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女不動産屋 柳本美土里

“立春の雪のふかさよ手鞠歌”
俳人・石橋秀野が詠んだ俳句を思い出した。
立春だというのに、昨夜から降り続いた雪のせいで、滅多に積もることのない事務所の前の道路にも白い層ができている。
暦の上では春が来るという日ではあるものの、実はこの頃がいちばん寒いのではないかと、いつも大輔は思っていた。
10年以上前に買い換えたエアコンは、部屋のどこを暖めているのだろうか?
足元に広がる冷気を小さな電気ストーブで追い払い、上から目線のくせにたいして役に立たないエアコンを下から睨み上げた。

30歳のときに社会保険労務士事務所を開いてから、今年で20年を越える。
クライアントもそれなりの数となり、経営も安定している。
しかしこの頃では、少し走ると息切れがしたり、風邪をひいても治りが遅くなったように感じる。健康でバリバリ働ける年月は、それほど長くはないのかもしれないと思い始めた。
子どもたちも成長し自立した。
そろそろリタイア後のことを考える時期に来ているのかもしれない。

リタイアするということは、仕事を辞めてしまうということ。
となると、なにはともあれ、命が尽きるまで生きていくためのお金が必要となる。
60歳でリタイアして90歳まで生きるとすれば、30年間の生活資金が必要なのだ。
年間300万円で生活するとすれば、単純に9000万円が要るという計算になる。
年金?いつ破綻するかもしれない年金システムを信じて人生設計をするわけにはいかないというのは、既に僕たち世代の合言葉のようになっている。
では、9000万円あれば安泰かというと、そうでもなさそうだ。
資本主義経済のなかでは、30年間という時間はインフレをもたらし、貨幣価値を減少させる。
つまり、年間300万円で暮らせていたのが、物価の上昇により400万円、500万円かかってしまうようになっていくのがインフレなのだ。
そうなると9000万円の貯蓄があっても、安心してリタイアすることはできそうもない。
もちろん、現在、そんな貯金はないのだけれど・・・

インフレに対抗するためにも、お金を上手く運用するためにも、投資という考えは避けて通れなさそうだ。
そう考えた数年前から株式投資を行っているが、資産運用は資産の種類に預貯金や債権・株式・不動産という3つの種類に分けて投資するのが、安全で安定した運用方法だと聞く。
それからすると、自分の資産は預貯金と株に比率が偏っていて、不動産の割合が低い。
というより、家は持っていても、投資としての不動産はひとつも持っていないのが現状なのだ。
でも、どういう不動産を買えばいいのだろうか?
インターネットで不動産投資の情報を集めてはみるが、人によって言っていることが違っていたりして、自分に置き換えたときには、さて?どうなのだろうかと思う。

朝に積もっていた雪は、昼ごろには融け、融けきれなかった名残りが、夕方からの冷え込みのせいで、そこを通った人たちの足型が付いたまま凍っている。
滑りそうになる足元に気をとられながら、大輔は友達が待つ居酒屋へ足を運んだ。
今日は、高校時代の同級生の1人が地元に帰ってきているというので、プチ同窓会を開くという。
「やあ、久しぶり~」
大輔を待っていたのは4人、まだ到着したばかりなのだろう、テーブルの上に飲み物はまだ置かれていない。
彼らは、昨年あった50人規模の同窓会でも会ったメンバーばかりだ。
それぞれの子どもも成長し、ひと段落した年齢になったことで、若かりし昔を懐かしむ気持ちからなのか、社会に出る前の損得勘定を抜きにして付き合えた、あの頃の郷愁や友情が引き付けあうのだろうか、あの同窓会をきっかけとして、時々会うようになっている。

「なあ、健一。お前、アパートとかいろいろ持ってるんやろ?ちょっと不動産投資について相談に乗ってくれへんか?」
同級生のひとりである健一の家は、農家で地主だ。
住宅が立ち並ぶエリアにある土地は、耕作するより、アパートを建てて貸した方が利益が上がるという。
「うちは土地があったから、それをどう活用していくか?ということで、アパートを建てて経営してるんや。お前の場合は土地も買わなあかんやろ?そしたら、投資額が大きくなって、それに見合った収益は上がらんのちゃうか?」
「だったら、中古のアパートとか買うたらええんちゃうの?」
「そうやな、中古なら安いから収益率は高くなるようやけど・・・収益率っていうのは、投資した額に対する収益額の割合いう意味やで」
「それくらい知ってるわ、多少の勉強はしたんやから」
「でも、うちらの地主仲間でも、へんな建築会社にアパート建てさせられて困っているやつがいるから、気をつけないとな」
いつの間にかビールグラスから猪口に変わった手元の杯を持ち上げた。

「あんたら、なんや難しそうな話してるな~」
横から口を挟んだのは美智子だ。
美智子は、大学を卒業してから銀行に勤めていたのだが、銀行へ検査にやってきた旧大蔵省の役人と知り合い結婚した。
「お前とこはええわ。旦那が大蔵省の役人やから、辞めても天下りできるし、その度に高給とドカンと退職金が貰えるんやからな」
「そんなことないわよ、最近は天下りにも批判が強くなってきてて、簡単にはできなくなってるのよ」
「そんなこと言うても、どうせ上手いことやるんやろ」
親がやっていた鉄工所を継いだ正明が口を尖らせて言った。
「いずれにしても、いつまでも働ける訳じゃないし、しっかり考えんといかんな~」

「不動産投資するんやったら、柳本さんに言うたらええんちゃう?」
「柳本って?」
「うちらの高校の後輩で、私と同じ銀行に入った子がいるんよ。で、銀行を辞めて、今は親がやっている不動産屋さんを駅前でやっているみたいよ」
「ああ、柳本不動産の女社長やな。うちのアパートにも、何人か入居者を紹介してくれたわ。あの社長って、俺らの後輩やったんか」
「美土里って言う名前やったっけ?大輔、あの社長はええぞ~、背は高いし綺麗やし」
健一は、にやけた。
「そんなことより、その不動産屋、仕事の方はしっかりしてるんか?」
「うちに出入りしている他の不動産屋に聞いたんやけど、あの女社長は、なかなかやり手やし、お客さんの立場に立った仕事をするって有名らしい」
「そんな綺麗で、ええ女社長なんやったら、俺も相談してみようかな~、工場の敷地を削ってマンションでも建てたいって」
赤ら顔になった正明も乗ってきた。
「バカなこと言ってないで、正明はしっかり鉄工所やっとけ」
「とりあえず、柳本さんに相談してみたら?」
「そうやな、勉強のためにも、いろいろ話を聞いてみたらええかもな」

美智子に連絡をとってもらって、大輔は柳本不動産を訪れた。
「そうですか、美智子先輩の同級生なんですね。で、不動産投資を考えていると」
「ええ、そうなんです。将来のことを考えると不動産からの収益というのは、やはり魅力的だと思うんです。でも、どんな物件を買えばいいのかよくわからないし、いろいろと教えてもらいたいと思って・・・」

美土里は、真っ直ぐに大輔を見た。
「どういった目的のために不動産投資をしたいと思われているのですか?」
「どういった目的って・・・」
「例えば、節税のためなのか、現在の収入を増やしたいから、将来の収入確保のため、とか・・・」
「ええ、私の場合は、節税と言うのも魅力的なんですが、リタイア後の収入を確保したいというのがいちばんの目的です。目的によって投資する物件が違ってくるのですか?」
「そうですね、節税目的だとしたら、減価償却が大きい新築物件や比較的新しい物件をお勧めします。また収入を増やすのが目的ということでしたら、できるだけ自己資金を大きくして収益率の高い物件を狙うのがいいと思います」

「大中さんの場合なら、リタイア予定の前に完済する期間だけローンも利用して、自己資金も一定額を出して購入されるのが良いように思います。もちろん、利回りが良いに越したことはないのですけど」
「やっぱり、利回りは良い方がいいんですよね」
「そうですね、利回りは良い方がいいんですけど、古くて補修費用が大きくなるようなら、後で考えると、思ったほど収益が出なかったということにもなります」

「それと、利回りというのは、いくつかの注意点があるんですよ」
「注意点ですか?」
「ええ、そうです。まず収益物件の場合、現在の入居者からの賃料が収益額として、売却価格に対する割合が、表面利回りというのですけど、これって、あくまで現在の収益額であり、現在の利回りなんですよ」
大輔は、美土里の言いたいことが、すぐには理解できなかった。
「つまり、現在のというのは、過去の賃料相場が高かったときや、建物が新しい頃に入居された方の場合は、比較的家賃が高いケースがあるんですよ。もちろん、そのまま借り続けてくれればいいのですが、そういう訳にはいきません。借主は借主の事情で転居されたり、賃料が高いと判断されれば、賃料の減額交渉をされてしまうかもしれません」
「なので、もし今、募集をすれば、どれくらいの賃料がとれるのかを基準にして利回りを考えることが大切だと思います」
「次に、表面利回りというのは、固定資産税や管理費、修繕積立金などの経費を差し引く前の収益額で計算しています。実質の収益というのは、賃料などの売り上げから、それらの経費を差し引いて残った金額で計算した利回りが、実質利回りとなり、その数字が重要なんですよ」

「それと、収益物件の購入を考える上で、最も大切なのは、買おうとしている物件に賃貸の需要があるのかどうか?ということです。想定した利回りがいくら高くても、実際に借り手がいないとしたら、経費がかかるだけのマイナス財産となってしまい、買わない方がマシということにもなりかねません」
「需要があるかどうか?という点ですが、極端な話をすれば、過疎化が進んでいる田舎で、ほとんどの人が自分の家を持っているというところで、賃貸マンションを建てても借り手はまず望めません。工場が立ち並ぶエリアで高額所得者向けのグレードの高いマンションや家を建てても、入居者を見つけることは、なかなか難しいと思われます」
「買おうとしている物件は、需要が見込める物件なのか?間取り変更などのリノベーションをすれば需要があるのか?など、まずは需要を見据えることが、収益物件の購入では大切だと思います」

「なるほど、美土里さんが言われていることは、よくわかります。入居者がいないと収入が上がりませんからね。でも、需要があるかどうか?現在の賃料相場がどれくらいか?など、なかなかわかりにくいように思うのですが」
「そうですね、一般の方には難しいかもしれません、それでも推測する方法はあるんですよ。まあ、その話はおいおいさせていただくこととして・・・プロである私たちが需要や賃料相場を物件ごとに検討させていただきますので、ご安心ください」
美土里はニッコリと笑顔を向けた。

「ところで、お勧めの物件とかはありますか?」
「そうですね~、実は今、ご売却依頼をいただいている小さなビルがあるんですよ」
「ほう、どんなビルですか?」
「3階建ての鉄筋コンクリート造のビルで、延べ床面積が約90坪あります。建てられてから35年くらい経ったビルです」
「で、1階の店舗が全て入居されていて、2階3階が募集中です。2階3階はメゾネットになっていて、元々オーナー家族が住まれていたんです。なので、2階30坪3階30坪の合計60坪の広いスペースとなっているんですよね」
大輔は、売却価格と1階店舗の賃料を訊ねた。
「売却価格は3500万円、1階賃料は合計で18万円、年間賃料216万円となりますから、現状での表面利回りは6.17%ですね」
「2階3階の募集賃料はいくらなんですか?」
「12万円です。なので、2階3階に入居をされたとしたら、月額賃料が30万円となり、年間賃料収入360万円、表面利回り10.28%となります」
「この辺りで、鉄筋コンクリート造で表面利回り10%を越えるのは、そうそうないでしょうね。でも、それだけ広いと、なかなか借り手はいないんじゃないですか?」
大輔は、首を傾げた。
それに対し、美土里は意味ありげな笑顔を浮かべた。

「そうですね、一般的な居住用としては、たしかに難しいように思います。ただ、実はこの部屋について入居を希望されている人がいるんです」
「えっ、そんな人がいるんですか?」
「はい」
「だったら、その人に入居してもらえば、現状での表面利回りも10%を越えて、売りやすくなるんじゃないですか?」
「ええ、そうですね。でも、それはできないんです」
大輔の頭の中には、ハテナマークが飛び交った。
「何故かというと、その入居を希望されているのは、売主の息子さんが経営している会社なんです。元々、このビルに入っておられたんですが、その息子さんの会社が大手企業に吸収合併されてしまうと、その親会社の会計監査より、社長の親が所有しているビルとの賃貸借契約というのは、親族間での取引で問題あり、ということになり、事務所をビルから他に変えないといけなくなったという経緯があるんですよ」
「でも、立地的にも広さや、駐車場の確保のしやすさなど、やっぱりこちらのビルの方がいい。そこで、売却して所有者が親じゃなくなれば、親族間取引ということにはならないので、また入居することができるんじゃないかと言われているんですよね」
「そのためだけに、ビルを売却するんですか?」
「いえ、それは結果的なことで、そうしたことも可能になりそうだと気づいたということで、売却理由は、高齢のお母様の介護や医療の費用を捻出したいということなんです」

美土里に案内してもらったビルは、駅前から南に伸びた大通りに面していた。
敷地が約100坪あり、建物の裏にはパティオをイメージする庭も広がっている。
外付けの螺旋階段からは、光る海を遠くに臨むことができる。
築後35年が経っているので、建物自体は古めかしい雰囲気があるが、外壁に部分的に貼られたタイルが、独特のイメージを醸し出している。
「いいんじゃない」大輔は、好印象を受けた。

「・・・で、ローンはどちらか心当たりの銀行とかはあるのですか?」
ビルの購入を決めた大輔は、美土里と購入資金の準備について打ち合わせをしていた。
「そうですね、以前、取引銀行で不動産投資について話をしていたら、融資してもらえそうな話だったので相談に行ったんです。でも、この物件では築年数が古いので融資は難しいと言われてしまって・・・それに、金利のことを考えると公的な機関の方が安いので、そちらで借りることができれば、そちらにしたいと思って」
「公的な機関というと、日本政策金融公庫ですか?」
「ええ、そうです」
 美土里の顔が少し曇った。
「日本政策金融公庫ではダメなんですか?」
「いえ、ダメということではないんですけど・・・大中さんは、不動産は他にお持ちですか?」
「ええ、自宅のマンションを持っていますけど」
「そのマンションは住宅ローンがまだ残っていますか?」
「はい、まだ買ってから5年ほどしか経っていませんから」
さらに美土里の顔が曇り、そのせいで大輔が不安そうにしているのに気づいた美土里は、慌てて笑顔を繕った。

「銀行の場合なら、お金が融資される同じ日に、売主さんから買主さんへ所有権移転がされ、その不動産に銀行の抵当権がつく、つまり購入不動産が融資の担保となるわけですが、日本政策金融公庫の場合、お金が融資される前に、担保する不動産を差し出さないといけないので、他に担保として差し出す不動産をお持ちじゃないとすると、購入不動産を担保とすることになります」
「ということは、売主さん側から言うと、お金を全額もらっていないのに、不動産を担保として出すのは、大きなリスクがあるのです」
「リスク?」
「ええ、失礼な話で申し訳ないですが、一般的な話として聞いてください。手付金などの一部のお金だけを受け取って担保提供すると、日本政策金融公庫からお金が出ますよね?お金が買主さんの銀行口座に振り込まれるわけですから、お金が通帳に入ってから所有権移転までにタイムラグがあるので、買主さんに悪意があれば、そのお金を使ってしまったり持ち逃げすることもできてしまうんです」
「使ったり持ち逃げしたりしないまでも、何かの支払いとして引き落とされてしまったりということも考えられます。そうなると、売主さんは不動産に担保を付けられたのに、売買代金全額を受け取ることが難しくなることも考えられえるということなのです」
なるほど、売主さんの立場に立つと、それはちょっと怖い話にもなるわけだ。

「じゃあ、例えば、売主さんに担保提供してもらうときに、一旦全額お支払いするというのでは、どうなんですか?それなら、売主さんにとっては問題ないのではないですか?」
美土里は優しく微笑んだ。
「そうですね、売主さんにとってはリスクはなくなります。でも、そうなると今度は買主さんにリスクが発生するのです。つまり、売主さんは不動産に担保提供されたけれども、お金は全額受け取った。もし、その不動産の価値が担保提供して融資した金額よりも大きい場合、その不動産を担保に他にお金を借りることもできるし、他の人に売ってしまうことも不可能ではありません。そうなると買主さんは、お金を既に全額払っているのに、余計な負担を負うことになったり、自分のものにならなかったりするリスクが生じるのです」
「ということは、お金の受け渡しと所有権移転や抵当権の設定は、同時にするのが一番いいって訳ですね」
「ええ、そうなんですけど、日本政策金融公庫の融資方法が、そうなっているのですから仕方がありません。お互いが極力リスクの少ない方法をとるようにしましょう」

「ところで、融資はどれくらい受けようと思われているんですか?」
「さて?美土里さんは、どう思われますか?」
「そうですね、賃料収入が10万円と8万円と12万8000円で、3室で月額30万8000円あります。でも、万一どこかの部屋が空室となって賃料が入らなくなっても、持ち出しがないようにローン額を組みたいですね。1番高い部屋が空室となっても、18万円ありますので、それ以下がいいと思われます。可能性としては低いと思うのですが、万一2室が空室となって最も家賃の低い部屋だけが残るとなると、賃料収入とローン支払い額の差額は10万円にもなってしまいます」
「そうですね、じゃあ15万円くらいのローン支払いで済むようにするとすれば、いくらくらいまで借りられそうですか?」
「そうですね、15年返済としてこの金利で2500万円借りるとすると、15万4000円の月々払いということになりそうです」
「じゃあ、それくらいでいきましょう」

日本政策金融公庫で無事に融資の承認も下り、柳本不動産の計らいで、売主さんに担保提供してもらう換わりに自己資金分の1000万円を中間金として入れることにし、融資当日に所有権移転を行うように決済の日を調整した。
「この度は、ありがとうございました」
「今度は借主としてお世話になります」
売主の息子さんが、深々と頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
銀行を後にする売主と買主を見送ると、美土里の目に、駐車場の片隅に咲く満開の白梅が映った。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。