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ラビットプレス+9月号


わしも歴史が生んだ男や!!…どこが??(イメージ)

前代未聞。333人連名での告発状によって日本中(当事者曰く、世界中か)の注目を集めている一般社団法人日本ボクシング連盟会長(平成30年8月7日現在、後に連盟の全ての役職を辞任)の山根明氏。7月27日に日本オリンピック委員会(JOC)、内閣府、文部科学省、スポーツ庁など、6団体に告発状を提出。国庫から拠出されるアマチュアスポーツ振興目的の助成金の不正流用や、「奈良判定」と揶揄された審判の不正判定疑惑、試合用グローブなどのボクシング用品独占販売疑惑など、「日本ボクシングを再興する会」と称する側が暴露した。日本ボクシング連盟トップと組織に対するメディア攻勢が激化する中、渦中の山根氏がテレビワイドショーやインタビューに露出して語った数々の迷言?に、一般視聴者は何を見たのだろうか。
日大アメリカンフットボール部の悪質タックル問題から端を発し、今や大学全体に蔓延する日大体質の代表とも言われた理事長の田中英寿氏と山根明氏の共通点といえば、外形的には組織のトップであり、スポーツという分野で君臨してきたことである。しかし、その言動は正反対の対応を見せた。静と動という対照的なお二人であるが、その風体や眼光鋭い目つきなど、一般人の“それ”とは明らかに違う威圧感を感じる人も多い。方や最高学府の運営トップ、他方はアマチュアスポーツ界の公益的な組織のトップであるのに、見るからに反社会勢力をイメージさせる外形を保つのは何故か。そこには人間誰しもが持つ、自分を誇大に見せようとする心理や他を押さえつけることで得られる優越、征服欲求が働く。このお二人、実は皆さんが想像するよりはるかに真面目で努力家なのである、と拙者は見る。ある意味において真面目が故に、ここまでの地位に上り詰めることも出来、またその地位に君臨し続けることを可能にしてきたといえる。
本編では、山根明氏の言動の一部をお借りしながら、その時々にそれぞれ、どのような心理が働いたのかを推測しながら、特徴的な自己愛について検証を試みる。


ストーカーの特徴も強い自己愛

【総論:パーソナリティ障害】
今回、山根氏を病理的見地から精神障害と位置づけるのではないことを予め断っておく。
人間誰しもが持ち合わせている“自己愛性”について話を進めるためには、先ず心理療法の分野におけるパーソナリティ障害の判断基準を紹介し、人の心の弱さを知っておくことが良策と思うからだ。

パーソナリティ障害は、人格障害と表現される。一般社会において期待される規範と異なる思考、知覚、反応、対人関係のパターンが現れ、継続する。結果として、周囲に馴染めず社会生活に支障を来たす。臨床心理学では以下の6種類に分類してそれぞれのパターンに応じた治療を行っている。
1. 総合失調型(人格障害)以下同様
2. 境界性
3. 反社会性
4. 自己愛性
5. 回避性
6. 強迫性
これらは、自己像(セルフイメージ)と他人との対比からのストレスに対する反応パターンによって特徴的である。つまり、他人と人間関係を築くことやストレスに自分自身で対処することが困難で、本人の自己像と他者から見たその人の認識との間に乖離が生じるも、問題の本質を自己の行動と結びつけることは無いのである。
例えば、問題が起きたとき、他人に援助を求めることで対処しようとする人もいれば、自己解決しようとする人もいる。その問題を過小に評価する人もいれば、過大に捉える人もいる。しかし、自身の特徴的な行動パターンによって問題が生じた場合や不都合な結果を招いている場合には、精神的に健康な人であれば、別の方法を試みるのであるが、パーソナリティ障害の人は、自分が採るパターンによって問題解決が図られなくても、そのパターンを変えることはない。すなわち、状況に応じて自己調節(適応)されることがないので、不適応と呼ばれる。
病理的にパーソナリティ障害と診断される人は、大半が自分の人生に悩みを持っており、社会や会社、学校などでの人間関係に問題を抱えているといわれる。気分的・身体的障害、薬物乱用、摂食障害などを併発していることも珍しくなく、心理療法だけでは治療できない場合は、パーソナリティ障害改善にも相当の時間が必要となる。


これは病気なんです…(イメージ)

【山根明氏の自己愛性特徴】
人間誰しもが持ち合わせる自己顕示の欲求は青年期に現れることが多い。誇大性(空想または行動)、称賛されたい欲求は、共感の欠如を伴って成人期早期までに始まる。読者諸兄にも心当たりはあるはずで、学校の成績やスポーツでの活躍など、実際の結果より少しまたは大幅に誇大して話したことなど、思い当たらないとは言わせない。それがすなわちパーソナリティ障害だというのではないのでご心配なく。ただし、そこが分け目であることも事実である。
山根氏においては現在78歳(1939年10月生まれ)。自己愛性の特徴は青年期早期に顕著(自称、17歳で反社会的組織に加入したことも虚勢の後ろ盾を得る目的があったのかも)で、一般的には年齢が進むにつれて薄れていく。何故なら、誇大の心因が自分の強さや美しさ、若さなどに執着するため、加齢によって体力が衰えたり、それまでの出来ていた仕事や技術を発揮することが叶わなくなったりした時、自己嫌悪に陥り空虚に気付くからである。一般的に虚言癖や大風呂敷、見栄張りなどと評される部分は年齢と共に減少し、謙虚さや正直さという他者を意識した言動に落ち着くものであるが、彼の場合は78歳になってなお現役である。
~山根明氏の迷言語録~
・私が(村田選手を)世界選手権の代表に選びました
・僕は世界から「カリスマ山根」と呼ばれてる
・世界の山根、男山根、山根明会長
・山根を支持してくれている全国の皆さん
・選手たち、高校生にも私のファンはおる
・私は歴史に生まれた歴史の男でございます
・神が山根に与えた力よ
・無冠の帝王


ボクシング界では超有名(イメージ)

7月に入って突如メディアに登場し、今回騒動の経緯説明や弁解はそっちのけで自分の身の上、生い立ちから苦労話、黒い交際に至るまでを独特の口調で語り尽くし、たちまち全国区の人気モノ?に昇りつめた。彼の承認欲求は満潮を迎え、モニターに映るその顔には満足感が充満していた。

【新しい精神疾患の判断基準:DSM-5】
アメリカ精神医学会作成の心の病気に関する診断基準のことで、Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disordersの頭文字をとった略称。世界的に広く用いられており、日本では「精神障害の診断と統計マニュアル」「精神疾患診断統計マニュアル」などと呼ばれる。第1版であるDSM-I(ローマ数字であることに注意)は、1952年に発表された。その後、68年にDSM-II、80年にDSM-III、86年にDSM-III-R、94年にDSM-IV、2000年にDSM-IVTRと発表されてきた。2014年5月、DSM-5(第5版)の病名・用語翻訳ガイドライン初版が日本精神神経学会により発表され、一部の精神疾患概念において、従来の「障害」との呼称に替わり「症(群)」の訳語を採用することが明らかとなった(参考:知恵蔵)。DSM-5の前のアメリカ精神医学会の診断・統計マニュアルは、1994年出版のDSM-Ⅳでした。ローマ数字から算用数字に切り替わったのには大きな意味があると考えられ(ローマ数字では、「.1」とか「.2」とか小数点、つまり小さな変化を反映できない)、Ⅳから5に改訂されるまでに20年を要していることから、今後は小さな変化や脳科学分野の発展に伴い、随時改訂されることが予想される(参考:西村能子・立正大学心理学部教授・医学博士)。


さて診断結果は…(イメージ)

さて、この最新診断基準DSM-5によって山根明氏の言動から氏の自己愛性について診断を試みるとどうだろう(決してご本人の同意を得たものではなく、老婆心からの外形的診断であることを申し添える)。

1. 自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2.限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3.自分が“特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけが理解しうる、または関係すべきだ、と信じている。
4.過剰な賛美を求める。
5.特権階級(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)。
6.対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する)。
7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9.尊大で傲慢な行動、または態度。

以上のうち、5つ以上当てはまる場合、自己愛性パーソナリティ障害として疾患を認定できるとするのであるが、如何か。診断は読者諸兄にお任せしよう。
また、山根氏に限らず、読者諸兄もしくは身の回りに虚勢を張り、誇大を身上とするような友人がいらっしゃられるのなら、診断(推測のうえの判断と訳して下さい)してみるとよかろう。

【自己愛性パーソナリティ障害を理解する】
DSM-5によると、自己愛性パーソナリティ障害の特徴は、「自分は特別で重要な存在である」と誇大な感覚を持っていることとされる。常に自分の評価を過大し、見栄を張って満足気に自らを語ることが多く、自分の強さ、美しさ、聡明さに酔いしれて理想にふけっている。自分を理解できるのは特別な人(例えば知識や能力、地位が高い人)だと思っており、そうした人達との関係しか興味が湧かない一方で、他人の努力や貢献は過小評価する。他人の考えに共感できず、人間関係上の困難を生じることがしばしばである。
例えば、同じ人格障害の分類として境界性パーソナリティ障害があるが、これなどは家族や医療関係者を振り回し、衝動的でこらえ性が無く、自殺未遂や癇癪(かんしゃく)を繰り返す患者にレッテルのごとく付けられていた。しかし、最近になって双極性障害注1や発達障害注2という病名に合致する割合が高くなったためか、「はっきりと境界性パーソナリティ障害」としか言いようのない患者だけに診断が下されるようになっている。
しかしながら、自己愛性パーソナリティ障害と診断される患者はそれほど多くはないのが現状で、この診断名を積極的に付けたがる精神科医も少ないとされる(能代亨・精神科医「若作りうつ社会」講談社)。何故なら、多くは複合的に他の疾患の症状を共有していること(うつ病や双極性障害など)で他の病名を付ける、そもそも自己愛性型に特化した研究成果が得られていない(治療方法が確立していない)こと、冒頭に述べたように、一般的に人間が少なからず持っている性質(心性)的なものである、など、この病名に特定して精神疾患であるとは診断し難い現状があるからである。


躁鬱や自閉とも違う自己愛性人格障害(イメージ)

注1(双極性障害)
躁鬱病。躁病(そうびょう)と抑うつの病相(エピソード)を循環する精神障害である。DSM-IV(1994年)では、うつ病と共に気分障害に分類されている。


注2(発達障害)
身体や、学習、言語、行動において一連の症状を持つ状態で、症状は発達中に発見され、通常は生涯にわたって持続する障害。小児自閉症、アスペルガー症候群、レット症候群、小児期崩壊性障害、特定不能の広汎性発達障害、その他の総称。


自己愛性パーソナリティ障害研究の第一人者であるカーンバーグ(オットー・カーンバーグ:オーストリアウィーン出身のアメリカ合衆国の医学者、精神科医、精神分析家。ウェイル・コーネル医科大学教授)は、自己愛性パーソナリティ障害の人は、正常な自己愛とは区別される「異常な自己愛」を持っていると論じ、もう一人の第一人者、コフート(ハインツ・コフート:オーストリア出身の精神科医、精神分析学者。精神分析的自己心理学の提唱者で、今日の自己愛研究や間主観的アプローチの端緒を開いた)は、自己愛性パーソナリティ障害を未熟な自己愛とみなし、成熟した自己愛と連続的なものとして論じている。自己愛性パーソナリティ障害に該当するとされた人の中には、その心性に急き立てられ、富や名声を強く求めた結果、社会的成功を手中に納める人も少なくないことを知っておくべきである。

【自己愛性の低い人は成功し難い??】
人格障害という病名は実に広範囲に使用される。SNSの書き込みやそれに対するツイートには書き手の持論にリツイートの前置詞として、「○○パーソナリティ障害じゃねぇの??」というような文字が乱舞している。そもそも自己顕示的SNS常用者はDSM-5の示すところ、自己愛性パーソナリティ障害寄りであると言え、意識高い系~などと評されるところはそれに近い心性を持っていると言えるのである。現代人の多くが正にその分野の達人であるのに、それらの人々全てに病名「自己愛性パーソナリティ障害」を診断告知するのもナンセンスだろう。メンタルヘルス領域の特徴として、何が正常で何が異常であるか、という線引きが、その時の文化や年代によって異なるという点がある。行き過ぎた自己愛がトラブルを起こす元になることは否定しない。また、自己愛性パーソナリティ障害と診断され、苦しんでいる患者が居ることも確かである。しかし、自己愛そのものを病理的偏見のみで捉えることには注意が必要である。自己愛には、自分自身を磨き高め、成功(個人の感覚と世間一般の評価)を掴むための原動力にもなっている。また、自己愛の概念の範疇には、誰かに憧れたり支援したりする心性も含まれているから、否定オンリーではなく、適当な付き合い方が望ましいと言える。


自己愛もモチベーションの要素(イメージ)

さて、本編で登場頂いた山根明氏について、読者諸兄の見方は少し変化しただろうか? 週刊誌の報道からしか知り得ないが、氏の生い立ちがその通りであるなら、時代背景からも幼少年期における苦労は相当なものだったろうと推測出来る。その中で彼自身が生きる為に身に付けた術がある意味の虚勢であり、それを維持することで身を守ることが出来た。従って、虚勢を虚勢で終わらせることは彼の人生を終わらせることに繋がるという強迫観念が芽生え、若くして裏社会に身を投じ、ボクシングという格闘技の世界に居場所を探したとして何ら違和感は無い。実際、裏社会での成功(不謹慎は詫びる)を目指すのではなく、アマチュアボクシング競技を普及発展させるという夢を持って頭角を現し、多くの役職を歴任して今日を迎えた事実は、氏にとっての成功を掴み取ったと言えるのではないか。それはすなわち、山根明氏の自己愛性パーソナリティ障害がもたらした好結果だと言える。ただ、氏に足りなかったものがあるとすれば、それが人格障害と診断されるほど強い自己愛によるものだという認識が無かったこと、加齢と共にどこかで謙虚に移行する機会があったにも関わらず、意識改革が出来なかったことであろう。そして今、氏が大切に守って来た全てを消失させ、彼が自負してきた「無冠の帝王」のタイトルネームを、恐らく彼が最も嫌っていた「裸の王様」と書換えざるを得なくしたのも、自己愛の強さが招いた結果である。皮肉なことである。

<執筆日:2018年8月16日>