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女不動産屋 柳本美土里

JRの駅、東口改札を出て線路の南を真っ直ぐに歩いて行く。
コンビニ、シュークリーム専門店、カレーショップなどを横目に通り過ぎると、目的の店が見えてきた。
ガラスの4枚引き戸の前には、間口いっぱいの暖簾がかかっている。
入り口ドアの上部に掲げられた看板には、「龍馬食堂」とあった。

「龍馬食堂」
幕末の土佐藩、今の高知県出身の藩士。
徳川の世を終わらせる大政奉還、明治維新に重大な影響を与えた志士として、今も多くのファンがいる坂本龍馬から名づけたに違いない。

高知県からの産直食材を使用しているというのが売りの龍馬食堂は、鰹のタタキが人気メニューのひとつだ。
この店の鰹のタタキは、塩で食べることで、藁で燻された香りと鰹の旨味が口の中に広がる逸品と評判である。
春には旬の鰹を味わえるとあって、平日にもかかわらず、予約がないと入れないほどの賑わいだ。
そんな店の予約が取れたという連絡が哲也の元に入ったのは、1週間前のこと。
「久しぶりに、同期6人で飲もうや」そう誘ってきたのは同期入社で営業部の山下だ。

「いらっしゃいませ!」
威勢のいい挨拶に出迎えられ、哲也は予約した山下の名前を店員に告げると、狭い階段を昇った2階に案内された。
テーブルやカウンターが中心の1階に比べ、2階は靴を脱いで上がるタイプの和室がいくつか並んでいる。
その1番奥の部屋から聞きなれた友人たちの声が漏れ聞こえてきた。
「お待たせ~」
「おぉ哲也、遅かったやんか」「こっち空いてるから座れよ」
口々に声が飛んできた。
入社してから10年、いつまで経っても同期っていいなぁ、思わず頬が緩むのを感じた。

久しぶりの同期会に乾杯すると、ほどなくお目当ての鰹のタタキが運ばれてくる。
刺身盛り合せ用の大きな舟に、6人前の鰹が盛り付けられている様子はなかなか圧巻だ。
「うん、これこれ、ほんま美味いよな~」
箸を伸ばし、ビールグラスを口に運び、鰹に塩をかける、いくつもの手が忙しなく動くのが可笑しい。

舟の底の大半が見えるようになって手の動きが緩慢になり、ビールを飲むことに忙しかった口が、やっと開きだした。
「そういえば、山下。おまえ最近、家を建てたそうやなぁ」
「そんなこと、なんで高松が知ってるんや?」
人事部所属の高松と営業部の山下は、大学のゼミでも一緒だったらしい。
そのせいか、他のメンバーに比べて、より親密度が高いように思う。
人事部では、社員のいろいろな情報を把握することも仕事のひとつらしい。
そのため、高松はあらゆる部署の情報収集をしており、さながら社内スパイのようだ。
おおかた、社内融資を申し込まれた経理部あたりから漏れたのではないか?
そうだとすると、なんと社内では個人情報保護もなにもあったものではないのだが・・・

山下の実家は会社から電車で1時間ほどの郊外にあり、先祖は、もともとその辺りの地主だったらしい。
実家の目と鼻の先にある田んぼの一角を潰して、山下たちの家を建てるための敷地を用意してもらい、建物については社内融資を利用して付き合いのある工務店に注文したという。
「おいおい、まだ新築祝いに呼んでもらってないぞー」
いまどき、新築祝いなんてする家があるのか?そんなこと滅多にしないのを知っているくせに。
仲間たちは、山下の新築の家のことを話題を取り上げ、酒の肴にした。

「そういえば、俺たち同期の中で、家を建てたり買ったりした連中の方が多くなったよな」
「お前らは、買わないのか?家」
たしかに、同期6人中で持ち家派が4人、賃貸派は自分と高松だけだ。
親から敷地を提供してもらった山下に、「買わないのか?」なんて簡単に言われたくはない。
土地と建物どちらも買うとなれば、どれだけのローンを組まないといけないのか、山下にはわかるまい。

「そりゃ買いたいと思っているけど、会社に近い便利なところで家を建てようなんて思うと、目が飛び出るような値段になるからな~」
哲也の愚痴に応えたのは、去年に家を買った黒田だ。
「だったら、中古住宅を買ったらいいんじゃないか?俺も新築じゃなくて中古を買ったけど、リフォームしたら中身は新築みたいなものだし、リフォーム代と合わせても新築よりだいぶ安くあがったぞ」
黒田が言うように、中古住宅と言う選択もありかもしれないが、内部がどこまで老朽化しているかわからないし、買ってからすぐにあちらこちらと修繕の必要が出たりすると目も当てられない。

哲也には、家の購入をためらうもう1つの理由があった。
実家に独り残してきた母親のことだ。
今は、まだ元気だから問題ないとはいえ、今後年老いて介護が必要になったら、頼る兄弟もいないし自分が面倒をみないといけない。
仕事もあり、家族と一緒に実家に戻って、というのは考えられないので、母をこちらに呼び寄せることになるのだろう。
そうすると、母を受け入れることができるだけの大きさの家が必要になる。
同居する時期が見えない今、将来の母のために大きな家を買っておくことに、なかなか踏み切れない思いがあった。

「じゃあ、そろそろ次に繰り出すかー!」
「おお、行こう行こう!やっぱりいつものカラオケスナックか?」
「あそこしかないやろ、われら安月給の身分としては」
そう言うと、6人は龍馬食堂を後にし、会社の連中の御用達のカラオケスナックに向かった。

朝、目が覚めると、見慣れない白い壁紙がそこにあった。
そうだ、ここは家ではなく、病院のベッドなのだ。
昨夜、自治会の寄り合いが終わってから、家に帰る途中でのこと。
でこぼこの道路の窪みに自転車のハンドルを取られ、転倒した。
運よく、通りかかった近所の人が親切にも救急車を呼んでくれて、この病院に搬送してもらったのだった。
検査の結果、肘の骨が折れているらしい。
転んだ拍子に頭も打ち付けたようで、大事をとって1日だけ病院に泊まり、近いうちに骨の接合手術をすることになるそうだ。

「手術をするにあたって、誰かお身内の方のご署名とご捺印がいるんですけど、どなたかお身内の方は近くにおられますか?」
看護士さんが、書類を開いてどこに記入するのかを説明してくれたが、独り息子の哲也は、ここから離れた大阪に住んでいる。
できることなら、哲也には怪我のことを内緒にしておきたいのだけれど・・・
これくらいのことで心配を掛けるのはしのびない。
なんとかならないのかと、担当してくれている大柄の看護士さんに言ってみたのだが、こればかりは、どうにもならないらしい。
正子は仕方なく哲也に電話を掛け、手術をする経緯を話し、書類の署名捺印を頼んだ。

「母さん、大丈夫なんか?頭も打ったって言ってたけど、脳の方も、ちゃんと検査してもらったんだろうな」
「それは大丈夫みたいやけどね。しばらくは通院しないといけないみたいやわ」
「ほんとに、もう~・・・」
心配のあまりだろうが、なんだか息子に叱られているみたいだ。
「あんまり心配しないでいいからね、書類を送るからお願いね」
そう言って電話を切ると、正子はひとつため息を吐いた。

「ねえ、お母さん大丈夫なの?」
妻の朋子が心配そうに訊ねた。
「うん、自転車で転んで頭を打ったって・・・今回は大丈夫なようだけど、打ちどころが悪かったら大変なことになってたとこだよ」
こんなことがあったということは、同居を真剣に考える必要があるということなのかもしれない。
「そろそろ、お母さんをこっちに呼び寄せないといけないんじゃない?」
僕の心を見透かしたように、朋子が言った。

朋子には、いずれ母と同居しないといけないことは、結婚当初から話をしていた。
たまに帰る実家では、母も朋子もそれぞれ遠慮があるために上手くやってくれているようで、とりあえずは安心だが、同居をするとどうなるかは不明だ。
同期の連中でも、嫁と姑の板挟みになって、家に居づらいとこぼしているやつもいる。
僕が気にかけているほど朋子は母との同居を気にしていないのか、はたまた諦めているだけなのか、本心はどうだかわからないが・・・
いずれにせよ、朋子からそう言ってくれると、変な気遣いをしないで済むので助かった。

同居するなら、今の狭いマンションから広いところに移る必要がある。
いよいよ、家探しを始めないといけないということで2人は同意した。

そんな折、同期の山下から昼食の誘いがきた。
「どうした?昼飯に誘うなんて珍しい」
「いや、実はな、俺のいとこが海外の子会社に出向になって、しばらくは帰ってこられないらしいんや。それでな、家を処分しようと思っているみたいなんやけど、良かったらお前買わへんか?」
「そんな、いきなり買わへんかって言われても・・・」
「そらそうや、すぐにここで買うわって言われたら、こっちがびっくりするわ。もし興味があるなら、一度見に来たらどうや?あの家は、一昨年に外装も内装もリフォームしたところやから綺麗やと思うで。それに昔に離れの部屋を増築してるから、ちょうどええんちゃうか?」
「お前、前からいずれは母親と同居しないとあかんって言うてたやろ。だから、こりゃお前にぴったりやって思ったんや」
タイミングよくやってきた山下の話は、とてもそそられるものだった。
とりあえず、一度その家を見せてもらう約束をして、午後からの仕事に就いた。

家に帰って、妻の朋子に山下からの話をしてみた。
「いいんじゃない、その話。聞くと家も広そうだし、場所も悪くないわね。見せてもらって良かったら、話を進めてみましょうよ」
「そうだな、まずは見ないと話は進まないよな」

目的の家は、会社から電車で40分ほどの距離にある駅の近くにあった。
「おお、哲也。こっちや」
電車を降りたところで、改札から手を挙げる山下がいた。
駅から歩いて10分のところに、その家はあった。
区画された閑静な住宅街にある家は、外壁塗装をしたばかりなので、かなり綺麗に見える。
「こんにちは~」
インターホン越しの山下の声を聞きつけて、いとこが出てきた。
小柄な山下に比べ、いとこは背が高く、顎鬚をたくわえているダンディな紳士だ。
「初めまして、名村と申します。お話は伺っていますので、どうぞご覧になってください」
そう言うと、家の中を案内してくれた。

リフォームして間もないというだけあって、どの部屋もとても綺麗だ。
ただ、離れについては長い間倉庫がわりにしか使っていなかったらしく、老朽化が激しかった。
「離れについては、建て替えないといけないわね」
「そうだな、母屋の方は全く問題ないけどな」
山下の話では、先方の希望の値段は1800万円だそうだ。
この辺りの土地の値段からしても、破格だと思われる。
いずれにせよ、離れの建て替え費用の見積りが出るまで待ってもらうことにした。

離れの建て替え費用見積りが800万円で出てきた。
家の購入価格1800万円と800万円と合計しても2600万円だ。
これなら悪くない。
哲也と朋子は購入を決めた。
契約についてはインターネットに不動産売買契約書があったので、それを利用することにし、購入資金については、手持ち資金と社内融資でまかなうことにした。

社内融資の決定が1週間で下り、契約から2週間ほどで売買代金全額を支払い、家の引渡しを受けることができた。
「さてと、家の登記は完了したし、離れの建て替えをしてもらうことにするか」
契約前に見積りをしてもらった工務店に依頼をしようとすると・・・
「調べさせてもらったら、あの離れは後から増築した部分で、建ぺい率がオーバーになっているから建替えることはできないんですよ」
建て替えができないってどういうこと?
建ぺい率オーバーって?

工務店の話では、土地の広さに対して、その土地のうちのどれだけの部分(割合)に建物を建てることができるのかということが決まっているらしい。
これを建ぺい率といい、この家のあるエリアでは、建ぺい率が50%だそうだ。

敷地面積が50坪なので、25坪までが建物に使うことができる土地面積となる。
母屋の1階床面積が16坪、平屋の離れの床面積が10坪なので、合計26坪となり、現状で1坪のオーバーとなっている。
「これって違法ってことですか?」
工務店の責任じゃないのだが、食ってかかるような物言いになってしまった。
「そうですね、現状では建ぺい率オーバーということになり、違法状態ということになりますね。下手をすると行政から是正命令がくる可能性もある建物です。もし、建て替えをするとしたら、建築確認申請が必要なのですが、その際に建ぺい率オーバーを指摘されて、同じ規模の建物を建てることはできないのです」

「じゃあ、その建ぺい率をクリアしようとすると・・・」
「そうですね、9坪までの建物であれば、建ぺい率はクリアできるので大丈夫でしょう」
「1坪小さくなるわけだ」
「そうですね」
なんとも明快な回答だ。
「どうしても、今の大きさが必要ということであれば、違法建築物であることを認識したまま、建築確認を出さなくてすむようなリフォームをするという手もありますが・・・」

「そんな話、売主から聞いてなかったぞ」
建ぺい率がオーバーしていることについて、山下に文句を言ったものの、山下を通してきた売主の返事は、自分も違法建築物になっていることを知らなかったと言う。
もちろん山下も知らなかったと。
「あなた、もういいじゃない。売主さんも悪気があったわけじゃなし、1坪減るだけでしょう?それとも、リフォームで済ます?」
さて、どうしたものか?
みんな知らなかったということだが、納得がいかない。
部屋が狭くなるということは、母に申し訳ない気がするし・・・

「美土里ちゃん、どう思う?」
大竹工務店の社長が困った顔をして、柳本不動産の柳本美土里を訪ねてきた。
大竹工務店と柳本不動産とは先代からの付き合いがある。
先日、柳本不動産の仲介で土地を買ったお客さんが、工務店の紹介を依頼してきたものだから、仕事ぶりもしっかりとしていて懇意にしている大竹工務店を紹介したのだ。
その顔合わせが終わってからの雑談のなか、大竹社長が美土里に相談してきた。

大竹工務店が離れの建て替え工事を受けたらしい。
そこで、現状の建物と同規模の建物の建築見積もりを出したところ、その後で建ぺい率オーバーの建物だということがわかり、専門家である工務店が見積もりの段階で教えてくれなかったのは非があると責められているという。
「大竹のおじさん、ざっくりとした建築見積もりを依頼されただけでしょう?工務店には、規制を全て調べて、建つか建たないかを調べる義務ってないと思うけど」
「実際に設計を請け負って、そこで調査をして規模や構造に問題がないかのチェックをするのでしょう?」
「そうだよな、うちは悪くないよな」
大竹社長は、少しほっとしたように、湯飲みを傾けた。

「だいたい、中古住宅を買ったときに、仲介業者から建ぺい率オーバーの家だってことは知らされているはずじゃない」
「俺もそう思って聞いてみたんだが、知り合いどうしの売買だったので、そういった法的な調査もせずに、契約書だけのやりとりで家を買ったみたいなんだよ」
「だったら、なおさら本人たちの責任じゃない」
美土里は腹が立ってきた。
「だから仲介業者を通さずに不動産売買したらダメなのよ。仲介業者が入っていたら、もっと前にわかっていたことなのに」
「確かになぁ、でもその離れは歳のいったお母さんのための部屋にしようと思っていたらしいんや。だからできることならなんとかしてやりたいんだがなぁ・・・」
大竹社長は腕を組んだ。
それに釣られるように美土里も腕を組み、2人して腕を組んで向かい合っている様子を見た従業員の河野は、思わず吹き出した。

「河野くん、あなたならどうしたらいいと思うの?言ってみてよ」
矛先が河野に向いた。
「そうですね~、建ぺい率オーバーの違法建築なんだから、建ぺい率をクリアするためには、小さくなったとしても建物の規模を合わすしかないでしょうね。離れの大きさを残したいっていうのなら、母屋を小さくするとか・・」
「でも、それって母屋の方の基礎部分も壊して撤去しないといけないから、建築確認の出し直しになるでしょうし、強度的にも問題が残りそうね。となると、それはあまり現実的ではないわね」
「だったら、どうしたらいいんですか?」
河野が口を尖らせた。

「離れを建て替えるんやなく、とりあえず今の形を変えずにリフォームっていう手もあるんやないか?」
大竹社長が言葉を挟んだ。
「おじさん、それはあまり良い方法とは思えないわ。現状が違法建築物になっているなら、行政からの是正指導が入る可能性も捨てきれないし、是正指導が入ると、建ぺい率に合うように建物を直さないといけなくなるわ。それに、将来的に売却しようとしたときにも、銀行が嫌がって住宅ローンが付きにくいっていうこともあるのよ。そうなれば、なかなか思うようには売れない家になってしまうわね」
「となると、やっぱり建ぺい率をクリアするように、離れを小さくするのが一番でしょうね」
「たしかに、そうだよな。ならそういう方向で話をしてみるわ。美土里ちゃん、ありがとうな」
美土里に礼を言って、大竹社長は席を立った。

結局、大竹社長から離れを小さくして建て直すという案を薦められ、哲也も同意したらしい。
お母さんのための離れなんだから、少しくらい小さくなったとしても、違法なものじゃなく、安心して住んでもらえるものがいいという言葉が、哲也の気持ちを動かしたようだ。(完)

このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。