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イスラム過激派の台頭・アルカイダ、イスラム国、ボコ・ハラムetc。エルサレムを巡るパレスチナ問題とは別次元。国際テロ集団と言わざるを得ない行動に、最後の審判はどう下るのだろうか


世界中を震撼させたフランスでの銃撃戦(資料:ロイター広報)

阪神・淡路大震災発生から20年が経過した。しかし、その後に活発化している地殻変動の影響から、新潟中越地震、福岡西部地震、東日本大震災などに続き、昨年には長野中部地震が発生。一方で木曽御嶽山の噴火、西の島海底火山噴火、桜島の活動も活発化し、危険火山の活動状況も最注視しなければならない事態となった。又、ここ数年来、極端に雨量の多い局所型豪雨による土砂災害も頻発しており、南海、東南海巨大地震への備えも可及的速やかに求められている。
災害大国日本の国民は、長い不況のトンネルからようやく抜け出せそうな、「三本筋の光」に期待して、昨年暮れの審判では自民・公明支配の経済復興路線を選択した。平和な空気の蔓延しているこの国は、外気のキナ臭さも感じず、先ずは懐具合の満足感を得ようと、景気回復の裏に潜む集団的自衛権解釈変更やそれに続く憲法9条問題も併せて、戦慄の道を歩み始めたと言っていい。

一方、世界では宗教対立に模した新しい紛争が各地域で勃発しており、数千キロ以上も離れた外界の出来事と傍観している場合ではなくなった。
本年1月9日にフランス・パリで起きたフランス週刊誌銃撃事件に端を発する一連のテロ事件は、ビルに立てこもった容疑者のうち3人が射殺された(1月10日)。この事件には国際テロ組織が関与した可能性が高く、仏捜査当局は事件の全容解明を急いでいる。自動小銃などで武装した集団による仏週刊誌銃撃事件が起こった背景には、イスラム過激派組織同士の勢力争いがあるとの見方が強まっている。イスラム過激派の中では、「イスラム国」が昨年来、イラク、シリアで急速に台頭してきており、アルカイダがこれに触発された可能性が指摘されている。又、アフリカ西部で勢力を拡大するボコ・ハラム(西洋の教育は罪、という意味で、ナイジェリアを中心に活動するイスラム過激派。正式名称は「宣教及びジハードを手にしたスンニ派イスラム教徒として相応しき者たち」)などを含めた過激派同士の勢力争いがテロ活動の連鎖に繋がる懸念も強まっている(ロイター共同)。


イスラム国とは?(資料:朝日新聞)

もはや事件とかテロ行為などの形容で呼べるようなレベルではなくなってきた戦闘行為に対し、世界中の国々では、如何にこれらの反社会的活動を封じ込め、過激派組織の壊滅を考えるべきなのか。

イスラム過激派は、世界各地域で凶悪なテロ事件を相次いで起こしている。2001年の米国同時多発テロ(9.11)で世界を震撼させたアルカイダ系は、「イスラム国」の台頭により、兵士や資金の獲得競争で不利になっていた。アルシャバーブ(アフリカ大陸のアルカイダ系でソマリアを中心に活動)は、2013年9月にケニア・ナイロビの商業施設を襲撃し、60人強が死亡。ナイジェリアでは、ボコ・ハラムが2014年4月に学校を襲撃し、少女約200人以上を拉致した。パキスタンでは、昨年12月、北西部のペシャワルで学校を襲撃し、生徒等140人以上を殺害している。その後、「パキスタンのタリバン運動(TTP)」が犯行を認めた(TTPでは、複数の幹部が「イスラム国」への傘下入りを表明している)。
これら過激派の一部には、武器弾薬の供与、戦闘情報の交換などで連携を強め、主導権争いの一環として国際的注目を集め易いテロ活動を企てていると言われる。


もはや戦争といっても過言ではない(ナイジェリア・バス爆破テロ画像:ロイター広報)

【イスラムを知る】
報道では必ずと言っていいほど「イスラム過激派」と、組織名称に断りが付される。我々日本人は、このイスラム(発音的にはイスラームと表される)について、どの程度の認識を得ているのであろう。日本国内にもイスラム教徒は存在し、その数は約10万人程度と言われている(宗教法人日本ムスリム協会。平成20年現在)。


最高啓典「クルアーン」(amazon.com)

~イスラム教の根本教義~
「アッラーの他に神は無し」と「モハメッド(ムハマンド)はアッラーの使徒なり」の2命題をもって信仰告白句とすることを通例とする。イスラム教宗派ともいうべきスンニ派とシーア派では、根本教義の一部を共有していないことから、共通教義である神、使徒、来世を中心に纏めると以下のとおりである。
(神)アッラー
自然物、天体は勿論のこと、いかなる人間、もしくは天使、悪魔であれ、時空の中に存在する限り、それは有限であり、有限な存在は全て被造物であるに過ぎない。そして宇宙は時空を超えた存在によって、「無」から創造された。この時空を超えた宇宙の創造者がイスラムで言う「神」、アッラーである(一般名詞であって固有名詞ではない)。アッラーは時空の創造者であるから、時空によって拘束されることはない。いかなる場所にもアッラーフ(神の人格)は存在しない。時空を超越した神の存在は、そもそも「何処に」と答えられるようなものではない。時空を超越し姿形を有さないにも拘らず、アッラーは人間とコミュニケーションを行う人格神である。空間の中に位置する身体ではなく、心が神と人間のコミュニケーションの場であり、言語がその媒体となる(人格神であるとは、アッラーが人間に語りかける神であることを意味する)。そして人間に語りかける人格神アッラーフは、言葉をもって人間に善を命じ、悪を禁じ、法を定める立法者でもある。創造主にして、立法者のアッラーは、宇宙の存在の根源であると共に、人間の法と道徳規範の源泉でもある。

イスラムの根本教義とは、アッラーが、万物の唯一の創造主であり、彼のみが森羅万象を司っており、何物もその意志なくしては一瞬たりとも存在し得ないことを悟り、その命(めい)のみに服従し、唯神のみに崇拝を捧げ尽くすことに他ならない。そして、それこそがイスラムの信仰告白句「ラーイラーハイッラッラー(アッラーの他に神は無し)」の意味なのである。

(使徒)ラスール
神と人間の直接的コミュニケーションは稀にしか生じず、個々人ではなく社会全般を対象としたメッセージが神から届くような場合は、特に顕著である。そのような社会的メッセージを人々に伝えるために、特に神によって選ばれた者が「使徒」と呼ばれる。使徒は神のメッセージを間違いなく人々に伝える使命を担っているため、人格と知性に秀れ、信望を集める優秀な人でなければならない。モーセやイエスもこうしたアッラーの使徒であり、両者はユダヤ民族全体に適用されるメッセージ、『律法』、『福音』を神から授かり、彼らにそれを伝えた。この『律法』、『福音』がそれぞれユダヤ教、キリスト教の基礎になった。

アッラーは全ての民族に使徒を遣わしたが、人類の文明が一定の水準に達した時点で、様々な民族を超えて人類全体に永遠に妥当する普遍的メッセージが伝えられることになった。その最終メッセージが『クルアーン(コーラン)』であり、その担い手として選ばれた使徒がアブラハムの裔、アラブ民族出身のムハンマドであった。

イスラムの教義の詳細は、この神の使徒ムハンマドによって明らかにされた。それ故、イスラムは「ラーイラーハイッラッラー(アッラーの他に神は無し)」に加えて「ムハンマドゥンラスールッラー(ムハンマドはアッラーの使徒なり)」を信仰告白句に加え、ムハンマドが神の使徒であると認め、ムハンマドの齎した(もたらした)メッセージの遵奉(じゅんぽう)を誓った者を、イスラム教徒、すなわちムスリム(帰依者)と見做すのである。

(来世)最後の審判
前述のとおり、アッラーは宇宙の創造者であって、規範、価値の源泉である。そして人間に使徒を遣わし、法を定め、善を命じ、悪を禁じる。

人間は、行為の自由とその責任を賦与された存在として、個人として各自が悪を退け、善を行うのみならず、社会として悪を阻み、善を勧め、善行が報いられ、悪事が罰せられ、正義が行われるよう、神の定めた法を施行する義務を負う。 しかし、現世の社会秩序においては、人間に裁量の自由が与えられているため、正義は必ずしも貫徹されず、悪が栄え、善が滅びることも稀ではない。

神は、宇宙の歴史の終末の後に、全ての人間を甦らせ、生前の全ての行為の記録を読み上げ、審判を下す。いかなる善行も見落とされることはなく、故なく被った義人の苦しみは癒され、悲しみは慰められ、公正な裁きが下され、誰一人不当な扱いを受ける者はない。一方、どのような悪行も見逃されることはなく、懲罰を受けるが、神は僅かでも赦しの余地のある罪人には慈悲を垂れ、罪を減じ、罰を免じる。
人間の生命は、現世の生死を超えて永遠であり、神の正義と慈悲が顕現する場が、「最後の審判」なのである。(参考出典:宗教法人日本ムスリム協会)


イスラムの経堂、モスクでの礼拝(画像イメージ)

〈解説〉
イスラム教は一神教である。唯一つの神しか認めない。しかも、その神は人格神である。山の神とか、火の神とか、太陽の神とか、そういう自然神とは全然違う。このような一神教の宗教は世界で三つだけある。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教。ムハンマドが神がかりになったときに、相談したとされるハディージャの従姉はキリスト教徒である。又、ムハンマドがイスラム教の教義を確立したメディナの町は、ユダヤ教徒の住民が多数居住していたところで、ムハンマドは彼等からも大きな影響を受けている。つまり、イスラム教はユダヤ教、キリスト教と並ぶ兄弟宗教で、一神教三兄弟の末子といえる。
ムハンマドが神の言葉を授かるのだが、神はずっと昔からムハンマド以外の人にも言葉を与えてきた。それが、「ノアの箱船」のノア、「出エジプト記」のモーセなど、旧約聖書の登場人物であり、ムハンマドはそれらの人物を預言者として認めている。さらに、イエスも預言者の一人だった、とムハンマドは言い、神はこれまでの預言者たちに全てのことを伝えたわけではない。その言い残した言葉を伝えるために選ばれたのがムハンマドであるとする。従って、ムハンマドは「最後にして最大の預言者」と呼ばれている。

イスラムという言葉だが、これは「神への帰依」という意味である。帰依とは、「深く信仰し、その教えに従う」という意味。つまり、「イスラム教」とは、「神を信仰する宗教」という意味になるのである。また、イスラム教徒のことを「ムスリム」と言い、「神に帰依した人々」ということである。

「クルアーン」
神がかり状態のムハンマドの言葉を集めたイスラム教の聖典が「クルアーン(コーラン)」である。これは、仏教の経典やキリスト教の新約聖書などが、ガウタマ=シッダールタ(釈迦)やイエスの言葉をどれだけ正確に伝えているとしても、彼らは人間であるから、人間の言葉に過ぎない。しかし、クルアーンは神の言葉を、ムハンマドの肉体を通じて伝えているというのであるから、神の言葉そのものなのであるとする。他の宗教の経典は、後の時代の信者たちが教祖の言葉を解釈して纏めたものである反面、「クルアーン」は神の言葉を解釈抜きで記述したものという違いを強調する。

「イスラム教徒(ムスリム)の義務」
六信五行:
「六信」とは六つの信仰箇条(アルカーン・イーマーン)である。
「神」「天使」「啓典」「預言者」「来世」「天命」。
「啓典」は、「クルアーン」などのこと。イスラムはユダヤ教やキリスト教の教えを引き継いでいるから、イスラムでも最後の審判はあって、人々は天国と地獄に振り分けられる。「来世」とはそういうことである。「天命」というのは、あらゆる宇宙万象はアッラーの意思によるということから、人間に許された善悪の選択の行使による行為の責任を負う。つまり、審判によるアッラーの意思を受け止めなければならないということである。

「五行」は、ムスリムが行わなければならない五つの義務である。
「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」。

これらによって、ムスリムの生活が成り立っている。

※アッラーの諸天使
天使は、光からつくられ、アッラーに仕える霊的存在で、多数あるが特に主要なものとして、四天使があげられる。
1.ジブリール(ガブリエル):ムハンマドにアッラーの啓示を伝達した。
2.ミーカーイール(ミカエル):海、湖、河川等すべての水にかかわる領域の守護者。
3.イスラーフィール:空気の守譲者で復活の時にラッパを吹くとされている。
4.イズライール:死の天使で、人間が死んだとき魂を身体から取り出す。

※アッラーの諸啓典
啓典とは、アッラーが天使ジブリールを通して人間に示した啓示で複数あり、中でも特に神聖視されているのが最高啓典である「クルアーン」、次いでムーサー(モーセ)に与えられた「トーラー」(=五書。『旧約聖書』の「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)、イエスに与えられた『福音書』(『新約聖書』の「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の四福音書)、ダーウード(ダビデ)に与えられた「詩編」をいう。

※アッラーの諸預言者
どの民族にも最低一人は預言者が送られたと伝えられ、「クルアーン」には27人の予言者の名があるが、特に重要なのは、アーダム(アダム)、ヌーフ(ノア)、イブラヒーム(アブラハム)、ムーサー(モーセ)、イーサー(イエス)、そして最後の預言者であるムハンマド(SAW)である。


イスラムはユダヤ教とキリスト教を「啓典の民」として認めるが(エルサレム旧市街地)

【イスラム過激派と呼ばれる集団の登場】
イスラム過激派とは、日本語においては、自分たちの理想をイスラムを使い理論化し、そのような社会の実現を図るために犯罪を行う戦闘的な組織を総称するために用いられている用語である。日本を含め、国際的にはこうした組織は「イスラムの名を使用して主張を実現するために犯罪を実行する過激派(extremist)」と看做されている。

一方でアメリカは、イスラム過激派を「イスラムの名のもとに、大量殺人など犯罪を計画・実行する過激派団体」と規定される複数の団体を指す表現として用いている。
最近では、ジハード主義(Jihadism)、ジハード主義者(Jihadist)という言葉が海外のメディアで使用されている他、日本メディアでも、時事通信が「ジハーディスト(聖戦主義者)」という表現を用いている。
エジプトのムスリム同胞団の理論家であったサイイド・クトゥブ(Sayyid Qutb)の「イスラム教国の世俗化・西洋化・共産化を志向する指導者が統治し腐敗と圧制が蔓延する現世は、イスラム教成立以前のジャーヒリーヤ(無明時代)と同じであり、武力(暴力)を用いてでもジハードにより真のイスラム国家の建設を目指さなければならない」とするクトゥブ主義(Qutbism)がイスラム過激派の行動の原点とされる(参考Wikipedia)。


聖戦の名の下に…右手にクルアーン、左手に剣(資料:共同通信)

ジハードは、本来、「努力」「奮闘」の意味(クルアーンに散見される「神の道のために奮闘することに務めよ」という句のなかの「奮闘する」「努力する」に相当する動詞を語源とする)であり、ムスリムの主要な義務である五行に次いで「第六番目の行」と言われることがある。
広い意味でのジハードには、次の2種類が存在すると言われている。
・個人の内面との戦い。内へのジハード。(非暴力的な大ジハード)
・外部の不義との戦い。外へのジハード。(暴力的な小ジハード)
外へのジハードが一般に「聖戦」と訳されるジハードであり、イスラム共同体外部への侵略戦争、あるいはイスラム共同体外部からイスラム共同体を守るための戦いである。この戦いが「ジハード」の名で称されるためには、法的根拠を必要とされている。

では、現在のイスラム過激派がジハードを公言し、彼らの敵に対する無差別の攻撃を行なっていることに、自らの戦いを、ジハードであると宣言して戦うべき正当な理由付けが出来ているのであろうかが問題となる。彼等は、口を揃えた様に聖地エルサレムの異教徒からの奪還、パレスチナの解放、ウンマ(イスラーミーヤ:イスラム共同体)からの異教徒の追放、といったことを戦いの理由に掲げている。しかし、エルサレムの異教徒からの奪還は、あらゆる種類のイスラム教徒のジハードの根拠になり得まい。現に、敵及び、敵の家族を殺戮し、敵の所有物を破壊することが公然と行われている中で、ウンマの中で発生してくる諸問題の解決をはかることと、内及び外のジハードの対象性を論じれば、エルサレムの異教徒からの奪還を結びつけて、ジハードであると宣言することは、まったく論理性を持たないと言わざるを得ない。
確かに、植民地支配以来のこの地域をめぐる他律的な政治社会構造の組み替えと、大国政治の継続的な関与という問題において、英仏を中心としたヨーロッパ列強の思惑から領土分割がなされただけでなく、国家基盤の存在しないところに「欧米的人工国家」が樹立され、歪な統治システムと独裁政権の創設・温存も図られたことは、後のイラン・イラク戦争でソ連を含む欧米列強の対イラク支援が戦争を長期化させ、湾岸戦争への契機となり、イラクの軍事大国化とクウェート侵攻に連動していく。そして、前記戦争では周辺諸国や自国社会を念頭に、ジハードを含むイスラム的言説が多用された。
しかし、戦争原因の根本には「平和の担い手」たる使命を掲げ、その実、国益の維持・拡大のために種々の介入を繰り返して止まない欧米列強の大国主義・覇権主義がある。この構図は9.11同時多発テロ事件という未曾有の蛮行との関係で、最終的にテロ行為の「共犯者」として今回米国に空爆されたアフガニスタンの例でも同様に見て取れる。そして、係る矛盾に満ちた構図をより鮮明に示している事例が、パレスチナ問題なのである。
しかし、だからと言って、現在世界中で起こるイスラム過激派によるジハード(テロ)では、何の罪も無い人たちが、多数犠牲になっていることを肯定することには繋がらない。

預言者ムハンマドが存命の時代には、彼がジハードを宣言していた。その預言者ムハンマドのジハード宣言には、誰もが口を挟むことは無かった。しかし、オスマン帝国の衰退と時を前後して始まった、アラブ諸地域の欧州による支配に対する抵抗運動は、各種のイスラム運動を勃興させることになった。その一つが、エジプトのイスマイリーヤ市で、学校教員だったハッサン・バンナーによって始められた、ムスリム同胞団運動だった。
彼は、当時のエジプト宗教界が腐敗していることに批判的であり、クルアーンの意味を理解することは、クルアーンを読める者は誰であれ可能だとした。このことによって、クルアーンの解釈は自由化され、多くのイスラム教徒が、自分の知識で意味を解釈するようになった。このことは同時に、ジハードを決定付ける権利が宗教的権威者の手を離れ、市井の人たちの手に渡ったということになる。ムスリム同胞団活動の初期においては、多くのメンバーが、真剣にクルアーンとハディース(クルアーンに次ぐイスラムの根本文献である。クルアーンが、預言者ムハンマドが受けた啓示、つまり神の言葉の集合体であるのに対して、ハディースは、預言者ムハンマドが人間として語った言葉及び、為した行いの記録の集大成)の研究を行い、正しい解釈を試みた。
しかし、ハッサン・バンナーが死去し、後継となったサイイド・クトウブが、ナセル大統領(1958年、エジプトとシリアから成るアラブ連合共和国を建国した初代大統領)との間で政治的確執の後に処刑されると、次第に内部崩壊が始まり、ムスリム同胞団は分裂し、より過激なグループが登場していくこととなった。


ムスリムの真実とは(画像・イメージ)

【国際社会の使命と対応】
戦争を惹起するイスラムという固定観念の背景にはこの宗教に対する欧米の差別・偏見が介在している。それを日本社会もまた継承し、それに基づきイスラムや中東への無関心維持してきた。それは翻れば、無批判的な西欧中心史観でもあり、また中東での戦争多発構造への無理解にも繋がる。係る偏見の除去は世界平和の構築に不可欠な要件である。日本の対中東和平への積極的な役割が求められ、その際中東で手を汚した歴史を持たない日本の特性が指摘される。(「イスラームと戦争―その関係性の変容と中東―」『平和文化』平成14年3月号掲載。吉村慎太郎・広島大学大学院総合科学研究科教授)
我が国に特化すれば、無宗教、無信心国民を標榜するのと反対に、その歴史において培われた倫理観、道徳観はもとより、日常の行為諸行そのものに根差す宗教観念は特筆に値する。世界にも稀な国民性をもってすれば、どの欧米諸国よりも進んでこの問題解決に当たるべき使命を帯びているのではないだろうか。

<執筆日:2015.1/12>