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女不動産屋 柳本美土里

初詣に行くというのは、信仰心などとはあまり関係なく、単なる正月のイベントなのだろう。 それは自分も同じだよね。
そんなことを思いながらも、美土里は近所にある天満神社の参拝道を進んだ。
石畳の参拝道の両側には屋台が出ており、小学校2年生くらいだろうか?男の子が母親の手を引っ張って、たこ焼きの順番の列に並んでいる。
さて、自分が家族と初詣に来ていたのは、いつ頃までだったろうか?
たしか、中学生の頃が限度だったろう。
高校に入ると、親と一緒に季節のイベントや買物などに行くことは滅多になくなり、大抵は友達と行動をするようになっていたと思う。

高校を卒業し東京の大学に進んだ美土里は、そのまま東京で銀行に就職し、不動産会社を経営する父の体調がすぐれなくなったのを機に地元に戻ってきた。
その頃には、地元の友人のほとんどは既に結婚していて、たまに一緒にランチへ行く程度の付き合いとなってしまった。
「美土里はいいわね~独身で」
彼女たちからは、そう言われる。
たしかに、夜泣きをする赤ちゃんのために寝不足になることも、子育てに悩むことも、旦那さんの愚痴を言うこともしなくていい。
しかし、風邪をひいたときに、ご飯を作ってくれる人もいなければ、薬を買いに行ってくれる人もいない。
万が一、そのままひとりで死んでしまったら、「女社長が孤独死」と新聞に書かれるのだろうか?そんな心配は、家族がいる彼女たちはしたことがないだろう。

家族を持つということは、それだけ苦労の種が増えることでもあるのだろう。
でも、一緒に苦労をする人がいないのは、振り返って苦労を一緒に笑い合える人もいないということなのだ。
そんな独身の気持ちを、立場が違う彼女たちに本当に理解してもらうのは難しいということがわかるだけに、話すこともできずに、愛想笑いをしているだけの自分がいる。

正月早々、まして初詣に来ているのに、そんな愚痴っぽいことを考えるのは止めよう。
そう思って前を向いたら、なんだかよく見る背格好の男性が目に入った。
隣の人物に笑いながら話しかける横顔は、まさしく社員の河野くんだ。
「河野くん」
呼びかけようとしたものの、隣にいる人が女性だと気付いて、慌てて口を押さえた。
もしかして彼女?
そんな素振りを全く見せていなかった河野くんにも彼女がいたのか?
どんな女性なのか興味本意に見てやろうと思っているのに、本殿前のごったがえした人ごみの中で見えたり見えなかったり、そのうちに、2人は人波に飲まれてしまった。
ふふっ、年明けに面白いからかいネタができたわ。
人の波に流されながら本殿前に出てきた美土里は、今日だけの信仰心を大いに出して柏手を打って目を閉じた。

「明けましておめでとうございます」
仕事始めの日、河野はガタピシと音を立てる玄関の引き戸のドアを開け、お辞儀をすると挨拶をした。
「はい、おめでとうございます。今年もよろしくね」
美土里も、新年の挨拶を返した。

河野が席に着くやいなや、美土里は口を開いた。
「河野くん、見たわよ~」
「見たわよ~って何ですか、社長、お化けが出たみたいに」
「正月の神社にお化けが出るわけないじゃないの。河野くん、女の子と初詣に来てたでしょ」
美土里はトンボを取るように、河野の目の前で指をくるくると回転させた。
「ああ、天満神社ですか」
美土里は河野が焦るのを期待していたのだが、意外にも落ち着いた様子に気勢をそがれた。
「社長も来られていたんですね、じゃあ声でも掛けてくれれば良かったのに。そしたらお年玉でもねだったんですけどね」 河野もやり返す。
「よく言うわよ、女の子とデート中なのに声を掛けられるわけないじゃない」
「デート?社長、何か誤解しているようですね。あの子は高校生の従兄妹で、正月に遊びに来てたから、初詣に付き合ってあげただけですよ」

「な~んだ、そうだったの、つまんない」
一気に興味を失った美土里は、パソコンに向かい、まだ見ていなかった新着の不動産売却情報の確認を始めた。

「おっ!これは、なかなかいいんじゃない?」
美土里は、先日、異業種交流会で知り合った行政書士さんが、収益物件を買って「金持ち父さん」的な生活を目指しているということで、物件探しをしていた。
その行政書士さんに紹介できそうな物件が新規登録されていた。
鉄筋コンクリート造の3階建て、金額は3500万円、満室になった場合の収益利回りは10%を越えている。
初めて収益物件を買うのには手ごろな値段だし、鉄筋コンクリート造で収益利回りが10%を越えるなんて、ちょっと美味しそうだ。
しかし、満室予想の利回りはあくまで予想だ。
実際に入居しなければ絵に描いた餅。
「どれどれ、そんな金額で入居しそうな部屋なんか?」
現状は、1階店舗は満室で、2階3階が空いている。
2階3階はメゾネットタイプになっており、元々オーナー家族が住んでいたようだ。
そして2階の1部屋が事務所仕様に改装されている。
2階3階部分で100㎡を越えているために、賃料が高くなっており、なかなか入居者が決まらないのかもしれない。

でも、今回物件を探しているのは、行政書士の先生だ。
2階3階は事務所兼自宅として利用できるんじゃない?
と、物件がまだ売れていないことを確認して、行政書士の先生に電話をした。
「先生、先日はどうも。ご紹介できそうな収益物件が売り出されたんですけど・・・」
と物件の内容を紹介してみる。
現在、空いている2階3階を事務所兼自宅へと提案するものの、子どもの学校から遠くなるということであっさりと却下された。

それでも、見てみたいということだったので、案内をすることになった。
1階店舗は入居しているので外から、2階3階は内覧ができるみたいだ。

案内当日、美土里は最寄り駅まで行政書士を迎えに行った。
「柳本さん、ごめんね、忙しいのに・・・」
「いえいえ、これが仕事ですから」と言いながら、美土里は行政書士の事業内容について聞き取りをする。
増田陽一、年齢45歳の行政書士は、建築関係の許認可を主に取り扱っているということだ。
なかなかのやり手らしく、経理内容も順調だという。
これなら、ローンもなんとかなりそうだ。
駅から歩いて10分ほどに目的の物件はある。
そのため、車だとあっという間に現地に着いてしまった。

物件に隣接する駐車場に車を停め、現地へ歩いていくと、売主側の仲介業者が物件の前で待ってくれていた。
「お世話になります、柳本不動産の柳本です」
美土里はそう言って相手を見ると、どこかで見たことがある顔だ。
名刺の交換をして、名前を確認すると、「あ、やっぱり」。
高校時代、サッカー部に所属していた中野君だった。
優しそうな顔立ちで自然な温かさを感じられる中野君は、少なからず女生徒に人気があった。
「もしかして、中野君?」
「そう、美土里やろ?びっくりした」
「うん、なんで・・・」とは聞けず、「今日はよろしくお願いします」と仕事を優先した。
たしか、高校時代の同級生の中野君は、市役所に勤めたって聞いていたんだけど、どうして不動産業者の営業として目の前にいるのか?
そんな疑問のなか、増田行政書士を物件に案内した。
増田行政書士は、このビルが駅から10分ほどの場所にあり、駅前から続く大通りに面しているという立地が特に気に入ったようだ。
それでも、やはり2階3階の部屋が空いているのが気になったようだ。
そこで、美土里は中野君に聞いた。
「この2階3階部分は空いているんだけど、募集はしてるのですか?」
同級生と知って、タメ口なのか敬語なのかわからない、なんだかぎこちない言葉になってしまい苦笑した。

中野君が言うには、もしこの物件が売れたなら、現在の売主さんの息子さんの会社が2階3階を事務所として使いたい、つまり借りたいらしい。
というのは、元々、ここに事務所を置いていけれど、会社が1部上場企業に吸収合併された後は、母親の所有物件を息子の会社が借りているというのが、関係者間での取引にあたるために良くないということで、わざわざ他の事務所へ転居したのだそうだ。
しかし、立地的にも、使い慣れているという点においても、この事務所がいいということでできれば戻りたいらしい。
そして、売却することで所有名義が変われば、借りて戻ることに問題はなくなると。
「なるほど、そういうこともあるんだ」
ということは、当面この物件は満室となり、収益は確定し利回り10%以上は確定することになる。
「利回り10%が確定するということなら、悪くないと思いますよ」
美土里のアドバイスにしたがい、増田行政書士は売主の息子の会社が入居してくれることを条件に、購入申込みを出すことにした。

「中野君、案内の立会いありがとう。お客さんも物件を気に入ったらしくて、購入申込みをしてくれたわよ。ただ、売主さんの会社が入居してくれることが条件だけど」
「ところで、どうして中野君が不動産会社で営業してるの?市役所に勤めていたんじゃなかったの?」
美土里の質問に、電話では話しにくいからということで、後日ご飯でも一緒に行こうということになった。

中野君が指定したレストランは、イタリア人のシェフがいるという駅ビルの上層階にあるレストランだ。
エレベータ内の鏡に、グレーのニット地のタイトなワンピースに、ショートブーツ、オニキスのロングネックレスを合わせた美土里が写る。
「少し短かったかな?」
膝が見えそうな裾を引っ張ってみた。

レストランに入り席に案内してもらうと、先にテーブルに着いている中野君がビールグラスを手に微笑んでいた。
「お待たせ」
美土里は中野君の左横の席に着き、同じくビールを注文した。
「この度は、購入申込みをいただいて、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。とりあえず乾杯しましょう」
そして、半分ほどになったグラスと口の縁まで泡が盛り上がったビールグラスを合わせた。

「酔っ払う前に、仕事の話をしておきましょう」
美土里は、ビールグラスを脇にずらした。
「あのビルの件だけど、売主さんはどうして売ろうと思ったわけ?利回りが10%もあるなら、売る必要はないんじゃない?もしかして、他に何か理由でもあるの?」
中野君は、首を傾げて頬杖をついた。
「そうやな~、積極的に売る理由っていうのはないんやけど、1つ目は、先日話をした通り、できれば会社の事務所をあのビルに戻したいってこと、それには名義が変わらないと難しいから。2つ目は、所有者であるお母さんが、老人ホームに入っているので、そのためにお金の捻出が必要ということ。3つ目は、満室になったら収益率10%を越えるけれども、2階のメゾネットは大きすぎて、なかなか入居者が決まらないだろうということ、空いたままなら利回りは6%あまりに留まるからな」

中野君は、ビールをひと口飲んで話を続けた。
「それとな、実は、売主さんは、あのビルの賃貸にからんで裁判で訴えられたことがあるんや」
「裁判?」
「そう、裁判。とは言っても野良犬に噛まれたような、言いがかりみたいなものなんやけどな」
「どんな内容なの?」
「2階3階は、知っての通り、元々オーナー家族が事務所兼居宅として住んでいた部分なんや。そやから用途は事務所兼居宅として賃貸募集をかけてたのが、作業所をしたいという人が借りたいといって来た。作業所となると、事務所兼居宅として募集をしているのとは用途が異なるから、利用用途が変わってもいいか?オーナーに確認し、オーナーからも利用用途を変える承諾をもらったんやけど、それがあかんかったんやな~」

「どうして、それがあかんの?」
「借主は、その承諾を福祉施設としての作業所ができる許可を得たって勘違いしたみたいなんや。でも、福祉施設をしようとすると、階段の幅を広げたり、消防設備を充実させたりしないとあかんから・・・消防施設については、なんとか協力しようとオーナーさんは言うてくれたんやけど、鉄筋コンクリート造の階段の幅を広げるのは、建替えくらいの費用や時間がかかるということで、それは到底できないと。そりゃあ当然やわな。結果として、あのビルの2階3階では福祉施設はできず、借主からオーナーとうちの会社に対して、損害賠償請求をされたって話」
中野君は、溜息をついた。

「そんなん、オーナーや仲介業者に福祉施設の許可を出す権利なんてないし、そんなことは事業をする借主がチェックすべきものでしょう。利用用途の変更を承諾したということを取り上げて損害賠償請求するなんて、どうかしているわよ」
「最終的には、オーナーさんは受け取った賃料を全部返し、うちの会社も仲介手数料を返して和解となったんやけど、もしかして、そのことで賃貸経営に嫌気がさしたのかもな」
「和解なんてせずに、徹底的にやっても良かったんじゃない?」
「僕もそう思うたんやけど、優しいオーナーさんで、相手も会社を立ち上げたばかりでお金がいくらか掛かったのも事実やし、そやのに実際に事業ができずに可哀相やからと。オーナーにそう言われたら、うちも折れなしゃあないわな」
美土里は、なんだか釈然としなかったが、それは美土里や買主には関係のない話だと、気持ちを切り替えた。

「それと、売主さんの息子さんの会社が2階3階に入居してくれるって言ってるけど、それって入居すると言って売って、一応入居はしたけれど、またすぐに出て行きます、なんてことはないのでしょうね?」
美土里は鋭い視線を中野君に投げた。
「確かに、そう心配されるのは当然だと僕も思う。利回りが上がるからと言うて売っておいて、実際はすぐに退去してしまって空室が続き、想定利回りの確保ができなかったって話もあるようやから。でも、売主の息子さんからの、今回の話ってビルを売って名義が変わったら入居ができるんじゃないか?それならば、入居させて欲しいと、逆にお願いされたことなんや。ずっと入居できるのかを確認すると、未来永劫とは言われへんけど、自分が社長でいる間は、他に移ることはないって言うてたから・・・」

なるほど、その言葉に嘘はなさそうだけれど、買主さんの立場を考えたら、短期解約をしたら一定の金額をオーナーに支払う必要があるという短期解約についての特約条項を賃貸借契約書に入れる必要があるかもしれないと美土里は考えた。

「所有者のお母さんは老人ホームに入っているっていうことだけど、売却意思は取っているの?認知症とかではない?」
「実は、たまに認知症かなと思われる節があるようなんや。しっかりしているときに売却意思の確認はしたんやけど、いつでもしっかりしているかというと、ちょっと疑問が残るらしいんやわ」
「じゃあ、もし司法書士が売主の売却意思の確認ができないなら、後見制度を使わないといけなくなるってことよね?」
「たしかに。でも、うちは後見制度を使って取引したことないから、ちょっと不安なんやけど、美土里のところは後見制度を使ったことあるん?」
「ええ、過去に1度。後見制度を使って取引をしたことがあるわ。早くても申請から3ヶ月くらいの期間がかかるから、契約のときには、万一の場合には、後見制度を使わないといけないということを売主と買主に周知してもらっておかないといけないわね。もし、そうなったら私が申請の仕方とかアドバイスするから、任しておいて」
美土里は、にぎり拳を作って笑った。

中野君が既にコースを頼んでいてくれたらしく、流れるように料理が運ばれてくるにつれ、個人的な話に進んでいった。

噂に聞いていたとおり、中野君は大学を卒業するとともに市役所に勤めていたらしい。
それから数年経った頃に、同じ市役所勤務の同僚と結婚して、女の子を1人授かったそうだ。
「凄く順調に幸せを手に入れてきたって感じだけど・・・」
そう言う美土里の言葉に、中野君は目を伏せて言葉を続けた。
奥さんは、議長も勤めたことのある大物市議会議員の独り娘で、独身時代は裕福な実家で育ち暮らしていたという。
結婚を機に市役所を辞めた奥さんだったが、自分の給料が全て小遣いのように暮らしていた独身の頃の癖が抜けなかったらしく、中野君の給料だけでは生活ができず、2人の間には喧嘩が絶えなかったらしい。
彼女は興奮してくると、中野君の給料の安さについて指摘されたことも少なくなかったそうだ。
「それで結局、離婚することになったんや」
そうなると、市役所にも居づらくなり、辞めて不動産業界に入ることになったらしい。
娘さんは彼女が育て、中野君が養育費を支払うということになったと、肩を落とした。

「そっか…。でも今時、バツイチなんてよくある話だし、気にすることはないんじゃない」
「そうやな、ただ、娘と離れたのが、ちょっとこたえたかな」
「子どもを持っていない私が言うのもなんだけど、たしかに子どもと別れるのは辛いのでしょうね。でも、お嬢さんのためにも、しっかりと稼いで養育費を仕送りしなくっちゃね」
美土里は、翳りが差し込んだ中野君の作り笑いの顔を見て、どうにかして彼の力になることはできないか考えている自分を見つけて驚いた。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。