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女不動産屋 柳本美土里

「あんたは、私の葬式にも来ないつもりか!」
お坊さんの読経と線香の香りが流れる会場で、祭壇の真ん中で黒縁の写真に写っている義母の顔を見上げて、2年前になじられた言葉を、沙織は思い出していた。
義父の13回忌の法事があるからと、義母から連絡を受けたのは、その日の1週間前だった。沙織は、田原家の長男の隆志の嫁となったのだったが、義父の13回忌の頃には、既に彼が行方不明になってから5年が過ぎていた。
当時は中学生だった息子も社会人となり、家を出て東京の会社に就職をしており、沙織は独り地元で暮らしていた。
隆志がいなくなり、田原家の唯一の男系である息子の母親ではあるが、自分自身は田原家と血縁はなく、旦那である隆志も行方不明、息子も遠く東京におり祖父の法事だけで帰ってくることもない。
「やっぱり行かないといけないのだろうか?」
憂鬱な気持ちから即答をすることができない沙織の様子を感じ取った義母は、自分の葬式を題材にして、法事への沙織の参列を迫ったのだった。

田原家の長男である隆志は、女3人が生まれた後の、待望の男子だった。
女の子ばかり産んだ義母は、先代の姑から表に裏に嫌味を言い続けられ、親戚から大きな期待を掛けられていたこともあり、やっと男子を授かったことで、重く圧し掛かっていた肩の荷がやっと降りたという安堵感に涙が出たという。
当然、親兄弟親戚中は喜び、出産祝いの席は3日も続いたという。
3人の姉たちは、隆志を人形のよう猫可愛がり、だれもが取り合って彼の世話を焼いた。
田原家の男子は代々、小さい輪郭の顔に切れ長の目、顔のパーツがバランス良く配置されており、いわゆるハンサムな顔立ちである。
隆志も田原家の血のまま、育つごとに目立ってくる、その整った顔立ちで周りを騒がせた。
「隆志ちゃんは、芸能界に入っても遜色ないくらいハンサムやね」
そう言われるのを、3人の姉たちは自慢にしていたようだ。

沙織が隆志と出会ったのは、鹿児島から出てきてから8年経った頃だった。
地元の短大を卒業したのち、先に家を出ていた2つ上の姉を頼り、関西で就職した。
姉と2人で暮らしていたのたが、姉が結婚を機に居を別にすることになり、沙織は独り暮らしのための部屋を探すため、不動産会社のドアを開いた。
その不動産会社で沙織を担当したのが、隆志だったのだ。
細身で背が高く、優しく丁寧に接してくれる隆志に、沙織の心は浮き足立った。
29歳の沙織からみて、隆志は4歳年下である。
しかし、そんなことはお構いもせず、沙織は隆志に心を寄せ、積極的に交際を迫った。
恵まれたルックスの隆志は、学生時代から、女生徒たちからの憧れの的だった。
バレンタインデーともなれば、数え切れないほどのチョコレートと手紙を持って帰ってきた。
そんななか、きまって隆志の彼女となるのは、自己主張をはっきりとし、ややもすると強引で気が強い女性だった。
優柔不断な性格ともいえる隆志は、恋心をぶつけられ交際を迫られると、自分の思いとは別に、相手の思いの強さに流され、付き合ってしまうのだ。
沙織も、その例に漏れず、自分の思いを押し通す、そんな女性だった。
そして1年足らずの付き合いで、2人は結婚することとなった。

「嫁はしっかり者の方がいい」
父母からも、姉たちからも、そう言われていた。
隆志の優柔不断の性格や、お金に対して無頓着なところを、家族に見抜かれていたのだろう。
それは自分自身でも、その通りだと思う。
そういう点では、しっかり者の年上女房である沙織はピッタリだ。
そう思っていたのだが・・・
隆志の給料は、全て沙織が管理した。
そして彼に月々に渡される小遣いは、昼食費も含めて2万円。
会社のイベントに参加するにも、全く持って不足する額である。
「社員参加の宴会って参加しないといけないの?何で隆志がお金を出してまで参加しないといけないわけ?」
そんな質問に、「付き合いだから」や「社員間のコミュニケーションを深めるため」だというような曖昧な理由は聞いてもらえず、あげくの果てには、送別会というのは他の女と浮気をするためのデタラメじゃないかと言い出す始末だ。
最終的には安い給料と将来の経済的不安を、さんざん並べ立てられて、やっと出してもらうという有様だった。
沙織は、しっかり者の上に、嫉妬深くもあったのだ。
むろん、たまに行く就業後の同僚との飲み会も行けなくなった。
これまで、奔放に生きてきて、それを許していた環境にいた隆志にとって、沙織との結婚生活は、八方を塞がれたような閉塞感に満ちていた。

そんな日々のなか、思いがけず仕事が早めに終わり、駅に向かう途中のことだ。
後ろから歩いてきた事務員の結衣が、隆志の存在に気づき、小走りに駆け寄り横に並んだ。
「田原さん、最近元気が無いようですけど、お身体は大丈夫ですか?」
結衣の心遣いの言葉に、隆志はぎこちない笑顔を返した。
「田原さん、もし良かったら、ちょっとだけ飲んで帰りませんか?」
そう言って誘ってくる結衣の言葉に、隆志は空で財布の中の紙幣の枚数を数えた。
安い居酒屋なら、なんとかなるか。
少しだけならと、隆志と結衣は高架下にある大衆居酒屋の暖簾をくぐった。
とりとめの無い話から、会社での出来事、社員の噂話などを話しつくすと、話は個人的な話題へと移った。
「そうなんですね、田原さんには3人もお姉さんがおられたんですね。私なんて1人っ子だから、小さい頃は、兄弟が多い友達が羨ましかったんです。特に、カッコイイお兄さんがいる友達なんて、ちょっとの間、立場を変わって欲しいなんて言ったりしたこともあるんですよ」
「田原さんのような素敵なお兄さんがいたら、楽しい子供時代だったろうな~」
屈託無く、そんな話をする結衣を、隆志は眩しそうに見つめた。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
そう言ってレジ前に立った隆志に、会計は既に済んでいると店員は告げた。
一歩後ろで立っていた結衣が、隆志の袖を引っ張った。
「すみません、勝手にお会計をしてしまいました。失礼かとも思ったんですが、あんまり楽しかったから・・・」
お手洗いに立っている隙に、結衣が支払いを済ませておいたらしい。
隆志が結婚してからお金が自由にならず、付き合いにも事欠くということは、事務所のなかで噂になっているのだろう。
結衣は、それを知っていて、いや、はなからそのつもりで隆志を誘ったのかもしれない。
結衣の心遣いが隆志の心に染みるのと同時に、わずかな居酒屋の代金でさえ支払うことに汲々としている情けない自分の姿を見つめることにもなってしまった。

その日を境に、隆志の心の中の何かの糸が切れたと思う。
もう、構うもんか。
以前のように、誘われるままに同僚との付き合いもするようになり、結衣とも、時々食事を共にするようにもなった。
そのために必要なお金は、借りればいいだろう。
銀行なら借り入れ金利も安いが、自宅に郵便が届いたりして、自分が借金をしていることが沙織にばれてしまう。
金利は高くなるが、返済さえ滞らなければ、自宅への連絡はない、金利の高い消費者金融を選べば、沙織に知られることはないだろう。
当然、他に収入のない隆志の小遣いで返済をしていくことができるわけなどなく、借金の返済日が来ると、他の金融会社からさらに借金をして返し3社の金融会社から借りては返すということを繰り返した。
そうするうちに借金はかさみ、ついに返済が滞るようにもなってしまった。

「隆志の様子が何だかおかしい」
沙織は感じていた。
最近、隆志は赤ら顔で戻ってくることが多くなった。
月々2万円の小遣いしか渡していないのに、そうそう呑みに行ける訳がない。
先輩におごってもらっているからと話す隆志の視線は、沙織の顔から外れていた。
そんなある日、消費者金融会社名を名乗る男性から、隆志の家に電話がかかってきた。
「田原さんのお宅ですか?こちら丸菱金融ですが、隆志さんおられますか?」
「いえ、まだ会社から戻ってきていませんけど」
「そうですか、携帯電話にもお電話させていただいているのですが、お出になられないようなので、仕方なくご自宅に掛けさせていただきました。お戻りになられましたら、必ず弊社までご連絡くださいますよう、お伝えください」
そう言って、男は電話を切った。
言葉遣いは丁寧なものの、その物言いは、こちらに有無を言わさない圧力があった。

「あなた、私に隠していることはない?」
こんなことを妻から言われて、どぎまぎとしない男性は、世の中にどれくらいいるのだろうか?
普通の男でさえ、何もやましいところがなくても、そんな風に言われると、あれこれと思い考えてしまい、冷静でいられなくなるのが世の一般的な夫だろう。
ましてや、あの隆志が沙織にそう言われて、平然と嘘を突き通せる訳もない。
借金のことも、結衣という女のことも、洗いざらい白状させられてしまった。
「で、どうするつもり?」
沙織は、びた一文出さないと宣言した。
「あなたが女を作ってこしらえた借金を、どうして私が払わないといけないわけ?他に返すあてがないのなら、実家のお義母さんとか、お姉さんたちから借りてでも、返済してよね。あの人たちなら、あなたに貸してくれるでしょう」
沙織にそうなじられても、もう実家や姉たちに頼るわけにはいかないのだ。
実は、隆志は、以前にも、返済がどうしようもなくなったときに、長女の旦那さんに相談をし、一度は義兄からまとまったお金を借りて、借金を全部返済したことがあった。
それなのに、再び義兄に借金の返済のために、またお金を用立ててくださいとは言えない。
完済して借金地獄からの逃れられた嬉しさもつかの間、完済当初こそ自重していたのだが、借金を完済した借り入れ枠分が、そのまま自由にできるお金となり、いつの間にか元の木阿弥となってしまっていたのだ。
「そう、あなたが言えないなら、私から言うわ」
沙織は、さっさと受話器を取り、実家の義母に全てをぶちまけた。

姉さんから電話がかかってきた。
沙織さんから母に電話があり、それを母が長女に相談したのだという。
弟が借金をして返済できずに困っているから、どうにかしないといけないらしい。
そして、その借金の原因には女の影もあるようだと、長女は次女の和美に話した。
急遽、土曜日の夜に3姉妹の夫婦が実家に集まることになった。
一番、事情を知る義兄から、3家族の前で隆志が陥っている借金の内容について話をされ、どうしたものかと、それぞれの意見を求められた。
母「母親として私の責任もあって、なんとかしてやらないといけないとは思うんだけど、私も遺族年金だけで暮らしているし、これからもしばらく生きることを考えたら、僅かな貯金を出してしまうことはできないし・・・」
そういって母は顔をふさいだ。
3姉妹とも、年老いた母にお金を出させようなんてことは、露ほどにも考えていなかった。
では、どうするのか?
結局は、3姉妹の家庭がそれぞれ分担して借金返済のためのお金を準備することになったが・・・
3女「それにしても、月々の小遣いが2万円だなんて、それって、あんまりじゃない?そりゃ、隆志も借金してしまうのも無理はないかもね」
長女「私たちが、みんなで用立てることはできないことはないと思うけど、また次も借金を繰り返すっていうことにはならないかなぁ?」
次女「たしか、沙織さんの実家の親が亡くなって、沙織さんにはまとまったお金が入ってきたって言ってたんじゃなかったっけ?それなら隆志のところにお金が無いから借金を返せないってことじゃないんじゃないの?」
「え~、沙織さんは、全くお金を出さないつもりなの?これって元々家庭の問題であって、できるだけ自分の家庭で解決するのが本来じゃないのかしら?それでも、どうしようも無いっていうのなら、親や兄弟に頭を下げて頼むっていうのが筋じゃない?」
「でもね、沙織さんが言うには、そんな男にしたのは田原の家の養育のせいだから、田原の家の人たちでなんとかするべきだって」
母がため息をつくように、沙織の言葉を口にした。
「それって、沙織さんは、自分は田原家とは関係ないって思っているわけ?」
「私の育て方が悪かったのよ」
憤慨した三女の言葉に、母が自身を責めて目頭にハンカチを添えた。
彼女たちの夫たちは、口を挟むこと憚れたのか、彼女たちの意見を聞くばかりであった。
結局、姉妹3家族で分担して返済金を用立てることとし、翌日、隆志を実家に呼び出し、援助するのは今回きりで、今後は決して消費者金融への借金はしないことを約束させた。
隆志は、正座をして頭を畳みに押し付けていた。

そんなことがあってから、沙織の隆志に対しての締め付けは、以前にも増して厳しくなっていった。
お金の使い道は1円単位まで書き出させられ、1日の行動も報告させられるようになった。
事務員の結衣に対しては、彼女の自宅へ乗り込んで罵倒した挙句、半ば脅すようにして会社を辞めさせた。
巻き込んでしまった結衣には、本当に申し訳ないことをしたと思う。
自分の行動で、どれだけの人々に迷惑を掛けて来たのだろう。
「自業自得」
そんな気持ちで、我慢を重ねて沙織の監視に従ってきた隆志だが、そのうち、家に帰ると尋問にさらされるのかと思うと、会社から家への道のりが遠いものに感じるようになっていった。
そんな日々が数ヶ月続いた頃のことだった。
どこを歩いていたのかも記憶が定かではない。
意識が朦朧とするなか、誰かが隆志の襟首をつかんで、後ろに引き戻した。
「何をしているんですか、危ないじゃないですか!」
振り返ると、見ず知らずの中年男性が、抜けた魂を戻そうとしているかのように、両手で隆志の両肩を揺さぶっていた。
「何のことだろう?」
隆志は、中年男性の言っている言葉の意味を理解しかねたが、目の前の遮断機の向こうを恐ろしいスピードで横切る電車の風圧で、自分のとろうとしていた行動を知った。
自分の深い部分にある無意識がそうさせたのだろうか?
下りている遮断機を押し上げて、線路内に立ち入ろうとしていたらしい。
ああ、自分の精神が病み始めているのだろう。

このままでは自分が崩壊する。
全てのものから逃げたいという意識が、この世からの逃亡を企てようとしていたのだ。
それなら、いっそのこと、命だけは捨てないで、他の全てを捨てて逃げれば、どれほど楽になるだろう。
中学生に成長した息子、3年前に建てたマイホーム、実家の母親や姉たち、仕事、友人・・・
そのどれか1つでも未練を持って繋がれば、きっと沙織が自分を見つけ出し、容赦なく圧迫し締め付けてくるだろう。
それから逃れるには、何1つ未練を残してはいけない。
全てを捨てて逃げないといけないと救われることはないのだから、
そうした判断となってしまうことが、既に精神に異常を来たしていたのかもしれない。
ただ、隆志には他に助かる道を考え付くことはできなくなってしまっていたのだった。(続く)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。