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女不動産屋 柳本美土里

「河野君、さっきから玉ねぎばっかり食べて、全然ハモを食べてないわよ。遠慮しないで食べなさいよ」
美土里と河野は、会社の近くにある居酒屋のテーブルで向かい合っていた。

柳本美土里は、柳本不動産の女社長。
東京の銀行に勤めていた美土里は、創業者の父が病気で倒れたのを機に、数年間不動産業を修行した後、柳本不動産を継いだ。
河野は、ある不動産会社で営業をしていたのだが、会社の強引なやり方に嫌気が差していたところに、取引相手であった美土里と出会い、真面目なところを気に入られて迎えられた、柳本不動産の唯一の社員である。

「最近、河野君の元気がないから、こうしてハモを食べに連れてきてあげたのに、あなたが食べないでどうするのよ?」
出汁を吸って、骨切りの施された身がふっくらと膨れ、まるで花が開いたような白いハモを、箸の先でつまんで美土里は言った。
「だって、あんな蛇みたいな細長くてくねくねした生き物って苦手なんですよ」
「だったら、先にそう言いなさいよ。大将にわざわざハモ鍋を作ってもらったのに・・・」
美土里は、ほっぺたを膨らませて河野を睨んだ。
「そんな~、ハモだなんて教えてくれなかったじゃないですか~」
河野は泣きそうな顔で言い返した。

「だいたいね~、どこかの女の子みたいに、細長いのが嫌いだなんて、いい歳をした男がよく言うわよ」
「まあまあ、美土里さん、そんなに怒らなくたって・・・こちらも結構いけますよ」
居酒屋の大将が、ひと口大の魚の切り身を皿に盛り、鍋の横に置いた。
「大将、これって鱈?」
「ええ、そうです。淡白な鱈にハモのエキスが染み込んで、なかなかのもんですよ。河野さんはハモが苦手みたいですから、特別に鱈をご準備しました」
「へ~、そうなんだ。ハモ鍋に鱈を入れて食べるのって初めてだわ」
美土里は、菜箸で鱈の切り身を4つ鍋に放り込んだ。

「なんだか今日の美土里ちゃん、荒れてるね?」
美土里が席を外した隙に、大将が席にやって来て河野に話しかけた。
「そうなんですよ~、この前、新築一戸建ての建築か購入を検討しているという知人の娘夫婦のことで・・・」
「それが、どうかしたんかい?」
「こういうことなんですよ」
河野は、その成り行きと顛末を話し出した。

「美土里さん、実はうちの娘夫婦が家を買いたいと言ってるんだが、相談に乗ってやってもらえんか?」
そういって柳本不動産にやってきたのは、子どもの頃からの知り合いで、美土里の幼馴染の兄の松田だ。
聞くところによると、その娘さんのところは子どもがまだ小さくて、ご主人だけが働いている状態だという。
それも、転職してから3年で、貯金もほとんどない状態。

「限度いっぱいに住宅ローンを借りれば、この辺りの一番安い値段の新築一戸建てを買うことはできるでしょうけど、そこまで無理して借りるとローン支払いが大変になるのが目に見えていますよね。なら、せめて1年くらいかけて貯金をしてから、購入した方がいいと思いますよ」
という美土里の意見に、松田も同じ気持ちのようだ。
本人に直接話をしてやって欲しいという松田が、娘の里香に電話を掛けた。

「この前に話をした不動産屋さんで、柳本美土里さんや。頼りになる人やから、相談に乗ってもらったらええわ」
そう言うと、携帯電話を美土里に押し付けた。
「初めまして、柳本美土里です。お父様から家を探されているとお話を聞きました。よろしければ、いろいろアドバイスさせていただきますので、よろしくお願いします」
美土里は挨拶だけをして、後日詳しく話を聞くことにした。

美土里が里香に聞くところも、父親から聞いていた内容とほぼ同じ。
里香は専業主婦で、ご主人は転職して3年目、貯金はほとんどないため、家を買うとしたら購入のための諸費用もローンを組みたいとのこと。
「家を買ったとしたら、私も働こうと思うんです。そうすれば住宅ローンの支払いをしても、そんなに生活が苦しくなるってこともないと思うんですけど」
「それに、賃貸に住んでいても、毎月家賃は支払わないといけないんだから、自分の家の住宅ローンに回した方がいいですよね」
「う~ん、じゃあ働いている間は、お子さんはどうするの?」
「子どもは保育園に預けようと思っています」
「じゃあ、保育園の保育料も必要ね」
「・・・」

「家を買ったら働くって言ったって、子どもの保育料もかかるし、いい働き口が見つかるかどうかもわからない。現状で、借りられるだけの目一杯の資金計画では、危なっかしくてしかたなくて・・・それで社長としては、里香さんが仕事をするなら、まずそちらを探して生活に余裕を持たせ、ある程度の貯金もしてから家を買っても遅くないし、その方がリスクが少ないと思ったのでしょうね。買う気になっている気持ちに、一生懸命に水を掛けていたんですよ」
河野の話に、居酒屋の大将はうなずいた。

「で、どうなった?」
「ええ、社長はしばらくの間、設備や建材メーカーのショールームに行ったりして、いろいろ知識を吸収する期間にしたらいいと、その間にいくらかでも貯金しておいた方がいいとアドバイスしたんですよ。それで、里香さんも、そうですねってショールームに行っていたようなんですけど・・・」
「けど?」
「結局、社長にも父親にも何の相談もなく、建売住宅を買っちゃったんです」
「えっ!?買ったの?」
「そうなんですよ。住宅ローンを目一杯借りて、他の仲介業者を通して建売をですよ」
「それで、社長の機嫌が悪くなっちゃって・・・安心して家を買ってもらおうと心を砕いて色々とアドバイスしていたのに、通じなかったからでしょうね・・・」

大将は腕を組んで天井を見上げた。
「そうさな~、父親の知り合いの不動産屋っていうのも意外と敬遠された理由かもな」
「え?そうなんですか?知り合いなら、損得勘定じゃなくて、その人のためを思ったアドバイスもするだろうし、うちの社長のことだから、きっと仲介手数料も割引していると思いますけど」
「そう思うやろ?そう思うところは、まだまだ青いってことやな」
大将は河野を指さした。
「美土里ちゃんは父親の側の人で、自分の本当の味方じゃないって思ったんやろうよ。自分の気持ちに反対する人だから。いくら相手のことを思ってアドバイスしても、相手の思いと違って聞く耳を持たなかったら煩いだけやもんな。もし、父親の知り合いの不動産屋の話を聞いて進めたとして、途中でトラブルがあったり主張したいことが出てきたりしても、遠慮して言い難いかも?とか思うと、何の関係もない不動産屋の方が、気楽と思ったんちゃうか?それに、奥さん側に主導をとられるんも、旦那側としたらいい気持ちやなかったんかもしれんしなぁ」
「そんなもんなんですかね~?」

「河野くん、大将と何の話してるの?」
美土里は、携帯電話を片手に席に戻ってきた。
店の外で電話をしていたようだ。
「いえ、ちょっと人生について教えてもらってたんです」
河野と大将は目配せをした。
「なんだか、怪しいわね。どうせろくでもない話をしてたんでしょ」
「それより、鍋の中の鱈、もう出来上がってるわよ。さあ、食べましょうよ」
美土里は座りなおし、鍋をつつきだした。


数日後、売却依頼を受けた土地の物件調査をするために、美土里が車で市役所に向かっていたときのこと。
その途中の信号待ちで、ふと傍らにあるビルの駐車場に目をやると、乳酸菌飲料を訪問販売している飲料メーカーのパートなのだろう、大きな保冷バッグを抱えて3輪バイクに乗ろうとしている若い女性が2人。
そのうちの1人は、見覚えのある顔だった。
「あら、里香さん」
美土里の幼馴染の兄の娘、里香だった。
そういえば、あの会社は社内に保育施設があるから、小さな子どもがいる若いお母さんが安心して仕事ができるという評判の会社だ。
なるほど、それであの会社で働いているのか。

自分の名前を呼んだ声を探し、美土里を見つけると、里香はペコリと頭を下げた。
「里香さん、頑張ってるのね」
「はい、その節はありがとうございました」
悪びれる様子もなく、屈託のない笑顔で応える里香を見て、美土里は少し呆れ、それでも安堵と嬉しい気持ちが滲んできた。
そのタイミングで前方の信号が青に変わった。
「バイクの運転、気をつけてね」の言葉を残して美土里はアクセルを踏んだ。

数日後に、美土里は駅前で偶然に松田と会い、立ち話のついでに里香と出会った話をした。
「そうなんやけど、最近では、あの会社の保育園じゃ子どもの教育に良くないって、他の保育園に移そうと思ってるみたいなんや」
「仕事も替わるつもりなんですか?」
「ああ、あの子は、もともと人付き合いが嫌いなタイプやから、ほんとのところは訪問販売っていうのが、しんどくなったんやないかな?」
「そうなんですか?里香さんって可愛いし、笑顔もいいから、販売に向いてそうだけどな~」
「ところで、立ち入った話ですけど、住宅ローンの支払いは出来ているんですか?私の計算だと、かなりきつかったように思うんですが・・・」
「そやな、特に何も言ってきてないから、なんとかやってるんやろ」
「それなら、いいんですけど・・・」


松田が娘夫婦を連れて柳本不動産にやってきたのは、それから半年ほど経った頃だった。
「こいつらの家を売ってやって欲しいんやが」
そう切り出した松田の語調は、ちょっと怒っていた。
応対した美土里は、いつもよりも静かに口を開いた。
「それって、1年ほど前に買われた家ですよね?どうしてまた、売るという話になったんです?」
松田は、小さくなっている娘夫婦を一瞥すると重い口を開いた。
「恥ずかしい話やが、実は、住宅ローンの支払いのために、生活が厳しくなっていたみたいで、その穴埋めに旦那がサラ金に借金していたみたいなんや。当初は、借金返済に困ると、また借金を重ねるという方法でな。でも、そんなことは続かんわな。そのうち、どうしようもなくなって返済できなくなり、督促状が家に届き、電話でも矢のような催促がされるという状態になったということや」
「そんな状態に耐えられなくなって、里香が子どもを連れて実家に戻ってきたことで、そんな事情がわかったんや。借金の方は、わしが全部返済したけど、この状態やったら、また同じことになるやろうと思うてな」
そう一気に言うと、松田は溜息をひとつ吐いた。

「そうですか、それは大変でしたね」
美土里は、ずっと下を向いたままの里香夫婦をいたわった。
「松田さん、そりゃうちも不動産屋なんで、売れと言われれば売りますけど、去年買ったばかりの家とは言え、1年間住んで新築だったものが中古になったとなれば、それなりに値段は下がっています。査定をさせていただかないとわかりませんが、買ったときの値段の2割近く下がっていても不思議じゃないと思いますよ。ざっくりとした計算になりますが、2500万円で買った家が2割下げて売るとしたら500万円のマイナス、それに買ったときの諸費用150万円もローンで借りているということなので、合わせて650万円のマイナスとなり、2000万円で売れたとしても650万円を準備していただかないと、住宅ローンの抵当権がはずせない、つまり売ることはできないってことになるんです」
松田は、渋い顔をして目をつぶり、そして目を開けた。
とりあえず、今日のところは帰って相談をするということで、松田と里香夫妻は席を立った。

翌日、松田が1人で事務所にやってきた。
「美土里ちゃん、どうしたらええと思う?」
松田は、娘夫婦のためになるのなら650万円を出してもいいと言う。
「お金を準備して家を売ったとしたら、住宅ローンはなくなるので、賃貸の部屋を借りて住むという元の生活に戻るでしょうが、1年間で650万円ものマイナスを出すのは、あまりにも勿体ないと私は思うんです」
「里香さんの旦那さんは、親御さんとかはどうされているんですか?」
「ああ、彼の親は両方とも若くして亡くなったらしくて、頼る親がいないんや」
「そうですか、なら・・・」
「なら?」
「松田さんが、里香さん夫婦の家で一緒に住んだらどうかと思うんです。それで、松田さんが生活費としていくらかを入れる、それを里香さん夫婦は住宅ローン支払いのたしにするというふうに」
「そやけど、一緒に住んでくれるもんかな~」
「さあ、それは話をしてみないとわかりません。でも、そうでもしないと住宅ローンの支払いが難しいのでしょう?それとも、松田さんが毎月お金を援助されますか?そうなると、里香さんの妹さんが納得しないかもしれませんよ。どうしてお姉ちゃんだけ、そんなお金を貰えるのって」
「たしかに、そういう争いになる可能性はあるわな」
「里香さん夫婦にとって親と言えるのは松田さんだけなんだから、ゆくゆくは一緒に住むことを考えているんじゃないですか?」
「さて?それも、どうかわかったもんやない。第一、そんな提案をわしから里香たちにすることは無理やわ」
「じゃあ、私が里香さん夫婦の気持ちを聞いてから、方法を考えましょう。」

美土里は、後日やってきた里香夫婦に話を聞いてみた。
「お父さんは、家を売って不足するお金を払ってもいいって言ってるみたいだけど、どうなの?本当に家を売るつもりはあるの?」
里香の夫が美土里の前で初めて声を出した。
「お父さんにお金を出してもらえるのは嬉しいのですが、僕たちの本音を言えば家は売りたくないんです」
「だったら、これからの住宅ローンの支払いはどうするつもり?」
「会社の仕事以外に、アルバイトでもしようかと・・・」
「うん、その気持ちは立派だけど、会社にアルバイトをしていることが見つかったら、まずいんじゃないの?それに、会社勤めをしながらアルバイトって本当に大変よ、身体でも壊したら、元も子もないじゃない」
「まあ、そうなんですけど・・・」

「あなたたち、お父さんの年齢がいって、独りで生活ができなくなったときには、同居しようとかは考えてる?」
「はい、里香も2人姉妹の長女だし、いずれ僕たちが、お父さんを看ないといけないよなって話はしているんです」
「なら、ちょっと早いかもしれないけど、いっそのこと、もうお父さんと同居してみたら?同居するなら、お父さんも生活費を入れてくれるだろうし、それで住宅ローンの支払いも楽になるでしょう。そうしたら家も売らずに済むし、アルバイトもしなくて済む。それに、お父さんも娘夫婦や孫と一緒に暮らせて嬉しいんじゃないかな?」
里香夫婦2人は顔を見合わせ、気持ちを確認した。

それから1週間ほど経った頃、松田が柳本不動産にやってきた。
「美土里ちゃん、ありがとう。娘夫婦が一緒に住みたいって言ってくれて、来週にも引っ越すことになったんや。美土里ちゃんが提案してくれたように、わしが生活費を入れるということでな。ああ見えても、母親譲りで里香は料理が上手いから、里香の料理が毎日食べられるんは楽しみや。それに、旦那には酒の相手をしてもらるし、孫とも遊べるし、ほんまに良かった」
松田は手放しで喜んだ。
「それは、良かったですね。里香さん夫婦も喜んでいることでしょう」
「あいつらは、家を手放さなくて済んだからな」
「松田さん、そんな悪態つくもんじゃないですよ。2人は、いずれ同居しようと考えていたようですよ」
松田は、嬉しそうに頷いた。
そして、思い出したように言った。
「そうそう、それで今住んでいる家の方やが、同居が上手くいくかどうかは、まだわからんから、帰るところを確保するために、しばらくは置いておくつもりやけど、なんとかいけそうなら、その時は売ろうと思うとるから頼むわな」と。
「はい、承知しました。早くご売却依頼がいただけるようになることを祈っています」
美土里は、おどけて深々とお辞儀をした。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。