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女不動産屋 柳本美土里

去年の年末に、息子の智紀が家族と共に実家に帰省し、仕事始めに間に合うようにまた東京へ戻っていった。
今年の春に小学生となる孫のみるくは、一段と女の子らしくなり、母親の美由紀にねだって髪の毛を編んでもらって上機嫌だった。
子どもの成長というのは、こんなに早いものだろうか? 4歳になった弟の流星は、半年前にはまだ言葉数も少なかったものが、なんと、片言にも挨拶ができるようになっていた。
その様子を眺めている私たちは、他の人から見ると、きっとだらしなく緩んだ顔になっていたに違いない。

それにしても、子どものスピード感についていくのは本当に疲れるが、彼らが去った後に夫婦ふたりの家庭に戻って、どこかしらホッとする気持ちがあるのも事実だが、数日経つとまた、みるくと流星に会いたくなってしまう。
家の中が広く感じられ、夜になってもテレビからの音ばかりが耳につく有様は、まるで嵐が去ったあとに、僅かに吹く風と埃だけが目立つ大地のように思える。

できれば、もう少し頻繁に実家へ帰ってきて欲しいのだが、智紀も30代半ば、勤め先である電機メーカーでの課長補佐という立場では、そう簡単に平日の休みを取ることもできないらしく、住宅ローン返済の足しにとパートを始めた嫁と同じ日程で休めるのは、盆と正月くらいなのだそうだ。

今年小学校にあがる、みるくたちが、自分たちに可愛い顔を見せてくれるのは、一体いつまでなのだろうか?
まさか中学生になったとたんに、年寄りには寄り付かなくなるということもないだろうが、高校生にもなると、親や祖父母よりも友人たちとの時間を大切にするようになるのかと思うと寂しくなってくる。
高校生になるまで、あと9年。
彼らが子どもである時間の、なんと短いことか。
盆と正月の年に2回、このペースでしか会えないとしたら、なんと、あと18回しか孫との時間を過ごすことができないのだ。

こんなに愛しい孫との時間を、なんとかしてもっと増やすことができないだろうか?
バスの運転手として、決められた路線を毎日飽きることなく走り、勤めあげた人生。
リタイア後の余生を、自分たちの好き勝手に生きてもいいんじゃないかと思う。
「お父さんたちが、旅行がてらに東京へ行けばいいんじゃない?」
智紀の妹である娘のひかりはそう言うのだが、特に大した理由もなく、彼らの元に頻繁に行くことは、智紀たちに迷惑がかかるんじゃないかと気がひけるのだ。
もし、智紀の家の近くにセカンドハウスを持つことができれば、長期にわたって暮らし、日常的に孫と会うこともできるのだが・・・
「そんなお金がどこにあるんですか?僅かな年金で暮らしているんですよ。貯金は何かあった時のために置いているんですから、そんなことに使うなんてできませんよ」
きっぱりと妻に言い切られてしまった。

「それなら、いっそのこと、家を売って東京に2世帯住宅を建てるか」
深い考えもなく、そんなことを口にすると、いつも妻から怒られる。
「お父さん、そんなことばっかり言って・・・家を売ったとしても、この古家が東京で家を建てるだけの金額で売れる訳ないじゃないですか。もし、それなりの金額で売れたとしても、智紀も去年マンションを買ったばかりなのに、その部屋はどうするんですか?」

そう言われて言葉に詰まったので
「じゃあ、おまえは孫たちに会いたいとは思わないのか?」
と、むきになって反論してみた。
「そりゃ、あの子達との時間は輝いているし、いつまでも抱きしめていたいと思うくらいですよ。でも、智紀の家族とずっと一緒に暮らすとなると、何かとぎくしゃくすることも出てくるかもしれませんよ」
智紀の家族というのは、暗に嫁の美由紀のことを指しているのだろう。
そう言えば、正月の雑煮を作るときに、嫁と姑との意見の違いから、僅かな緊張が走ったことを思い出した。
なるほど、2世帯住宅は選択肢から外した方が無難かもしれないな。

「それなら、2世帯住宅は無理でも、家を売って、智紀の家の近くに買い替えることはできるんじゃないか?」
「あなた、そんなことを仰るけど、ひかりのことはどう考えているんですか?家を売ったら、ひかりの住むところがなくなっちゃうじゃないですか」
確かに妻の言うとおりだ。
この家には、独身OLをしている娘の部屋がある。
結婚をして出て行ってくれればいいのだが、それは無理強いできる話でもない。
そして、30歳になったひかりは、まだ結婚するような素振りもないのだった。

「お疲れさま、やっと帰ってきたね」
子どもを連れての長旅は、やっぱり疲れる。
新幹線の中では、みるくと流星がお祖父ちゃんからもらったおもちゃの取り合いをして、最後には流星が泣き出すわ、「お姉ちゃんだから我慢しなさい」とママに注意された、みるくも泣き出すわで、親の立場として他の乗客の目が気になり、たいそう神経をすり減らした。
「今度からは車にしよっか?」
妻の美由紀はそう言うが、それはそれで、途方もない渋滞の中、誰が運転をするというのだ。
僕は曖昧な返事を返した。
盆と正月の里帰り。
父母が孫のみるくや流星を手放しで可愛がってくれているのは、手に取るようにわかる。
特に、僕ら兄妹には結構厳しかったあの父が、あんなにまなじりを下げて孫と遊ぶ姿を見ると別人のようだ。
そんな両親に孫の成長を見せてあげるのは、自分ができる数少ない親孝行だろう。
そして、子どもたちには祖父母を大切にするという心を持ってもらうためにも、時折、実家に行く必要があるとは思うのだが・・・

「この家を売って、2世帯住宅っていうのは、お前はどう思う?」
先日、女たちの目を盗んで、父がこっそり訊ねてきた。
本気でそんなことを考えているのだろうか?
たしかに、2世帯住宅になれば、父母にとっては毎日孫との時間を持てるし、パートに時間を取られ、忙しくしている妻の家事や育児を母も手伝ってくれるだろう。
でも、いくら家事や育児が楽になるからといっても、妻の美由紀はきっと反対する。
前回実家へ帰ったときも、床に就く前に、美由紀は母に対しての愚痴を言っていたのだ。
「料理を手伝っているときに、私の実家の味付けとの違いを、ちょっと口にしただけなのに、お義母さんたら頭から否定して怒るのよ。この家には、この家の味があるんだって」
「そんなこと言われなくてもわかってるわよ。私は自分の実家の味付けにしたいって言っているんじゃなくて、こういうのもありますよって、例え話で言っただけなのに・・・」
と口を尖らせていた。
もし、妻と母が四六時中、同じ屋根の下にいるようになると、もっと摩擦は増えるだろう。
想像するだけで胃が軋むような気がしてきた。
あのとき、2世帯住宅の案に真っ向から反対はしなかったが、それはまず無理な話だろうな。

「ママ、なんだか熱いの・・・」
いつになく、箸が進んでいない娘のみるくが、そう言い出した。
「ほんと、この子ったら顔が真っ赤だわ」
妻が手のひらを、みるくの額に当てた。
「やだ、すごい熱!パパちょっと体温計取って」
体温計って、確か本棚の横の小物入れの箱に入っていたはずだ。
慌てて、体温計を取り出し嫁に渡すと、そばにあったウェットティッシュで体温計を拭き、みるくの口にくわえさせた。
「ピピッ」
計測終了の音が鳴ると、その動作の速さを競っているような勢いで、妻はみるくの口から体温計を引っ張り出した。
「わ~、40度超えてるわ。インフルエンザかしら?」
そういえば最近、娘が通う幼稚園でインフルエンザが流行りだしたらしい。
「ともかく、僕が救急医療センターへ連れて行くから、お前たちは家にいなさい」
智紀は、みるくを車に乗せて病院へと急いだ。

「やっぱりインフルエンザだって。家族もうつらないに用心してくださいって」
「じゃあ、明日のパートは休まないといけないわね」
美由紀は少し困ったような顔をして、僕の顔を見た。
「もしかして、あなたが会社を休んでくれるなんてことは、できないわよね~」
えっ?僕が会社を休んで、妻がパートに行くっていうのか?
「このところ、3月末までの納品に追われてて、とっても忙しいのよ。子どもがインフルエンザだから休みたいなんて言い出しにくくって・・・」
おいおい、こっちも3月決算に向けて、社内全体が目くじらを立てて走り回っている状態なのだ。
そんなパートなんて辞めてしまえ!
なんて、家計を助けるために頑張ってくれている妻に言うこともできず、返事を探していると、それを察した妻が折れた。
「しかたないわね、じゃあ、会社に電話してみるわ」
娘がインフルエンザになってしまったために、休みが数日にわたるかもしれないことを伝え、妻は電話を置くと、小さく息を吐いた。
そして、「お母さんが元気だったら、来てもらえるのにな」と呟いた。

美由紀の父親は早くに亡くなり、母親は、ここから車で1時間ほどのところにある高齢者住宅に住んでいる。
時々、膝が痛むらしく、遠くまで歩いたりすることができないようだ。
その上、最近では腰痛も出ているようで、酷いときには、車椅子での移動を余儀なくされているらしい。
まだまだ元気な、うちの田舎の母なら、喜んでみるくの看病をしてくれそうだが、この数日のために田舎から呼び出すことはできない。
勝手な話かもしれないが、一緒に住むのは無理でも、せめて近くに住んでいてくれれば助かるのに。
そんなことを考えながら、薬が効いてきたのか、赤い顔のまま眠ってしまった娘を眺めた。

「お前、結婚を考えている相手とかは、いないんか?結婚とまではいかなくても同棲しようと思う相手とか」
「何よ、お父さん突然に。普通、娘に彼氏ができたっていうと、心配したり怒ったりっていうのが世間の一般的なお父さんじゃないの?それをいきなり、大切な娘を誰かに押し付けるような言い方をして・・・」
「そんなことを心配するのは、娘がもっと若い頃の話だろう。もう30歳も過ぎて、そんな男の1人もいない方が心配だ」
驚いた。
普段は、そういうことを全く口にしない父が、唐突にそんな話をするのは、どうしてなのだろう?
もしかして、たちの悪い病気でも抱えていて、先行きが怪しいとか?
「どうしたの、お父さん、何かあったの?」ひかりは、心配になった。
すると父は、孫が大きくなるまでの間は、近くにいて成長を見守り、一緒の時間を持ちたいという気持ち、そのためには家を買い替えようかとも考えていること、そうなると私の住むところがなくなることなど、ちょっと正直すぎるくらいに気持ちを話してくれた。

そうか、私が家にいることで、お父さんたちの生活に制限をかけているのなら、それはちょっと申し訳ない。
実家で暮らしていると楽だけれど、独り暮らしにもちょっと憧れるし、家を出てもいいか。
でも、今のお給料だけじゃあ、家賃を支払うのはかなりきついのが現実だ。
年金暮らしの親から援助を受けるのも無理だろうな~。

サロンで、ネイルをしてもらっている間にひかりが話した内容を聞いて、ネイリストのお姉さんが言った。
「なかなか難しそうな話よね。でも、もし家を売ったお金で、お兄さんの家の近くにお父さんたちの家と、この辺りでひかりちゃんの部屋が買えるとしたら解決するわよね」
「え~、そんなの無理無理!うちのボロ家が、そんな金額で売れる訳ないわよ」
ひかりは、手のひらを顔の前で、ヒラヒラと振った。
「そうかしら、私にはよくわからないけど、友達で不動産屋さんをしている人がいるから、相談してみたら?売った場合の金額とかも査定してくれると思うわ。紹介してあげるわよ」
せっかくなので、ダメもとでひかりは両親を連れて相談に行くことにした。

「そう、それでうちに来てくれたんですね、ありがとうございます」
柳本美土里という、向かいに座る女性は、不動産屋さんというよりも、どこかのブティックの店長の方が似合いそうな雰囲気の人だ。
それが、ちょっと古めかしい、この不動産屋さんの社長だというので、またまたビックリした。
「お話は承知しました。とりあえず売却査定させていただきますね」
女性社長は、すぐに応接テーブルに置いてあるタブレットを開き、そこに現れた数字をメモすると、計算を始めた。
「そうですね、簡易査定ですけれど、ご自宅は、だいたい3000万円ほどで売却できると思われます」
「中古のマンションでも良いんですが、3000万円で東京とこちらに部屋を買うことはできるんでしょうか?」
「そうですね~、東京といっても広いし、場所や広さ、築年数によって値段も大きく違いますけど、お兄様が住まれているエリアでしたら、2LDKの中古マンションで築20年くらいのものなら1800万円くらいでありますね。ご実家の、この辺りなら1000万円くらいです」
「だったら、自宅を売って、2つマンションを買える訳ですね」
父は身を乗り出した。
「ええ、そうなります。でも、本当にご実家を手放しても良いって思われているんでしょうか?」
「どういうことですか?」
「お話を伺うと、今はお孫さんとの時間を大切にしたいと思われているようですが、お孫さんたちが大きくなってしまうと、家族以外の友達とかのお付き合いの方を優先してしまうじゃないですか。そうなると、慣れ親しんだこちらの土地に戻りたいとか、思うようになったりはしませんか?それに、先祖代々のお墓も、こちらにあるんでしょう?」
美土里の言う通りかもしれない。
父母は、顔を見合わせ首を傾げた。

今は、孫可愛さに東京へ行くとしても、住んでみないと、父たちが東京の水が合うかどうかも判らない。
こちらに戻ってきたいと思っても後の祭り、戻るべき家はなくなっているのだ。
「じゃあ、もしそうだとしたら、どうしたら・・・」
「リバースモーゲージって聞かれたことは、ないですか?」
「リバースモーゲージ?」
テレビで耳にしたような気がするが・・・
「リバースモーゲージというのは、ご自宅を担保に金融機関から融資を受ける、主にシニア向けの融資商品なんです。一般的な住宅ローンなどと異なり返済は利息のみで、元金は亡くなられた後で、自宅を売却して返済するという仕組になってるんです」
「金融機関によって融資したお金の使い道などが決められたりしていますが、住み替え費用に充てても大丈夫なリバースモーゲージを利用すれば、ご自宅は売却せずに融資を受けることができ、そのお金でマンションを購入することも可能となります」
「それって、どれくらい借りられて、支払いはどのくらいになるんですか?」
「そうですね、リバースモーゲージの場合は、担保評価額の50%から80%の融資と言われています。仮に3000万円のご自宅の60%融資とすれば、1800万円の借入が可能となり、金利が3%だとすれば、年間返済が54万円、月々45,000円となりますね」

月々45,000円ほどなら、年金暮らしでも支払っていける。
これなら、自宅を売却せずに東京でマンションが買うことができるから、いつでもこちらに帰ってこられるし、ひかりも今のまま、あの家に暮らすことができる。
リバースモーゲージって、良いかもしれない。

「ただ、リバースモーゲージを利用されるには、いくつか注意が必要です」
「亡くなられた後には、ご自宅の売却が前提となりますので、お子様たちに家を残すことはできません。そのため、借入にあたって相続人の同意が必要となることもあります」
「また、金利は変動金利ですので、支払額が変動すること。不動産の価値、つまり担保評価が下がると返済を求められるケースもあります」
「それと、ご夫婦以外のお子様とは同居できないんです。なので、ひかりさんには一旦家を出て行ってもらってから融資を受けないといけないし、将来的にもご実家での子どもとの同居はできないんです」
さて、どうする?
ひかりと父母は顔を見合わせた。

沈黙の中、最初に口を開いたのは母だ。
「そうね、とりあえずは、ひかりに家を出て行ってもらって、多少のリスクはあっても、リバースモーゲージを利用してマンションを買えばいいんじゃないですか。支払いが苦しくなったら、家かマンションの売却をして一括返済もできるのでしょう?」
美土里は頷いた。
「もし、こちらに戻ってこようと思うなら、東京で買ったマンションを売ればいいんだし、向こうが気に入ったなら、こちらの家を売って一括返済をすれば済む話だし」
「でも、ひかりに出て行ってもらうといっても、いつまでも家賃を出してやることはできないぞ」
父は娘の方に顎を向けた。
それに対し、母が落ち着き払って言った。
「まあ、ひかりが独り暮らしするのも、そんなに長い間じゃないでしょ。ね、ひかり」
母が微笑みながら娘に目配せをした。
「うん、まあ、多分・・・」
それって、どういうことだ?
「もしかして、お前・・・!」
僅かに焦った様子で父が尋ねると、ひかりは恥ずかしそうに頷いた。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。