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女不動産屋 柳本美土里

修一は、カレンダーを見て溜息をついた。
また、月末が近づいてきた。
事務所の家賃も、印刷してもらったチラシの代金も、電話代も、ほとんどすべての支払いは月末あたりに集中している。
少し面倒だったが、会社を作るということは、そう難しいものではなかった。
しかし、経営するということは、想像以上に大変なものだと知った。
資金繰りから帳簿付け、事務用品の発注から事務所の掃除まで、すべてをこなさなければならず、今までのように営業だけに専念すればいいというわけではない。
もちろん、事務員を雇えば、そうした雑用から解放されるのだろうが、章子から借りた開業資金は、事務所を借りて備品を調達し、業界団体への加盟金や保証金を支払うと、たちまち底をつき、修一には人を雇う余裕などなかった。
サラリーマン時代には、上司から怒られながらもそれなりの営業成績を残してきた。
自分なら独立してもやれる、そんな自信があったのだけれど・・・

「今月の支払い、あと7万円不足してるんやけど・・・ごめん、貸して」
「ええ、いいわよ」
章子は文句のひとつも言わず、今月も二つ返事で長財布を開いた。
彼女にお金を借りるなんて情けない。
修一も、そうは思ってはいるのだけれど、他に頭を下げる相手もいないし、ついつい黙って出してくれる章子に頼んでしまう。
そんなとき、修一は自問してしまうのだ。
自分への章子の気持ちを利用して、彼女からお金を引っ張っているだけじゃないのか?と。
世の中には、恋愛感情を金銭に換え、手に入れようとする輩がいることは確かだ。
修一も、そう割り切ることができるのなら、ずっと気が楽なのだろう。
しかし、章子のことは好きだし、そんな卑怯な男にはなりたくないという気持ちは、目前の問題の前には力が弱く、罪悪感が澱のように心の底に溜まっていった。

章子は、気遣いもでき、スポーツもこなし、その上、頭の回転も速い。
他人の喜びを自分の喜びにできる女性で、後輩たちからも慕われていた。
ある1点を除けば・・・
「章子って、痩せたら綺麗になるのに」
「もう、やめてよ。何度同じこと言ったら気が済むの?聞き飽きたわよ。綺麗になって他の男が言い寄ってきたら困るでしょ?」
笑いながら、章子は修一の胸を小さく叩いた。

章子と一緒にいると楽しいし、笑いのポイントも同じだ。
付き合えば付き合うほど、こんなに気が合う人が他にいるのだろうかと思うくらいの女性だ。
好きだという気持ちに偽りはないはずなのだが、どうしてなのか、修一は章子に対して燃えるような愛情を持つことができない。
唯一の欠点とも言うべき、太っているというところも、豊満な女性に惹かれる修一にとっては、大きな問題ではないはずだ。
修一は、章子だけでなく、これまで付き合った女性に対して、本気で好きになったという記憶がない。
自分に好意を持ってくれる女性に好感を覚え、自分も相手を好きになり付き合う。
しかし、相手の心が自分から離れると、自分も相手を好きでなくなり、別れることに何の抵抗もなくなってしまう。
これって、自分を好きになってくれる女性が好きだというだけで、それは言い換えると自分自身が好きなだけのこと、相手のことを心から愛しているのではないということだ。
そんな修一の心は、いつしか相手にも伝わるものなのだろう。
付き合った女性たちは、いつも最後には寂しい顔をして去っていくのだった。

「今月の支払い、あと5万円不足してるんやけど・・・ごめん、貸して」
今月も月末が近づいてくると、修一は片目をつぶって手を合わせた。
「いいわよ」
章子は二つ返事で長財布を開いた。
ミネルバアナリテックの給与水準は悪くない。
役員や重要部門の長は、一部上場企業の親会社からの出向でやってきているミネルバアナルテックは、親会社との差を大きくつけるのを嫌ったのか、はたまた大きく利益をあげている親会社の節税対策のためなのか、ミネルバアナリテックに採用されたプロパー社員も、親会社に準じた給与体系になっており、章子は悪くない給与を得ていた。
その上、本当に必要なものにはお金を出すが無駄遣いはしない、という考えの両親に育てられたせいか、章子もそんな堅実な生活が身についており、修一から買ったマンションのローンを差し引いても、毎月の給与やボーナスの残りが通帳に積み増されていた。

私のお金で修一が助かるのなら・・・喜んでくれるのなら・・・お金を出すことにためらいはないし、これまでもそうしてきた。
修一が好きで、その好きな彼のために自分が力になれるなら、それだけで幸せだと思う。修一が自分を愛してくれているのかどうかは別にして。

でも、そうすることが、本当に修一にとって良いことなのだろうか?
自分の会社を作り、修一が頑張って仕事をしていることは見て取れる。
しかし、赤字になっても最後は章子がなんとかしてくれる、そう思っていて、どこかに甘さを含んでいるのだとしたら・・・
彼を助けてあげようとすることが、かえって修一をダメにしているのかもしれない。
章子は、そんなことを考えるようになっている自分に気づき始めていた。

「知人が実家を相続したそうで、でも住むことはないから売りたいみたいなんや。修一、相談に乗ってやってくれへんか?」
そう言ってきたのは、義母の兄からだった。
「はい、わかりました。ご連絡させていただきます」
この際、どんな話でも仕事に繋がるのなら、ありがたい。
修一は、電話で伯父の知人に連絡をとり、自宅へ伺うことになった。

「初めまして、三上修一です。伯父からのご紹介で伺いました」
タワーマンションのオートロックの玄関で、35階の部屋番号を押し、インターホンに向かって話した。
「はい、どうぞお入りください」
涼やかな女性の声がインターホンから流れ、オートロックのドアが開いた。
床も天井も大理石張りのエントランスを通り抜け、エレベーターで35階に上ると、高級ホテルのような中廊下に導かれ、目的の部屋の前で立ち止まった。
ドアを開けて顔を覗かせたのは、グレーのセーターに大ぶりのペンダントトップがついたネックレスの小柄な女性だ。
修一は、女性の後をついてリビングへ進み、勧められるままに椅子に腰掛けた。

部屋が明るいのは淡い色のフローリングのせいだけではなく、レースのカーテンの向こうに遮るものが何もない空があるからだろう。
「すみません、外を見てみてもいいですか?」
食器棚からティーカップを取り出し、お茶の支度をしてくれている背中に声を掛けた。
「ええ、どうぞ」
「失礼します」
修一は立ち上がり、窓に近づきレースのカーテンを開いた。
窓から青い空が目に飛び込んできた。
東南向きの窓からは、はるか向こうに山の稜線が見え、右手側には大阪湾が弧を描いている。
「すごい!」
地図で見る日本の輪郭を修一は思い出していた。
夜景はもっとすごいのだろうな~、たしかこのマンションの分譲価格は・・・
相当な金持ちでないと買えない部屋だったはずだ。
とすると、相続で受け継いだという実家も、もしかしたら相当大きなものなのかもしれない。
そんな大きな取引の可能性を感じて、修一は期待が膨らんだ。

「・・・で、ご売却を考えられているご実家の場所を教えていただけますか?」
「はい、こちらが権利書ですので、ご覧ください」
女性は上品な花柄のティーカップの横に、司法書士事務所の名前が書かれた封筒をテーブルに置いた。
実家は海に近い下町と言われる場所。
建物は築後40年、土地の広さは25坪ほどで、高度成長期に建てられた小さな建売住宅のようだ。
まあ、ざっくりと計算すると、高く売れても500万円、もしかすると400万円ほどでしか売れないかもしれない。
とすると、仲介手数料は・・・20万円にも満たない。
「ちぇっ」
修一は期待した分だけ損をしたような気分だった。
「値段は、べつにいくらで売れても構わないの。どうせ使わないし、持っていても税金やメンテナンス費用がかかるだけだから」
「はい、とりあえず実際に見せていただき売却査定をさせていただきます。2~3日お時間をください」
修一は、土地と建物の概要を手帳にメモすると、査定の約束をして部屋を後にした。

現地に行くと、思っていたよりも前の道路が狭く、建て替えをするとしたら一定の幅の道路を確保するために、将来の道路部分を残して建て替えをしないといけない、いわゆる道路後退の必要のある道だ。
となると、その分の敷地面積は減らして査定計算をする必要がある。
しかも角地なものだから、もう一方に面した道路も同じくらいの幅なので、こちら側も道路後退が必要となってしまう。
比較事例法という不動産査定の方法は、近隣の取引事例から土地の値段を算出し、建物の現在価値を加えて算出する方法だ。
道路後退によって、将来的に利用できる土地面積は20坪を切ることになり、狭くても1区画が30坪を越えるこの辺りの住宅用地としては、かなり狭い区画ということで、まず売れる見込みは薄い。
比較事例法で査定額を計算すれば、この家は70万円ほどの価格になってしまうことになる。

この家の不動産価値は、本当に70万円ほどなのだろうか?
もし、改装をして貸すとしたら・・・悪くても月額賃料は4万5000円にはなるだろう。
とすると、賃貸に出した場合の賃料収入は年間54万円。
こうした利用価値に着目した査定の方法は収益還元法と呼ばれる。
この家を収益還元法で計算すると、改装費やその他の経費を差し引いて、この状態のままで450万円ほどの査定額を弾くことができそうだ。
450万円の家を仲介したところで、手数料は20万円ほど。
修一は天を仰いだ。

「べつにいくらで売れても構わないの」
たしか、あの女性は、そう言っていたではないか。
だとしたら、70万円の査定書を出して自分が買い取り450万円で売ればいい。
経費を差し引いても、350万円ほどの利益になる。

どうして70万円になってしまうのか、その根拠を並び上げ、査定書を前に懸命に説明をする修一の声に、女性は耳を傾けていた。
「・・・となります。いかがいたしましょうか?」
「ふ~ん、思ったよりも安くなっちゃったわね。ま、いいわ、じゃあそれで売って」
70万円だと、もう少し困惑され、売るのを渋られると思っていたのだが、拍子抜けするほど、あっけなく売却依頼をされた。
「そ、それでは、こちらにご署名ご捺印をお願いします」
修一は媒介契約書(売却依頼の書類)を、おずおずと差し出した。

買い取って再販することで、350万円の利益が出たら、章子に返して、2人の関係のなかの、金銭的に繋がっている部分を解消しよう。
そうすれば、本当に章子を愛しているのか、それとも単にお金だけの関係だったのか、自分の心を見つめ返すことができるだろう。
そして、今度こそ大切なものを見つけることができるかもしれない。

なのに、買取り資金を準備することもできない。
結局、また章子を頼るしか手段がなかった。

「隣の人が、興味がありそうだし、もし隣の人が買わなかったとしても、他でも450万円くらいで売れると思うから・・・」
修一が、買取り資金100万円を貸してほしいと言って来た。
「うん、いいわよ」
そう笑顔で答えた章子の顔には、寂しそうな色が浮かんでいた。
次にお金の無心をしてきたら、それで終わりにしよう、章子はそう決めていた。
私と修一は愛情じゃなくてお金で繋がっているだけだから。
だから、もう離れたい。
そうではない。
修一のためには何だってしてあげたい。
だからお願いされると、断ることはできない。
そんな自分が傍にいると、結局は修一を甘えさせ、彼をダメにしてしまう。
彼をダメにしているのは私なのだ。
修一が言うとおり、それなりの利益が出るのなら、しばらくは私を頼らなくてもやっていけるだろう。
これをきっかけに、修一が立ち直ってくれる。
いいチャンスではないか。

章子が100万円を持ってきた。
そして、その日から章子との連絡が途絶えた。
携帯電話には出ず、メールも返ってこない。
部屋の鍵も変えられていて、修一の持つスペアキーでは開けることさえ出来ない。
マンションにも実家にも帰っていないようで、会社には届けを出して休んでいるようだ。
もしかして何かの情報が掴めるかもしれないと、章子とよく行った居酒屋にも顔を出し、待ち合わせに使った喫茶店にも何度も足を運んだ。
自分勝手な付き合いしかしてこなかった章子との関係。
呆れられ逃げられても、仕方がないとは思う。
でも、もう章子は戻ってこないのか、もう二度と会えないのだろうか?
そう思ったとき、大きな喪失感が修一の胸を突き、ぬぐっても涙が次から次へと溢れて頬を伝った。

結局、隣の人が家を買うことはなかった。
仕方なく、大家さんを生業にしている人に、大幅に値段を下げて買ってもらった。
家の引渡しをしてからしばらくして、仲介をした不動産業者から電話が入った。
「三上さんですか、柳本不動産の河野です」
「はい、どうされたんですか?」
「ええ、実は先日お引渡しさせていただいた物件なんですが・・・改装工事をしていたらシロアリの被害があるみたいなんです」
「ええ!?シロアリですか?」
「はい、そうなんです。浴室の横の柱が2本やられているみたいで、柱をやり直さないといけないみたいで・・・もちろん、これって三上さんの方で費用を出してもらえますよね?」

シロアリ被害など、一般の人が少し見ただけでは判らない不具合については、売主が不動産業者の場合では、売主が引き渡してから2年間は費用負担をして修復しないといけない。
いわゆる瑕疵担保責任というのが、売主の責任としてかかってくる。
建物が古いため、修一が買い取ったときの契約では個人の売主さんに瑕疵担保責任を免除していた。
しかし、いざ売主が不動産業者となると、法律で瑕疵担保責任を逃れることはできないのだ。
「はい、判りました。費用はどれくらいになりそうですか?」
「そうですね、うちの取引の工務店で見積もったら、約200万円ほどになりそうですね」
200万円!そんなにかかるのか!
買取で使ったのが100万円、買い取った後で売った値段は350万円。
200万円を補修費用に使ってしまえば、50万円しか利益は残らない。
でも、費用負担をするしか方法はない。
結局、修一は200万円をかけてシロアリ被害の補修をした。

それから半年ほど経ったころ、また柳本不動産の河野から連絡が入った。
「今度は何ですか?」
怪訝な声で修一は電話に出た。
「三上さん、そう言わないでくださいよ。同情はしますけど、僕だって、お客さんからヤイヤイ言われて困っているんですから・・・ついていないと思いますけど、今度は敷地内の配管で水漏れしているみたいなんですよ」
こちらも、瑕疵担保に含まれる部分であることに間違いない。
ということは、売主である自分の会社に補修義務がある。
まだ瑕疵担保責任を負う期間は1年以上あるのに、これからまだ出てくるかもしれない不具合に対して、利益の残り50万円でなんとかなるのだろうか?

買取り資金として章子に借りた100万円分は、別に保管しているが、これを使うことはできない、これだけはどうしても守りたいのだ。
この100万円は、もし章子に会えることがあれば返そうと思う。
そんなことでは、章子の気持ちを取り返すことはできないとは思っているが、それでも、章子と別れることになった最後の100万円だけでも返すことで、少しでも誠意を見せたい。
それが、章子を失って知った、章子への愛情の証のようにも思えた。

「社長、あの家の買主さんが、こんなに不具合のある家だと知っていたら買わなかった、元の売主に買い戻してもらいたいって言われているんですけど・・・どう返事したらいいですか」
河野は、柳本不動産の柳本美土里に相談した。
「そんなこと言ったって、三上さんとこは瑕疵担保責任を果たしているんだし、買い戻せっていうのは、ちょっと乱暴だと思うけど・・・」
「それにしても、三上さんついてないわね~、こんなに次から次へと瑕疵が出てくるとはね~」
そう言いながらも微笑む美土里に、河野はなんだか違和感を覚えた。
「じゃあ、こうしましょう。今の所有者さんから売却依頼を受けて、うちがまた他に売ればいいんじゃない。そうすれば売主は個人となるし、建物は古いから瑕疵担保責任の条項を省くことも可能でしょ。それなら三上さんも瑕疵担保責任をこれ以上負うことは無くなるわけだし・・・」

「柳本さん、ありがとうございます。そうしていただければうちも助かります」
これで、章子へ返す100万円には手をつけずに済む。
修一はホッと胸を撫で下ろし、電話を握ったまま頭を下げた。
「ご売却されるのなら、うちも客付けに協力させていただきますが・・・」
「いえいえ、お気遣いいただかなくて大丈夫ですよ。あの家を欲しいと言われている方がおられますから」
「えっ、もうお客さんがいるんですか?」
「ええ、実は今の所有者さんに売った直後に、この家を買いたいって言ってこられた方がおられまして・・・タッチの差で買っていただくことはできませんでしたが、この度、また売りに出されますという話をしたところ、是非買いたいとお返事をいただきましたので。そのお客さん、三上さんのこともご存知のようでしたよ」
柔らかい美土里の声が、修一の心を撫でた。

もしかして・・・
「それは、どんなお客さんですか?」
「そうですね、お客さんの詳しい内容はお話できませんけど、ちょっとふくよかな、お若い女性ですよ。三上さん、良かったですね」
ああ、それは章子に違いない。
あの家が隣の人に買ってもらえずに、困って売りに出されたとしたら、買い取って修一を助けようとしたのだろう。
そして、今回も・・・

章子は、自分を見限って去っていったのではなかった。
これまでのことを謝って、もし章子が許してくれるなら、もう一度やり直したい。
もう2度と章子に寂しい思いをさせないようにしたい。
一度失って、自分の本当の気持ちや大切さを気付かせてくれた章子を大切にしたいと、修一は心から誓った。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。