トップページ > 2016年7月号 > 女不動産屋 柳本美土里

女不動産屋 柳本美土里

「ねえ、あなた。今日、智之さんから電話があったわよ」
仕事から帰宅してスーツを脱ぎ、部屋着に着替えていると、妻の洋子から言われた。
携帯電話じゃなくて自宅に?
裕文は、鞄に入れていた携帯電話を引っ張り出し画面を見る。
そこには、智之からの着信履歴があった。
「ああ、携帯にも電話してきてたみたいや、気がつかなかったけど・・・」
あいつ、また借金の申込みなのか?

裕文と智之は、2人きりの兄弟だ。
しかし、兄の裕文は父との折り合いが悪く、早くに実家を出て洋子と結婚して家庭を持ち、一方、弟の智之は実家に残り、晩年には施設に入った母の面倒をみることになった。
そうした負い目からか、父や母の相続においては、裕文は智之に、実家の自宅敷地や所有アパート2棟を渡し、多くの財産が残るようにしたのだったが・・・

「兄貴はええよな。勝手に家を飛び出して、自分の好きなように生きることができてるんやから。兄貴がいなくなったせいで、俺はやりたいこともできず、こんな田舎に閉じ込められて、親の面倒をみて、人生を棒に振ってしまったんやから・・・」
それは、智之がよく口にする言葉だった。

智之には夢があったのだ。
東京の劇団に入り、俳優を目指すという。
その夢を砕いたのは、自分勝手に家を出て行った兄と、自分を引き止めた両親だと思っている。
自分の夢を砕かれたことで、人生を失ったと思ったのか、傍目からみても自堕落な生活を送るようになっていった。

父のコネで入った会社も2年ほどで退職し、その後は短期間での転職を繰り返してきた。
そんな中、仕事先で知り合った女性と結婚し、子どもをもうけたことが智之の一条の光だった。
「これで、少しは落ち着いてくれればいいのに」
両親や裕文はそう期待したのだが、その期待はあっけなく裏切られ、相変わらず転職を繰り返す日々が続き、競馬と借金が日常の生活となった。

相続してからは、智之には少なくない家賃収入が入った。
しかし、アパートには、固定資産税などの税金の負担もあり、外壁の塗り替えや防水工事など、定期的な大規模補修も必要になり、日常的にも設備の補修や入れ替え、内装工事などの費用もかかる。
家賃収入というのは、すべてを自由に使えるお金ではないのだが、通帳に入るお金はすべて自由にしていいものだと智之は勘違いしていた節がある。

そんな智之は、週末はほとんど競馬場で過ごしているらしい。
「少しくらい負けても、アパートからの家賃収入があるから大丈夫」
そう思うようになったのだろうか、両親の財産を相続してからは、競馬への掛け金もさらに大きくなっていったようだ。

アパートの日常的な管理も怠り、大規模改修もせず、古くなっていくに任せれば、当然のごとく入居者は減り、通帳に記載される賃料収入の額も少なくなっていく。
とうとう固定資産税が払えなくなり、裕文に泣きついてきたのが、たしか5年ほど前だっただろうか。
「兄貴、悪いけど、固定資産税の分を貸してもらえないか?アパートの1棟は売ることにしたから、売ったお金で返すから」
そうして、裕文がまとまった金額を弟に貸したのは5年前だった。

それからほどなくして、アパートの売却はできたようだ。
しかし、結構な金額の譲渡税が税務署から課せられた。
建物については、長い期間使用していたため、その間の減価償却分については、利益があったとみなされるらしい。
例えば、8000万円で建てたアパートでも、減価償却後の価値が400万円になっていたとすれば、2000万円で売れた場合には、2000万円-400万円の1600万円の譲渡利益があったとみなされ、それに対して譲渡税がかかるらしい。
もちろん土地については、何代も前に手に入れたものなので、売却額の95%が譲渡利益とされ、税金がかかった。
それでも、とりあえずはアパート1棟を売却して、滞納していた税金や借入れの支払いを済ますことができ、裕文が智之に貸したお金も返ってきたが、智之の手元にはいくらの金額も残らなかったようだ。

「今回はアパートを売ってなんとかなったけど、競馬はいい加減にしたらどうや?止めろとは言わへんけど、自分の裁量の範囲内でやるべきとちゃうか?」
そんな裕文の注意も、小言としか受け取らなかったようで、しばらくは殊勝にしていた智之も、喉もと過ぎれば何とかで、しばらくするとまた元のように派手に競馬をするようになった。
弟への悔悟の気持ちからか、裕文の注意も遠慮がちになっていたのかもしれない。

そうなると、そのうちに前回と同じように2棟目のアパートも売却せざるを得なくなり、残るのは相続の後に建て替えた実家と、その敷地だけとなってしまった。
そんな智之に呆れ果てた嫁が、子どもを連れてついに家を出て行ったのはその頃だった。

「このままでは、実家も売らないといけないようになってしまうのも時間の問題かもしれないわね」
妻の洋子が、裕文を覗き込むようにして言った。
裕文としても、それは以前から危惧していたことだ。
だが、それはなんとかして阻止したい。
大学進学までしかいなかった実家だが、子どもの頃の思い出が詰まっている。
中学生になると父とよく言い争いをしたが、今から思えば、青臭い考えの自分がそこに甦る。
自分と父との間に立って辛い思いをしながらも、自分に理解を示してくれていた母の面影も思い出される。

「それなら、自宅と敷地に抵当権を付けたらいいんじゃないか?」
裕文の会社の同僚で、以前に建築会社で働いていた、少しばかり不動産について詳しい男が教えてくれた。
「弟さんに、お金を貸しているんだろ?ならその担保として自宅と敷地に抵当権を付ければいいんだよ。そうすれば売ろうとしても、抵当権を消さないといけないから、必ず抵当権設定者であるお兄さんへ働きかけがあるはずだから・・・」と。
これまで弟に貸したお金は、合計で800万円ほどになっていた。
そこで、弟の智之に話をつけ、その同僚の紹介の司法書士に依頼をして抵当権を設定した。

智之が交通整理のアルバイトから帰宅すると、自宅の郵便受けに見慣れない封筒が請求書の束に混じって入っていた。
「柳本不動産?以前にアパートを管理していた不動産会社でもないし、不動産会社からの手紙って何や?」
智之は、リビングのテーブル横に警備会社の制服が入った鞄を置き、封を切った。
「このまま放置されると競売になります・・・任意売却をお勧めします・・・」
そんな文章が目に入った。
智之の自宅と敷地に税務署と市から差押が入ったのは先月だ。
それは、2棟目のアパートを売った譲渡税と、家賃に対する所得税と住民税の滞納のせいだった。

両親から相続したアパート2棟は既に売却した。
辛抱が足りないのだろう、どこの会社に行っても長くは続かない。
ついに去年、嫁と子どもは家を出て行ってしまった。
これまで自分に降りかかってきた不幸は、親や兄貴のせいにしてきたけれど、本当の原因は自分の弱さだということは、よくわかっている。
それでも競馬で1発当てたら、人生を逆転できるのでは?
そう思い続けてきたものの、いくらやっても競馬で人生が逆転できるはずもなく、とうとう最後の砦である自宅が差し押さえられた。

「ついにここまで来たか・・・」
そう思っているところに、競売で落札するまでに自宅を売る方がなにかと有利だと勧める手紙が手元に届いた。
自宅を手放さないと、既にどうしようもないところまで来ていることはわかっていた。
もう、自宅は手放してもいい。
でも、役所に行って頭を下げたりお願いしたりするのは、真っ平ごめんだ。
手紙では、不動産会社の方で税務署や市役所にも、税金の支払いについて交渉してくれるという。
それなら、この不動産業者に自宅の処分をお願いしてみよう、智之はそう決めた。

「ごめんください、落合さんのお宅ですか?柳本不動産の河野です」
柳本不動産の営業マン、河野は智之の自宅を訪れていた。
会社から送ったダイレクトメールを受け取った智之が、交通整理のアルバイトが終わる夕方のこの時間を指定し、自宅に呼んだのだ。
「どうぞ、お上がりください」
開かれた玄関ドアの内側には、何足もの靴が散乱していた。
河野は、玄関の端に自分の靴を揃えると、智之にしたがってリビングに進んだ。

キッチンに目をやると、シンクには汚れた食器が積まれており、リビングのテーブルの上の読みかけの新聞や雑誌が乱雑に置かれた横に、会社から送ったダイレクトメールがあった。
河野は名刺を差し出し、連絡をもらった礼を告げた。
「家を売りたいと思っているんですけど、ご存知の通り、差し押さえられているんです。それでも売ることってできるんですか?」
自宅の差押を受けた人から、よく受ける質問である。
「ええ、差押が入っていても、ご自宅を売却するのに問題はありません。ただ、注意をしないといけないのが、売却したお金で差押を入れられる原因となった借入れや税金の滞納を支払うことができるか?もし全額の支払いができない場合は、交渉によって債権者が差押や抵当権を外すのに協力してくれるか?ということがポイントとなります」
「それは、そちらで話をしてもらえるんですよね」
「ええ、その場合は落合さんから委任状をいただき、それぞれの債権者と交渉をさせていただきます」
「そうですか、それはありがたい。じゃあ、おたくに任すから、売却をお願いします」
智之は事もなげに言い、河野の方が驚いたほどだ。
「あ、そうですか、ありがとうございます。では、物件につきまして少し調査を行い、いくらくらいで売却できるのかを査定した上で、またご連絡をさせていただきます」
次回の来訪の約束をし、河野は事務所に戻った。

「社長、この物件どう思われますか?」
事務所に戻った河野は、柳本不動産の社長である柳本美土里に相談した。
「そうね~、130坪かあ、結構広い土地ね。このエリアで130坪もの土地を買おうっていう人は、なかなかいないでしょう?順当に考えると、業者が買取して、いくつかに分筆して売るというのが、一般的でしょうね」
「この自宅は、まだ築年数が10年くらいなんですけど・・・潰さないですよね」
「そりゃそうよ、築10年なら潰さずに改装をかけて中古住宅として売った方がいいわね。となると、どういう区画割をしたらいいのか、ちょっと考えないとね。河野くん、ちょっと絵を描いてもらえる?」
土地はいくつかに分割して、そのうちの自宅が建っている1つは中古住宅として売ろうという。いくつに分割したらいいか、どのような形で土地を分割したらいいのか、河野に考えさせようというのだ。
「はい、わかりました。ちょっと検討してみます」
河野は、法務局のサイトからダウンロードした土地の測量図を拡大コピーして机に広げ、製図用のスケールを当てた。

土地は南東の角地にある。
そして、自宅建物もその敷地内の南東の角に建っていた。
2階建木造住宅の建坪は約45坪、敷地内に駐車場2台分を取るとしたら、この中古住宅の敷地は50坪になる。となると残りは40坪ずつ2区画で、計3区画というところか。
1区画40坪の土地なら、ちょうど売れ筋の広さだ。
ただ、ちょっと気になるのは、東側道路に面した土地は、ほぼ正方形で綺麗な形なのだが、南側道路に面した土地は、間口が少しばかり狭い長方形の土地となってしまうことだ。
「まあ、これくらい間口があれば、大丈夫でしょう。奥に建物を建てて、前を庭か駐車場にすればいいんだし、この区画割りしかないでしょうね。ところで、区画割した後の、家について法的規制は大丈夫なんでしょうね?」
「法的規制?」
「ええ、そうよ。エリアによって建ぺい率や容積率が決められているでしょう。元々の土地の広さならクリアしていたものが、土地が狭くなったことで、違法建築物になってしまうこともあるのよ」
たしかに、100坪の土地の場合、このエリアの建ぺい率が50%で容積率が100%だとしたら、1階面積が50坪、延床面積が100坪までの建物を建てることができるのだが、土地が50坪になったとしたら、1階面積が25坪、延床面積が50坪までの建物しか建てられなくなる。それをオーバーしている建物だとしたら、違法建築物ということになるのだ。

しまった、法的規制のチェックをするのを忘れていた。
もし違法建築物となってしまうと、住宅ローンが使えなかったりして、なかなか買主が現れなかったりするのだ。
顔色が変わったのを、美土里にしっかり見られてしまった。
「あ~!さては河野君、チェックしてないな~。ちゃんとするようにね、建ぺい率や容積率だけじゃなくて、斜線規制などの建物にかかる他の規制もね」

敷地に比べて、余裕を持って建物を建てていたために、河野が作った区画割のプランでも、法的規制はクリアしていた。
「さて、次は査定金額の算定だ」
近隣の土地の取引事例や建売住宅をした場合の試算から逆算もしたりして、妥当と思われる査定金額をはじき出した。
「社長、この計算からすると、業者買取り価格としては、土地坪あたり20万円、広さが130坪ですので、土地価格で2600万円。建物については減価償却などから1000万円、合計3600万円ってとこだと思います」
「そう、それで業者としての事業計画はどうなるの?」
「そうですね、土地については坪あたり25万円換算で、建物については1250万円程度ではどうでしょう?」
「うん、わかったわ。じゃあ、事業計画については、経費も含めてもう一度計画書を出してね。で、落合さんへの買取の話と、債権者との交渉を進めてね」
そう言い残すと、美土里は事務所を出て行った。

河野は智之と再び会い、土地が広いために業者買取でないと売れないということ、柳本不動産が買い取った後に、分割をして売るということを話して、智之の売却の意思を確認し、住宅ローンと税金の残額、お兄さんへの借入額を聞いた。
住宅ローンを除くと、買取価格は債務総額に2割程度不足したが、相場というものがあるので、しかたあるまい、河野は税務署と市役所、そしてお兄さんとの差押や抵当権を外す交渉をすることにした。

「初めまして、柳本不動産の河野と申します」
河野が訪れたのは、智之の兄、裕文のところだ。
市が開発した新興住宅地に建てられたマンションは、コンペでの優勝者がデザインしたものなのだろう、いくつもの棟がパティオと呼ばれる中庭を取り囲んでいた。
「こちらこそ、弟がお世話になっております」
そう挨拶した裕文は、大手設計事務所に勤めている建築士だそうだ。
温和な風貌で、弟とは雰囲気が大きく異なっている。
綺麗に整頓された部屋のなか、裕文の傍らに座る奥様にも上品さが漂う。
河野は、柳本不動産が買い取ることになった経緯、買い取った後には3分割をして売却する予定だということ、買取代金から債務者に返済をするのだが、満額には満たないこと、それでも抵当権を外して欲しいということを、順を追って話した。
「そうですか、河野さんのおっしゃることはわかりました。ただ私どもとしては、実家の敷地を売ってしまうことには賛成できかねるのです」
そう言うと、裕文は河野を直視した。
もしかして、お兄さんが買い取ろうということなのか?

「ご存知かもしれませんが、実家の財産を切り売りしないといけなくなったのは、弟の智之の自堕落な生活のせいです。そして、私どもも智之には少なからずお金を出してやっています。それは、なんとか実家だけでも残して欲しいという思いと、智之が立ち直って頑張って欲しいという思いからです」
「でも、ここまで来ると売るしかなさそうですね。本来なら、私が買い取りたいという気持ちではあるのですが、そんな資金的な余裕もありませんし、もし私が買い取るということになると、結局、弟の借金や税金を支払ってやって私に名義が変わるだけということになるのでしょう。そうなると、弟はまた甘えてしまうように思います。だから、弟は一度財産を全て失って、一からやり直して欲しいのです」
「ただ、それでも私にも実家に思い入れがあります。そこで、抵当権を放棄する代わりに、3分割した残りの土地2つのうち1つを私の名義にして欲しいのです。できれば東側の正方形土地を。そうすれば、いつかあの地に帰りたいとの思いも満たされるように思えますから」
裕文の奥様も、口を挟むでもなく、裕文に同意して肯いていた。

「社長、どうしましょう?」
裕文の意向を美土里に伝えた河野は、美土里の判断を待った。
「河野君、あなたはどう思うの?なんでも私に聞くんじゃなくて、まずは自分の意見や判断を言ってちょうだい。私の判断は、その後でするから」
「私としては、お兄さんの気持ちを尊重してもいいと思うんです。というか、それですんなり抵当権を外してもらえるのなら、その方がいいように思います。ただ、東側の土地じゃなくて、南側道路に面した方の土地にしてもらいたいですよね。債権額800万円なので、南向きの長方形の土地なら、ちょうど割りに合うのではないでしょうか?ただ、この土地を売却した場合に得られるであろう、うちの利益はなくなりますけど」

美土里は腕組みをして分割予定図を見ていた。
「そうね、じゃあそのあたりのお兄さんとの話は河野君に任せるわ。銀行からは事業資金の融資の内諾は得ているから、必要資金が800万円減るだけの話ね。税務署と市役所との配分についても、それぞれ提出して稟議を通しておいてね」
「はい、承知しました」

税務署と市役所への配分については、それぞれの取り分の割合についての牽制があったり、お兄さんへの土地譲渡について相当なのかどうかの資料作成や説明が必要となったものの、差押取下げの稟議が下りることとなった。
お兄さんについても、自分たちに土地を残すことができるのならと、南側の長方形の土地でも構わないという承諾を取り付けた。
河野は智之の引越し先の賃貸住宅も紹介し、すべての準備を整え、土地建物の売買と決済、引渡しは完了した。

「もう失うものが何もなくなった今度こそ、弟には裸一貫で出直して欲しいのです。そして、本当は自分が守らなければいけなかった実家の土地は、小さくはなってしまいましたが、これからは自分が受け継いでいきたいと思います。ただ、自分たちには子どもがいません。私たちが死んだあとは、あの土地は智之の子どもに譲りたいと考えているのです。それが、両親に逆らって家を出て行ったこと、弟の智之に重荷を負わせたことへの少しでも詫びになればいいと思います」
取引が終わったあとに言ったお兄さんの言葉が、河野の心に響いていた。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。