金が掛る、子供よりも自分、夢を掴むには結婚は邪魔、おひとりさまが気楽、etc。結婚しない選択肢や子供を持たない選択肢も否定しない。それぞれの価値観を大切にし、自分の意思で決断する生き方はとても大事である。ただ、人間は独りでは生きられない、存在できない生き物であることも真実である。そして、男女が協力しなければ子孫を残せないことも当然。
グローバリズム全盛の時代になり、スマートフォンは全世界への入口として、全ての人々の手の中にあって、誰もが世界と繋がっている。そんな今に生きているからこそ、自らが生活の基盤としているこの国の、各国の、そしてこの地球の未来を、一人一人が考えながら生きていくべきなのだと思う。