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女不動産屋 柳本美土里

事務所の前の銀杏並木もすっかり色づき、黄金色の葉を通して差し込む光が、駅までの道を照らしていた。
道の向こうにある駐車場に目をやると、風で飛ばされた銀杏の葉が、車のボディにパッチワークを施している。
柳本不動産の女社長、柳本美土里は、この季節のこうした景色が好きで、事務所の前を掃除しながら、しばし立ち止まって眺めるのだ。

「社長、おはようございます」
柳本不動産の営業社員、河野が黄金色に彩られた道から現れ、笑顔で挨拶をした。
「あら、河野くん、どうしたの?今日はやたらと機嫌が良さそうだけど」
「そうですか~?」
そういう顔にも、嬉しさを隠せない様子だ。
「実は昨日の夜に、電話がありまして・・・」
「1ヶ月ほど前に決済の終わった、事故物件がありましたよね?」
「河野くんが熱中症で倒れる原因となったポスティングで売却依頼をもらった物件よね」
「もう、それは言わないでくださいよ」
美土里の忠告を聞かずに、暑い日中にポスティングをして、熱中症で倒れたことを思い出し、河野は頭をかいた。
しかしその頑張りのおかげで、売却依頼をもらった物件が、かつて家の中で殺人事件があった事故物件だったのだ。

「その事故物件がどうかしたの?」
「ええ、あの物件には直接関係ないんですけど、売却依頼をいただいた後に購入のアプローチをしていたお隣のおじいさんから電話をいただいて・・・何やら息子さんが家を建てたいらしく、僕に土地を探して欲しいって依頼がありまして」
「そう!それは良かったわね。そうやって真面目に仕事をしているのを買われたんでしょうね」
「ありがとうございます。こうやって僕を頼って声を掛けてもらえるって、嬉しいもんですね」
「そうね、期待に応えて頑張らないとね」
美土里も、自分のことのように嬉しくなった。

「それでは、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい、しっかりと話を聞かせてもらうのよ」
美土里は、河野を事務所から送り出した。
河野がお客さんのところに行くときには、「頑張って」とは言わないようにしている。
何を頑張るのか?成果を出すために頑張ろうとすると、ついつい売ろうという意識が働いて自分本位の営業になってしまう恐れがある。
お客さんが何を求めているのか?
それを、きちんと理解して心に留めておく必要があると、美土里は思っている。
そのためには、お客さんの動機や背景、望みや価値観など、お客さんの話をしっかりと聞かないと、求められる提案はできないと思うからだ。

目的の家は、あの事故物件の隣にある。
物件調査のため、売却活動のため、隣地との境界確認のため、何度も行った場所の隣の家なのだから、間違いようもない。
自分が関わった家というのは、気になるものだ。
団地の中に入り、2つ目の角を曲がると、仲介した家が見えてきた。
まだ建物はそのままなんだ。
内部であんなことがあった家なのだから、取り壊して建て直すものだと、河野は思っていた。
まあ、まだこれからなんだろう、と思いながら、なんとなくその家に目を向けると「あれ?何か雰囲気が違う」と感じた。
よく見ると、玄関側の壁だけ、ペンキの塗り替えが行われ、すこし明るい雰囲気になっているではないか。
もしかして、このまま建物を使うつもりなのだろうか?
引渡しが終わった物件のことだから、自分には関係ないとは思うものの、なんとなく引っかかった。

「ごめんください」
隣の家を横目に、河野は小山と書かれた表札の下にあるインターホンのボタンを押した。
「はい、ああ不動産屋さんやね、どうぞ」
返答があったかと思うと、間もなく玄関ドアの鍵が外されて開かれた。
襟付きの開襟シャツにスラックスを穿いたおじいさんは、前回にお会いしたときよりも、少しあらたまった服装だ。
こうした気遣いも、河野は嬉しく感じる。

招かれた和室は縁側につながっていて、庭に出られるようになっていた。
庭の隅には柿の木が植えられており、赤茶色の実がいくつか実っていた。
おじいさんから勧められた席には、ふかふかの座布団が几帳面にも座卓に平行に据えられていた。
「今日は忙しい中、来てもらって悪かったのう。年寄りになると、あんまり遠くまで出て行くのが億劫になってなぁ」
そう言いながら、おじいさんは手元に置いていた急須でお茶を入れ、河野の前に差し出した。
「電話でも、話をしたんじゃが、今日来てもろうたんは他でもない、息子が家を建てようと思っているみたいでな。それで、どこかにええ土地はないやろか?と思うてな」
「そうですか、ありがとうございます」
あたりを見まわしても、その息子さんはおらず、来る様子もなさそうだ。
こういった場合、本人と親の希望条件が違っていたり、予算も異なっていたりすることが往々にしてある。
すぐに動くことはせずに、今日は息子さんの情報を得ることと、父親の思う家についての話を聞くにとどめ、改めて息子さんと会う必要がありそうだ。
河野は、ひととおり話を聞くと世間話をすることにした。

「ところで、お隣さんなんですが、もう誰か住まれているのですか?」
「隣?ああ、あんたが売っていたあの家か?」
おじいさんは人差し指で西側の壁を指した。
「ええ、先ほど見ると、玄関あたりを少し塗装し直したようでしたから・・・」
おじいさんは、首を傾げて河野を見た。
「あんた、知らんのかいな?あの家のことを、あんたに聞きたいと思っておったんやがな」
「あの家が、どうかしたんですか?」
まさか、家を売ったことを亡くなった父母が怒って、霊となって現れたとか?
「時々、誰かが来て住んでいるようなんやが・・・」
やっぱり!河野は寒気を覚えた。
「住んでいるというのは、誰かというよりも家族とかのグループやな、それも外国人の」
外国人?幽霊じゃないのか。
ということは、買主さんは確か投資家って言っていたから、もしかして賃貸にして外国人に貸したのか?
「それがな、変なんじゃよ。時々やってくる外国人が、毎回違う家族なんや」
外国人?毎回違う?
それって、もしかして、最近流行の民泊だろうか?
民泊とは、日本に来る外国人観光客などに、ホテルがわりに一般の人が家や部屋を貸すというものだ。
「それでな、中には夜中に歌ったりして騒がしい連中もいるもんやから、かなわんのよ。そやけど相手は外国人やし、どういうふうに注意したらええか分からんのや。そやから、あんたからちょっと注意してもらいたいと思ってたとこなんや」
おじいさんは、困惑した表情で河野をすがるように見た。
これは、やっぱり民泊に違いない。

「社長、あの物件ですけど、隣の小山さんから聞くところによると、民泊をしているみたいなんですよ」
「民泊?」
「ええ、日本に来る外国人とかに家や部屋を貸してお金を取る、あの民泊です」
「なるほど、民泊か、なかなかやるわね」
美土里は、合点がいったように何度も肯いた。
どうして美土里は感心しているのだろう?
違法だといわれる民泊に、あまりいい印象を持っていない河野だった。
「社長、なかなかやるってどういうことですか?民泊は違法だと聞いたことがあるんですけど」
河野は、美土里につっかかった。

「そうね、民泊の全てが違法っていう訳じゃないけど、旅館業法に沿った許可を得ていなければ、旅館業法違反の営業ってことになるわね」
「ただ、あの物件は建物内で殺人事件があった事故物件なのよね。そういう物件を普通に賃貸住宅として貸そうとすると、借りようとする人に、その事実を告げる義務が貸主にはあるの。それは分かるわね?」
「ええ、知っています。売る場合もそうですよね。だから、うちはその事実を告げて売ったんですから」
「事故物件だと告げて貸すとなれば、相場よりも相当安くないと借り手はつかないでしょ」
美土里は指を立てた。
「そうですね、僕なら少々安くても絶対に借りません」
「でも、ホテルや旅館など、一時的に部屋を貸す場合は、そんなことがあったということを泊まる人に言う必要はないのよ。必要がないというか義務はないという方が正確かもね」
「だから、民泊としての相場で泊めることが可能ということ」
なるほど、だから民泊にすれば、収益不動産としての価値が高くなるのか。
「事故があった部屋のことを言わなくてもいいって、他のホテルや旅館でもそうなんですか?」
「そうよ、河野くん知らなかった?河野くんも、これまでにそんな部屋に泊まってきたかもね。変な感じがしたところってない?」
「社長、やめてくださいよ~、そんな話は得意じゃないんですから~」
河野は、自分を腕をさすった。

電話が鳴ったのは、河野が今日の業務を終えて帰ろうとしていたところだった。
「はい、柳本不動産です」
受話器を取った美土里に河野は呼び止められた。
例の家の隣に住むおじいさんである。
「やって来ましたか?」
もし次に、外国人が例の家に泊まりにきたら連絡をくれるように言っておいたのだ。
別に仲介業者として、売った家のその後の使い方についてまで、とやかく言う権利も義務もない。
しかし、近隣から相談を受けたのに、放っておくわけにもいくまい。
河野は、民泊利用と思われる外国人たちがやってきて、騒がしくしているのなら状況を見に行くから連絡を欲しいと隣のおじいさんに伝えていたのだった。
夜露に濡れた銀杏の落ち葉で滑らないように、足元を気にしながら、河野は駐車場に向かった。

おじいさんは玄関口まで出て、河野を待ってくれていた。
訊ねるまでもなく、隣家の壁越しに聞こえるのは、外国人の歌声、英語の歌のようだ。
酒も入っているのだろう、何人かの明るい歌声が響いている。
「なるほど、たしかに、ご陽気ですね」
「ご陽気なんてもんじゃあるかい。ちょっと耳が遠くなったわしでさえ煩いと感じとるんや。他のご近所さんは、もっと迷惑してることじゃろ」
おじいさんは憤慨していた。
「あんた、注意してきてくれんか?」
「えっ、僕が注意するんですか?」
「当たり前やろ?そのために、あんたが来てくれたんじゃないんか?」
「ええ~、そんなつもりじゃ・・・英語もできないし・・・」
「つべこべ言わずに行け」
河野はおじいさん背中を押され、隣の家の前に出た。

さて、玄関口に立ったものの、英語では何と言えばいいのだろうか?
「Be quiet!(静かに!)」というフレーズしか頭に浮かばない。
こんなことなら、もっとしっかりと英語を勉強しておくのだった。
もう、なるようになれ!そう思い、河野はインターホンに指を乗せた。
3度目のチャイムで、歌声が止まり、間もなく玄関ドアから男が出てきた。
そこに立っていたのは、河野よりも頭ひとつ分くらい背が高く、Tシャツの上からも胸板の厚さが見て取れる黒人の男。
河野は、こんなに間近で黒人を見たのは初めてだった。
その圧倒される姿に腰が引けそうになりながらも、河野は夢中で「Be quiet!(静かに!)」と何度も叫んでいた。
何か意味不明の言葉を発した黒人の男は、さっさとドアを閉めて中に入ってしまった。
意味が通じたのだろうか?
たぶん、つたない英語が通じたのだろう。
しばらく呆然と玄関口に立ったままだった河野の耳には、もう先ほどまでの歌声は聞こえてこなくなったのだから。

「社長、笑っている場合じゃないんですから~」
河野の奮闘の話を聞いて、美土里は噴き出していた。
「だって黒人の大男を見て、河野くんはきっと青ざめながら英語で叫んでいたんじゃないかって想像すると、可笑しくって・・・」
美土里は、腰を折るようにしてまた笑い出した。
「これって、どうしたらいいんでしょうね?」
万が一にも、外国人がやってきて騒ぐたびに、おじいさんから呼び出されるのは難儀な話だ。
「そうね、まず、本当に民泊なのかどうか、ちょっと調べてみましょう」
美土里はパソコンのキーボードを操作して、1つのサイトを呼び出した。
「これは、民泊の仲介サイトとしては世界で最も有名なところよ。正確な場所はわからないけど、だいだいの場所で探すと、いくつか物件の写真とかが出てくるから、あの家がこのサイトで宿泊客を募集しているとすれば、見つけることができるでしょう」
美土里は、何度か画面をクリックして、いくつかの物件の写真を選び出した。
「河野くん、もしかしてこの家かしら?」
河野もモニターの画面を覗いた。
「そうです、これですよ!」
室内の写真しか出ていなかったが、一戸建てで間取がピッタリ一致する。
「ビンゴだわね」
美土里は、親指を立てた。

「でもね、騒音トラブルっていうのは、なかなか解決は難しいのよね~。煩いか煩くないかは、個人の感覚によるものだから。ある人は煩いと思っても、他の人はそうでもないと思っていたりね。賃貸で貸していたなら、契約条項の中に、騒音を出さないとか近所迷惑になるようなことをしないとかという内容があったりして、それに違反すると契約違反だと言って注意をすることもできるけど、それも裁判になったら、いくら音や声が大きいと思っても、それが我慢できる限度を越えているかどうか?なんてことも問われるのよ。まして宿泊施設としてなら、どこまで注意することができるんでしょうね?」
河野は、顔をしかめた。
「とりあえず、買主側の業者に連絡をしてみたら?ご近所から騒音の苦情がうちに来ているんですけどって。あんまり煩いようなら、警察に通報されるかもしれませんよ、なんて忠告すれば、少しはマシになるかもしれないわよ」
「もっと、効果的な方法はないんでしょうかね~?なんとか民泊をやめさせるとか。いっそのこと、事件のあった部屋だよって泊まる人に教えるとか」
「河野くん、意外と過激なこと言うのね。そこまでやると営業妨害になって、損害賠償請求をされるかもしれないわよ」
「ま、電話して、ちょっと様子を見てみれば?」

河野は美土里のアドバイスにしたがって、買主側業者へ電話をかけた。
その業者も、買主が民泊をしていたことは知らなかったみたいだったが、買主に電話をして確認し、苦情が来ていることを忠告してみると約束をしてくれた。

その後、1週間ほどしてから、おじいさんからの連絡が入った。
「息子があんたに会いたいって言うとるから、また来てくれんか?良かったら今度の週末あたり」
「ええ、もちろん、お伺いさせていただきますけど・・・」
実はあれ以来、おじいさんから苦情がこなくなっていた。例の家がどうなったのか、どうしても気になっていた。
「最近は、お隣さんから騒音とかは聞こえてきませんか?」
「え?隣?」
「ああ、あんたに注意をしてもらってから、また違う人が来ていたようじゃが、おとなしく泊まってたようじゃったよ。外国人やからみんな騒がしいんやなくて、やっぱり人によって違うのかもしれんな」
なんだか、おじいさんのトーンも、かなり静かになっているようだ。
河野は、日曜日に実家へ戻ってこられる息子さんと会う約束をして電話を切った。

日曜日の午前中、おじいさんの家を訪ねると、駐車スペースには黄色のワーゲンが停められていて、いつもより華やいだ雰囲気が玄関からも伺えるようだ。
息子さんは家族で実家に戻ってきており、おじいさんからみたら孫娘になる小学校低学年くらいの女の子は、白いポメラニアンを抱きながら、可愛い挨拶をくれた。
女の子は、子どもにとって退屈な話が始まるのを予感したようだ。
「お母さん、ミッキーとお外に行ってきていい?」
あまり遠くまで行かないようにと忠告をして、母は娘を送り出した。

さて、かれこれ1時間くらい経っただろうか、息子さんの現在の状況や、建てたいと思っている家の立地条件などを聞き出した頃に、女の子が家に戻ってきた。
「お母さん、これ、あの人がくれたの」
そう言う女の子の紅葉のような小さな手には、英語で書かれたパッケージに包まれたお菓子が握られていた。
「あらあら、どなたに何をもらったの?」
母親が慌てて玄関に出ると、そこに1組の夫婦らしき男女の姿があった。
お隣に泊まりに来ている外国人の夫婦からのプレゼントだった。

「そうか、そりゃ良かったのう」
話を聞いたおじいさんは、孫娘の頭を撫でながら相好を崩した。
「お礼に、この干し柿でも持っていってやろうかのう」と庭先に吊るしてある平べったくなった柿に目をやった。
彼らにとって、干し柿は初めて見る食べ物なのかもしれない。
日本人の女の子と干し柿。
日本でのいい思い出になるといいな。
こんな交流ができるのなら、民泊も悪いことばかりではないな、と河野は思った。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。