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日本の管制塔!?首相官邸とはどういう組織なのか?


何故ここまでやらなければ収まらなかったのか(校長の記者会見:共同通信)

客観的立場の人々でさえ、顔をしかめるほど残忍で無慈悲な犯行をやってのけた被疑者は18歳の少年を主犯格とする未成年者ばかりのグループだった。
2月20日早朝、川崎市川崎区の多摩川河川敷で男性の全裸遺体が見つかった。警察の調べで、殺されたのは同区大師河原の中学1年、上村遼太さん(13)で、司法解剖の結果、死因は首を鋭利な刃物で傷つけられたことによる出血性ショックだったと発表した。遺体の首には多数の刺し傷や切り傷があり、顔や腕にも複数の切り傷があった。その後、神奈川県警川崎署捜査本部は27日、上村さんの知り合いの少年3人が事件に関わった疑いが強まったとして、殺人容疑でこのうちリーダー格の18歳の少年1人を逮捕し、残る2人についても同容疑で逮捕した。
3月6日、殺人容疑で逮捕された3人のうちリーダー格の少年を立ち会わせ、殺害現場とみられる河川敷周辺で実況見分を行った。捜査本部は少年の人権に配慮し、外から姿が見えないようにビニール製の囲いの中に少年と捜査員を入れ、現場周辺を移動させながら見分を行った。調べに対し、少年は「上村さんを裸にして川で泳がせ、川から上がったところで、カッターで切ったり刺したりした」と供述した。又、共犯と見られている他の2人も事件への関与を認める供述を始めた。(平成27年3月7日現在)

昨年の7月26日、長崎県佐世保市のマンションで、この部屋に住む女子高生(16歳当時)の友人、松尾愛和さん(15歳当時)の遺体が発見された。遺体は鈍器のような物で頭部を殴られ、首を絞められて殺害されたあと、頭部分と手首が切断され腹部が切開された状態で見つかった。警察はこの部屋に住む少女を殺人死体遺棄容疑で逮捕。少女は昨年7月の逮捕後、約5カ月にわたる検察側の精神鑑定を受け、検察側は長崎家庭裁判所へ送致の際、少女に刑事責任能力はあり「刑事処分が相当」との意見を付けた。同家裁は、精神鑑定実施を決め、長崎少年鑑別所から別の施設に身柄を移し、3月7日現在も鑑定留置中である。

その他、過去いくつもの青少年による凄惨な殺人死体損壊事件が起こされ、その度に世間を震撼させてきたわけだが、犯人達の心理の解明と同種の事件の抑止には何の解決も見えずに今日まで時が流れた。
勿論、様々な事情と本人らの個別要因が存在する別々の事件を、何らかのキーワードで関連付けることは無意味と言えばそうであろう。しかし、共通する行動が何かを指し示すということも又真であり、人間の心理を深く掘り下げる試みは決して無駄にはならない。


人とは違う自分とは(イメージ)

今回、川崎市の事件を通して推測する被疑者の行動心理を“理解”(肯定する意味ではない)することで、その他大勢の一般人と分類される人々に対し、事件の本質の一側面を推測し、お見せすることが出来れば、と考える。なお、本篇では事件の直接的な状況に至る因果関係に視点を落とさず、実際の行動として引き金を引いた指に、「引け!」とパルスを発した犯人固有の精神構造に対する因果関係を、心理学上の考察を試みることによって導くものである。

【罪を犯す原因と心理】
犯罪心理を解明することは、その後の同種の事件を防止したり、又当事者の更生を助けたりすることに繋がり、結果として法律の適用(判決の根拠)に一定の理由を付すことを可能とする。この考え方は、今日では第一次捜査の段階から採用され、物的及び状況証拠の積み重ねにより刑罰を積算する訴訟対策を犯罪解決の目的としてきた捜査機関の在り方を根本的に変えている。
特に初動捜査でプロファイリングが応用されるようになって、犯行現場の検証や遺留品などを基に犯人像を割り出していく作業を通して、犯人の身体的、内面的特徴(性格や癖など)から嗜好までを推理し、未だ見ぬ犯人の心理を解析することで当事者特定に繋げていくことが出来るようになった。このプロファイリングという手法は、第二次大戦終結からベトナム戦争撤退までの時代、アメリカの捜査機関(特にFBI)によって、それまでの世の中にそれほど多くなかった特殊な(猟奇的連続殺人や理由なき殺人など)事件が多発し、通常捜査だけでは解決に至らない事態に直面したことが発端となって開発され、急速に発達してきたという歴史がある。


プロファイリングは初動捜査に不可欠な手法として採用されている(イメージ)

≪犯罪心理の研究≫犯罪心理学の基礎を作ったのは、精神科医のチェーザレ・ロンブローゾ(1835~1909年・イタリアの軍医)と言われる。犯罪者の遺伝的要素と外見の特徴を紐付け(勿論批判は多かった)、精神的特徴を自己中心的で独創的な思考を持つ性格と分析し、これらを基に捜査への応用を提唱した。更に、ユダヤ人精神科医のフロイト(1856~1939年)が「精神分析」を確立し、犯罪心理学の研究レベルも飛躍していった。ロンブローゾの学説は、現在では支持されていないが、遺伝が犯罪の原因になるという考えは、後に犯罪生物学者たちに受け継がれ、犯罪と知能、家系、双生児研究、染色体やホルモンの異常、脳神経の機能障害との関係について研究を進める道を開いた。

犯罪、特に殺人などの重大犯罪の原因には大きく分類して社会的要因と生物学的要因とに分かれるというのが現在での極めて妥当な定説である。そしてその相互作用によって実行行為が生まれるのだが、定説では説明のつかない事件が起こる場合がある。19世紀初頭の社会統計学者・刑事学者のケトレーは、失業、貧困、経済的不平等が多い地域には犯罪が多発していることに注目し、犯罪は遺伝ではなく、社会的病理現象であるとして、「社会は犯罪を準備し、犯罪者はその行為者である」 と説明した。社会学的には生物学的見地(犯罪者と非犯罪者には生物学的な異質性が在るとした説)に反し、犯罪者とは、ただ、社会のルールに違反し、制裁を受ける行動をした人に過ぎないとの立場に立つ。しかし、いずれの論理をもってしても、分類された全ての対象者が犯罪を起こすわけではないことの矛盾に対する説明が出来ない。
一方、児童心理学者や精神分析学者たちは、その原因を親子関係、特に母子関係に求めた。母親或いはそれに代わる親権者と深い愛情で結ばれた信頼関係があれば犯罪者になり難く、持てないままに育てられた子供は、満たされない欲求を機会あれば直ぐに満たそうとする行動に出るようになる。逆に、過保護に育てられ、欲求が直ぐに叶えられる環境で育てられると、それが叶えられない現場では我慢が出来なくなる。その結果、両者共に衝動的、短絡的に欲求を満たす行動の傾向が身に付き、社会的に容認されないことにでも手を染めてしまうという、幼児的自己中心性が、思春期、青年期まで続き、これが社会の習慣、規範と葛藤を起こし、問題行動、非行・犯罪となって現れるという。しかし、この説においても社会的要因や生物学的要因を除外して完結するものではない。非行年齢のピークが思春期というのは、性的成熟期に当たり、不安定な心理状態と暴力的欲求に駆られる生物学的成長期と一致しているし、問題行動や非行の初発年齢が低いほど、累犯化を辿り易いという統計は、素質的なものと生育環境の影響のほかに、復帰後の受け皿がなく、地域親近から信用されず、社会生活へ正常に戻れない社会構造にも問題があるのであるなら、社会学的要因と犯罪原因には一定の相関性があると言える。
犯罪原因に多様な要素が含まれている事実を見れば、ひとつひとつの事件と、犯罪当事者個々に潜む因果を分析することの積み重ねが重要なのである。


犯罪心理学は単なる評論とは違う(越智啓太:化学同人)

【殺人の心理】

  1. 怨恨
    事件の多くは、犯人と被害者の間に一定の関係が認められ、一方が憎しみを増幅させることによって実行に及ぶケースが多い。それでは何故、憎しみが増大して、殺人行為に至るのか。つまり、通常一般人の感覚とすれば、憎む相手はそれぞれに多かれ少なかれ存在するとしても、殺してしまいたい(この世から相手の存在を消去してしまいたい)という葛藤は良心の呵責という理性が働き、殆どの場合その行為を思い止まらせる。
    一方で、理性が働かずに実行に移る人の心理には、前述した親子関係や幼少期における当人の養育環境において分析されることが定石である。
    先ず、幼少期に親に充分に甘えられなかった子供は、やがて「甘え・依存」というものに対して固執するようになり、それらの感情によって、人生が左右されるという。そのような感性を持つ人間は、相手に甘えられない状態(例:借金を断られた、交際相手から拒絶された、組織から村八分にされたなど)になると、相手に対する好意が敵意に変わり、憎悪が殺意にまで達すると分析されている。又、逆の環境(全ての欲求を満たされて育つ・甘い親)であっても、現実的に自分の欲求が満たされない世界に置かれることで、甘えを拒絶した相手に激しい憎悪を感じ、そこから殺意へと感情が変化していくというのである。怨恨の理由で殺人に至る場合、実行犯には往々にして養育環境に起因する「原因の種」が植わっているケースが多い。
  2. 快楽殺人
    殺人犯には、行為そのものに快楽を覚えるというタイプがある。快楽殺人と呼ばれ、それは「性的快楽(エクスタシー)」を殺人行為によって得るという性癖を持つ人間である。一般人が通常性的快楽を得る手段は主にSexであり殺人によって性的興奮を覚えることはない。しかし、よく知られている例として、放火常習者が放火現場で性的快楽を得るとか、猟奇的殺人の実行犯が、死体と性行為に及ぶなど、通常人が感じることのない欲求の充足手段が犯罪を通さなければ手に入らないとすれば、本能に近い行動として殺人を行う。つまり、性的欲求を満たすために人を殺すのである。
    このタイプは、幼少期の体験によるところが大きく、性的虐待経験者や、恒常的に暴力で支配されてきた養育体験に起因することが報告されている。その場合、性をサディスティックに理解し、苦痛を快楽と感じることに自己逃避を行うことによって、日々の虐待を受け入れる耐性を本能的に取得し、やがて自らの立場を逆転することによって、相手方に同様の苦痛を与える(虐待する)ことを嗜好するようになるのである。そもそもこのタイプの特徴は、性的欲求を得る手段として殺人行為が必要であるとする心理故、殺人に社会的要因や怨恨等の理由が存在しないため、更生は非常に難しいとされている。
  3. 反社会性パーソナリティ障害
    パーソナリティ障害とは、他者や出来事に対する認識、反応、および関わり方のパターンに相対的に柔軟性がなく、社会生活の能力が損なわれた状態を病理的に解釈するもので、大きく三つの類型に分けられ、A群(奇怪な行動)B群(演技的で移り気な行動、)C群(不安や抑制を伴う行動)と表して分類する。その中で、殺人犯に見られる特徴が反社会性パーソナリティ障害であり、B群のひとつとして位置づけられている。
    ≪反社会性パーソナリティ障害≫ 反社会性パーソナリティ障害(以前は精神病質人格、社会病質人格と呼ばれていた)は男性に多く、他者の権利や感情を無神経に軽視する。人に対しては不誠実で、欺瞞に満ち、欲しいものを手に入れる、あるいは自分が単に楽しむために人を利用する傾向(自己愛性パーソナリティ障害の人が、自分は優れているのだから当然だと考えて人を利用するのとは異なった考え方)がある。
    このパターンは、衝動的且つ無責任に、自分の葛藤を行動で表現するのが特徴である。不満があると我慢ができず、敵意を示したり暴力的になったりすることがある。自分の反社会的な行動の結果を考えないことが多く、人に迷惑をかけたり危害を加えたりしても、後悔や罪の意識を感じず、むしろ、言葉巧みに自分の行動を正当化したり、他の人のせいにしたりする。我慢させたり罰を与えたりしても、行動を改める動機とはならず、判断力や慎重さが身につくことはなく、却って本人が心に抱いている極端に非感情的な世界観が固まっていく傾向がある。通り魔、無差別殺人などもこの型に属することが多い。
  4. 衝動的殺人
    衝動殺人や心神耗弱(喪失状態)による殺人には本人の殺人行為に対する意識が欠落しているのであって、普段、殺意を自覚しているわけではない。心理学上、人間には意識、無意識の状態を構造的に分類することが出来る。意識の三重構造と言い、意識状態・中間状態・無意識状態として分析する。
    殺人行為の心理を分析する場合、「犯行時の記憶がない」という殺人犯では、確かに自分が意識する限りでは、「人は殺してはいけない」という強い認識があったのだとされるが、実際のところは、被害者に対する憎悪の気持ちを拭い去れていなかったのだと分析できる。そして、無意識の状態では、自分でも手の付けようのない部分であるが、「本当は殺してやりたい」という気持ちが存在していたとする。総合的に見れば、理性で感情(殺意の実現)をコントロールしていたことになるが、その場の状況(例:被害者の罵倒、偶然など)が重なり、気が付いたら無意識の自分が殺してしまった、というものである。

(出典:犯罪心理学の基礎知識)

【川崎事件に見る実行犯の心理】
上村さんの事件に関し、これまでの報道において明らかになってきた事件の真相(表面的な)から、主犯格とされる18歳少年の心理はどのようなものであったのか。又、死亡させるに至った行為の一部始終に、彼らの心身の状態がどのように変化していったのか。共犯の2人の少年は何故止めなかったのか。止められなかったのか。そして犯行後の心理状態は?

~飲酒と暴行~
アルコール(エタノール)摂取による「酔い」の本態は、中枢神経系の抑制が原因である。中枢抑制作用を持つ麻酔薬とは違って、エタノールの場合は早期に(低レベルの血中濃度では)抑制系神経に対して神経抑制効果がかかるために、結果として興奮が助長される(アルコール作用の発揚期)。 血中濃度が上昇するにつれて、運動器や意識を司る神経系にも抑制がかかり、運動の反射時間の延長や刺激への無反応を生じる(アルコール作用の酩酊期)。
未成年である彼らは、その後の行動から(防犯カメラ映像や居酒屋店員の証言など)酩酊状態であったとは確認できす、アルコール作用によって興奮が助長されているような状態と見る。
その後、上村さんを伴い河川敷へ向かう間に何が起こり、どのような会話が交わされていたのか。内容は知る由もないが、飲酒による興奮状態が犯人らの暴力的感情を高ぶらせていたことは推測できるのではないか。その道すがら、上村さんは彼らの暴言に反抗したのか?おそらくそれは無い。むしろ従順な態度で言われるがまま同行したと推測する。何故なら、精神状態が興奮に達している相手に反抗した場合、犯行現場までテクテクと歩くことは考えられず、もう少し早い段階で暴行に至っていたと推測出来るからである。しかし、もし犯行が別の場所、時間的にも早い段階で行われていたなら、一般人の知る機会も変わっていたかもしれない。

~供述から・裸で泳がせた~
犯人の供述から、河川敷での言動を分析する。
グループのひとり、17歳無職少年(比較的上村さんと友好関係があったらしい)に現場を離れるよう指示があったという。主犯格の少年が発した指示であるというのが事実なら、どのような心理作用が働いたと見るか。おそらく、普段から暴力的な行為に消極的であったと思われる17歳無職少年は、主犯格少年にとって邪魔な存在として、いわゆる所払を命じたのか。もしくは、供述の報道には無いが、無職少年自身が、自分は係わりたくないことを告げて立ち去ったのかも知れない。実際の警察発表によるところの、「17歳無職少年には無関係で、巻き込んだことを申し訳なく思う」的な発言が事実なら、これから重大な犯行に及ぼうとする精神状態から察して、「おまえは係わらないでいいから場所を離れろ」という落ち着いた指示に、主犯格少年の異常さを禁じ得ない。その配慮とは一体何なのだと思う。
その後、主犯格少年は上村さんを2月の多摩川に入るよう命じたという。この時、上村さんはすでに暴行を受けていた可能性があり、意識は朦朧としていたのではないか。というのも、当日の状況からすれば、上村さん自身も切迫した危険を感じていたはずであり、命の危険が迫っていることを本能的に察していたのであれば、人間は思わぬ力を出すものである。すなわち、川を泳いで逃げるということも不可能ではなかったはずだ。少年らが川に入る可能性は低く、又対岸に回るには六郷橋を迂回するしかなく、相当な距離があった。

~暴行・殺害・遺棄~
致命傷は、首を深く切られたことによる出血性ショックが直接の死因である。しかし、それまでの暴行痕や相当数の切創が確認されている。生活反応(生きている人間、動物の身体組織のみに発生する変化)の有無について当局の発表は無いが、致命傷を与えてからの執拗な行為があったかどうかも、少年の精神的状態を量る上では重要である。
18歳少年は、一旦現場を離れた17歳無職少年を呼び戻したとされる。又、呼び戻された少年は、被害者に対する暴行を強制されたと供述している。そのとき、泣きながら謝罪を口にしながら切りつけたとの報道がなされているが、その涙はどういう感情から流れ落ちたのであろうか。
そして少年らは遺体を別の場所まで遺棄するのだが、供述からは三人で運んだとは発表されておらず、足で蹴りながら転がした、というような表現をしているという。

【18歳少年の心理と殺人類型】
現在までに報道されてきた状況と少年らの供述を頼りに、主犯格少年の殺人に及んだ心理を分析し、犯罪心理学上のどの型の殺人に分類されるのかを検証する。勿論、事件の全容解明には時間が必要であるが、事件から時間が経過していくとともに、事実の隠ぺいや事件後の心理変化による事実の歪曲が始まることも考慮すれば、状況と供述の大きな矛盾が生じない現段階での供述は、むしろ信憑性の高い事実を示しているとも言える。
以上これまでの行動を分析すれば、主犯格少年については、「反社会的パーソナリティ障害」であると言える。少年の養育環境、生育過程、行動パターン、結果を考えずに起こす犯行の重大さと、冷静な判断(他人を巻き込むことによる自己の罪の分散化や、殺害行為前に川を泳がせる、遺体を移動させて遺棄する、衣服や所持品を処分する余裕など)にその特徴が顕著である。


被害者のご冥福を祈るしか出来ない(産経新聞)

【終わりに】
人間社会を形成する概念は、霊長類としての秩序ある生活と平和を希求する壮大なロマンの上に保たれている。人間が自ら創り出したルールは、個々の能力や意識、主観的な思考力の差異にあってなお、多くの人々の共生に寄与するものとして必要性が認められるものでなくてはならず、時代とともに変わっていくこともまた受け入れなければならない。
社会的、生物的に見て、異なる環境下において特異的な存在である個人があったとして、大局的に一般人と呼ばれる集団に、それらとの共生を拒む権利は与えられてはいないのであるから、社会的責任としてそれら「個」の存在を認め、社会全体での支援が求められるのも当然であろう。
すなわち、共生社会を破壊する個の行動(犯罪と位置付けられる反社会的行為)を罰する法の力は事後的であって、共生社会に異物を取り除くための法もまた必要悪として認識される。犯罪心理学による分析は、人間社会にとって誰もが陥る可能性のある養育環境や社会の歪みに起因する落とし穴のマスを見極め、穴を埋め、少しでも安心安全に社会生活を営めるよう黙々と作業する夜間道路工事のようなものである。
皆さんも直接、間接に遭遇する犯罪によって、社会から取り除かれることを余儀なくされる犯人達の、その心理から明かされた真実を知ったならば、自らの環境に目を背けず、他人事と両断せずに、それぞれが「個」と係わりを持つ勇気を出して頂きたい。何時、自分もその場に立たされるやも知れないのであるから。