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女不動産屋 柳本美土里

どの服を着ていけばいいのだろう?
三和章子は部屋の姿見を眺めてため息をついた。

大学のゼミの先生の紹介で入社することになった会社は、日本のプラスチックの30%近くのシェアを持つ日本を代表する化学メーカーであるミネルバ化学の分析部門を担当するグループ会社、ミネルバアナリテックだ。
この会社では、ホテルの宴会場を借り切って行われる恒例のクリスマスダンスパーティーに、翌年入社が内定している新入社員が参加することが慣わしとなっている。
そして、今日がそのダンスパーティーが執り行われるクリスマスなのだ。

取引先である大手のプラスチック成形会社の総務部長をしている父も、手放しで喜んだ就職先であり、面接時には会社のトップクラスの面々も自分の父のことを知っているらしいことが分かった。
この就職が、親の七光りなのかゼミの先生の力なのかは知らないが、いずれにせよ恥をさらす訳にはいかないのだ。

章子は昔から運動神経は良い方で、何でも器用にこなしてきた。
アルバイトでスイミングスクールのコーチもしたほどだ。
ダンスについても、初心者向けのレッスンを受け準備しているので、目を見張るほどではないにせよ大きな失敗をせずにこなせるとは思う。
ただ、どうしても隠せないコンプレックスが章子にはあった。

子どもの頃から独り娘として甘やかし放題に育てられ、ご飯でもおやつでも好きなだけ食べさせてもらったことが原因なのか、小学校に上がる頃には立派な肥満体型になっていた。
「ガリガリに痩せているより、子どもは少しぐらい太っていた方が良い、年頃になればそれなりの体型になるものだ」そんなことを言われて育った。
しかしその言葉は、章子に当てはまるものではなかったようだ。
胴回りに比べ、中学生の段階で成長が止まった身長が、それを際立たせていた。

先輩社員や同じ新入社員との初顔合わせとなるダンスパーティー。
もしかして将来の夫となる人と出会うことになるかもしれない。
これからの会社生活を楽しいものにするためにも、できるだけ最初の印象を良くしたいし、できることなら少しでもスリムに見せたい。
章子は再び鏡に向き合い、肩の大きく開いたピンクのタイトなワンピースを脱ぐと、クローゼットからブラックのフレアワンピースを引っ張り出した。
「よし、これでいこう」

駅前からシャトルバスでホテルに向かう。
このホテルは、祖母の誕生日会や父の昇進祝いなどで何度か訪れたことがある。
いつものようにタクシーで向かっても良かったのだけれど、新入社員がホテル前にタクシーを横付けするのは、反感を買う恐れがあるのでやめなさいという父の忠告に従った。
バスの中は既に7割近くの座席が埋まっている。
この中にも、会社の社員がいるのだろうか?
座席の間の通路をカニ歩きして空席を見つけると、ドレスの入った大きなバッグを窓側に放りこみ、章子はどっかと腰を下ろした。

ほどなくホテルの車寄せにシャトルバスは到着した。
エントランスホールの中心に滝が流れるホテルに入ると、章子はボーイをつかまえた。
「ミネルバ化学のパーティー会場はどちら?」
ボーイにバッグを持たせ、エレベーターに乗り込んだ章子は、先に乗り込んでいた女に見覚えがあった。
身長は170センチは優に越えているだろう。
短めの髪でいかり肩、大きな目鼻立ちの女は、宝塚歌劇の男役のようだ。
たしか、入社試験の面接のときに一緒だった同期の新入社員だと思う。
彼女の穿いたダメージジーンズが、その脚の長さを強調していた。

「こんにちは、あなた確か面接のときに一緒だったわよね?」
章子は、物怖じせず単刀直入に訊ねた。
章子の問いかけでエレベーターに他の人も乗っていたことに初めて気付いたように、章子の方に振り向いた女は強張っていた顔を緩めた。
「そういえば、あなたも・・・」
「ええ、ミネルバアナリテックの新入社員として、今日のパーティに来たの。あなたもでしょ?よろしくね」
そういえば、今年の新入社員枠は2名だったはずだ。
ということは、この女が唯一の同期生ということか。
章子は、しげしげと女を眺めた。
ふん、でも私の方が胸は大きいわ。
負けず嫌いの性格が顔を覗かせた。

三上修一は、不動産鑑定士を目指したものの、大学を卒業してから既に3年が経つのだが、まだ合格通知は手にしていない。
父親の稼ぎと母親のパート収入では生活するのがやっとの家庭。
どちらかというと貧しい部類に属するのだろう、この状態から抜け出すには自分が勉強をして立身出世をするしかない。
勉強さえ頑張れば、いい大学に行くことができ、難しい資格をとって、社会で経済的安定とステイタスを得ることができるのだと、修一は勉強に励んできた。

しかし、学ぶことについても世の中は公平ではなかった。
不動産鑑定士の受験予備校の受講料は自分で工面しなければならず、そのローンの支払いのために、修一は働かないといけないのだ。
裕福な家庭の受験生はアルバイトなんかせずに、1日中、予備校の学習室にこもって勉強に打ち込む事ができるのに、昼間の時間をバイトにとられることにより、絶対的な勉強時間のハンデがある。
どんな家庭に生まれたかということで、学習する環境が大きく変わることになる、ということに気付くのが遅かったようだ。
お金さえあれば・・・
修一は、生まれながらにしての貧富の差を恨んだ。

そんな修一が派遣社員として働くことになったのは、大手化学メーカーの分析部門を受け持つグループ会社。
分析するためのサンプルを各事業所へ取りに行き、持って帰ってくるのが修一に与えられた仕事だ。
入社してから半年が経った頃、先輩社員から声を掛けられた。
「三上君、クリスマスに会社でダンスパーティーが開かれるんだけど、参加しないか?」

会社の福利厚生は充実していた。
全国各地に保養所を持ち、リゾートクラブの法人会員でもあるため、社員は申請を出せば自由にそれらの施設を利用することができる。
その上、一定数の社員が集まってキャンプやスキーに行く場合には、会社から補助費が支給される。
しかし、それは先輩のような会社の正社員だけに限られ、修一のような派遣社員には適用されないのだ。
ここでも、修一は身分による対応の違いを痛感させられていた。

「でも、僕は派遣社員だし、会社の行事に参加する資格なんてありますか?」
修一は、少しばかりの皮肉を込めて先輩社員に尋ねた。
「そりゃ、大丈夫だろう。僕が総務に確認してあげるから、OKなら参加しよう。来年入ってくるピチピチの新入社員のお披露目も兼ねてるダンスパーティーだから、楽しいぞ~」
先輩は下卑た笑顔で修一を誘った。
総務の回答は、修一の参加に問題はないということらしい。
ダンスなんて柄にもないし、あまり乗り気がしない修一だったが、先輩の強引な誘いを断るだけの理由も持ち合わせていなかった。

パーティー会場は、世界各国にチェーン展開している有名ホテルだ。
修一にとっては、初めて足を踏み入れる異空間。
通勤にはジーンズとセーター、社内でも作業服を着ているため、きちんとした服装は1着しか持っていない。
修一は、入社の面接以来着ることのなかった紺色のスーツを引っ張り出し、従兄妹の結婚式で締めた白いネクタイで形を整えた。
ボーイが立つ玄関をすり抜けエントランスに入ると、はるかに高い天井、エントランス中央に配した滝が流れる壮大なオブジェが、「お前なんかが来るところではない」と無言で語りかけてくるように思えた。
さて、パーティ会場はどこだろう。
周りを慌ただしく見回したとき、後ろから声を掛けられた。
「三上君、今日の衣装、なかなか決まっているね~」
そこには、黒のタキシードに真珠色のドレスシャツ、ワインレッドのウィングタイをした先輩社員がいた。
パーティーの衣装というのは、こういうものなのか。
結婚式帰りのような自分の服装と見比べ肩を落とした。
もしかして、先輩は引き立て役として自分を誘ったのでは?との疑いが頭をもたげるのだった。

ドアを開けると、どこかで聴いたことのある音楽が会場から流れ出した。
たしか昔の映画「ティファニーで朝食を」のなかで、オードリー・ヘップバーンが歌っていた「ムーン・リバー」だ。
ドアを閉めると、そこは外とは隔絶された別世界だった。
ほの暗い照明に目が慣れてきた頃に見えたのは、3拍子のリズムに合わせてフロアで回転する向かい合った男女。
まるで映画のワンシーンに自分が入り込んだような錯覚を覚えた。
先輩社員に腕を引っ張られて修一は意識を引き戻し、先輩は修一の腕を掴んだまま、数人を手招きで会場の外に誘導した。
「もう、うるさくって声が聞こえん」
会場の外へ出るなり吐き捨てるように言った先輩の前には、2人の女性、そしてこちら側には、いつも一緒に働いている先輩や同僚が並んだ。
「こちらが、来年の新入社員の三和さんと、長井さん」
先輩が参加しているメンバーをそれぞれ紹介して、紹介されたメンバーが順に頭を下げた。
背が低くぽっちゃりしたのと、背が高く目鼻も大きいの、でこぼこコンビだな~というのが修一の2人の第一印象だった。

「あら、優しそうな顔立ちで、なかなかイケてるわ」
章子は修一に対して好印象を覚えた。
春が来て、ミネルバアナリテックの社員として働くようになってからは、修一の控えめな態度やどこか異質で陰があるところも、章子には魅力に映ったのだった。
「章子は痩せたら可愛いんだけどな~」
そう言われ続けて学生生活を歩んできたなかで、2人ほど付き合った彼氏もいたけれど、どちらも、そう長くは続かなかった。
彼らと縁が薄かったのは、こうして修一と出会うためだったのかもしれない。
章子は、ことあるごとに積極的に修一に近づくようになった。

「どちらかというと、幸子の方がタイプかな」
先輩社員に訊ねられて修一は答えたものの、2人とも別に彼女として意識するような相手とは思っていない。
章子は大手のプラスチック成形会社の総務部長の娘、幸子の父は亡くなっていたが、元々貿易会社を経営していた、こちらもお嬢さんだ。
自分とは大きく違った家庭に育ち、順調な人生を歩んでいる2人に、修一が関心を寄せることはなかったのだが・・・。
何のバックボーンもない自分を慕ってくれ、攻撃の手を緩めない章子に、修一はしだいに憎からずの気持ちを持つようになり、いつの間にか2人は深い関係になっていた。

そんな頃に事件は起きた。
修一の父が急に心臓発作で亡くなったのだ。
母の肩に子ども3人の生活がかかることになってしまい、修一もいつまでも不動産鑑定士になるという夢を追いかける訳にはいかなくなった。
修一は自分の人生を考える必要に迫られていた。
いつまでも派遣社員という不安定な立場で年齢を重ねる訳にはいかない。
とはいえ、就職適齢期を逃した自分が、名のある会社に就職することも既に無理だろう。
不動産鑑定士試験の力試しに受け、合格をしていた宅建士の資格を活かして、不動産業界に入ることが現実的なのかもしれない。
不動産業なら、将来的に独立開業するのも難しくはないのでは?と思えた。
そして1年後に、上司と章子の慰留を振り切り、修一は会社を辞めたのだった。

あの人の力になりたい。
あの人の役に立つことが、私の幸せなんだ。
章子は、そう思うようになっていた。
いつでも彼がやって来られるように、章子は実家を出て独り暮らしを始めた。
彼のために食事を作り、仕事の付き合いのために小遣いが不足しているとわかれば、財布にお金をしのばせてあげた。
一緒にいたいと彼に思ってもらえる女でいたかった。

修一にとって章子の行動は、最初は心苦しかった。
本当に愛しているのかどうか疑わしい相手から、いろいろと受け取る。
これって、女を利用しているだけの酷い男じゃないか?
そんなことを思ったりもした。
しかし、章子から与えられる生活に慣れてしまうと、そうすることで章子が喜んでいるのなら、遠慮なく受け取ることが章子のためでもあるんだ、と自分を納得させ、それが章子との関係となった。

修一の働き出した会社は、全国チェーン店の不動産仲介業者。
かつてのアイドル歌手を店長役でCMキャラクターに起用した、名の知れた会社だ。
しかし実際は、あんなに優しそうな店長はいるはずもなく、1日に1度は怒声の聞こえる中での仕事だった。
「こら、中島~、お前は仕事する気あるんか~!!」
説教部屋から漏れ聞こえる声。
お客さんが来店していないときの応接室は、店長の説教部屋となる。
売り上げの悪い社員は店長から呼び出され、とことん絞りあげられるのだ。
営業会社というのは、どこもがこんなものなのだろうか?
ミネルバアナリテックの自由な雰囲気の中での仕事とは、180度異なる職場環境にとまどいを感じた。

修一の会社が洋服屋さんや食べ物屋さんなら、売り上げに協力してあげることもできたかもしれない。
でも、不動産屋さんでは、そうそう簡単に買って売り上げに協力するということはできない。
それでも1度、章子はマンションの1室を修一から買ったことがある。
「他人に賃料を払うことを思えば、自分の部屋としてローンを支払ったほうが、ええやろ?」と言われ、どうしても売り上げが足りないというときに、賃貸で借りていた部屋を解約して、売り出されていた中古のマンションを買ったのだ。
財閥系の会社に勤める父からは、「マンションを買うなら、グループ会社に不動産会社もあるのだから、そこを通して買えば、いろいろと優遇してくれるのに・・・」と苦言を言われた。
はたして父は、修一のことを気づいているのだろうか?
たぶん母は修一と自分の関係を気づいているだろう。
「放っておいてよ、私がしたいようにするんだから」と突っぱねたものの、結局は父親が購入代金の半分を出してくれて、半分は章子がローンを組むことになった。

修一がミネルバアナリテックを辞めてから2年が過ぎようとしていた。
「売り上げ売り上げって、ほんまに煩い会社や。目標を達成しても、また月が変わったら0からのスタートや。お客さんに詰め寄るのが仕事みたいになっていて、全くお客さんのことを考えてない」
そう言うと、修一はビールを一気にあおった。
そして、胃に手を当て顔をしかめた。
どうやら、胃が痛むらしい。
「胃薬でも飲む?」
「そんなんいらんわ、どうせ効かへんと思う」
さらに顔を歪めながら修一は答えた。

「俺はもっとお客さんの気持ちに沿った仕事がしたいんや」
修一の口から、独立開業の話が出るようになった。
心優しい修一は、お客さんを追い詰めて売り上げにするというやり方が、性に合わないのだと思う。
そんな心苦しい思いをしながら仕事をしている修一を見るのは、章子にとっても辛い。
「なら、自分で不動産屋さんをしたら?」
「そんな簡単に言うてくれるけど、開業するには少なくとも300万円ほどは必要なんや。そやけど、そんなお金持ってない」
300万円か。
貯金をはたき、社内融資を借りれば、なんとかなる金額だ。
「そのお金、私がなんとかするから・・・」
もし将来、修一と結婚することができて、子どもが生まれたら、会社を辞めて修一の不動産屋を手伝えることになるかもしれない。
そうしたら、以前のように修一の働く姿を見ながら、いつも一緒にいることができる。

300万円といえば大金だ。
彼氏の開業資金を父親に頼ることはできないだろうし、章子にも準備は難しいだろうと思っていた。
でも、ひょっとしたら、なんとかしてくれるかもしれない。
章子の表情を覗いながら出した数字だったが、驚いたことに準備できるという。
300万円を出してもらうことで、大きな借りができることになるけれど、不動産屋をして儲けたら返せばいい。
念願の開業を果たすために、ここは借りておくつもりで、出しておいてもらおう。
修一は章子の援助で、不動産屋を開業することになった。

4月号に続く

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。