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女不動産屋 柳本美土里

由緒ある老舗の料理屋さんのように、扁額の “柳本不動産”という墨文字は薄れ、経過した年月がそこに刻まれているようだ。
木製の玄関サッシの横に、「営業中、どうぞお入りください」の文字を見つけ、引き戸に手を掛けた。
「うん?」
室内を覗くことができる程度に隙間は開いたものの、引き戸はそこで停止した。
「う~ん」
さらに力をかけるも、引き戸はまるで布を挟み込んだファスナーのように、引っ掛かったまま固まってしまった。
「あ~、はいはい、すみません、すみません」
室内から男性の声が聞こえ、人がやってくるのが戸の隙間から覗える。
先日、中古戸建を案内してくれた営業マンだ。
内側からドアの縁を一度蹴ると、なんと魔法のようにスルスルと戸が横に滑って開いた。
「元木さん、いらっしゃいませ、ちょっとこの引き戸、建て付けが悪くて・・・」
奥の方からは、女性の涼やかな笑い声に言葉が続いた。
「河野君、やっとコツをつかんだようね」

部屋に入ると、玄関近くに接客用テーブルがあり、通路を挟んだ向かいにカウンターがある。
花が飾られたカウンターより先は、机やパソコンが並ぶ事務スペースになっている。
外観とは違い、室内はいたって普通の事務所のようだ。
案内されたテーブルには既に誰か座っており、隆太が近づくと、その人は立ち上がり名刺を隆太に差し出した。
「初めまして、今回のお取引の登記事務を担当する、司法書士の四つ葉です」
差し出された名刺には、『四つ葉司法書士事務所 司法書士 四つ葉美和』とあった。
この人が司法書士の先生?
司法書士は、不動産の取引が行われる際には、立会い、登記名義を売主から買主へ移転する手続きを担当する。
顔立ちも幼く小柄なせいか、まだ大学生?と思われるくらい若く見える。
怪訝な隆太の表情を察したようで、四つ葉先生は、静かに身分証をテーブルの上に置いた。
「司法書士の先生って、もっと年配の男性かと思っていました」
「そんなイメージがあるのかもしれませんね」
司法書士の横に座る河野によると、四つ葉先生は、学生時代に司法書士の資格を取り、卒業と同時に先輩司法書士の事務所で3年ほど経験を積んだ後に独立、独立後3年が経ったそうだ。
「ということは6年のキャリアがあるんですね」
「ええ、見た目よりもけっこう年をくってます」
そう言いながら舌を出す仕草は、やはり最近の若者だ。
「四つ葉先生が年をくっているって言うのなら、私なんて、どう言ったらいいのかしら?」
いつの間に現れたのか、テーブルの傍には、目のやり場に困るくらい女性らしい身体のラインがはっきりとわかるタイトなグレーカラーのワンピースに身を包んだ、スラリと背が高い女性がいた。
「こちらの代表をしています、柳本美土里です」
白くて細く長い指、ブルーを基調としたネイルアートが施された爪の先に挟まれた名刺には、代表取締役とある。
「社長さん?」
「ええ、そういうことになります」
年齢こそ、四つ葉先生よりも上であるのは間違いないが、知的な雰囲気であるなかにも大人の女性の魅力が漂う素敵な人だ。
こちらも、不動産屋さんの社長のイメージとはほど遠い。

そんな隆太の困惑とは裏腹に、契約は進んだ。
一般的には、契約をしてからローンの手続きなどが入るため、残金決済まで一定の間隔をあけることが多いようだが、今回はローンを利用せず現金での決済のため、契約と代金の決済、所有権移転を同時に行うとのことだ。
契約書を始めとするいろいろな書類の説明を受けた後、それらに署名捺印、銀行からおろしておいた470万円をテーブルに置き、諸費用の精算を終えると取引は終了し、隆太は出されていたお茶を飲み干した。
「これで、取引は完了しましたので、私は法務局へ所有権移転の手続きに参ります」
そう言い残して、四つ葉司法書士は席を後にした。

「家財道具一式が残されたままですけど、大丈夫ですか?」
河野が隆太に心配そうに尋ねた。
「ええ、使えそうなものはネットで販売したりできるかもしれませんよね?もしかしたら、へそくりが見つかったりして・・・」
「へそくりですか?もしかするとあるかもしれませんね」
「もし、へそくりが見つかっても、僕のものにしてしまっていいんですよね?」
「ええ、もちろんです。あればですけどね」
河野は悪戯っぽく微笑んだ。
「じゃあ、頑張って探してみます」
家具や家財を撤去した後には、改装工事をしてもらうことをお願いして、隆太は柳本不動産を出た。

「ほんまに、まだ住んでいるような様子やな」
同僚の鳥居が言うのももっともだ。
洗濯機や冷蔵庫はもちろん、食器棚には皿や椀が並べられ、ハンガーに洋服が吊るされた状態は、ちょっと留守をしていて、すぐに帰ってきますよ~というような感じがした。
「何か使えそうなものがあったら、持っていってくれていいから」
「そう言われてもな~、人が着た服なんて着る気もせえへんし、家具や家電も、それなりに年数が経ってるみたいやからなぁ、第一、大きいもんは運び出すのが大変やわ」
箪笥の一番上の棚に並べられたファイルのなかに、家族で撮った写真が収められたアルバムや、学校の卒業アルバムがあった。
「アルバムまで置いていくって、よっぽど忘れたい過去でもあったのかな?」
棚を眺めていた鳥居には、隆太の言葉が耳に入っていないようだった。
これって、もしかして・・・

鳥居が手にしたのは、1冊の卒業アルバム。
それは、隣の学区の中学校の卒業アルバムだ。
「ここのエリアの中学校じゃないよな。たしか子どもは姉と弟の2人だったらしいから、どちらかが卒業してから転校してきたのかな?」
それにしても、鳥居の様子が変だ。
黙ったまま卒業アルバムをめくっている手が、3組と7組のページを行ったり来たりしている。
「隆太、ここの元の所有者ってなんて名前やった?」
「え~っと、ちょっと待って」
柳本不動産での売買契約のときに、もらった書類に名前が載っていた記憶がある。
書類を鞄から取り出し、広げた。
「田中眞理子となっているけど・・・」
「田中?」
「その田中眞理子って人は、結婚してるんか?」
売主が結婚しているかどうかが、鳥居にはそんなに重要なことなのだろうか?
隆太が答えようとする前に、何故か鳥居は玄関を出て行き、すぐに戻ってきた。
「そこまで知らないけど、父母が年老いて亡くなり相続したそうやから、結構な年齢になっているはずやと思う。だから結婚している可能性は高いだろうな」
「いや、結婚しているはずや。表札は植田になってた」

「でも、それがどうかした?」
隆太の問いかけに、鳥居はアルバムの中の3組の1人の女生徒を指差した。
「これが、植田眞理子」
そして挟んでいた指で、7組の集合写真のページを開くと、今度は男子生徒を指差した。
「そして、これが俺」
えっ!?
アルバムの中の真面目そうな男子生徒と、隣でアルバムを開く鳥居の顔を見比べた。
「いや~、似てないけど」
「ここに名前が書いてあるやろ?」
アルバムには、写っている生徒の名前が順番に記載されており、確かに鳥居の名前が書かれてあった。
「変われば変わるもんやな」
「いや、問題はそこじゃなくて、植田眞理子と俺が同級生やったってことや」
「そうやなあ、まさかこの不動産で巡り会うって、ほんまに奇遇なことやな」
「実は、この植田眞理子と俺、昔に付き合ってたんや」
「またまた~、そんな冗談を」
「いや、冗談やないって」
いくら偶然とは言え、世の中には不思議な事があるものだ。
こんなかたちで人と人が繋がるなんて。

結局、使えそうなものは扇風機くらいで、アルバムを残し、あとは柳本不動産に紹介してもらった廃棄物処理業者に処分してもらい、賃貸募集ができるように、内装工事をしてもらうことにした。

内装工事の打ち合わせと、鍵を渡すために、柳本不動産に行ったときのことだ。
「立ち入ったお話ですみません。そういえば、元木さんのところは、奥様とお2人で、お子様はおられませんでしたよね?」
「ええ、残念ながら。一時は不妊治療もしたのですが、なかなか難しいようで・・・。歳も重ねてきたし、今ではすっかり諦めて、老後を夫婦で仲良く暮らしていこうということにしているんです」
柳本不動産の美土里は、大きく肯いた。
「そうですね、こればっかりは、なかなか思うようにはいきませんものね」
「河野から聞いたんですが、これからも、いい投資物件があれば、不動産のご購入を考えておられるとか?」
「はい、そのつもりですが・・・」
「縁起でもないお話をして申し訳ないのですが、もし今、隆太さんが亡くなられた場合には、隆太さん名義のご自宅や、今回ご購入いただいた戸建も、その他の財産とともに法定相続をされるとしたら、奥様と隆太さんのご兄弟が相続することになるんです」
「えっ?どうして僕の兄弟が?」
「法律では配偶者は常に相続人となります。つまりこの場合は奥様です。そして第1順位の相続人は子供、第2順位が親、第3順位が兄弟となります。つまり、お子様も親御様もおられない隆太さんの相続人は、奥様とお兄様とになるわけです」
隆太は顔をしかめた。
「お恥ずかしい話ですが、両親の遺産分割で揉めて、事実上、兄とは絶縁状態なのです。そんな兄に僕の遺産を相続されるなんて、死んでも認められません」

「お兄様に相続されないようにするには、2つの方法があります。1つは隆太さんが財産のすべてを奥様に渡すよう遺言を残す方法。兄弟には遺留分という遺言を否定する権利主張は認められていないので、有効な遺言をすることで、お兄さんに渡さずにすみます。もう1つは、誰かを子供にする、つまり養子縁組をすることです。そうすれば、法定相続をするとしても、奥様と養子縁組をしたお子様とで相続することになりますので、お兄さんには相続する権利はなくなります」
「そうですか、もし万一、どちらもせずに放っておくとどうなりますか?」
「先に、お話したように、奥様とお兄様で相続することになります。お兄様が相続放棄をすれば問題ないですが、あくまで相続をすると主張された場合には、法定相続分として4分の1の権利があることになります」
「それでも、遺産分割協議により、奥様がご自宅を受け継ぎ、お兄様が貸家を受け継ぐなどとなれば、まだ問題は少ないのですが、奥様とお兄様の協議が調わないとなれば、それぞれの相続分で登記がされることにもなりかねず、ご自宅の4分の1の所有権はお兄様が持ち、下手をすると、その権利分だけの賃料支払いを奥様に求められる可能性も否定できません」
「なんてことだ・・・」
隆太は、不満と怒りで言葉を発することができなかった。
まさか、近いうちに自分が死ぬことなんて想像もできないが、じゃあいつ?となれば、事故や急病で今日、明日にも死ぬ可能性が全くないとは言い切れない。
早いうちに、なんとかしなくては。


翼は実家を離れ、仕事のために東京に暮らし、結婚をした。
結婚して既に5年、年齢は33歳。
普段は大抵のことはメールで済ます母から、珍しく電話があった。
「あんたを訪ねて元木という男性が行くから、時間を作って会いなさい。あんたを養子にしたいって言ってくれているみたいだから」と。
養子だと?電話でそんな重い話を簡単に言ってくれるもんだ。
まあ、それがあの母らしいといえば、そうなんだが・・・
で、元木って誰?

元木と会ったのは、職場の近くのファミリーレストランだった。
「初めまして、元木と言います。お母様からどれくらい話を聞いてもらえてるのか判らないけど・・・」
「いや、ほとんど何も聞いていません。元木さんが僕を養子にしたいって言われているということだけで、どうしてそういう話になったのか?母と元木さんが、どういう関係なのかなど、全く聞いてなくて」
「あっ、そうだったの?」
元木は、ちょっと苦笑いをした。
その困ったような表情からは、悪い人ではなさそうだ。
「実は、僕は翼くんの実のお父さんの友達なんだ。お父さんのことは聞いているのかな?」
「はい、子供の頃は、僕が生まれた頃に亡くなったと聞いていたんですが、二十歳になったときに、実はお父さんは死んだのではなく、たぶんどこかで生きているだろうと言われました」
「うん、翼くんのお父さんとお母さんは、翼くんが生まれたときにはまだ未成年で、いろいろな事情があって結婚できなかったんだ。それで、お母さんが独りで翼くんを育てることになったんだ」
「ええ、それも二十歳のときに話は聞きました。それから、今の父と母が結婚したんです」
「そう、そして、今のお父さんは、翼くんの実のお父さんが亡くなっていないことも、お母さんに聞いて知っていたんだよ」
「そうして、お母さん方のお祖父さんとお祖母さんが亡くなって、実家が相続になった。それで実家に戻ることのないお母さんが売りに出したんだよ。その家を不動産業者を介して買ったのが僕という訳だ」
「その僕が、たまたま翼くんの実のお父さんの友人だったんだ」

「でも、よく母や僕の居場所がわかりましたね。もしかして、母と実の父は、いまでも連絡を取っていたりするんですか?」
「いやいや、それはないよ。なんとか連絡をつけようと、2人に辿りつけるよう専門家に依頼して探してもらったんだ」
「で、またどうして、実の父親じゃなくて、元木さんが僕に養子に来て欲しいって話になるんですか?」
隆太は、少し時間をかけて頭の中で話を整理した。

「それはね、いくつかの理由があるんだ。まず第1に、僕たち夫婦には子供がいないんだ。それで、もし僕に何かあったときには、妻のことを翼くんのお父さん夫婦にお願いしているんだよ。だから、僕は翼くんのお父さんのために何かをしないといけない」
「でも、それってたぶん、僕の実の父が先に倒れても同じことなんじゃないですか?」
「いや、彼には子供がいるから、彼に何かがあったとしても、奥さんのことは子供たちがみてくれる。それが2つ目の理由でもあるんだ。つまり、翼くんのお父さんには、既に家庭があり子供がいて、しかも、その奥さんや子供たちは、翼くんの存在を知らない。だから、彼自身が翼くんと養子縁組をするには、越えなければいけない壁があるんだ」
翼は軽い溜息を吐き、吐き捨てるように言った。
「それって、あまりにも身勝手じゃないですか?母や僕を見捨てて、自分の過去を隠したまま、これからも生きていこうなんて」
「そうだね、たしかに翼くんの言う通りだ。でも、翼くんは知っているかどうかわからないが、君が成人するまで、彼はずっと養育費を仕送りしていたんだ。もちろん、それは当然のことかもしれない。でも、実際にそれをやり続けることは、なかなかできるもんじゃない」
「3つ目の理由は、僕自身のことなんだけれど、今のまま何の手も打たなければ、僕名義の財産は妻と、僕の郷里にいる兄が相続することになるんだ。でも、僕と兄は折り合いが悪くてね、実をいうと絶縁状態で、兄に僕が築いた財産を渡すつもりはないんだ。だから、養子縁組をすることによって、兄に財産を渡さなくてもよくなるんだよ」
翼は黙り込んだ。

「ちょっと考えてみて欲しい。もし本当に翼くんの実のお父さんが、お母さんや翼くんを見捨てて過去を切り捨て、本当に自分だけが幸せになろうと思っているのなら、今更、僕を通してお母さんや翼くんに接触をしようとは思わないだろう。彼にとっては僕と翼くんを養子縁組させる義務ななんてないんだから。それなのに、たぶん、こういう形で僕がやってくることで、翼くんが反感を持つかもしれないって予想していたのに、僕と養子縁組をすることで、翼くんの将来の助けになればと思ったんじゃないかな?」
「でも、養子縁組をすると、何か負担しないといけないこともあるんじゃないですか?」
そういう質問が出るということは、翼の心は動いているのだろう。
「そうだな、養子縁組をすると、親子になるわけだから、一般的な子供の義務と同じみたいだよ。つまり、扶養義務っていうのがあるけれど、僕や妻の場合は、健康を害しても、それなりに保険にも入っているし、自慢じゃないけれども、まとまった額の貯蓄もあるから、翼くんに迷惑を掛けることはないから、安心して良いと思うよ」
「それに、翼くんのお母さんの実家を、紆余曲折があったけど、翼くんが相続するということは、なんだかロマンティックな気がするけどな」
母親と相談してから返事するという約束をして、2人は店を出た。


母の実家、お祖父さんの家には、小さな頃に行ったきりだ。
子供の頃のことだから、家が大きいのか小さいのか、どんな家だったのかはあまり覚えていない。
たしか近くには海があり、おぼろげながら母と祖父・祖母と一緒に海水浴に行った記憶が残っている。
海水浴場から家に帰る道沿いには、お好み焼き屋さんがあり、そこでかき氷を食べて頭が痛くなった、そんな思い出が甦ってきた。
実の父の友人が母の実家を所有することになったなんて、不思議な話もあるもんだ。
そして、その所有者である実の父の友人と養子縁組をして、将来は僕が母の実家を手に入れることになるかもしれないとは・・・
僕も来年には父親になる。
親として子供に対する愛情の深さは、まだわからないけれど、子供のいない友人へ、僕を養子として薦めてくれた父の気持ちは嬉しい。
当時、母と一緒になれなかった父には、どうしようもない事情があったのだろう。
そろそろ赦す気持ちを持って、父の思いに応えることも大切なのではないだろうか?
それに、父の友人は優しそうで素敵な人だったし、そんな人をお祖父さんだよって生まれてくる子供に紹介できるのも、悪くない。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。