トップページ > 2017年7月号 > 女不動産屋 柳本美土里

女不動産屋 柳本美土里

「退職金だけで老後の生活はできないし、それこそ、年金なんてあてにならないし、特に実働しなくてもいい権利的な収入を確保しておかないとな」
同僚の鳥居はビールジョッキをあおり、枝豆の殻を殻入れに放り込みながら言った。
「権利的な収入って?」
権利的な収入というと、ネットワークの危なっかしいビジネスを想像した隆太は眉をひそめた。
隆太の怪訝な表情を読み取り、鳥居は返した。
「一概に、権利的収入って言っても、いろいろあるやろ。何かを発明して特許を取得したり、本を書いたり作曲や作詞をして印税をもらうなんてのは、俺たちにはどだい無理なことやけど、株式投資をして配当収入を得ることはできるし、貸家を持って賃貸収入を得るのも権利的収入やわな」
「お前な、配当や賃貸収入やと簡単に言うけど、どれだけの元手がいるのやら…。退職金を全部ぶち込んでも、生活できるだけの配当は取れる訳ないよな」
隆太は天を仰いだ。

食品関連の機械メーカーであるこの会社に入って既に30年が経過すると、同期の連中の多くは、転職したり実家の仕事を継いだりして、辞めていった。
そんな少なくなった同期のなか、会社に居座り続けている友人の1人が鳥居だ。
開発部と営業部とで部署は違うが、会社に対する愚痴も、部下の働きを嘆くのも、去っていった同期の近況を確認するのも、同じ歳で会社での同じ歴史を共有してきたからこそ、気兼ねなく言い合える。
それにお互い社内結婚で、それぞれの妻も独身時代から知っている。

「それが、うちの親戚で公務員の叔父が、現役時代からマンションや戸建を買ってて、今では賃料収入でなかなかの稼ぎがあるらしいんや」
「いくつも不動産を買えるって、その叔父さんって金持ちなんか?」
「いや、最初は小さな古家から始めたようやな。それに、ものによったら、ちょっとした車と変わらんくらいの値段で家が買えるそうや」
「ちょっとした車って、500万円くらい?」
「ああ、そうらしい」
「へぇ〜、そんな値段で家が買えるんか」
「そりゃ、お前の実家がある東京のど真ん中じゃあ、そんな値段では無理かもしれんけど、関西の郊外に行けば、それくらいの中古の家が売ってるらしいんや」
500万円くらいなら、今でも買えない金額ではない。
定年になって退職金が入れば、複数の購入も可能だ。
確かに、雀の涙ほどの金利しか付かない銀行にお金を置いていても、どうしようもないよな。
隆太は時間を見つけては、インターネットで不動産の売却情報を調べることにした。

ズボンの左ポケットから振動と電子音が聞こえてきた。
コーヒーだけは、いくらでもおかわりができるというファミレスで、3杯目のコーヒーを飲みながら、隆太たちは映画同好会の次の制作テーマを検討していた。
シリアス系を主張するメンバーと、コミカル系をしたいと譲らないメンバーが、どちらの方が観客に受け入れられるのか?と議論を繰り広げている。
ポケベルだ。誰からかな?不用意に引っ張り出したポケットベルには、横長の小さなディスプレイの右側から文字が流れている。
ついこの前までは、数字が表示されるだけだったのが、今では文字が送れるようになっている。
本当に技術の進歩は凄い。
ポケベルには、母が倒れて病院に運ばれたとある。
えっ!?母が!?今朝も、焼き鮭と納豆の朝食を一緒に食べ、見送ってくれた母が・・・
母に何があったのだろう?事故?病気?小銭入れから出したコーヒー代をテーブルに置いた音が予想外に大きく、同好会のメンバーの議論がピタリと止むと、一斉に隆太の顔に視線が集中した。
「悪い、母が病院に運ばれたようだから、ちょっと行くわ」
言うなり、入り口のドアに向かって駆け出した。

病院の受付での話によると、母は救急車で運ばれ、そのまま緊急手術中だそうだ。
案内された手術室の前の長椅子には、兄の嫁である幸子が独り座っていた。
「義姉さん、お母さんは?」
義姉が外から帰ると、母が庭で倒れていたので、救急車を呼び病院に来た、医者の話では、心筋梗塞による心臓麻痺になっているので、緊急手術をしているとのことだ。
長椅子には、義姉の姿しか見あたらない。
「ところで、兄貴は?」
「隆太くんと、ほぼ同時にポケベルを打ったから、間もなく来るとは思うわ」
兄がいないことを詰られたように感じたのか、くってかかるような目で義姉は隆太を睨んだ。
「会社から出掛けていたの?」
「救急車が来るまでの間に、会社まで行ったんだけど、出掛けているみたいで・・・隆太くんには判らない仕事がいろいろあるんでしょ」

隆太の実家は代々、材木問屋をしている。
2代目だった隆太の父親が数年前に亡くなってからは、兄が3代目を継いでいる。
10人ほど従業員もいるため、社長である兄が会社から出掛ける仕事は限られているはずだ。
「こんなときに、どこに行ってるんだよ」
吐き捨てるような言葉は、母がどんな状態なのかも判らず、手術室の前でただ待たされているイライラや不安を、不在の兄にぶつけているだけなのかも知れない。
緊急手術が終わるタイミングで、「やあ、悪い悪い」と片手を挙げて、兄はノコノコとやって来た。
この男は、母親が倒れたということに驚きや不安はないのだろうか?
単に能天気なのか?それとも、ある意味では達観しているのだろうか?
達観?いや、兄に限ってそんなことがあるはずない。
子どもの頃から物事を深く考えずに、その場しのぎの対応をとって生きてきたような男だ。
学校を卒業しても定職に就かず、音楽で成功してやるなんて言って、バンドのメンバーになり活動していた。
案の定、成功どころか、バンドの活動資金を親にねだるばかりで、傍から見ていると遊んでいるとしか思えなかった。
音楽で芽が出ないと思ったとたん日本を飛び出し、1年くらいの間、海外を放浪した後、日本に帰ってきて次にのめり込んだのは新興宗教だ。
僕は新興宗教自体を否定するつもりはない。
嫌々ながらも兄に連れて行かれた教会でも、なるほどと思われるような素晴らしい教えを教祖と言われる人が説いていた。
その教えの中で、"金に執着するな"というくだりがあるのだが、あたかもそれが幸せに通じることだと諭し、信者に半強制的に莫大な献金をさせる行為は、「お前がいちばん金に執着しているんじゃないか?」と思わせるものだった。
信じる者には、そういうふうには見えないのだろうか?
まあ、百歩譲って、それは信者が信念に基づいて行う寄付行為なのだから、僕がとやかく言う立場にはない。
しかし、自分の兄ということなら話は違う。
自分で稼ぐことをしない兄は、家業である材木問屋の金を新興宗教に流しているのだ。
僕の立場からすれば、兄のわがままで家の財産を減らす行為に他ならない。
それなのに、兄に対して強い態度を取らない父や母も気に入らない。
いつかは兄に家業を継いでもらいたいという、親の弱みなのだろうか?
兄が新興宗教から信仰を得られたのかどうかは判らない。
ただ、兄と結婚した芳美との出会いは、その教会にあったようだ。

父が病気で亡くなると、最初から決まっていたように、兄は材木問屋の社長におさまった。
兄が会社を継ぐということが条件だったのか、父の遺産のほとんどは兄が相続した。
そういえば、父の葬儀でも兄の涙は見なかったな。

医者が言うには、心臓発作が起こっても、もう少し早く発見されていたら、母の症状は重篤にはならなかっただろうということだ。
もちろん故意ではなく、たまたま義姉が出掛けていて、家の隣にある会社で働く兄も居なかったということなのだろうが、何故2人とも居なかったのかと、ついつい兄夫婦を恨めしく思う。
特に義姉は、働いている訳でもなく、専業主婦として家にいたはずなのに。
緊急手術は成功したものの、母は1年もたなかった。

いくら兄に肩入れしていたとはいえ、父に比べて母は、まだ自分と兄に対して公平に接してくれていたように思う。
母がこの世を去ったことで、隆太は広がる緑の草原に独りぼっちで佇んだような気持ちだった。
母の四十九日の法要の席だった。
親戚への挨拶をひと通り終えると、兄は隆太の横に来て座った。
「隆太、そろそろ相続の手続きをしたいんだけどな」
「そんな話、こんな席ですることはないだろ?」
お前と義姉のせいで、母は逝ってしまったんだぞ、と言葉が出そうになるのを堪えた。
「いや、こういうことは早い目にきちんとした方がいいって、芳美も言うし」
「また義姉さんかよ。兄さんはどうして、何でもかんでも義姉さんの言うことばかりに従ってんだよ。母さんの相続のことなんて、あの人には関係ないだろうに」
「おい、ちょっと声を抑えろ」
いくつかの視線に気付いた兄が注意した。
周りを見渡すと、数人の親戚の怪訝そうな顔があった。

「そんな話、はい、そうですかって飲める訳がないだろ」
別室に移った兄と義姉を前に隆太は声を荒げた。
「父さんの相続のときには、兄さんが会社を継ぐからって、父さんの財産のほとんどを兄さんが持っていったのに、母さんの財産まで兄さんが受け取るって、あんまりじゃないか」
「でもね、隆太さん。お母さんの財産の中には、会社の株もあるのよ。それを隆太さんが受け継ぐとなれば、会社の経営について、この人と隆太さんとで意見が違った場合、何かと揉める原因になるかもしれないから・・・」
「それに、家の持分だって、隆太さんの持分が入ると、家を抵当に借入しようとしても、いちいち隆太さんの承諾も得ないといけなくなるのよ。そうなると迅速な経営判断もできなくなるかもしれないし・・・」
言葉の端々に有無を言わさない圧力を漂わせながら、義姉は隆太を見据えた。
「兄さんは、どう考えているんだよ」
隆太は兄の眼を真っ直ぐに見た。
「すまん、隆太。俺も芳美の言うとおりだと思う」
ダメだ、この男は。
完全に義姉の尻に敷かれて、もう自分で考えるということを放棄させられている。

兄夫婦と大喧嘩をしたあげく、まったく割には合わなかったが、隆太は母の貯蓄を相続し会社の株と家の持分を放棄した。
勤めていた会社から関西への転勤が言い渡されたのを機に、隆太は実家を離れ、兄夫婦とも離れた。

「すみません、インターネットに掲載されていた物件について、お聞きしたいのですが・・・」
隆太が見つけた物件は、駅からバスで15分のところにある開発団地のなかの角地の中古戸建だった。
ブロックごとに区画がされ、正方形に近い長方形に敷地は6mと4mの開発道路に面している。
建物自体は、築後37年経過しているが、敷地は40坪、建坪は32坪ある。
価格は680万円。
国産の高級車くらいの値段だ。
「では、一度内部をご覧になりませんか?」
不動産会社の営業マンの勧めで、内覧をすることになった。
敷地が40坪とゆったりしているため、駐車スペースは2台分ある。
ハウスメーカーが建てたという家は、設備や建具に古さを感じるが、なかなか落ち着いたいい家に思われる。
1階にリビングと和室があり、2階に洋室が3つある4LDKの間取りは、ファミリーにはもってこいのタイプなのだろう。
「ご家族何人様でお住まいですか?」
いかにも優しそうな目をしている営業マンから質問が投げかけられた。
「はい、うちは妻と2人暮らしなのですが、自分の家はありますので、投資用に買おうかと思っているんです」
「投資用ですか?」
「ええ、そうですけど、いけませんか?」
営業マンは、ちょっと引っかかるように顔を曇らせた。
「いえ、いけないということじゃないのですが・・・てっきり、ご自身でお住まいなのかと思ったものですから」
隆太は、なだらかな南斜面に立つ住宅街の向こうに見える公園に目をやった。
「この辺りは、緑も多いですし、環境も良さそうなので、住みやすそうだな~と思いますが、どう思われますか?」

営業マンは、ひと呼吸置くと、慎重に言葉を選んで口を開いた。
「ご自身でお住まいになられるのならともかく、投資用ということであれば、この物件はちょっとお薦めすることはできません」
えっ!?
営業マンが物件を薦められないって?隆太は耳を疑った。
「どういうことですか?」
隆太は身を乗り出し、目を見開いた。
「この家は、築年数はかなり経っていますけれど、中古住宅としては悪くないと思います。でも、このエリアは高齢化が進んでいますので、これからは、どんどん空き家が増え、売り物件も増えると思うのです。そうなったときに、賃貸物件としての需要があるでしょうか?残念ながら、街中ではない地方の駅からバスを利用しないといけないエリアでは、賃貸需要は減少していくと思われます。投資用として物件を購入されるのでしたら、駅の近くで賃貸需要が落ち難い場所の物件を購入される方がいいと思うのです」
「そうなんですか?」
「そうですね、投資用の収益物件は、借主がいてこそ収益が上がります。借主がなかなか付かずに空き家の期間が長くなれば長くなるほど、収益率は落ちます。いかに需要がある物件を選ぶか、いかに借主にとって魅力的な家にするかということが大切になるのです」
確かに営業マンの言う通りだ。
空き家の期間が長くなれば、賃料は入ってこないので、収益性はグンと落ちるだろう。家族の構成が、親と子供の4人ないし5人というものから、夫婦のみ、もしくは単身の世帯、それも高齢者が増えるとなれば、郊外の広い戸建よりも、小さくても駅に近い便利なエリアの方がうけるのだろう。

「弊社の買取した物件で、収益物件としてお薦めのものがありますので、もしよろしければご覧になりませんか?」
「ええ、お願いします」
営業マンに案内された家は、築後40年の中古戸建。
敷地が25坪で駐車スペースもないが、特急停車駅から徒歩10分の好立地だ。
室内は、まだ住人がいるかのように、家具や家電が備えられ、食器棚には茶碗が並んでいた。

「えっ、ここって今は誰も住まれていないんですよね?」
「はい、前の所有者のご実家で、親御さんがお住まいだったのですが、お二人とも亡くなられ、相続によりお子様たちに所有が移ったんです。家財が多くあるのでビックリされましたか?そりゃ、そうですよね。相続されたお子様たちは、お姉さんと弟さんなんです。お姉さんはご結婚されて大阪でマンション暮らしをされていますので、これ以上家財が増えると困るということだし、弟さんは訳あって施設に入られているんです。なので必要なものは、もうこの家にはないから、自由に処分して欲しいというご希望なんです。なので、ご購入いただいた場合には、お引渡しまでに弊社で全部処分して空にします。もしお客様が、この家具や家財があるままでも良いと言われるのなら、その処分費分の値引きもさせていただきます」
「処分費って、いくらくらいなんですか?」
「はい、ざっと20万円くらいかかるんですよ」
まだまだ使えそうなものもあるし、それなら20万円を値引きしてもらって、使えるものは自分で使うか、ネットで売却してもよさそうだ。ちょっと、面倒くさいけれど・・・

「いかがですか?築年数は結構経っていますが、定期的に屋根の葺き替えや外壁塗装をしていたみたいですので、雨漏りなどもしたことないようですし、傷みは少ないですよ。つい1ヶ月ほど前に弊社が買取させていただいたんです」
「そうですね、外観は言われる通りですね。でも、給湯器とかの設備は大丈夫ですか?」
営業マンは少し首を傾けた。
「すみません、元々お住まいだった方のご家族からは、設備などの不具合も特にないと聞いているのですが、実はまだ弊社で給湯器などの設備に異常があるかどうかのチェックはできていないんです。ガス給湯器なので、ガスの開栓をしてからでないとできないので・・・あっ、でも、この物件は売主が不動産会社である弊社なので、2年間の瑕疵担保責任が付いていますから心配されなくても大丈夫ですよ」
「瑕疵担保責任?」
「ええ、給湯器などの給排水設備や柱などの主要構造部などに不具合があった場合、引渡しから2年間は弊社が保証するというものです。なので、万一、給湯器などに不具合があったとしても、弊社が責任を持って修理もしくは取替いたしますので」
営業マンは胸を張った。

値段は490万円。
20万円の値引きをしてもらったとしたら、470万円。
この立地で貸家であれば、安く見積もっても4万9千円で借り手は付くだろうということだ。
ということは、年間の賃料収入が58万8千円となり、表面利回りとして12.5%となる。
8年で物件価格が回収できる計算だ。
もちろん、定期的なメンテナンスに費用は掛かってくることだろう。
それでも、そう悪い投資ではないように思う。

「ふ~ん、そうなの?まあ、500万円くらいなら、いんじゃない?」
隆太から、物件資料を見せられて、おおまかの説明を受けた妻の美香は、あっさりと言った。
たまたま、不動産バブルの時代に美香の実家の相続があり、その売却代金の一部と、隆太が母親から相続した預金が、そっくりそのまま通帳に残っていることが、美香に余裕を与えているのだろう。
それに、自宅の住宅ローンも去年に完済となったことだし。
「今度の日曜日は小枝子と日帰り旅行に行く予定があるから、契約はあなただけで大丈夫だよね?」
小夜子は、鳥居の嫁さんだ。
「うん、分かった。じゃあ、話を進めるよ」

隆太は、日曜日に行く予定の不動産会社の所在をGoogleマップで調べ、ストリ-トビューで外観写真を見つけた。
「あれ~、かなり趣のある不動産屋さんだな~」
「えっ、どれどれ」
スマホでゲームをしていた美香が、趣あるという言葉に惹かれるように覗いてきた。
「ほんとだ、こんな木製の玄関サッシって、まだあったんだ。それに、木で出来た板、昔の看板みたいなの。これって何て言うんだったっけ?」
「扁額(へんがく)かな?」
「そうそう、それよ。そこに屋号が書かれてあるわよ、”柳本不動産”って」
「なら、間違いない。あの営業マンの名刺にも、柳本不動産って書いてあったから」
「でも、凄いわね~、このレトロ感」
2人は顔を見合わせて、噴き出した。

8月号に続く

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。