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女不動産屋 柳本美土里

NHKが不動産バブルの行方についての特番を放送し、銀行の不動産融資額が制限される、いわゆる総量規制がなされると、沸騰していたお湯に氷を投げ込んだように、土地価格が一気に下がった。
道路舗装の会社を35歳で興した父は、堅実に業績を伸ばしていた。バブル時代に銀行の勧めに乗って、他の土木や建築業者が不動産を転売するのを横目で見ながらも、決して不動産を買わなかったのは先見の明があったのか、はたまた度胸がなかったのか、今となっては知る由もない。

そんな父がマンションの1室を購入したのは、バブルが弾けた後の平成4年のことだった。
2年の浪人生活を経て東京の大学に合格した息子の住む場所を確保するために購入したのだ。
不動産価格の高騰は賃貸物件の賃料も引き上げており、田舎から出てきた父にとって、当時の東京の学生向けマンションの賃料は、驚くほど高い金額に映ったようだ。
家賃として捨てるくらいならと、代金の半分を現金で、残り半分の金額を銀行から借りてマンションを購入することにしたのだ。

父の購入した都内のマンションから学校へ通う僕は、友人たちからブルジョアのように扱われたものの、父から提供されたのは部屋と学費のみ。
食費や交際費などは自分で稼がねばならず、学生時代はアルバイトを欠かすことはできなかったものだ。
息子を甘やかさない手法としては、父はなかなかの策士であり、今は僕の息子への教育方針として受け継がれている。

今から思えば、当時50歳になっていた父が、大学に4年間通う息子のためだけにマンションを買ったのは、他人の不動産に賃料を払うのが嫌だったという理由だけではないだろう。
息子が卒業した後に、収益物件として、将来の年金代わりとしての収入のひとつと考えていたからなのかもしれない。
事実その後、大阪と名古屋に1軒ずつマンションを買い足し、65歳でリタイヤしてからは、年金と3軒のマンションからの賃料収入で暮らしていたのだから。

「そうですか。それで今回、大阪のマンションを売却しようと思われたのはどうしてですか?」
山根誠史の話にじっと耳を傾けていた河野は口を開いた。
「ええ、昨年に父が他界してから、3軒のマンションは僕が相続したのですが、先日、大阪のマンションの入居者が退居したんです。大阪と言っても郊外にある大学の、学生の入居を当て込んだマンションです。これからは子どもの数も減ってくると聞きますし、このまま次の募集をしても、将来的に大丈夫かなと思いまして・・・」
山根は、河野がどのような考えを述べるのだろうか?と身を乗り出して、河野の返事を待った。

「そうですね、山根さんが言われるように、子どもの数は減ってきていますので、将来的には学生の数も減ると思います。そうなると、大学は経営が立ち行かなくなるから、特色を打ち出すか、留学生を集めるかなどして、経営努力することになると思います。あるいは、大学によっては閉鎖されることもあるかもしれませんね。山根さんの所有されているマンションの近くにある大学が、将来どうなるかはわかりませんが、そうしたリスクが待ち受けているのであれば、よりリスクの少ないエリアや物件にシフトする方がいいのだろうと思います」
河野は器用に指を支点にしてボールペンを回転させた。

「シフトすると言いますと、買い替えっていうことですか?」
「ええ、そうですね」
不動産会社の営業だから、また買うことを薦めるのだろう。
「売却だけをして、そのお金を他の投資にシフトするっていうことはダメですか?」
河野は山根の質問に、2度首を縦に振った。
「いえ、それもありですよ」
「他に有望な投資先があるのでしたら、そちらに投資されるのもいいと思います。株式や債券や投資系の保険、金やFX、今では仮想通貨や海外預金、海外不動産投資など、いろいろありますよね」
即座に反論されるかと思ったが、意外な返答だった。

「でも、いい投資先ってあります?」
山根は少し首を傾げ、河野は話を続けた。
「山根さんところはどうかわかりませんが、日本人の資産は諸外国に比べて預金や現金が多くて、投資をされている方は少ないようです。ご存知のとおり、銀行預金の金利はほとんどつかず、預金や現金だけでは、物価が上昇すると目減りしていくことになります。そのためにも一定割合の投資をすることが必要だと思われます」
「いわゆる資産3分法というもので、資産の3分の1を現金、3分の1を株や有価証券、そして3分の1を不動産に投資するのがいいと言われているんですが、まだまだ不動産投資をされている人の割合は、少ないように思います」
「発展途上国での預金金利などは非常に金利の高いものがありますよね。でも、為替リスクや政治的なリスクも大きいと思いますよ。海外の不動産投資でもそうですよね。発展途上国の場合、発展後の値上がりが魅力的ですが、やっぱり為替リスクと政治的リスクがつきものです。ハイリスクハイリターンを求めるのも悪くはないと思いますが、資産のうちの一部にするべきではないでしょうか?」

「国内不動産の場合は、それらに比べたらリスクは少ないと思います。もちろん不動産投資ですのでリスクはあります。これから人口減少になっていくといわれる日本ですから、エリアや物件によっては、借り手がつかない物件になってしまう可能性もあります。でも将来にわたっても需要が見込まれる場所や、他との差別化をすれば、そんなに危険はないと思います」
河野は自信ありげに胸を張った。
「じゃあ、売却ができれば、そういった物件をご紹介いただけますか?」
「ええ、承知しました。まずは頑張って少しでも高い値段で売れるように努力します」
河野は笑顔で売却依頼の書類をテーブルの上に置いた。

「河野君、お疲れ様」
柳本美土里は、自分と河野のコーヒーカップを持って、河野のそばにやってきた。
柳本不動産には、2代目社長である柳本美土里と、営業社員の河野がいる。
社長の美土里は、東京の銀行で働いていたのだが、先代である父の体調が思わしくなくなり、関西へ戻って柳本不動産を継いだ。
容姿において170センチは超えるであろう長身と整った顔立ちの美土里は、ファッションモデルと見間違うほどだったが、誰に対してもはっきりと物を言う性格と、頭の回転の速さで、少なからず敵を作ることにもなっている。
ただしお客様に対しては、豊富な知識と柔軟な対応、なによりもお客様の立場をよく理解して業務を行うことで、絶大な人気がある。
そんな美土里が、ある取引で知り合ったのが、営業の河野だ。
取引先の不動産業者の営業だった河野が、お客様のことを全く考えない会社の強引なやり方に嫌気がさしているところに、その誠実さを認めた美土里が河野をリクルートしたのだ。

「さっき、山根さんとのやりとりを聞かせてもらったけど、その物件って売れるあてはあるの?」
「今回、売却しようとされている物件は、駅からバスでしか行けないエリアにある大学の近くの分譲マンションなんです。その分譲マンションは、購入して自分で住んでいる人が半分、収益物件として貸し出しているのが半分という感じです。なので、まずは収益物件として持っている所有者に買い増しをアプローチしようかと思っているんです。それから、あの周辺には賃貸のハイツが結構あって、単身もしくは夫婦2人で住まわれているケースが多いようなので、そうした賃貸居住者に勧めてみようかと思います」
美土里は何事かを考えているように、顎に手をやった。
「でも、さっき河野くん、収益物件は将来的にも需要が見込まれるエリアがいいって言ってなかった?そのエリアって今後も需要が見込まれるエリアなの?だったら、山根さんも売る必要はないんじゃないの?」
美土里は少し意地悪な質問を投げかけた。
「えっ!ええっと・・・それはですね・・・」
顔を真っ赤にした河野が動揺しているのが手に取るようにわかる。
「駅から遠いエリアなので、将来的には需要が減っていくと思います。それでも、それはここ5年やそこらの話ではないと思うのです。あのエリアには、さらに奥にある工業団地へ勤めている人の多くが住んでおられます。大学だけが需要の元ではありません。だから、将来的に需要が減っていくとしても、10年や15年くらいのスパンで収益を考える人には、そう悪くないんじゃないでしょうか?山根さんの場合は、現在45歳ですし、もっと長期での不動産投資をされる方がいいと考えます。なので、もっと先まで需要のありそうな物件の方がいいと思います」
しどろもどろになりながらも、河野は自分の考えを披露した。

「そう、河野くんがそう考えているのなら任せるわ。でも山根さんがそのマンションを売ろうとしている本当の理由を、しっかりと聞けている?そこを把握しておかないと、思ったようにはいかなくなるわよ」
河野は神妙に美土里の言葉を聞いた。
「はい、わかりました。もう少し、山根さんの気持ちを聞いてみます」

「すみません、わざわざご足労いただきまして」
河野は、マンションの売却状況の報告のために、山根の自宅にやってきた。
駅から徒歩10分のところにある住宅街だった。
敷地は駐車場が1台分、4LDKの間取りは、郊外にあるような大きな邸宅ではないが、お子さんが成長して家を後にし、夫婦2人で暮らすには十分過ぎるものだ。
案内されたリビングでは、カウンターキッチンの向こうで、奥様がお茶の準備をしていた。
「いらっしゃいませ。狭いところですけど、どうぞゆっくりしてください」
奥様が持って来てくれたティーカップを脇に寄せ、業務報告書を開いた。
「実は、同じマンションの部屋を収益目的で持たれている方にダイレクトメールをさせていただいたところ、ご興味を持たれたみたいで、近いうちに内覧をさせていただく話になっているんです」
「そうですか、それは良かった」
早い見込み客の現れに、山根は少し驚いたような顔をしたが、柔らかな微笑を見せた。
「先日、売却した後にさらに将来性のある物件への買い替えをご提案させていただきました。立ち入ったことをお伺いしますけれど、今回マンションを売却されて、その売却代金を何かに使おうというようなお考えがあるのでしょうか?」

河野の言葉を聞くと、山根と奥様が視線を交わした。
「父が他界してからは、母が独りで暮らしているんです。それで、母をこちらへ呼び寄せようと思ってまして・・・。子どもたちも独立して空いた部屋があるから、そこを母さんの部屋にしたら?って母に打診してみたんですけど、あんな狭い部屋は嫌だって言うんですよ。母なりに一緒に住むことに気兼ねしているのかもしれないんですけど、僕たちとしては、母が独りで暮らしていて、万一倒れるなんてことの方が心配で。なので、母が住みやすいようにこの家を改築して、文句を言わせないようにして呼び寄せようと思っているんですよ。実はその改築資金にするためにも、あのマンションを売ろうと思ってるんです」
山根は、河野に申し訳なさそうに顔を歪めた。

「そうだったんですか、それなら買い替えという提案は的外れですよね」
山根は黙った。
「でも、河野さんが一生懸命に提案してくださっているので、頭から断ることができなくて・・・」
「いえ、山根さんのせいじゃないです。僕が山根さんの事情もお聞きせずに、勝手に勧めようとしただけですから」
河野はテーブルに両手をついた。
「承知しました。いずれにせよ、マンションの売却を頑張っていきます。次に内覧をさせていただくお客様に気に入ってもらえるといいですね」
河野は山根宅を後にした。

「どうだった?」
事務所に戻ってきた河野に、美土里は声を掛けた。
「ええ、社長の言われたとおり、山根さんはマンションの売却代金をご自宅の改築に使おうと思っておられたようです」
河野はうなだれた。
「やっぱりね、先日、山根さんと話をしているときのことだけど、河野君が不動産投資の話を始めたとき、山根さんの反応が少し遅れたのよ。だから、これって山根さんにとって思ってもみない話で、その上、乗り気ではないのかな?って感じたから」
「そうなんですか・・・僕は全く気付きませんでした」
「お客様はね、全て本当のことを話してくれるとは限らないのよ。特にプライベートなことはね。お客様と人間関係ができてくると話をしてくれる場合もあるけど、それでも言い難いこともあるものだと思っておくくらいが丁度いいわ。そうして、お客様の反応を見ていると、心の動きがわかってくるし、言い難いことも、さりげなく聞き出せるようにもなれると思うの」
「そんなものですか・・・これからは心がけて話をするようにしてみます」
「そうね、頑張ってね。お客様の思っていることがわかるようになれば、売上ももっと上がるようになるわよ」
美土里は、ニッコリと微笑んだ。

僅かな値段交渉はあったものの、山根が相続して所有するマンションは、大家業をされている投資家の方が購入されることになった。
そして、山根の家は柳本不動産の紹介の工務店により、改築工事を行うことになった。

それから数ヶ月経った頃、河野宛に山根から電話が入った。
「河野さん、ご無沙汰しています。マンションの売却の件ではお世話になりました」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました。ところで、今日はどうされたんですか?」
売却についてはスムーズに完了したし、仲介を行った後に売主さんから連絡があるのは、不動産を売却すると税務署から届く調査書類のことか、税金の申告の話くらいだろう。
しかし、それらの話は既にさせていただいたはずだが・・・
山根の話では、母親との同居が叶い、母親が住んでいた実家が空家となったので売却をしたいというものだった。
「そうですか、それは良かったですね。ご実家のご売却ですね、ありがとうございます、承知しました」
河野は、山根の実家の場所を聞き、現地で会える日時の調整を行った。

山根の実家は、郊外の一戸建てで、平成元年に開発された住宅街にある。
敷地面積の最低限度が決められていて、大きな邸宅が並ぶ街並みだ。
そのなかでも、山根の実家は販売区画の2区画を敷地として建てられたらしい。
「すごく大きいですね~」
現地に着いた河野の第一声だった。
100坪近い敷地面積のなかに、延床面積60坪ほどの和風の邸宅は、不動産仲介の仕事をしている河野でも、滅多に見ない大きさだった。
「そうですよね、こんなに広い家に住んでいる母からしたら、僕の家なんて狭苦しく感じるのは当然かもしれませんね」
「それじゃあ、山根さんのご自宅はどういうふうに改築されたんですか?」
「最近、母は脚が少し弱ってきたようなので、母の部屋は1階にする必要があったんです。でも1階にはキッチンや浴室などの水まわりと6畳のリビングに続く和室くらいしかなかったので、増築をして和室を12畳に広げ、ウォークインクローゼットを付けたんです」
「なるほど、それならお母様も満足されたんじゃないですか?」
「そう思うでしょ、それでも母は不満だったようです」
「え~、そうなんですか!?」
河野はのけぞった。
「でも、今では慣れたようで、これくらいが丁度いいわね、なんて言ってますが」
そう言って、山根は苦笑いをした。
実のところは、お母さんは息子夫婦の厄介にならないようにしようと思っていたようだ。
それでも、大きな費用をかけて家を改築してまで自分を受け入れようとしている息子夫婦の気持ちに、最終的には応えたということなのだろう。

山根の実家は大きすぎるため、中古戸建としては高額になってしまい、なかなか買い手は現れなかった。
「河野さん、どうですか?売却の目処はありませんか?」
「そうですね~、査定のときにもお話させていただいたように、なかなか大きなお屋敷なので、少人数の家族では、広さも価格も合わないように思います。立派な建物なので、勿体ないですが、建物を解体撤去して、土地を分割して販売するか、建売住宅を建てて販売するような分譲会社をターゲットにした方がいいかと思います」
「ただ、そうなると建物の解体撤去費用や測量分筆費用などがかかるため、最初の査定のときもお話したように、業者としては今よりも30%くらい低い金額でないと購入は難しいでしょうね」
山根はゆっくりと首を縦に数度振り、値段を下げての売却活動を承諾した。

値段を下げターゲットを変えた途端に、建売業者から購入の申込が入り、それから1ヶ月足らずで山根の実家の売却は完了した。
「河野さん、ありがとうございました。値段を下げてからは展開が早かったですね。あれから1ヶ月で引渡しになるなんて思ってもみませんでした」
「そうですね、決まるとなったら早いものです。今回は買主が業者でしたから、住宅ローンも使わないので、お金の準備もスムーズだったのでしょう。それに、買主さんの方も購入するとなったら、早く購入して事業化したいと思われていたようですし」
「そうですね、ほんと早くてビックリしました」

「それでですね、この売却代金で購入できる収益不動産をご紹介いただきたいのですが」
現在、山根は父親から相続した収益物件3軒のうち1軒を売却して、2軒の収益物件を所有している。
さらに、収益物件を購入しようということなのだろうか?
「そうじゃないんです。以前に河野さんに教えていただいたように、資産のバランスというのは大切だと思うのです。僕の場合、収益物件を2軒持っています、それに比べて現金や有価証券が多いかというと、恥ずかしながらそう多くはありません。つまり、僕はそれなりにバランスが取れているように思うのです。しかし母親はそうではありません。ご存知のように、あの実家は母親名義のものです。売却して現金が入ると、河野さんの言われるバランスが崩れてしまうのです。母親に話をすると、その収益物件から入る賃料を住まわせてもらっている生活費として入れたいとも言いますし。なので、母親が所有する収益物件を探してもらいたいのです」
山根は、以前に河野が話をした資産の3分割法を覚えていてくれて、それを実行しようというのだ。

「そうですか、ありがとうございます」
先に売却したマンションでの買い替えを河野が提案したときに断ったことを、山根はすまないと思って、母親に収益物件の購入を提案してくれたのだろう。
そんな山根の気持ちに、河野の胸は熱くなった。
「はい、将来にわたって需要が落ちないようなエリアで、喜んでいただけるような、いい物件を探してご紹介させていただきます」
嬉しさのために目尻に滲み出した涙を見られないように、河野は深々と頭を下げた。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。