トップページ > 2016年11月号 > 女不動産屋 柳本美土里

女不動産屋 柳本美土里

良くないことは続くものだ。
夫と別れて半年、まだ傷が癒えないうちに、父が他界した。
経済的無能力者であるくせに派手な生活を好む夫のおかげで、離婚に際して分与してもらう財産もなく、借金の火の粉がかからないようにすることで精一杯だった。
法的には貰えるはずの慰謝料や養育費を手にする可能性は、どう考えても皆無に等しい。

ありがたいことに、独身時代から結婚後も含めてずっと続けてきた印刷会社の事務の仕事のおかげで、夫からの慰謝料や養育費に頼らずに生きていける。
逆に言えば、そういう生活力が自分にあったために、離婚が早まったのかもしれないと、自分を責める気持ちになることもある。
さらに、浪費家で甲斐性のない父親だとしても、子どもたちにとっての父親の存在というのは、なくてはならないものだったかもしれないと思うと、これからの彼らの成長にも一抹の不安を覚えるのだった。

そんななか、子どもたちの父親代わりをしてくれていたのは、私の父親、つまり子どもたちにとっては祖父だ。
70代半ばの年齢の割には、かくしゃくとしており、息子とのキャッチボールも難なくこなし、彼らを叱る必要がある場面では、大きく響く声で、聞いているこちらの身体の芯まで縮こまるほどだった。
そんな父が体調を崩したのは、急に冷え込んだ秋の朝だった。
なんだか胸が苦しいというので近くの総合病院に連れて行くと、下された診断は軽い心筋梗塞。
それから2週間しか経たないある朝に、父は急性心不全を起こし、あっけなく逝ってしまった。

父が残してくれたものは、実家の小さな家と、わずなか貯金、そして瀬戸内海が見下ろせる山の別荘地だ。
私が結婚してしばらく経った頃、父が夫によく話していたものだ。
「健一くん、仕事をリタイヤしたら、僕はここに家を建てて田舎暮らしをするからな。そしたら将来生まれてくる孫を連れて、遊びに来てくれよ」と。
父は、娘夫婦や孫と自然の中で暮らすことに憧れていたようだった。
都会で生まれて都会で育った夫の健一が、父の話に興味なさそうに適当に相槌を打つ姿だけが、なぜだか私の記憶に残っている。

父は会社を定年退職したものの、退職金をつぎ込んで別荘地に家を建てるだけの勇気を持つことができなかったのは、自然に囲まれ3世代が素敵な時間を過ごすという夢の中に、高額な車を求めるギャンブル好きの娘婿の姿を描くことができなかったのも原因かもしれない。

いずれにしても、夫と離婚し父が他界した今となっては、別荘地は自分にとって、ただ父から譲り受けて持っているというだけのものであり、私たちの生活に何の役にも立ってはくれない。
固定資産税などはかかっていないようなので、負担にはならないが、どうせ将来も別荘を持つような状態にはならないと思うので、父には申し訳ないが、売れるものなら売ってしまって、今後さらに負担になるであろう子どもたちの教育資金に充てたいくらいなのだ。
父も可愛がっていた孫たちの役に立つのなら、喜んでくれるに違いない。

そんなことを漠然と考えていた頃、自宅に1本の電話がかかってきた。
「別荘地をお持ちですよね。うちのお客様で別荘地を探している人がいるんですが、よかったら売却しませんか?」という営業の電話だった。
どこで自分が別荘地を持っているということがわかったのか?
その道にはその道の、独自のルートで調べることができるのだろう。
「あの土地って売れるのですか?」
何十年も前に行ったきりの別荘地なので、今はどういう状態になっているのかもわからない。
まわりも同じような別荘地だったけれども、既に多くの家が建っているのだろうか?

「ええ、売れますよ。現にうちのお客様でも別荘地を探しておられる方がいますし、何件も成約になっていますから」
「もし、売ろうというお気持ちがあるのなら、私たちの会社に売却依頼をしてください。そうすれば、探しているお客様に物件の紹介もさせていただきますので」
売れるなら売ってしまいたい、欲しいと思う人がいるなら、この機会に売ってしまおう。
律子は、営業マンに売却をお願いした。

それから1週間ほどして、営業マンが自宅にやってきた。
30歳になるかならないかくらいだろうか、紺色のスーツにエンジ色のネクタイを締めた誠実そうな若者だ。
別荘地をただ持っているだけで、売るに売れなくて困っている人の役に立ちたい。
どうにかして、頑張って売りますからと、とても熱心に話をされた。
「こちらが、現状の写真と報告書です。調べさせてもらいましたら、測量がきちんとできていないようですね。それに草木が生えっぱなしで地面も見えない状態です。この状態では土地の広さも形も判らないので、お客さんが見に来られても、無駄になるだけです」と。
それを解消するためには、測量をして、草木の伐採をしないといけないという。
売却のコンサルタント料31万円と、測量費用120万円、草木の伐採費用の50万円。売れるのなら仕方ないと、律子は言われるままに、合計201万円を支払うことにした。

その後、その会社からは、測量図面と草木を伐採して看板を立てた写真とが送られてきたきり営業マンからの連絡は途絶え、こちらから会社に電話をしても、「この物件に対する問合せは来ていません。担当営業マンは退職しましたので、それ以外のことは不明です」との返答が残されただけだった。

それでも、測量をして草木の伐採をして、現地には看板も立てている。
そのうちに売れるのだろう。
当初は、そんな期待もしていたものだが、半年が過ぎ1年が過ぎても、問合せがあったという連絡はなかった。
やっぱり騙されたのだろうか?
そう思うものの、認めたくない自分もいる。
いつまでも後悔しても仕方がない、別荘地売却にかけた費用については忘れて、前を向こうと、律子は家事や仕事の忙しい日々に心を預けた。

「社長、ちょっといいこと思いついたんです」
柳本不動産の営業の河野は、パソコンに向かいメールを打っている女社長の美土里の横に椅子を滑らせた。
「いいことって何よ?」
首だけこちらに回した美土里に、河野は悪戯っぽい笑顔を向けた。
「売却物件を手にいれるために、空家の管理サービスをしてはどうかと思うんですが・・・」
「空家の管理サービス?」
「はい、いま世間では空家問題が大きくクローズアップされていますよね。老朽化で建物が傾いたりして、通行人に危険を及ぼしたり、猫や犬なんかが敷地に入り込んだり虫が発生したりして近隣に迷惑をかけたりしているので、なんとかしないといけないと、法律も整備して行政も対策に乗り出していますよね」
「でも、一般の所有者は遠方に住んでいたり、面倒だったりして、なかなか管理ができない現実があります。そこで、そういった所有者に代わって、柳本不動産が管理をするんです」
美土里は椅子を河野の方に向きなおして耳を傾けた。
「そうして、管理をしているなかには、時機が来たら売却しようとか、修理して賃貸しようとかいうニーズもあるかと思うんですけど、どうでしょうか?」
河野は、美土里の顔を覗き込んだ。
「そうね、ちょっと面白そうね。そうして所有者とコミュニケーションを取っていれば、いつか仕事になりそうだわね。それって、いつもやっている空家や空地の所有者へのダイレクトメールで告知するの?」
「そうですね、いきなり売りませんか?貸しませんか?だけじゃなくて、管理もさせていただきますよというスタンスも加えたらいいのでは?と思います」
「そうね、それならダイレクトメールの文面を直せばできそうね。それに、相談会を開催してみるのもいいかも」
「相談会ですか?」
「ええ、空家や空地を持っていて困っている所有者や近隣の人向けに開催するのよ。そうすれば、所有者だけでなく、近隣の人が空家や空地の存在を教えてくれるという効果も期待できるし、近隣の方がお困りですよと所有者に訴えれば、管理サービスを検討してくれるかもしれないし」
「わかりました、じゃあ管理サービスの内容と料金を検討してみます」

郵便ポストに入っていた地域のミニコミ誌を何気なく眺めていると、イベント欄にある“空家・空地の無料相談会”という文字が、律子の目に飛び込んできた。
その途端、忘れようとしていた父から受け継いだ別荘地のことが頭に浮かんだ。
主催は駅前にある古めかしい看板のある不動産屋さんの柳本不動産。
場所は、市が運営している福祉会館の1室で行われるらしい。
わざわざ不動産屋さんの敷居を跨いでまで相談するのは躊躇われるが、福祉会館で行われるなら、いくらか気分も軽く行けそうだ。
それに、毎日のように前を通っている駅前の老舗不動産屋さんなら、安心できそうだ。
忘れようとしても、どこか心の隅に引っかかっていた別荘地のことを、相談に乗ってもらうことでなんとかできるかもしれない。
律子は、希望の陽が心に射したように嬉しくなり、携帯電話を取り出し、問い合わせ先の電話番号をプッシュした。

「はい、柳本不動産です」
河野は勢いよく電話に出た。
空家・空地の無料相談会を掲載したミニコミ誌は、昨日に配布されている。
それを見た読者から反響があるのは、ここ数日だろうと見込んでいたからだ。
「ミニコミ誌の相談会についてお聞きしたいのですが・・・」
やった!期待した通り、相談会の反響だ。
河野は、冷静を装い声色を調えて電話に応対した。
「はい、どういったご質問でしょうか?」
父親から相続した別荘地を持っているという女性が、相談の予約をしたいということだ。
河野は、物件の資料など、持ってきてもらいたい書類などを告げ電話を切った。
「社長、反響ありましたよ!相談会のミニコミ誌」
「あらそう、良かったわね」
「でも、ここから車で2時間くらいかかる別荘地らしいんですけど、どうしたもんでしょう?」
「え~!そんなに遠いところ?その人は管理サービスを検討されるのかしら?それとも売却とか?」
「そこまでの話は聞いていません、詳しくは相談会でって言われましたから」
「そうなの?じゃあ、相談会で話を聞くしかないわね。でも、もし管理サービスだけってなると、ちょっと大変だけどね。そのときは、河野くん、毎月頑張って2時間かけて行きますか?」
美土里は、笑いながら意地悪く言った。

律子は指定の時間の5分前に福祉会館に到着した。
スチールのドアで中の様子が全くわからない会場の前まで来ると、律子は少し緊張している自分を感じた。
ここまで来て躊躇している場合じゃない。
律子は勇気を出してドアノブを引いた。
クリーム色の壁に明るすぎるほどの照明が反射している部屋には、4人がけテーブルがコの字型に並べられ、
向かいのテーブルには、電話の応対をしてくれていたらしい男性と、男性よりも少し年上と思われる芸能人のように綺麗な女性が並んで座っていた。
彼らは、律子の姿を見つけると、立ち上がり、笑顔で挨拶を投げかけてきた。

名刺からは、男性の方が営業で名前は河野氏、女性の方が社長の柳本さんらしい。
「ところで、別荘地のことでご相談とお伺いしていましたが・・・」
河野が口火を切った。
「ええ、父から相続したのですが、別荘地なんて持っていても仕方ないので売りたいんです。それで以前に、売ろうとしたのですが、なかなか上手くいかなくて、これがその時の書類です」
律子は、あの親切そうな営業マンの口車に乗せられて売却の依頼をした書類一式を広げた。
河野氏と、柳本社長は、書類のファイルをめくり、それぞれ書類をひとつひとつ見ていった。
一通り見ると、2人は視線を合わせ苦い顔をした。

柳本社長は、律子が支払った費用の領収書を取り出した。
「松井さん、これらの費用を支払われたんですよね?」
「ええ、支払いました」
柳本社長は、軽く溜息をついてから、律子に向かった。
「これは、典型的な詐欺ですね。この会社は別荘地を売却しますって言ったんですよね?この契約書は不動産の売却依頼の契約書、業界では媒介契約書というのですが、一般に不動産会社が売却依頼を受けるには媒介契約が必要となります。しかし、この書類は、そういう類の書類ではありません。売却についてのコンサルタント契約となっているだけです。ということは、この会社は不動産会社でなく、松井さんの別荘地を売ることはできないのです。おそらく、売却してやるからと言って、コンサルタント料や測量にかかる費用、草木の伐採費用をぼったくる輩だと思われます」

「まともな不動産会社なら、売却依頼を受けて現地看板を立てる程度でコンサルタント料などという費用を取ることはないし、測量費用や伐採費用も法外に高い金額となっているのが証拠とも言えるでしょう」
柳本社長は、憤っていた。
「この会社とは、ほどなく連絡も取れなくなったんじゃないですか?」
まさしく、言われる通りだ。

「これって、いくらかでも取り戻すことはできないんでしょうか?」
律子の問いかけに柳本社長は腕を組んで天井を見上げた。
「相手方に連絡が取れないということは、探し出して請求をする必要があります。うまく探し出して請求をしたからといって、こういう連中なので、はいそうですかと、素直にお金を返すとは思えませんね。そうなると裁判を通しての請求となります。費用と時間をかけて裁判をしても、どれだけ取り返すことができるのか?ちょっと疑問ですね。よろしければ、弁護士の先生をご紹介させていただきますので、ご相談してみてください。他の方法としては、消費者センターへの相談、詐欺という犯罪だということで警察への相談という手もあるかとは思いますが、実際にどれほど動いてもらえるのか、効果があるのかは未知数だと思います。こちらも、ダメ元でご相談だけでもされたらいかがですか?」
悔しい話だが、律子には、そこまで時間と労力をかける気力はなさそうだ。

「それと、もうひとつご相談があるのです・・・実は、この土地は父から相続したとお話したのですが、相続登記は未だなんです。私に相続登記をするためには、他の相続人との協議が必要と聞いたのですが、父親が養子縁組した弟はまだ19歳で未成年なんです」
「未成年者の養子の弟?」
「はい、ただ、その弟との関係は上手くいってるので、別荘地については私名義にしたらいいと同意は貰っているのですが、何せ未成年者なので、そのまま相続をすることはできないって他から聞いてて・・・」

「そうですね、未成年者の場合は、特別代理人を立てなければ相続をすることはできません。その弟さんにはお母さんはおられますか?」
「いいえ、彼の母親が亡くなってから、父と養子縁組したんです」
「通常は法定代理人である母親が代理人となるか、もしくは姉であるあなたが特別代理人として裁判所に申し立てをすることになります。しかし、この相続については、あなたと弟さんは利害が相対する関係となりますので、あなたが特別代理人になることはできません。なので、他の誰かを特別代理人として裁判所に申し立てして、相続をしないといけないということになります」

「あと1年足らずで、その弟さんが成人するのなら、それを待って相続をし、売却をする方がいいかもしれませんね。裁判所へ特別代理人の申し立てをするとしても、面倒な手続きをしないといけませんし、専門家に依頼するとしたら、それなりの費用もかかるでしょうから・・・売却活動だけでも先に進めておいて、売買契約を弟さんの成人後にすればいいのではないでしょうか?」

「厳しいお話をするようですが、いまは別荘地を売ることは非常に難しいです。他にも別荘地のご売却を依頼されていますが、一般の住宅に比べて売れるまでの時間もかかるし、値段も期待できないと思います。これから詳しく調べて売却価格のご提案をさせていただきますが・・・」
教育資金の足しにしたいと思っていたが、あまり多くを手にすることは無理みたいだ。
それでも、きちんと相続をして、売れるものなら売ってしまうほうがいいと思う。
固定資産税はかからないとはいえ、きちんと管理をしていくにも費用がかかるだろうし、この状態のまま子どもたちに相続するようなことになれば、権利者が増えて、さらに相続協議も複雑となるだけでなく、もしかすると子どもたちも、自分と同じように騙されて詐欺に遭うかもしれない。

「そういう事情がありますけど、売却のお願いをしても大丈夫ですか?」
律子は、2人の顔を交互に見た。
「はい、まずは査定させていただいき、売却価格のご提案をさせていただきますので、それからご検討いただければ結構ですよ。うちはご売却依頼を受けたからといって、それだけで費用を請求することはありませんので」
河野も美土里も、優しく微笑んでいた。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。