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女不動産屋 柳本美土里

智子は、1週間分の洗濯物を洗濯機に放り込み、窓の外を眺めた。
ここ数日、外は雨が続いている。
それでも、土曜日しか休みの無い智子には、今日しか家事をする日がない。
洗濯した衣服は、部屋干しをすればいいのかもしれないが、なんだか部屋全体に湿気がこもり、心まで湿っぽくなるようで、智子はあまり好きではない。
駅前にあるコインランドリーの乾燥機は、空いているかしら?
そんなことを思いながら、智子はもう一度、窓の外を見た。

智子は、7年前に離婚経験がある。
高校を卒業してからすぐに同級生と結婚した。
しばらくして、男の子が産まれ、年子で女の子が生まれた。
相手の男性は、地元の市会議員の息子で、親の口利きでプロパンガス販売会社に勤めていた。
彼の実家の近くで親子4人が暮らし、傍から見ると申し分の無い幸せな家族だと映ったことだろう。

そんななか、なぜか智子は、うつ病になった。
原因は?
特に、これといった原因があった訳ではないのだろう。
ただ、調子がおかしくなってきたのは、子供ができてから、舅や姑が頻繁に家にやってきた時期からだった。
人の気持ちを先回りに憶測して、自分勝手に落ち込んだり怒ったりする、そんな智子の性格にあったのかもしれない。
片付いていない家の様子を、どう思われているのだろうか?とか、姑から育児についてのアドバイスをされたことで、ひどく怒られたような気持ちになったり。
夫に相談をしても、「気にすることはない」と言うだけ。
どんどん、他人だけじゃなく舅や姑と会うことが苦痛になって、調子の悪いときには、トイレに入ると何時間も出てくることができなくなった。
食欲も無くなり、常に倦怠感があり、自分の身体が、自分のものではないように、いつも床から浮いているような状態だった。

そんな状態では、もちろん家事も育児もできない。
当初は智子の病状に気を掛けて、仕事から帰ってきてから家事や育児をしてくれていた夫だったが、そうした生活に彼も疲れたのだろう、そのうち、子供たちは夫の実家に預けられ、彼の帰宅も遅くなった。
そのうちに、夫に他の女性の影が見え隠れしだし、ついに夫から離婚を切り出された。
「悪いけど、別れてくれ。これ以上、結婚生活を続けるのは無理だ」と。
お互いの両親を交えての話し合いをしたものの、最終的には、子供たちは夫の実家に取られ、僅かな手切れ金で離婚することに承諾させられた。

離婚直後は、自殺をすることばかりを考えていた。
でも、それではいけない。
いつか元気になって、子供たちに会いたい。
時が経つにつれ、そんな気持ちが強くなってきたのだろう、自分で自分の心を奮い立たせて、絶対にうつ病を治してみせると心に決めて、毎日を送るようにした。
仕事がしたい。
離婚の話し合いの際に、実の親でありながら、自分の肩を持たず夫側について離婚を勧めた両親と暮らすのは、苦痛だった。
両親の元を離れるには、仕事をして自活をするしかない。
そんな思いが強かったためか、うつ病の症状は日増しに良くなっていくのを感じた。

仕事をしたいという気持ちがあっても、高校を卒業してからすぐに結婚した智子は、社会で仕事をしたことがない。
パートくらいならできるかも?と仕事を探し、なんとか採用されたのは、スーパーの品出しの仕事だった。
なるべく多くの時間を働かせてもらうようにしたが、他のパートさんとの調整もあり、パート収入だけでは、自分で生活をするだけの稼ぎを得ることはできない。
そんなとき、よくお店にやってくるお客さんに声を掛けられた。
「あなた、まだ若いんだし、私のお店で働いてみない?夜のお店だけど」
お酒を出す店だという。
たしかに夜の仕事なら、お給料もいいだろう。
でも、そういう仕事は、自分には向いてないと思い、断り続けていた。
それでも、週に2~3日でもいいからと何度も誘われ、それならスーパーの仕事と両立できるかもしれないと、やることに決めた。

カウンターで客のお酒を作り、何かと話題を探して話をする。
思ったとおり、夜の仕事は向いていないと感じたが、仕事と割り切り、心に壁を作って、ぎこちない笑顔で接客をした。
そうして、やっと智子は、実家を出て独り暮らしを始めることができた。
父母と離れて暮らすことで、離婚のときの彼らへの恨みも薄れ、すっかり体調も良くなった。

智子が光彦と出会ったのは、いきつけの居酒屋だ。
10人も入ると満席になる小さな居酒屋だが、気さくな大将が、適度な距離感で話をしてくれる店だ。
客のほとんどは常連のようで、行くたびに同じ顔ぶれと出会う。
そんな常連の1人が光彦だった。
口数も少なく、いつも穏やかな笑顔で同僚らしき人たちと飲んでいる姿に、智子は好感を覚えた。
光彦は、自動車ディーラーの営業係長で、智子よりも3つ上の33歳、彼も智子と同じく離婚経験があった。
同じバツイチどうし、気持ちが通じるものがあったのかもしれない。
いつしか2人はデートを重ねるようになっていった。
そして、2人の付き合いは5年を経た。

「智ちゃん、でもその頃は優しかったんでしょ?」
お店にママに問われ、智子は光彦と付き合いだしてから初めての誕生日のことを思い出していた。

「智子の誕生日に一緒に旅行に行こう」
光彦が誘った旅行は、車で数時間で行ける島にあるリゾートホテルだった。
温泉の湯を使った大きな浴場と、海沿いの小高い丘の上から見下ろす景色が売りのホテル。
梅雨が終わるか終わらないかという、この時期には、ハモが有名だという島だけあり、そのホテルでもハモ鍋を中心とした会席料理が出され、味わった。
智子が、ハモ料理を食べたのは、実はこれが人生で初めてのことだった。
「バーで飲みなおそうか?」
光彦に従い、ホテルの最上階にあるバーに移動し、智子はカクテルを、光彦はバーボンのロックを飲んだ。
オフシーズンの平日だからかもしれないが、智子たち2人だけのバーは広すぎで、少し落ち着かなかったくらいだ。
智子のスクリュードライバーがグラスの半分になった頃、突然にボーイが現れ、テーブルの前に花束とバースデーケーキが差し出された。
「お誕生日おめでとうございます、これはホテルからです」
「えっ!」
智子が驚きの声を上げようとした、その前に、光彦が驚きの声を上げていた。
怪訝そうな顔をしてボーイを見る光彦。
ボーイも首を傾げ、お互いに何かを探るように顔を見合わせた。
「少々お待ちください」と、逃げるようにバックヤードに戻ったボーイが、またすぐに2人の前に恐縮した様子で現れた。
「申し訳ございません、これはホテルからじゃなくて、こちらのお客様からでした!」
平身低頭のボーイの姿に、智子と光彦は顔を見合わせて吹き出した覚えがある。
そして、光彦は隠し持っていた黒い小さな箱を智子の前に差し出した。
「おめでとう、ささやかだけど、誕生日プレゼント」
緊張しながら箱を開けると、そこにはシルバーのネックレスがあった。

「そんな楽しい思い出もあったわ」
智子は、遠くを見つめた。

「それで、智ちゃんは、何が不満なの?光彦さんは、いつも優しそうに見えるけど・・毎年のように誕生日には旅行に連れて行ってくれてるんでしょう?たしか去年は韓国に、一昨年は沖縄に行っていたわよね」
「うん、付き合い出してから5年間、毎年誕生日にはどこかに旅行に連れて行ってもらっているんだけど、最近、全然メールもくれないし、仕事が忙しいと言うばっかりで、私のことを考えてくれているのか不安で・・」智子は俯いた。
「メールねえ」
ママは、智子に聞こえないくらいの小さな溜息を吐いた。
「そりゃ、メールも頻繁に欲しいという智ちゃんの気持ちは判るんだけど、光彦さんも仕事しているんだから、そうそうメールしている暇も無いでしょう?」
「だって、営業で事務所から出ているんだから、メールくらいできると思うわ。おはようメールも、おやすみメールさえも無い日があるのよ、ママどう思う?」
「どう思う?」と言われても・・・ママは少し苦い顔をした。
「智ちゃんは、メールの数で愛情を量っているわけ?男の人は、仕事に打ち込んでいるときは、他のことは考えずに一心不乱に仕事をするものよ。仕事中に何度もメールを打ってくる男の方が信用ならないわ」
「もっと、彼のことを信じてあげないと・・相手に求めすぎるのは、あまり良い結果にはならないわよ」ママは諭すように智子に話した。

光彦は、先週の金曜日の智子との喧嘩を思い出していた。
智子の仕事の休みが土曜日なので、2人は金曜日の夜に会うことが暗黙の了解になっている。
一緒に居酒屋か焼き鳥屋などで食事をしたあと、カラオケスナックに飲みに行き、智子の部屋に帰るというのが、いつもの流れとなっている。
そして、酒が進むと智子は怒りっぽくなってくる。
いわゆる、酒癖が悪い女だ。
それには本人も気付いているようで、光彦と一緒のとき以外は深酒をすることもなく、そうした症状は現れないようだが、最近では、光彦といるときには十中八九、智子は乱れる。そして、翌朝になると詫びるのだ。
以前、精神的な病を抱えていたことは聞いている。
尋常でない酒癖の悪さは、そうした病気の名残なのだろうか?

この前の金曜日もそうだった。
カラオケスナックで、焼酎の水割りを飲み始めて2時間ほどが経った頃、目つきの座った智子が絡みだした。
「何か楽しい話してよ」
「何か楽しい話と言われても・・そんなの無茶振りだって。何か質問してくれたら、答えられるんだけど・・」
そして、会話の脈絡無く智子が切れはじめた。
「メールくらいできるでしょう?せめて、おはようメールと、おやすみメールだけでもしてって頼んでいるのに、どうしてできないのよ!」
「あなたは、忙しくてできないって言うけど、付き合い始めの頃は、あんなにも頻繁にメールくれていたのに・・どうして、以前にできていたものができなくなったのよ!」
智子の舌打ちが聞こえた。
また、始まった。
「だから、いつも言っているように、頑張ってメールしようとしてるんだけど、つい眠ってしまったり、朝にバタバタしたりして、メールできないときもあるって、仕方ないだろ」
光彦の声も次第に大きくなってきていた。
「私たちって、週に1度会ってるだけじゃない。それ以外は、ずっと放ったらかしてて・・ホワイトデーのお返しだって、まだもらっていないだけど!」
「買いに行く暇がなかったんだ。だいたい、ホワイトデーのお返しなんて必要ないと思うけど・・毎年、誕生日には旅行に行ってるよね。智子は当然のように思っているかもしれないけど、それって結構大変なことなんだけど・・そこは判ってくれないのかな?」
「私は、形が欲しいの!」
光彦は、2人の時間や思い出を大切にしたいというタイプなのだ。
だから、別れた子供たちへの養育費を支払いながらも、年に1度、智子の誕生日には、無理をしてでも一緒に旅行をして、かけがえのない時間を過ごすようにしていた。
「そうか、わかった、おまえは僕と一緒にいる時間よりも、物の方が大切だというんだよな、だったら誕生日に旅行に行くのは、もうやめる、物でいいんだろ、物で!」

智子は、物にこだわっている訳ではなかった。
付き合い始めの頃より、メールにしても、会話にしても、光彦から発信されるものが減っているのが寂しかった。
光彦は、付き合い始めた頃は、お互いの