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女不動産屋 柳本美土里

長澤という男、あの顔、どこかで会ったことがあるんだけど・・・
異業種交流会で自己紹介する男の顔を見て、河野は考えた。
年齢も同じということは、もしかして同級生?
はっきりとは思い出せないが、確かに見覚えがある。

「長澤さんって、希望小学校に通われていたことはありますか?」
思い切って尋ねてみた。
「いいえ、僕が通っていたのは、若葉小学校です。希望小学校の校区には住んだことはないですよ」
そう微笑みながら返す顔を見て、若葉小学校の名前を聞いて、河野は同級生だと確信した。
「若葉小学校ということは、中学校は、かがやき中学校ですよね?」
「ええ」
河野の質問に何かを感じ取ったのか、長澤は河野の顔を目で探った。
「長澤さん、僕もかがやき中学校なんです。たぶん、同級生だと思うんですよ」
そう言うと、長澤はさらに河野の顔を食い入るように見た。
「そう言えば、なんだか見覚えがあるような・・・先生の名前とか覚えてる?」
「1年のときは、春日っていう吃音症の先生だったな~」
「ええ!春日!春日っていうと・・・あの春日やな?」
長澤は、春日先生の話し方を真似た。
「そうそう、その春日」
「僕も1年のときの担任は春日やった。ということはクラスメートやったんや」
20年以上も昔のこととはいえ、お互いがクラスメートだとわかり、河野と長澤は急に親しみを覚え興奮した。

「で、河野くんは、どんな仕事してるん?」
「不動産の営業をしてるんや」
「そうなんや、実は去年に福岡にあった母方の実家を売ってな、そのお金で収益不動産を買いたいって思ってるんやけど、なんか良い物件ないか?」
「良い物件言うてもなぁ、予算はどれくらいなん?」
「そうやなぁ、1億5000万までやな」
「えっ!」
河野は声を発すると、にわかに次の言葉を捜した。
予算は、せいぜい5000万円ほどかと思っていた河野には、1億5000万円というのは不意を突かれた数字だった。
「実家の家って、結構な値段で売れたんやなぁ、かなり広かったんか?」
「うん、なんでも昔から福岡で酒造メーカーをしていたらしくて、建物は古いんやけど、土地は500坪以上あったみたいや」
1億5000万円もの予算なら、小さな1棟マンションやビルなら買えそうだ。
「よし、良い物件を探すから、ちょっと待ってて」
河野は、名刺入れに収めた長澤の名刺を、もう一度確かめた。

「社長、ビックリでしょう。中学時代の同級生と会って、収益物件の購入の相談を受けたんですよ」
「そうね、隣町の中学校なんだから、何かの拍子に再会することはあるかもしれないけど、いきなり不動産の話に繋がるのは珍しいわね、頑張ってね」
美土里は、まだ興奮冷めやらぬ河野に合わせた。
「河野さん、その同級生に営業を仕掛けたんですか?」
事務をしている万理が、河野をからかった。
「営業を仕掛けたなんて・・・普通に世間話をしていたら、向こうから収益物件を探して欲しいって言われたんや」
河野は口を尖らせた。
「それにしても、1億5000万円ものお金が転がり込んだって、羨ましいわ~。私にも、そんな祖先がいないかな~」
屈託のないにこやかな表情で、そんな独り言を言う万理を見て、美土里は視線を落とした。
万理は、住んでいたアパートが火事に遭い、その時に唯一の身寄りである祖父母を亡くしてしまった。
そのショックが原因なのか、それまでの記憶をなくしてしまった万理を、美土里は柳本不動産で引き取り、働かせることにしたのだ。
相続財産が転がり込んでくるなんていう夢のような話は、万理の素性を知る美土里の耳には辛すぎた。

「社長、これなんてどうですか?」
河野は、物件情報が映し出されたパソコンのディスプレイを、美土里の方に向けた。
「どれどれ・・・」
「そうね、なかなか良いんじゃない?この場所なら、将来的にも需要があるだろうし、収益性も悪くなさそうね。でも、現在貸し出されている賃料と、今の賃料相場を調べて、大きく開いていないかも確認しておくのよ」
「そうですね、今の借主が退去したあとで、大きく賃料を下げないと借り手がいないなんてことになったら、収益性が全く変わりますからね」
河野は、受話器を取り上げ、物件情報を出している売主側業者に電話をかけ、まだ売れていないことを確認すると、続けて賃料相場を調べた。
「今の賃料相場と比べても、そう変わらない金額で入居されているようですね。これなら紹介しても間違いなさそうですね」
河野は、この物件を含め4件の1棟売りのマンションとビルを長澤に紹介することにした。

「この表面利回り8%というのは、どういう意味なんや?」
「表面利回りというのは、物件の価格に対する売上の割合ということなんや。1億円の物件で年間の賃料収入が800万円やったら、800万円÷1億円で、表面利回り8%ってなるんや。でも、実際は、経費もかかるし、利益には所得税もかかるから、実際の手取りとしては、さらに低くはなってくるけど・・・」
長澤は、河野の説明を受けて腕組みをした。
「じゃあ、実際はどれくらい手元に残る計算なんや?」
「それは、どれだけ経費をかけるかによっても変わるし、今は満室やけど、空室が出たときには、その部屋からは賃料が入ってこないし、そもそも所得税は長澤くんが他にどれだけの所得があるかによっても違ってくるから、実際にいくらになるかは、判らないというのが本当のところなんや。でも、経費や空室を一定割合と仮定して所得税がかかる前の金額をシミュレーションしてみると・・・」
そう言って、河野はシミュレーションをした表を広げた。
「なるほど、なんとなく判ったわ。ところでプロから見て、この物件ってええんか?」
長澤は、河野を直視した。
「そうやな、将来的にも需要が下がり難いと思われるエリアやし、かなり良い方やと思う」
河野は、しっかりと長澤と視線を合わせた。
「そうか、河野くんがそう言うなら間違いないんやろ。じゃあ、それに決めよう」
一応、物件を見に行くことにし、問題がなければ話を進めることにした。

その物件は、ターミナル駅から徒歩5分のところにある。
1階がコンビニで、2階が事務所、3階より上が居住用となっているビルだ。
駅前から続く直線道路沿いにあり、それなりに人通りもある。
外壁の一部にはタイルが貼られ、そう遠くない過去に外壁塗装もしていると思われた。
「ええんちゃう?」
「そやな、悪くないな」
2人は頷き、購入申込をすることに決めた。

売主は、東京在住の女性だそうだ。
売買契約については、遠方ということもあり、売主と買主と、それぞれ別に行い、残金決済と引渡しを、2週間後にすることになった。
決済場所である銀行に現れたのは、40代と思われる女性。
大きなつばの付いた赤紫色の帽子を被り、薄紫色の花柄のワンピースの上からオフホワイトのガウンを纏っている。
すっと伸びた背筋に、自信を匂わせる笑顔は、いかにも余裕のある婦人といった様子だ。
1億5000万円もの物件を持っている40代の女性。
豊かな家のお嬢さんなのだろうか?それともビジネスでの成功者?
興味は尽きないが、質問をしても軽く受け流されそうな気がして、誰も触れようとはしなかった。
そんな中、司法書士の主導のもと、淡々と決済の手続きは進み、完了した。
「どうも、ありがとうございました」
笑顔と優雅なお辞儀を残して、売主の女性は帰っていった。
「あの女、何者なんやろ?」
「さて?判らんな~。売主側の仲介業者に聞いても詳しくは聞いてないみたいやったわ。単に財産を処分したいからって来たみたいで・・・お金持ちってことは間違いなさそうやけど・・・でも、ちゃんと登記名義の変更もできるみたいやし、引渡しも受けたんやから、何者でも問題ないんちゃうか?」
「まあ、そうやな」
謎は解明されなかったが、売主の素性が判らなくても大きな問題ではないだろうと、それぞれが自分を納得させた。

長澤から河野に電話が入ったのは、決済が完了した翌月のことだ。
「河野くん、税務署から税金を支払うようにとの書類が来たんやけど・・・」
「ああ、それって都道府県に支払う、不動産取得税のことやろ?購入の前に説明したやつ」
「いや、そうやないみたいなんや。源泉徴収税って書いてある」
源泉徴収税?なんでやろ?
「ゴメン、ちょっと判らへんから、FAXかメールで、その用紙を送ってもらうことはできる?」
「判った、すぐにメールで送るわ」
しばらくして、メールの受信箱に長澤からのメールが届いた。
売主が外国にいる非居住者なので、買主が売主から10.21%の税率で源泉徴収しなければならず、それを納付しなければならないというものだった。
「え~、売主が海外居住?で、源泉徴収って?」
河野の慌てている様子を見て、美土里は河野に近寄った。
「河野くん、どうしたの?」
「あの~、先日の1億5000万円のビルの取引の件なんですけど、売主が国内の非居住者なので買主が売主から源泉徴収をして、税金を納めないといけないって、これが・・・」
河野は、長澤から来たメールを表示させたモニターを指差した。
美土里は、画面を凝視した。
「河野くん、売主が非居住者だってこと知っていたの?」
「いえ、知りませんでした。本人確認書類の運転免許証は東京の住所になっていたし・・・」
美土里の顔が曇った。
「じゃあ、売主側業者は知っていた可能性はあるの?」
「どうでしょう・・・僕には、東京在住の売主って言っていましたから」
「すぐに売主業者に確認を取ってみて」
美土里の言葉に、すぐに河野は名刺入れを取り出し、売主側業者の担当者に電話をかけた。
担当者に事情を話すと驚いていた。
その様子からは、担当者も売主は東京在住だと信じていたようだ。
「でも、これって買主に納税の義務があるんですか?」
河野は、まだ釈然としないようだ。
「そうよ。所得税法で、日本の非居住者が日本国内にある土地建物などを売った場合で、買主等の居住用ではないのであれば、買主が売買代金から所得税などを源泉徴収して納めなければならないって決まっているのよ。今は10.21%の税率だったはずよ」
河野は、電卓を手にした。
「ということは、1億5000万円のうちの10.21%の1531万5,000円を預り、残りを売主に渡さないといけなかったということですか?」
「そういうことになるわね」
「え~、どうしたらいいんですか?」
「そうね、まずは売主の連絡先を突き止めて、売主から源泉徴収税分を支払ってもらわないといけないけど・・・すぐに連絡先が判るかしら?」
河野は首を傾げた。
「河野くん、お金ある?」
「財布の中に、3万円ほどなら・・・」
「何言っているのよ。万一のときには源泉徴収税分を立て替えて払わないといけないかもしれないのよ。1500万円ほど用立てることができるかって聞いてるの!」
「そんな大金、あるわけないですよ~」
河野は泣きそうな顔をした。

河野と美土里は、2人で長澤の下へ駆けつけた。
「そっか~、そういうことなんやな」
長澤はうなだれた。
「ということは、僕らはあの女に騙されたってことなんかな?」
「確かに、そういう可能性もありますが、売主さんもこのことを知らなかった可能性もあると思います。うちの河野でさえ知らなかったんですから」
美土里は河野を一瞥し、河野は小さくなった。
「もし、売主さんが知らなかったのならば、連絡先さえ取れれば、源泉徴収税分を支払ってもらえるんでしょうね?」
「そうですね、支払って貰わないと困りますね」
3人は苦い顔をした。
「税務署から追徴課税をされても嫌なので、とりあえず払っておくことにします」
そう言う長澤の顔の前に、美土里は手を広げて言った。
「いえ、今回の件は、うちのミスの可能性もあります。なんとかして売主を見つけ出して、支払ってもらうようにします。源泉徴収税の立替えは、うちでさせていただきます」
結局、柳本不動産と長澤で、源泉徴収税額の半分ずつを立替え、とりあえず税務署に支払うことにした。
「さて、河野くん。売主さんを何としてでも捜し出さないといけないわよ。でないと、河野くんの給料で弁償してもらうからね」
河野は天井を見上げ、大きく息を吐いた。

さて、どうやって捜そう?
まずは、あのビルの登記簿謄本の履歴を調べることにした。
それによると、売主は相続であの物件を自分のものにしたようだ。
その被相続人の住所だった家は静岡にあるようだ。
電話番号を調べ、電話をかけると、女性が電話口に出てきた。
「はい、叶です」
事情を話すと、その売主の女性は従兄妹だということ、イタリアへ移住して2年ほど経つようだが、あまり付き合いはないらしく、イタリアの住所や連絡先までは知らないということだった。
先月に、決済のために日本に帰ってきたときも、連絡さえなかったようだ。
「イタリアね~。それで、それ以上は判らないのよね。う~ん、困ったわね~」
なんとか手がかりを得ることはできないのかと、思案していたところに、売主の従兄妹から電話が入った。
「あの~、お役に立てるかどうか判りませんが、今年のお正月に送られてきた年賀状があるんです」
年賀状には、家の近くのショッピングセンターで撮ったという本人の画像と、ホテルのアドレスがあるようだ。
何かの参考になるかもしれないと、年賀状をスマホで撮影しメールで送ってもらうことにした。

30分ほど経ってメールが届いた。
エアメールの葉書には、過去に滞在していたホテルと、そのアドレスや電話番号が記載されていた。
しかし、ホテルに訊ねたとしても、ホテルがゲストの情報を教えてくれるはずもなく、そうした情報は、あまり役に立たないように思えた。

「あれ?この人」
年賀状の画像を見て、そう声を上げたのは、事務をしている万理だった。
河野と美土里は、一斉に万理の方を向いた。
「この人を知ってるの?」
「ええ、この人、見たことがありますよ」
万理は決済に同行していないので、売主と会っているはずはない。
「どこで見たん?」
万理は目を瞑り、必死に思い出そうとしていた。
「たしか、雑誌で見たような気が・・・」
そう言いながら、万理はデスクの横にある段ボール箱に放り込んだ雑誌を引っ張り出し、パラパラと捲った。
「あった~!」
万理の開いたページには、たしかに売主の、あの女性の写真が載っており、名前も一致した。
最近人気が出てきた、バッグのデザイナーらしい。
「河野くん、ここにバッグのメーカー名も出ているわよ。メーカーに連絡すれば、この人の連絡先が判るんじゃないかしら?」
河野は、早速、バッグメーカーに電話をした。
売主の女性は、このバッグメーカーの専属デザイナーであり、今は東京に戻ってきているそうだ。
しかし、それ以上のことは、個人情報ということで教えてもらえず、本人から連絡をさせるという。
仕方がないので、河野たちは待つことにした。

電話が鳴るたびに、売主からの電話かと勢い込むが、どれもこれも空振りだった。
それから2日目の昼に、電話が入った。
「お電話をいただいていたようで、どういったご用件でしょうか?」
非居住者なので、買主が源泉徴収をしないといけないこと、しかし決済時に源泉徴収税額を預っていないこと、そして取りあえず立替えて支払っていることを話した。
「そうだったんですか。そうとは知らずに、ご迷惑をお掛けしました。お手数ですが、立替えて納税いただいた領収書があれば、FAXでお送りいただきたいのですが・・・確認いたしましたら、お振込させていただきます」
良かった。
売主も知らなかっただけだったんだ。
河野はFAXを送り、翌日に美土里が着金を確認し、長澤の立替え分を長澤の口座へ振込した。

「河野くん、良かったわね。お給料から支払いすることにならなくて」
美土里は笑った。
「はい、助かりました」
河野は、頭をかいた。
美土里は、笑顔を急に引き締めた。
「でもね、河野くん。今回は売主さんが見つかって、売主さんも単に知らなかっただけで、ちゃんと支払ってもらえたから良かったけどね。でも、もし悪意のある売主で、非居住者ということを隠して取引をした場合、逃げられていたかもしれないのよ。そうしたら、買主さんに大きな迷惑を掛けることにもなるし、騙されたのは仲介業者の責任だと訴えられて、うちも負担しないといけなくなる危険性もあったのよ。そこのところ、よく覚えておいて、二度とこんなことにならないようにね」
河野は、深く肯いた。
「それと、今回も万理ちゃんの手柄で売主の素性が判って、連絡が取れたんだから、万理ちゃんに、しっかりとお礼するのよ」
美土里は万理に向けてウインクした。
「やった~!じゃあ、このバッグ買ってもらおうかな~」
万理はあの売主がデザインしたバッグを指差した。
河野は渋い顔で下唇を突き出しながら、しぶしぶ了解せざるを得なかった。
「これからは、1億円以下の自分の居住用物件を除いては、売主さんから非居住者でないという確認書でも取らないといけないわね」
不動産取引は大きな金額を取り扱い、それにかかる税金も大きなものになる。
美土里は、無事に解決してホッとした気持ちとともに、さらに取引には注意をしないといけないと気持ちを引き締めた。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。