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女不動産屋 柳本美土里

深夜2時。
静まり返った真夜中の住宅地に、大通りを走る車のエンジン音とタイヤの音とが、考えをまとめあぐねている雄介の耳に、夜の闇を通して遠くからときおり届いてくる。
明日は学会出席のために、早い時間の新幹線で東京へ行く予定だ。
それなのに雄介は、開発中の新薬の実験レポートをまだ書斎でまとめていた。

結婚当初から借りて住んでいる部屋は、2階建ての住宅が立ち並ぶ郊外の住宅地に、大きめの旧家を取り壊した後に建てられたハイツだ。
最寄り駅からバスで10分。
バスの本数も多い路線なので駅までの通勤も苦にはならないし、ターミナル駅である駅周辺には、主要な銀行や市役所などの公共施設、大型スーパーなどが揃っているため、非常に便利な場所だということができる。
3DKの部屋は少し狭いかなと思うことはあるが、妻との2人暮らしなら充分満足するべき広さなのだろう。

京都にある国立大学を卒業してから勤めた製薬会社で15年が経ち、雄介は新薬開発のプロジェクトリーダーとして、研究所と本社の間を行き来する多忙な日々を過ごしている。
妻の澪は同期入社の同僚である。
彼女は、会社が製造した原薬や製剤の輸出部門で働いている。
海外企業が相手の仕事なので、女性といえども海外出張が頻繁に入る。
4年前に初めての晩い妊娠が判ったとき、妻に会社を辞めることを勧めた雄介だったが、自分の能力が発揮できる今の仕事にやりがいを感じていた妻は、それを固辞した。

家事は分担するというのが、結婚当初からの取り決めだ。
もちろん、それに対して雄介も異論はない。
父母ともに教師として働いている姿を見て育った雄介は、夫婦共働きの生活というものが身近なものであったし、こまごまと家で働く父の姿は自然な家族の風景でもあった。
息子の光が生まれてからは、保育園の送り迎えという仕事が加わった。
海外出張の多い澪よりも、仕事の大半を研究室でこなす雄介の方が時間的な余裕を持つことが多く、息子の送り迎えは、ほぼ雄介の担当のようになっていた。
といっても、雄介はその仕事を厭うどころか、子煩悩の典型なのだろう、日に日に大きくなり、可愛さを増してくる1人息子との時間は、雄介にとって癒される時間でもある。
どうにかレポートをまとめた雄介は、明日の雄介の保育園への送り迎えと、実験レポートの提出を妻に頼み、光の安らかな寝顔を見てから、つかの間の眠りについた。

息子の光が通う保育園は、関西の有名企業の社長の子息や政治家の令嬢が通っていたりする小中高校一貫教育をしている私立の学校法人の系列保育園。
園で行われる運動会や参観日などのイベントに、雄介も澪も時間を作ってできるだけ行くようにしているのは、教育に関する情報収集が主な目的でもある。
誰々ちゃんは英語の幼児教育に行っているとか、誰々くんはバイオリンを習っているとか、小学校はどこがいいとか、塾はいつから行かせるのがいいのか、家庭教師は?などなど・・・

教育と学歴がどれだけ大切なのかは、自分たちのこれまでを考えても痛切に感じる。
自分も澪も日本を代表する製薬会社の社員になれたのは、熾烈な受験競争に勝ち抜き、自分は関西屈指の大学に進み有力な教授のゼミをとったことが、澪は日本でもトップの外国語大学の出身だということが、大きな力となっているのは間違いない事実なのだから。
30代半ばにして1000万円以上の年収がある民間企業は、そうあるものではないと思う。
働き方や年収に男女の差を認めない会社は、妻の澪にも雄介と同等、最近では雄介以上の給与を支給している。
それを実感しているからこそ、息子の光には、一流の教育を受けさせ、充分な学歴をつけさせてやり、華やかな人生の基礎を与えてあげたいのだ。

「そろそろ真剣に家を買うことを考えない?」
澪がそう提案してきた。
消費税が8%になり、さらに10%に上がるという。
金利水準が低いので、住宅ローンの借りどき。
長期間の住宅ローンを借りるのは、できるだけ若い方が有利。
アベノミクスの効果が出てきて景気が良くなり、不動産価格が上昇する可能性が高い。
そうした理由から、家の購入時期だと澪は言うのだ。
確かに納得できる部分もあれば、確信が持てない部分もある。
「どうせ買うのなら、光の保育園の近くにしましょうよ。保育園の送り迎えもしやすいし、系列の小中高校もすぐ近くにあるから、これからのことを考えてもいいんじゃない?通学距離が短ければ、光もそれだけ勉強や他の時間に充てることもできるでしょう」
澪のその言葉が決め手となった。
「うん、わかった。じゃあ、本気で取り組むか」
雄介は、腕組みをして大げさに顎を引いた。

まず雄介はインターネットの不動産検索サイトで、保育園の付近に出ている新築一戸建と土地情報を探してみた。
情報数が14件。
「ほぅ、意外に沢山あるやんか」
そう思って、情報をつぶさに見てみると、そのうち8件は同じ新築一戸建の情報、土地情報も2件が同じ物件のようだ。
「なんやこれ、同じ物件が違う会社から出されているばっかりで、実際の物件情報は6件だけやん」
「物件情報ナンバーワン!なんて宣伝してるけど、同じ物件の情報も物件情報数に入れてるんちゃうんか?」
雄介は、ちょっと憤慨しながら、詳細情報のタブをクリックした。
ディスプレイには、新築戸建の写真や間取図に加え、土地の広さや建物の広さなどの詳細情報が映されていた。
サイディングがツートンカラーに貼り分けられた外壁に、黒いカラーベストの屋根という外観は、いかにも建売住宅という感じの個性のないものだ。
間取にしても、機能を優先されているのか、なんだか、ゆとりが感じられないように思う。

土地情報を見てみた。
手描きの敷地形状の図面が映し出されたが、土地の形だけしか描かれていないので、前面道路がどれだけの広さなのか、周りがどんな様子なのかは、ネット上では全く判らない。
1つ溜息をついて、雄介は次の情報を見た。
こちらも土地情報のようだ。
先ほどとは違い、土地の形状はもちろんのこと、道路幅や接している状況、写真も何枚も掲載されているので、2階建ての一戸建が並んだ中にある角地だということが判る。
約50坪で2500万円。
坪あたり50万円、これが高いのか安いのかは、判らないけれど・・・
雄介は、情報掲載をしている不動産会社の名前と電話番号を手帳にメモした。

翌日、早めにランチを終えた雄介は、手帳を開き受話器を手にした。
「はい、柳本不動産です」
受付の女性だろうか、電話の向こうの女性の声は、自分と同じくらいか少し上くらいの年齢だろう、はっきりとした話ぶりに好感が持てる。
「すみません、インターネットの情報を見てお電話させていただいているんですが・・・青葉町の土地について、ちょっとお尋ねしたいのですが、よろしいですか?」
自分の名を名乗るのが電話の礼儀なのだろうが、雄介は敢えて名前は出さないことにした。
電話も携帯電話ではなく、会社の電話からすることに。
過去に、資格試験の受講についての資料請求をしたとき、その後に何度も営業電話が掛かってきて辟易したことがあったからだ。
「はい、どういったご質問ですか?」
「これって、青葉町のどの辺りですか?」
少しの沈黙の後、受付と思われる女性は、詳しい所在地を教えてくれた。
そこは、保育所から3筋ほど東に通る道路沿いの1画だ。
「土地をお探しですか?よろしければ、一度事務所へ来られませんか?詳しいお話をお聞きして、最適の物件をご紹介させていただきますよ」
不動産業者へは新居を探すために賃貸専門店に行ったことはあったが、既にあれから15年経っており、雄介は少し腰が引けたが、とりあえず週末に柳本不動産へ行く約束をした。

澪とともに訪ねた不動産屋は、小さくて古めかしい外観だ。
本当に大丈夫なの?という目で雄介を下から覗き見た澪が、心細げに雄介の腕にしがみついてきた。
雄介も澪と同じように心配になってきたが、自分が探してきた不動産屋だ、澪と同じような態度で引き返すこともできない。
雄介は胸を張って虚勢を張り、柳本不動産へ足を踏み入れた。
意外にも、事務所の中は、外観とは違って清潔ですっきりとしている。
白いカウンターの向こうには事務机が並び、パソコンやプリンターなどのOA機器が整然と並んでいる。
簡易の仕切りの向こうは応接セットがあるのだろう、脇には観葉植物が置かれ、BGMにボサノバが流れていた。
「いらっしゃいませ、白井さんですね」
カウンターから出てきた女性の声は、電話で話した声と同じだ。
応接スペースに案内された2人は、間もなくお茶を運んできたこの女性が、柳本不動産の社長である柳本美土里だと知ることになる。
「そうですか、女性社長なんですね。すみません、てっきり受付の方かと・・・」
「いえいえ、よく言われますから気になさらないでください」
にっこりと笑顔で返した美土里の整った顔には、自信が満ちていた。

澪が提案した、今、家を買う理由。
そして、息子の光の通園とこれからの通学のため。
だからエリア限定で探しているということ、できれば一戸建で、いろいろな希望を入れて作りたいということなどを話した。
「わかりました。そうしましたら、土地を購入されて注文住宅を建てるというのが最もご希望に合いそうですね。ちょっとお待ちください」
そう言うと、美土里はパソコンの席に移り、キーボードを叩いて物件情報を探し出した。
「ご希望のエリアだと、土地情報が5件ありますね、これらです」
テーブルに販売図面を広げた美土里は、住宅地図を広げながら1つずつ説明を始めた。
「この土地は、30坪ほどしかありませんから、ご希望からすると、ちょっと小さいですね」
保育園に最も近い位置にある土地のようだ。
「こんな物件、インターネットには出てませんでしたけど・・・」
「そうですね、この物件は売主さんの希望で広告してはいけない物件なんですよ。土地を売っていることを、誰彼なく知られたくないのでしょうね。だから、インターネットとかの情報には出てないんです」
そうか、インターネットの物件情報が全てではないのだ。
「不動産業者には、業者間だけが見ることのできる流通システムがあるんです。広告はダメだけれども、希望の条件に該当する買い希望のお客さんには紹介することができるんです」
「じゃあ逆に、多くの不動産業者が情報掲載している物件というのは、どういうことですか?」
美土里は、にっこりと微笑んだ。
「それはですね、建売住宅とかが多いと思うのですが、不動産業界もいろいろな仕事に分かれていまして・・・建売業者も不動産業者なんですが、もっぱら建てるだけ、販売はいくつもの仲介業者に任せることが多いんです。だから、同じ物件が多くの仲介業者から広告されて販売されるってことなんです」
「それから、建売じゃなくても、中古マンションとかでも、多くの仲介業者が広告掲載している物件もあるんですよ」
「それも建売住宅と同じように、売主がいくつもの仲介業者に依頼しているってことですか?」
「ええ、そういうケースもあるんですが、売主は1社だけに任せているけれども、広告はしてもらって構わないっていう場合、その売主から任された仲介業者を通じて承諾を得た他の仲介業者が、買主を見つけるために広告をしているっていう場合もあるんです」
なるほど、それで同じ物件情報がいくつもの不動産業者から出されているのか。

「柳本さんがネットに出されていた土地は、坪あたり50万円みたいですけど、これって値段はこんなものなんでしょうか?他の土地では、もっと安いのもあるようですが・・・」
丁寧に説明をしてくれる美土里に安心感を覚え、雄介は単刀直入に質問した。
「そうですね、土地の価値というのは、結局は買いたいと思われる人がどれだけいるか、つまりは需要で決まるんですよね」
「例えば、こちらの近くに坪あたり40万円の土地があります。坪あたり10万円も違いますから、50坪だとしたら500万円も値段が異なることになります。でも、この土地の形を見てください。前面道路と接している部分が2mと狭く、その道路のような2mの敷地の奥に土地が広がっている、いわゆる旗型の土地になっているんです」
「こういった土地は、道路側に家があったりして陽あたりが悪いとか、自分の敷地への進入に難があったりすることが多く、あまり好まれないんです。だから比較的安いんです」
「また、こちらの土地は、道路に接する間口は広いんですけど、極端に奥行きが狭いですよね。これも建物を建てようと思うとプランが入れにくい、使い難い土地ということになります」
「逆に、正方形に近い地型の角地というのは、2方向の道路に面しているので、陽あたりが良くて明るいですし、建物のプランも入れやすい、目立つ立地ですので、お店などをするのにも好まれる場所ですね。だから角地はそうじゃない土地より値段が張るんです」
「うちが売主さんから預っている物件だから言うわけじゃなく、客観的に見ても、この角地の50坪の土地は、出物が少ないこのエリアにおいては、決して高くはないと思いますよ」
なるほど、美土里の説明には、いちいち納得できる。
実際に現地を見て問題がなければ、この土地に決めてもいいかも、と雄介は思い始めていた。

「この建築条件付っていうのは、どういう意味なんですか?」
少し舞い上がっていた雄介の横から、澪が突然に質問を投げかけた。
「はい、この建築条件付っていうのは、土地の契約から3ヶ月以内に売主指定の工務店と建物建築請負契約をして建物を建ててくださいという意味なんです。この土地の売主は工務店なんで、この土地の場合は、その売主工務店で建ててくださいってことになります」
美土里は、澪の方へ向きなおして、真っ直ぐに澪の顔をみて答えた。
「ということは、大手のハウスメーカーでは建てられないということですか?」
澪は眉間に少しの皺を寄せ、首を傾げた。
「そうですね~残念ながら・・・ただ、どうしてもって言われるんでしたら、建築条件を外すように売主の工務店に交渉してみてもいいですよ。でもそうなると、この金額では土地を売ってくれないと思いますけど。工務店は自社で建物を建ててもらえることを前提にして、この金額での土地売却を行っています。建築条件を外すと建築の方の利益が全くなくなることになりますので、想定している利益が出ないことになります。その分、少しでも土地を高く売る必要が出てきますから」
雄介の高揚していた気持ちは、少ししぼんだように思えた。
「でも私は、大手のハウスメーカーにこだわる必要はないと思うんですが・・・なかなか素敵な家を建てられている工務店さんですよ」
美土里は、自信ありげにそう言い放った。

「中小の工務店は、大手のハウスメーカーに比べて知名度や信頼度という点においては劣っているかもしれませんが、施工自体は何の遜色もありませんし、間取や設備などの点においてはハウスメーカーよりも自由度が高いくらいだと思います。例えば、ハウスメーカーの場合は、敷地の大きさや形に制限があったりして土地によっては建てられなかったり、キッチンやお風呂も希望のメーカーのものを採用できなかったりすることがあります」
「信頼度という点についても、新築一戸建は法律で10年間の瑕疵担保保証責任が義務付けられているので、構造上の主要な部分である基礎や土台や柱など、また、屋根や外壁など雨水の浸入を防止する部分については、もし問題があったとしても工務店は10年間は修理する必要があるんです。万一、工務店が10年以内に倒産したとしても、瑕疵担保保険を掛けることも義務付けられているので、こちらの保険で修繕をすることができるんですよ」
なるほど、以前、マスコミなどで手抜き工事が原因の欠陥住宅の問題がクローズアップされていたけれど、こうして法律で対策をとることによって、中小零細の工務店でも建物の保証ができるようになっているんだろう。
「もし、この土地が気に入られたとしたら、売主の工務店が建てた住宅をいくつかご案内させていただきます。それらを見られてから、この工務店で建ててもらうか、土地の値段が上がっても他のハウスメーカーで建ててもらうかを検討されてはいかがですか?もちろんその場合は、交渉して建築条件をはずしてもらえるというのが前提ですが・・・」

「いいんじゃない?ここなら保育園にも近いし、駅から近い割には静かな住宅地だし」
「そうやな、角地で明るい家になりそうやし・・・でも、50坪にしたらちょっと狭く感じへんか?」
美土里に案内されて現地へやってきた雄介と澪は、目的の土地の前を行ったり来たりして、いろいろな角度から土地を検討していた。
「ふふっ、そうですね。建物が建つ前の土地って、なんだか狭く見えるんですよね。ここに建物が建つと、大きさが実感できると思いますよ。測量士が図っているので間違いないと思いますが、車にメジャーがありますので、なんなら測ってみましょうか?」
美土里は、ちょっと笑いを堪えるような表情で言った。
「いえいえ、そこまでしなくても大丈夫です」
胸の前で手を振って遠慮し、雄介は歩幅で長さを測るように、土地に沿って歩き数えた。
数え終わると、掌をメモ代わりに、指を鉛筆代わりにして計算を始めた。
「ほんまや、50坪あるわ」
元々の丸い目をさらに大きく丸くして、雄介は澪を見て言った。
検討し尽くした結果、雄介と澪は小さく何度か頷き、目で相手のOKのサインを交わしていた。

「リビングを中心に勉強や生活ができる、頭の良くなる住宅、っていうのがありますよね、あんな間取にしたいんです。できるでしょうか?」
澪は、部屋のイメージが膨らんでいるようだ。
「たぶん、あの工務店なら大丈夫だと思いますよ。結構いろいろな要望を聞いてもらえますから」
車に戻るまでの道すがら、話題は建物のことに移っていた。
「じゃあ、売主の工務店が建てた近くの建物を6件ほどご紹介しますので、行きましょう」
美土里の誘導で車に乗り込んだ2人は、我が家を建てるための次のステップへ進んでいったのだった。(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。