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女不動産屋 柳本美土里

Superflyが歌う曲「愛をこめて花束を」が会場内に流れると、北側の大扉から新郎新婦が入場してきた。
新郎は、ウイングカラーのシャツにシルバーのネクタイ、モーニングコートの正装だ。
肩を露出してウエストを締めたピンクのウエディングドレス姿の新婦の髪には、パールをあしらった髪飾りが光っている。

友人たちの拍手の波間を縫うように進んだ2人は、室内からでも海が見渡せる南向きの大きなガラス窓の前に立ち、さらに大きくなった拍手に一礼をすると同時に席に着いた。
馬子にも衣装とは言ったものだ。
つい最近まで子どもだと思っていた息子の敦史がここまで立派になって、お嫁さんをもらう日が来るなんて・・・淑恵の胸に熱いものが込み上げてきた。

夫の良一が亡くなったのは、息子が小学校4年生のときだった。
消防士だった良一は、火災現場での消火活動中に2次爆発が起こり、帰らぬ人となってしまった。
危険な職業とは承知の上だったが、自分の夫が殉職するなんてことは思いもよらなかった。
いつ家にいるのかがわかりづらい不規則な勤務の消防士。
夫が家にいないのは出勤しているのだと勘違いをする日が幾日も続いた。

「敦史が大きくなって、一緒に酒が飲めたらいいな」
それが、良一の口癖。
たいそうな子煩悩だった夫の良一は、勤務のない日には息子の敦史とサッカーをしたりキャッチボールをしたりと、よく遊んでくれた。
近所の子どもたちを連れてキャンプに行ったこともあった。
息子の敦史にとっては自慢の父親だったようだ。

そんな父親が亡くなり、大きなショックだったろうに、敦史は気丈にも母と一緒のときには決して涙を見せることはなかった。
だが、就寝後の子ども部屋から、堪えきれずにすすり泣く、声にもならない声が空気を震わせるのを淑恵は幾度か耳にした。
あの日から、敦史の将来の夢は消防士ではなくなった。

淑恵としては夫の死を悲しむ気持ちよりも、小学生の息子と2人で生きていくことの不安の方が大きかったように思う。
夫の遺族年金や保険などで当面の生活に困ることはなかったが、父親の役目までも自分が負うことができるのか?正しく息子を成長させることができるのか?
ともすれば悪い将来を想像してしまい、気持ちが塞ぐことも少なくなかった。

しかし、淑恵の心配をよそに、敦史はしっかりと成長していった。
中学生になった敦史はサッカー部に所属し、2年生の2学期からはキャプテンとしてチームの中心的存在になっていた。
父親がいないことが、彼の精神的な自立を促したのかもしれない。
世間では、反抗期といわれる時期もあるようだが、敦史に限っては反抗期はなかったように思う。

とは言え、彼のこれまでの道のりは順風満帆というわけではなかった。
望んだ高校に進学したものの、敦史は大学受験に失敗したのだ。
まあ今から思えば、浪人することなんて、人生の中では大きな問題ではないのだろうが、母子家庭を認識している敦史としては決死の覚悟だったようだ。
「母さん、ごめん。絶対に頑張るから1年だけ浪人させて欲しい」
志望大学に合格できなかったことがわかった日に、彼は畳に手を付いて頼んだ。
母の数秒の沈黙が彼の心に決意を刻んだのだろう、浪人を許された敦史は、翌年には志望大学の門をくぐることができた。
そして卒業後には大手保険会社に入社し、5年後には社内で知り合った女性と結婚をすることとなった。

「母さん、大変なことも沢山あっただろうけど、父さんが亡くなってから女手ひとつで僕を育ててくれてありがとう。こうして僕は結婚をすることになりました・・・」
子どもの頃の家族の思い出を語り、新たな幸せへの旅立ちを誓う息子の言葉に、天国で夫も耳を傾けてくれているのだろうと思うと、淑恵の目からは堪えきれなくなった涙が溢れ落ちた。

敦史夫婦は、淑恵が住む実家の近くに賃貸マンションを借りて、新生活をスタートさせた。
そして結婚から3年が経ち、淑恵には初孫ができた。
「子どももできたことやし、一緒に住まへんか?」
母と息子との2人だけの生活が長かった。
結婚して家庭を築いたとしても、いつまでも母を独りにしておくことはできないと敦史は考えているようだ。
息子夫婦と一緒に住めば、毎日孫娘の顔を見ることができる。
もう少し大きくなったら、一緒に遊ぶこともできるだろう。
それに、自分が病気や怪我をしたときも、息子家族と一緒なら安心なのだが・・・

敦史の提案は嬉しかったが、手放しに喜んでばかりもいられない。
古くなった家は、あちらこちらにガタがきているので、それ相当の補修をしないとお嫁さんや孫を迎え入れるのには気が引ける。
それに今は、息子夫婦の世帯と適度な距離があるため、嫁姑の争いにはならず、なんとかいい関係が保てているが、同じ屋根の下に住むとなると、そうはいかないのではないだろうか?
老いて自分のことを自分でできなくなったのなら話は別だが、まだ元気なうちは、それぞれ別の生活を送る方がいらぬ諍いをしないで済むのかもしれない。
同じ屋根の下に主婦が2人が居るのは、なにかとトラブルの元になる。
淑恵は躊躇していた。

「愛さんは、私と一緒に住むって話に何て言うてるん?」
淑恵は敦史に嫁の意向を探ってみた。
「ああ、いつかは一緒に住むっていう話は結婚前からしてるし、子どもの面倒もみてもらえるから助かるんちゃうかな?」
「ちゃうかなって、あんた、ちゃんと話してないんかいな?」
淑恵は訝しげに敦史を見た。
「心配せんでも、ちゃんと話してるって。愛も賛成してくれてるんやから、何も気にすることないやろ?母さん独りで住んでて、何かあったらどうするんや?」
そう言われると言い返す言葉はないが・・・

「ねえ美希さん、旦那がお義母さんとの同居を勧めてくるんだけど、どう思います?」
出産後、久しぶりにネイルサロンを訪れた愛は、ネイリスト兼オーナーの美希に相談していた。
「どうって・・・私は結婚したことがないからわからないけど・・・あなた自身はどう思ってるの?」
「そうねえ~、これまでは特にいがみ合うことなんて何もなかったし、お義母さんは良い人だから大丈夫だと思うけど、こればっかりは一緒に住んでみないとわからないわ。旦那は母子2人で育ってきてるし唯一の身内なんだから、いつかは私たちがお義母さんの面倒をみないといけないとは理解しているんだけど・・・」
愛の言葉からは、不安が見え隠れしていた。

「今の賃貸マンションを紹介してくれた柳本不動産って覚えてる?」
「ええ、綺麗な女の人が社長さんの。確か、美希さんのお友達って言ってましたよね。えっと名前は・・・」
「美土里よ。なんなら、相談してみたらどうかしら?美土里なら、こういうケースも多く扱ってると思うし、いい提案をしてくれるかもよ?」
すぐに美希は柳本不動産に連絡をとり、ネイルが終わってから愛は柳本不動産に行くことになった。

愛は、柳本不動産にやってきて美土里とテーブルを挟んでいた。
「お母さんはお元気なの?」
「はい、まだ50代半ばだし、仕事もしているので元気ですね」
「そう、それでご主人は、どういう形で同居を考えてるの?実家にあなたの家族が入るのかしら?」
愛は、少し首を傾げた。
「実は、そこまでよく聞いてないんです。たぶん、夫はそのつもりだと思うんですけど・・・」
「そう、じゃあその辺りをご主人に聞いてみたいわね」
愛は、すぐに携帯電話を取り出し夫の敦史に電話をした。
ちょうど敦史は仕事が終わったところのようだ。
そこで、敦史にも柳本不動産へ来てもらうことにした。

美土里は、敦史の考えを聞いた。
「はい、僕としては実家にみんなで住めたらな~って思ってるんですけど・・・ただ、子どもが小さいうちはいいかもしれないけど、大きくなってきたら実家ではちょっと狭いかな~とも思ってて・・・実は、どうするのが一番いいのか良くわからないんです」
敦史は頭を掻いて苦笑いをした。
「じゃあ、ちょっといろいろ質問させてもらうわね。まずはご実家の住所を教えて?」
美土里は、敦史に実家の場所を確認し、インターネットで何やら調べた後、さらに質問を重ねた。
「今の賃貸マンションの契約をした頃から転職とかはしてないわね。ということは勤続8年ね。で、年収はどれくらいあるの?」
美土里は、いくつかの質問が終わると、電卓を叩き提案を始めた。

敦史と愛は、美土里の提案にときおり頷き、ときおり相槌をうちながら聞き進めていった。
「じゃあ、この作戦で話を進めていいわね」
決断を促す美土里に、2人は大きく首を縦に振った。
「これまでの話を聞くと、お母さんは愛さんと上手くやっていけるのか不安なんだと思うわ。お母さんには私と愛さんとで話をするのがいいと思うから、敦史さんは私たちがお母さんと話ができる時間をセッティングしてくれる?」
「はい、わかりました。よろしくお願いします」
これからのためにも、その方が良いと敦史も思った。

「こんにちは、お義母さん、おられますか?」
愛が先に立ち、美土里とともに実家の玄関に入っていった。
「はいはい、愛さん、いらっしゃい。こちらが敦史が電話で話をしていた不動産屋さん?」
淑恵の目は、一瞬で美土里の髪型から服装、靴や鞄までもチェックしたようだ。
(いつもよりも地味な色のオーソドックスなスーツで来てよかった)
美土里は、胸を撫で下ろした。
「女性の社長さんって聞いたけど、凄くお綺麗な人ね」
淑恵は、柔らかい笑顔を美土里に向けた。
美土里は、微笑を返して一礼をした。

2人が通された部屋は、玄関横の応接室。
漆喰の壁に、下がり天井の中央部は格天井になっていて、時代物の重厚感がある部屋だ。
淑恵は、切子のガラスに麦茶を入れて、それぞれの前に置いた。
「お義母さん、敦史さんからお聞きいただいたと思うんですけど、ぜひ私たちと一緒に住んでいただきたいんですが・・・」
口火を切ったのは愛だ。
「そうねえ、気持ちは嬉しいんだけど、ねえ」
ほんの少し麦茶を口にしただけで、淑恵は黙った。

「ご挨拶が遅くなりました。私、敦史さんの今のお住まいをご紹介しました柳本不動産の柳本美土里です。この度、敦史さんと愛さんからご相談を受けまして、ひとつ不動産業者の立場でご提案させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
淑恵は頷いた。

「現在、敦史さんの賃貸マンションは、賃料が月々7万円です、それに駐車場の料金が1万円で毎月合計8万円かかっています。ご承知のとおり、借りているだけですので、何年経っても何十年経っても自分のものにはなりません。これだけのお金を支払うんだったら、住宅ローン金利の低い今なら、同等のマンションを買うこともできます。どうせ住居にお金を使うなら、借りるより買った方がいいんじゃないかと敦史さんは考えておられるようです」

「ただ、敦史さんは、いつかは家族とともにお母様と住みたいと考えておられます。もし賃料でローンを支払えるくらいのマンションを買うとしたら、お母様に住んでもらえるだけの広さのものを買うことはできません。とはいえ、将来のお母様との同居を考えて、広いマンションもしくは一戸建てを買うとしたら、予算を大幅に上げる必要があり、現在の敦史さんの所得では厳しいのが現実です」
「では、このご実家で一緒に住むとしたら?今は、お孫さんも小さいので、ご実家でお母様と敦史さん家族が住むのに問題はないと思われますが、お孫さんが大きくなられたら、ちょっと狭いように思われます」
淑恵は、黙って美土里の話に耳を傾けた。

「ここからは、私の提案です」
「であれば、このご実家を建替えて広めの2世帯住宅にしてはどうかと思うのです。延床面積が40坪ほどの家であれば、うちの提携している工務店でしたら2500万円くらいで建替えることが可能です。これなら土地を新たに買う必要もありませんので、費用的にはマンションを購入するくらいの値段で家を建替えることができます。金利2.475%で35年ローンを組むとしたら、月々8万9039円のローン支払いとなりますので、敦史さんの負担も大きくならずに済みますし」
「確かに、そうした方がいいんだろうけどね・・・」
美土里の提案に、淑恵は初めて口を開いた。

「ありがとうございます、お母様にご理解いただけたようで嬉しいです」
淑恵の隠された不安をいったん無視して、美土里は淑恵の肯定の言葉だけを捉えて頭を下げた。
「この2世帯住宅というのは、1階部分と2階部分とを別の住居として、キッチンや浴室、トイレだけでなく玄関も別にしてはどうかと思うのです。イメージとしては、1階部分と2階部分の2部屋があるアパートみたいな感じで」
淑恵の背中が、ソファの背もたれから少し起こされた。
「これなら、それぞれの生活を過度に干渉することもありません。自分たちのペースで家事をこなし、寝起きをすることができます。で、室内に1階と2階に行き来することができる階段を付けることを想定して設計しておくのです。そうすれば、将来的に本当に同居するとしても、2階建の家として機能することができます」

確かに、これなら毎日孫娘の顔を見ることもできるし、自分の独り暮らしを心配してくれる敦史も安心だろう。
嫁との距離感が掴めるようになったら、本当の2世帯にすることも可能だし。
嫁にとっても、こうした段階を踏んだ方がいいのだろう。

それに、敦史はいつまでも賃貸に住むよりは、早く家を買った方がいい。
かつて消防士だった夫が住宅ローンを利用して家を買っていたからこそ、死亡後の住宅ローンは団体信用生命保険でカバーされ、それ以降は淑恵がローン支払いをする必要はなくなったのだ。
もしあの時、自分たちが賃貸住宅に住んでいたとすれば、未だに賃貸住宅に住み続け家賃を払い続けているだろうし、経済的にもっと苦しくなっていたのは間違いない。
美土里の提案は、淑恵にとって満足のいく提案だ。
「そうね、それなら良いわね。敦史と愛さんが良いなら、話を進めてもらおうかしら」
淑恵の頭には、既に孫娘とともに過ごす新しい生活が浮かんでいた。

「美土里さん、ありがとうございました。美土里さんに素晴らしい提案をしていただいたから、お義母さんも納得してくれたみたい」
愛も、嬉しそうだった。

「あのね、愛さん。敦史さんの生い立ちのお話を聞いて、敦史さんが家を買うことについてはお母様は反対しないと思ったの。だってお母様は、住宅ローンを組んだときに入った団体信用生命保険の恩恵を受けた経験があるんだから。といっても息子に大きな負担を背負わせるのは本意ではない。となると実家を売却して2世帯住宅の購入資金の一部にするか、実家の土地に2世帯住宅を建てるしかないと思うわけ」

「次に不安なのは、愛さんと同じように、嫁姑の諍いが起こらないかということなのよ。自分でしっかりと生活しているお母様にとって、お嫁さんと暮らすことで不自由な思いや嫌な思いをしたくないもの。もしそんな状態になると、息子も辛い立場になるだろうし・・・これが一番大きな不安だったんじゃないかな。なら、その不安を取り除くために、アパートみたいな2世帯住宅の提案をしたってこと。あとは可愛い孫と1階2階で暮らせるんだから、一緒に住みたくない理由はないじゃない」

「それと、お母様には話さなかったんだけど、この2世帯住宅なら、お嬢さんが大きくなってお嫁に行き、お母様が亡くなった後で、階段をまた撤去して2階を誰かに貸せば賃料収入が入るわよ。そうなれば、住宅ローンの足しになるだろうし、ローンを完済した後なら、年金代わりにすることもできるしね」
「凄~い!」
愛は、目を見開いた。

「ただね、建替えた2世帯住宅の土地はお母様の所有なんだから、私が言うまでもないと思うけど、お母様を大切にしてあげてね。普通ならお母様が亡くなられたら、土地は敦史さんが相続して、土地も建物も敦史さんの所有になるんだけど、万一お母様のご機嫌を損ねたりすると、土地の所有権を遺言や生前贈与などで親戚や第3者に譲ってしまう可能性もあるから、そうなると譲られた土地所有者に借地料を支払う義務が出てきたりして面倒なことになるんだから」
美土里は、少し意地悪く忠告した。
愛に少し釘をさしておいた方がいいだろう、これから姑と上手くやっていくためにも。(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。