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女不動産屋 柳本美土里

先日までの射すような日差しが、今朝は柔らかく感じられる。
そういえば、ツクツクボウシの声もぱったりと聞こえなくなった。
ほのかに鼻腔に届く甘い香りは、金木犀だろうか?
河野は、柳本不動産の玄関先を竹箒で掃き清め、打ち水を打ち終わると空を見上げた。
竹箒とバケツを片付け、事務室に戻り、温かいほうじ茶を入れた湯呑みを机に置くと、先週に取り寄せ、既に一度読み終えた本のページを開いた。

「河野くん、おはよう。あれ?何の本を読んでいるの?」
美土里は、本に細い指を挟むと、くっついてきた河野の手とともに目の高さに持ち上げた。
「ああ、この本ね」
「社長、読んだんですか?」
「ええ、読んだわよ。だって統計データを基礎として書かれた日本の将来を憂う話題の本じゃない。ベストセラーになっているようよ」
具体的に、将来自分たちの周りでどういう現象が起こるかが描かれていることで、わかりやすいところが受けているらしい。

「この本では、2033年に全国の住宅の3分の1が空き家になるって書いてありますけど、本当なんでしょうか?」
「そうね、人口減少で世帯数が減っているのに、ハウスメーカーなどがこれまでのように家を造り続け、消費者の新築志向が変わらなければ、その可能性は高いかもしれないわね」
「そんなことになったら、僕たちの業界はどうなるんでしょう?」
「私たち仲介業者は、不動産の値段に応じて手数料が入るんだから、不動産価格が高くて取引が活発に行われていると、多くの売上が見込めるようになるわけよね。だとすると、空き家が増えるってことは、中古住宅が余るってことだから、単純に考えると値段が下がるので、1件あたりの仲介手数料は減ることになるでしょうね」
「じゃあ、取引が活発に行われるかというと、家を買う世代も減るために、取引件数も減るでしょうね」

「ええ~!じゃあ、お先真っ暗じゃないですか。僕も不動産以外の仕事を探さないといけない・・・」
河野は口を尖らせたまま、首をうなだれた。
「そうね、その方がいいかもね」
美土里は半笑いで河野を指差した。
「そんな~」
困った顔をした河野を見て、美土里は吹き出してしまった。
「たしかに、これまでのような仲介の仕事は減っていくかもしれないわ。でも、情勢が変わっていくと、それに伴って不動産関連のビジネスチャンスは生まれてくるとは思うけど」
「それって、例えばどういうビジネスですか?」
「そうね、日本へ観光旅行に来る外国人は増えているから、空き家を利用した民泊や貸しスペースなどのビジネスは、もっと盛んになっていくでしょうね。不動産業者だから、空き家を持つオーナーさんへの有効活用のひとつとして提案することもできると思うし。ただ、今回成立した民泊新法では年間営業日数が180日までという制限があるから、ちょっと使いづらい部分は残るけどね」

「それに、良いか悪いかは別として、日本人の働く世代の人が減るのだとしたら、外国人に日本へ移住してもらうっていう方法も考えられなくはないわ。日本は諸外国に比べて移民の流入率が非常に少ないから、それを引き上げる余地はあるかもしれない」
「でも、外国人居住者が増えると、いろいろ問題が起こるっていう話もあるんじゃないですか?」
「そうね、文化も習慣も違う人たちだから、何かと難しい部分はあるかもしれないけど、そこをどう調整していくか議論はまだまだ必要でしょうね。ただ、そうやって外国人居住者が増えるってことは、不動産を持ったり借りたりする人が増えるってことだから、日本の不動産価値の維持には役立ってくれるんだけどね」
「まあ、居住とまではいかなくても、日本にセカンドハウスを持つ外国人が増えてくれれば、不動産価格の下支えになるかもしれないしね」
結局は、少子高齢社会の日本では、外国人頼りになるのか?

他の方策として、この本の著者は日本の中での居住区のエリア制限をするなんてことも提言していたんだけど・・・
「たしかに、エリア制限をすることで、実際に住環境を満たすエリアは限られてくるから、そのエリア内については不動産価値の維持は行われるかもしれないわね。でも、あなたの住んでいる地域は社会資本の整備ができないエリアですって、そんなこと本当にできるのかしら?今でもダムなどの公共の施設を作るのに村をつぶしたって言われて問題になっているくらいなのに、住むのに適していないエリア、つまり道路整備や公共の水道や電気などの設備をしませんっていうエリアを決めてしまうとしたら、かなりの反対があるだろうし、そこまでの政治的な判断を下すことができるのか疑問だわ」
「でも、もしそうなれば、居住区のエリアは不動産価値が維持、もしくは上がるかもしれないけど、非居住区のエリアでは、ほぼ売れなくなっちゃうでしょうね」
そこまで話をすると、美土里は喉から音を立てながら麦茶が入った湯飲みを傾けた。

湯飲みを机に置く音を引き継ぐように、事務所の電話のベルが鳴った。
「はい、柳本不動産です」
すばやく受話器を取った河野が名乗る。
表情から読むと、どうも要領を得ない話のようだ。
静かな事務所に、河野の相槌を打つ声だけが響き、美土里は電話に視線を留めていた。
河野が保留ボタンを押した。
「社長、お墓がどうのこうのって言われてますけど・・・」
「お墓?それって営業の電話?」
「いや、そうでもなさそうなんです。墓地で社長と話をしたと言われていますが・・・」

美土里は、怪訝な顔で電話に出た。
「はい、柳本美土里です」
相手の話を聞いているうちに、美土里の表情は解けてきた。
「ああ、先日お会いした方ですね。失礼しました・・・はい・・・・・ええ・・・」
お盆に美土里が墓参りをしたときに、偶然にも隣のお墓にお参りに来られていた人だった。
谷川と名乗られた隣のお墓の方は、50代くらいのご夫婦らしく、痩せて背が高い旦那さんの横で、丸々とした顔と体型の奥さんが、ハンカチでひたすら汗を拭いているのが印象的だった。
「何年も通ってますけど、お隣さんとお会いするのは初めてですね。また、ご一緒になることもあるかもしれませんので、よろしくお願いします」
そう美土里が挨拶をすると、ご夫婦で来られていたお隣さんからは意外な返事が返ってきた。
「いえ、たぶんもうお会いすることはないと思います」と。
その墓を管理する親族が亡くなり、遠方に住んでいる自分たちでは墓の守りもままならないため、自分たちの住む東京の近くに墓を移す予定なのだそうだ。
そこで、何かの場合には連絡をくださるということなので、名刺を渡していたのだった。
彼が言うには、独身で身寄りのない叔父が亡くなり、彼が墓の管理とともに叔父の家も受け継ぐことになっているらしい。
そこで、売るか貸すかしたいと思っているのだが、相談に乗ってもらえないかということだった。
「承知しました。では、ちょっと調べてみますので、2~3日お時間をください」
詳しい内容を確認して、美土里は受話器を置いた。

谷川さんの叔父さんの家というのは、駅からバスで10分ほど行ったところにある分譲マンションの1室だ。
「河野くん、行くわよ」
美土里が運転する赤のボルボで、駅前通りから坂を上がりきったところにあるマンションへ向かった。
来客用駐車場に車を停め、オートロックのエントランスからエレベーターに乗り、部屋のある8階に上がった。
築25年のマンションだが、昨年、大規模改修を行ったらしい。
取り替えられた玄関ドアも、上下にロックがある最新のデザインだ。
防犯効果が高いとされるディンプルキーをシリンダーに差し込み、ドアを開けると、わずかに部屋の淀んだ空気が流れ出してきた。
昼間なのに室内が暗いのは、バルコニー側の窓にカーテンがかかっているからだろう。
洗面室にある電源ブレーカーのスイッチを入れると、全室の照明が点くと同時に、インターホンのチャイムが一瞬鳴った。
去年、マンション全体の大規模改修を行った際に、室内のリフォームもしたということだ。
たしかに、まだ新しい白い壁紙は照明の光を反射して、明るい部屋を映しだしている。
美土里と河野は、室内をひととおりチェックし、写真を撮影すると部屋を出た。

来客用駐車場のボルボに乗り込み、大通りに出ると、美土里が口を開いた。
「河野くん、あの部屋どう思う?賃貸に出した方がいいと思う?それとも売った方がいいと思う?」
「そうですね、部屋もかなり綺麗だし、あれなら賃貸に出して収益物件として持っていてもいいんじゃないでしょうか?」
美土里は口を一文字に結び、しばらく押し黙って前方をじっと見つめた。
社長はどう考えるのだろうか?
河野は美土里の顔を横から眺め、表情の変化を探った。
前方の信号が赤に変わり、車を停車させると、美土里はわずかに河野の方へ顔を向けた。
「そうね、賃貸物件としてしばらく貸すというのもありだとは思うけど・・・私なら今のうちに売っておいた方がいいと思うの」

河野は、美土里にそう考える理由を訊ねた。
「既にあのマンションの多くの部屋は賃貸物件として貸し出されているのよ。なのに、2割くらいの部屋は誰も住んでいないみたいだったわね」
「え?そんなことどうして判るんですか?」
「メールボックスを見たでしょう?投函されたチラシでいっぱいになっている部屋が、それくらいあったのよ。だから、その部屋には誰も住んでいないんだろうと思うわ」
「それと、去年、大規模修繕しているということは、もしかすると修繕積立金があまり残っていない可能性があると思うの。これは調査してみないと判らないけどね。新築で購入した世代が50代から60代になる頃だわ。既に所有者は高齢化していて、あと10年もすると介護施設に入ったり、子どもたちがいるエリアへ転居していく割合が多くなっていくと思うわ。中には亡くなって子どもに相続されたりする部屋も出てくるでしょう。そう、空き家が増えるメカニズムだわ」
「その上、少子高齢化が進んでくると、駅から離れた不便なエリアに住む人が少なくなるのは当然でしょうね。さらに医療費にお金がかかる高齢者にとって、賃借人がつかず空き家のままだとしたら、マンションの管理費や修繕積立金などの費用捻出も苦しくなる可能性が高くなってくる。修繕費がきちんと集まらなければ、改修工事もままならなくなり、マンションがスラム化する危険性もあると思うの」

「じゃあ、マンションは貸さずに売った方がいいってことですか?」
「いや、そういう訳でもないのよ。このマンションが駅前立地の便利な場所にあれば、しばらくの期間は収益物件として持っていても悪くないと思うわ。マンションだからどうとか、戸建だからどうとかじゃなくて、不動産は1つとして同じものはないのだから、それぞれについて将来の状況を見据えながら検討する必要があるのよ」
「あのマンションの場合は、空室リスクも高く、将来的に値下がりの幅も大きくなると想定されるのよ。それなら、見た目も綺麗で、値下がりが顕在化していない今のうちに売ってしまった方がいいと思うわ」
美土里の話を聞いているうちに、車は事務所まで戻ってきた。

事務所のドアを開けると、つけっぱなしにしていたエアコンの涼しい風が顔に当たった。
「河野くん、さっきの話は、あくまでも私の考えだし、予想なの。実際にどうなるかなんて、誰にも判らないわ。それこそ、外国人の大量移民や世界の投資家が日本に注目するなんてことがあったとしたら、空室リスクも減り、値段も下がらないかもしれない。ま、ちょっと考え難いけどね。いずれにしても最終的に判断するのは所有者なんだから、現在の見込み賃料と売却したときの査定額を計算して、これからの動向について自分の参考意見を付けて谷川さんに話してあげてね」
なるほど、データから予測できる未来はあるのだけれど、その未来に至る過程で、いろいろな要因が変わることはあるし、変わっていく方が自然なのかもしれない。
要因が変わると、予想された結果が変わるのも当然のことだろう。
不動産のプロとして、現状から導き出される結果、要因の変化があった場合に予想される結果など、それぞれの可能性を考えながらアドバイスすることが、お客さんのためになるのだろう。
でも、こうした要因の変化による未来予測というのは、AIが得意とするものだと思うのだけれど・・・
将棋やチェスのように。

ただ、時代が変わっても、最終的な判断は、AIによる未来予測以上に、お客さんの思いや考え方、置かれた状況や環境などが考慮され優先されるのだろうと、河野は思う。

そして、間もなく柳本不動産に、谷川さんからのマンション売却依頼が届いた。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。