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女不動産屋 柳本美土里

黒い塗装があちらこちら剥がれ、サビの浮き出た鉄扉を手前に引くと、蝶番から猫が鳴くような音がした。
少し段差のある玄関ポーチを上ると、ところどころ泡を吹いているくすんだシルバーのアルミの引き戸が路子を出迎えた。
鍵を開け、力を込めてドアを引くと、埃っぽい湿った匂いに混じって、懐かしい空気が流れ出てきた。
土間から玄関の上がり框までは、幼い頃には跨ぐことができず、玄関に後ろ向きに座ってお尻から家にあがったものだ。
ここは、路子が勤めるようになるまで過ごした実家だ。
「そういえば、車椅子に乗るようになった父も、この玄関から上がることができなくて、勝手口の外側にスロープをつけたわね」
独り言を言いながら、路子は主人のいなくなった実家をくまなく見渡した。
1階は廊下の横にトイレと小さなお風呂、玄関横の6畳の洋室の奥にはダイニングキッチンが奥に続いている。急勾配の狭い階段を昇りきると、半畳ほどのスペースから左右に分かれた6畳ずつの和室の襖戸がある。
昭和50年代に建てられた建売住宅は、どれも似たり寄ったりの造りだったのだろう。
この家が建っている団地に住む友人の家に遊びにいったときも、同じようなものだった。

この辺りは、昔は瀬戸内海の良質な漁場として栄えた海沿いの漁師町だったらしい。
それが高度成長に伴い、地元経済を発展させることが最優先とされていた行政の誘致のもと、大手製鉄所が工場を建設した。
そうして大手製鉄所の社員だけでなく、下請け会社の工員もこの町に押しかけ、加えて大阪から私鉄で1時間ほどの利便性がベッドタウンとしての需要もあり、急激な住宅需要が住宅団地の開発と建売住宅の建設に拍車をかけた。
そうした中で開発された住宅団地のひとつが、この30軒ほどの団地だ。
駐車場のスペースもとれない土地面積20坪たらずの家が、立ち並んでいる。
もっとも道路の幅が3mもないような街区では、車が通るのにも無理があったのかもしれないが。

「路子、お父ちゃんが頑張って一軒家を買うたるからな」
それが、路子が幼いころの父の口癖だった。
4畳半一間でトイレや炊事場は共同、お風呂は銭湯まで行かないといけないという木造アパートで育った路子は、子供心でも一軒家を買うということが、途方も無いお金が要るということは判っていた。
「うん、お父ちゃん、いつか絶対に一軒家買うてや」
父の口癖に対して、そうは言っていたものの、一軒家を買うなんて無理だろうと秘かに思っていたのだった。

父親の富蔵の出身は、長崎の五島列島の小さな島だそうだ。
中学を卒業すると、こんな田舎にいては自分の将来は無い、都会に行けば夢のような未来があるはずだという漠然とした思いで、家出同然に島を飛び出し、大阪に出てきたらしい。
酔うと必ず話す父の昔話に、その頃の状況がうかがえる。
まあ、今からすれば、どこまでが本当なのかは眉唾ものだが、真っ直ぐな性格の父のことだ、あながちフィクションでもあるまい。

船賃と電車賃しか持たずに島を出て大阪にたどり着いた富蔵は、それはそれは多くの人が早足で行きかう大阪の街に仰天した。
それらの人の群れの向こうには、大きなビルがいくつも建ち並んでいる。島の生活しか知らない自分は、ただただびっくりするだけだった。
とりあえず親戚がいる下町に向かったが、あろうことか、頼ろうと思っていた親戚は行方知れずになってしまっていたのだ。
「いったいどうしたらいいのか」と思ったときは既に日も暮れかかり、大阪の町に独り放り出されたような気持ちになった。
辺りの屋台の立ち飲み屋に、労働者や職人らしい人たちが寄りはじめた時刻だった。
とりあえず今日の泊まるところを探さないと、と思ってトボトボと歩いていると、目の前に大きな公園が現れた。
その公園には、木と木の間に張られたロープにブルーシートが張られただけのテントとも言えないようなスペースにともる灯りが、日が暮れてしまった公園のあちらこちらに揺れていた。
そんな光景を初めて見た富蔵は、それが何か最初はわからなかったが、いわゆる浮浪者の住処だということを後から知ったのだった。
幸い時期は夏なので外で寝ていても凍え死ぬことはないだろうと、公園のベンチで一夜を明かすことに決め、横に転がった。

「にいちゃん、こんなとこで寝てたら蚊ぁに刺されるで」
声に振り向くと、そこにはいつ洗ったかも解らない髪の毛も髭も伸び放題の1人の年寄りが立っていた。
いつもなら気味が悪くて無視するか、場所を変えるかしただろうが、独りきりで寂しい気持ちになっていたところに掛けられた声が、妙に嬉しく温かく響いた。
「けど、どこにも泊まるところがないから・・・」
俯いて言った自分の言葉に、置かれている現実を再確認させられて、涙がこぼれそうになった。
「そうか、ほんならわしのテントに泊まったらええ、2人ぐらいやったら寝られるやろ」
怖いとか薄気味悪いとかの感情よりも、今は誰かに傍にいて欲しいという気持ちの方が勝り、富蔵は老人の後に続いた。
ブルーシートのテントの中で富蔵は、五島列島の小さな島から出てきたこと、大阪にいるはずの親戚が行方不明になっていたこと、どうしようにもお金をもっていないことなどを話した。
「そうか、そら大変なこっちゃな。そやけど、若いねんから頑張ったらどうとでもできる。とりあえず明日から日雇いの仕事をもらいに連れて行ったるさかい、日銭を稼いだらええ。動けるくらいの金ができたら、それからのことを考えたらええがな」
そうして、富蔵と浮浪者との公園での生活が始まった。

翌日、留次郎という名の老人が連れて行ってくれたのは、手配師と言われる今で言う派遣業者のところだ。
浮浪者なのか労働者なのかの区別もつかない多くの人々が、日雇いの仕事を求めて、通りの角に立つ手配師を取り巻いていた。
手配師の方が先に自分たちを見つけて声を掛けてきた。
「おお、留爺い、まだ生きてたんか?永い間、見んかったから死んでしもうたんかと思うてたわ」
「何を言うんや、こんな老いぼれが仕事くれ言うたって、できる仕事なんかあらへんがなって袖にするだけやろ。じゃったら、ここまで歩いてくるだけ、腹が空いて損なだけや」
「腹が空くくらいなら、まだ大丈夫やな」
手配師と老人は、漫才のような絶妙な掛け合いをした。
その合間にも、品定めをするように、手配師はしっかりと留爺の傍らに立つ富蔵を上から下まで眺めた。
先からその視線に気付いていた留爺は、富蔵の背中に手を沿え、手配師の前に一歩押し出した。
「この子に何か仕事を紹介したってくれ」
「おぅ任しとき。ひょろっとしとるけど、意外に力がありそうやな」
そうして、富蔵は建築現場での日雇いの仕事を与えてもらった。

ブルーシートの留爺の部屋から、朝起きて建築現場に向かい、仕事が終わったら日当をもらって二人分の食事を都合して公園に戻る、そんな生活を半月ほどしたとき留爺から小さなメモを渡された。
「これからの人生を考えたら、おまえも、いつまでも日雇いをしとくわけにはいかんやろ。神戸にわしの知り合いがおるから、そこに行ったらどうや?何かと力になってくれると思う」
メモには、神戸のある会社の住所と、そこの社長だという人の名前が書かれてあり、留次郎の名前が記されてあった。
たしかに、やっと仕事に慣れてきた頃だったが、このままの生活で本当にいいのだろうかという疑問が持ち上がってきていた頃でもあった。
留爺の指し示してくれた神戸に、自分の人生をもう一歩進めてくれる何かがあるような気がした。

留爺の紹介してくれた会社は、神戸港に着く船の荷物を各地に運ぶ運送会社だった。
海の潮に浅黒く焼けた肌の50歳くらいの社長は、留爺のメモを手にすると、一瞬驚いたように目を見張り、次には気持ちを静めるように細く永い息を吐いた。
それから一度、富蔵の目を真っ直ぐに見てから頷き、運送会社の寮の1室をあてがってくれた。
富蔵は狐につままれたような気持ちのまま、屋根のある部屋に僅かな荷物を解いた。
社長と留蔵との関係については、その後に知ることになったのだが、前を向いて走り出していた富蔵は自分のことで精一杯で、恩人とはいえ他人のことまで考える余裕はなかったらしい。
富蔵は、トラックの助手席に乗り、荷物の積み下ろしの仕事を与えられ、仕事の合間に運転免許を取らせてもらうこともできた。
その後、運送会社の社長が亡くなって代が変わり、会社の状態がおかしくなった挙句に倒産し、転職を余儀なくされたけれども、中学校しか出ていない富蔵がトラックの運転手という仕事で人生を全うできたのは、留爺と社長のお陰だといっても過言ではないと思う。

父の配達先で事務員として勤めていたのが母だったらしい。
20歳になって結婚した2人だったが、家を守るのが嫁の役目だと、父は母が働くことを許さず、安月給の上に怪我をするととたんに仕事ができなくなり、収入が激減してしまうトラック運転手という仕事は、いつまでたっても苦しい生活から抜けることはできなかった。
そんななか生まれたのが路子だ。
路子が物心ついた頃に住んでいたのが、4畳半一間でトイレや炊事場が共同、お風呂は銭湯という木造アパートだった。
日本の高度成長にともない、周りは文化住宅という名の近代的な家が建てられていくなか、父は、そんなアパートに妻と子供を住ませておくことにコンプレックスを持っていたのだろう、「お父ちゃんが頑張って、一軒家を買うたるからな」が父の口癖となっていた。
小学生にもなると、自分の家が他の家に比べて貧しいということが判ってきた。
どの友達の家に遊びに行っても、家の中にトイレもないというアパートよりみすぼらしい家は無かったし、家の中に部屋がひとつという家も無かったから。
路子が友達を自分の家に連れてくることは無かった。
父も母も優しかったけれど、他の友達の家よりも貧しいということは、子供の路子にとっては耐えられなかったし、その原因は経済力に乏しい父のせいだと決めてかかり、父を恨むことさえあった。

今から思えば、たしかに父と母は頑張ったのだろうと思う。
経済的に苦しいながらも、家を購入するための頭金にと貯金をし、大きな借金を長年抱えることにして、ついに父は一軒家を買ったのだから。
この一軒家を買ったときは、夢のようだった。
まさか本当に買えるとは思っていなかった家を。
小学校の高学年になっていた路子の近所に住む同級生も、ほとんどが同じような家に住んでいるか、たまにもっと大きな家に住んでいても、昔からこの地域に住んでいた地主で大きくても古めかしい家だったので、路子は卑下する必要もなく、堂々と友達を家に呼ぶことができるようになった。
子どもの喜ぶ姿が、父と母の幸せになっていたということを、夫や子どもを持った今では路子にも解る。
小さいながらも幸せな家と家族の暮らしがしばらく続いたが、母が50代で病死し、去年父が亡くなると、40年近く経った家だけが残された。

「柳本さん、この家はそんなに価値のないものなんですか?」
既に結婚して大阪の郊外に住んでいる路子にとって、いくら思い出が詰まった家だとは言え、固定資産税を支払うためだけにあるような空家を、これ以上維持していく意味は無いように思えた。
墓参りのついでに立ち寄った地元の不動産屋に聞いてみると、この辺りの築40年近い中古住宅は買い手がなく、先日やっとのことで売れたよく似た物件は値段が100万円だったらしい。
それで、他にも話を聞いてみようと、以前にダイレクトメールをもらっていた柳本不動産に飛び込んだのだ。
「う~ん、不動産がいくらで売れるかは、いくらなら買おう、買ってもいいと思っている人がいるかということなんです」
「あの土地は、角地に建っている土地面積20坪足らずの土地です。でも、前の道路はどちらも幅が3メートル足らずという道路なので、建物を建て替えようとすると、前の道路が将来4mになるように道路との境界線を敷地側に引くセットバックをしないといけないんです。セットバックは、道路の中心から2メートルになる線まで敷地側に境界線を引くってことになりますから、建替えようと思うと敷地面積が約7坪ほど減ってしまいますから、13坪足らずの敷地面積になってしまうんです。建ぺい率が60%のエリアなので、13坪の敷地面積のところに建てられる建物は、ワンフロアあたり8坪足らずの2階建て住宅しか建てられないことになります。残念ながら、そういった新築戸建を買おうという人はいません。つまり、再建築はできるけれども、需要に見合うような建物は建てられないから売れないということになります。近くの不動産業者は、たぶんそういうことを言っているんだと思いますよ」
柳本不動産の女社長である美土里は、顎に掌を当てて考えている路子に、ひとつひとつ言葉を区切って丁寧に説明をした。

「では、どうすれば売れる可能性があるのか?活用できる可能性があるのかを考えてみましょう。ひとつは建物を貸す方法、もうひとつは建物を潰してしまって土地として貸す方法、もしどちらの賃貸リスクも負うのが嫌で売ってしまいたいのなら、収益物件を探しているオーナー業をしている人に売るという方法もあります。では、どれだけの費用がかかって、どれくらいの収益が見込め、いくらなら売れるのかを考えてみましょう」
「建物を賃貸に出すとしたら、水周りはクリーニングするとしても、外壁塗装と内装の張替などは必要かと思われます。合計でざっくりと200万円くらいかと思われます。そうして賃貸に貸したとすれば、賃料は周辺相場から言うと月々5万円ほどになるでしょう。年間の収益が60万円、この場合、表面利回りで30%になります。では、貸家を前提として売るとしたら?建物が古いので、家主業をしている人としたら、収益率20%くらいは欲しいところだと思われます。とすると、年間収入60万円が20%の収益率とすれば、300万円で購入しないといけないということになります。この300万円のうち改装費用に200万円必要ですから、現状のままでの引渡しとなると100万円というところでしょうね。ただ気をつけないといけないのは、この計算は満室の場合であって、入居者が出て行くと、次の入居者が決まるまでは空室となってしまいます。もちろん空室の期間は賃料は入ってきませんし、建物の維持管理や設備の故障があると修理したり取り替えたりしないといけないという貸主のリスクがあります」
路子は、ひとつ溜息を吐いた。

「では次に、建物を取り壊して駐車場にするプランを考えてみましょう。建物を取り壊して更地にするのには100万ほど要るでしょうね。それからアスファルトを敷いて区画の線を引いたり車止めを設置するのに50万円として、合計費用は150万円となります。駐車スペースは3台というところでしょう。大通りからかなり入っていますので、賃料は1台あたり5000円というところでしょうか。となると3台で15000円、150万円の費用で年間18万円の収益ということですから、表面利回りは12%となります。でも、更地にしたことで固定資産税などの税負担が、たぶん8万円ほどになるでしょうから、実質の収益は年間10万円ほどでしょうね。となると、いつも満車とは限らないし、駐車場募集の広告費とかを考えると、検討できるほどの事業プランではないですね」
路子は、先ほどよりも深く溜息を吐いた。

「一番有望なのは、お隣の方ならもう少し高くても買う価値があると思うんです。お隣も同じような20坪くらいの土地ですから、合わせると40坪くらいになります。そうすると建替えるにしても、自宅の駐車場スペースをとるにしても、けっこう利用価値が出てくると思われるんですけど・・・でも要らないって言われたらおしまいなんですけどね」
美土里は苦笑いをした。
「もし、隣の人が買ってくれるっていう場合なら、いくらくらいで買ってもらえるんでしょう?」
路子は伏し目がちだった顔を上げて質問した。
「そうですね、結局は交渉になるでしょうけど、相場の金額として計算するとすれば、土地の単価が坪あたり22万円と思われますので、セットバック後の土地面積13坪に22万円を掛けると260万円、そこから建物の解体撤去費用100万円を差し引いた160万円ってところかしら」
比較するなら、隣の人に買ってもらうのが最も良さそうだ。
路子は、隣の住人に160万円で買ってもらえないか当たってもらうよう、美土里に依頼した。

1週間後、美土里から路子へ電話があった。
「すみません、お隣の方にお話を持ちかけたんですけど、今は要らないって言われてしまいました。お年寄りの一人暮らしだし、隣の土地を買うだけの元気は無いって。買うよりも自分の家もそろそろ売りたいみたいな話になってしまって・・・だったら一緒に売りませんかって話もしたんですけど、自分が健康なうちは、ここに住むつもりだからって、その案も否定されてしまいました」
美土里はすまなそうに話した。

「そうですか、しかたないですね、じゃあどうしたら・・・」と路子が言い終わらないうちに、美土里が話を始めた。
「もし、路子さんさえ良かったら、うちに買わせてもらえませんか?お隣の方に買ってもらう160万円って値段は出せないけど、130万円なら買わせていただきますけど、いかがかしら?」
思ってもみなかった美土里の提案に、路子の声は上ずった。
「ええ~!?そんなお値段で買ってくれるんですか?でも柳本さんは130万円で買ってどうされるおつもりなんですか?現実的には建替えもできないし、費用を掛けて貸家にしてもリスクが高すぎるって言われてたのに・・・」
「そうですね、確かにリスクは高いですけど、先日のお隣さんの話によると、そう遠くない将来に売り出されるようにも思えるんです。それまでは、最低限の改装で誰かに借りてもらっていて、お隣が売ろうと思われたときに、この土地と一緒にして新築に建てなおして売ろうと思っているんです。それまでに大きな費用が建物や設備にかかるとしたら、うちは痛いですが、最終的に隣地のどちらかが買えて建売り住宅の販売ができれば、その利益でカバーできると思いますから。この団地も、そんな形での建て替えが進んで、広くなった道に、ゆったりとした敷地の家が立ち並ぶ団地になったらいいな~って思うんです」
将来の事業を見越してリスクを被っても、最終的に利益を確保できるようにする。
路子は美土里の言葉に、不動産業者としての思い切りの良さと、人としての温かさを感じた。
この人なら、父と母が苦労して買ってくれた土地に、新しい形で建物を建てて、幸せを誰かにバトンタッチしてくれるだろう。

「一軒家を買ってやる」という一途な思いで、経済的には決して豊かではない人生を生き抜いた父。
父にとって、一軒家を買うということは、それは単に建物を買うということではなく、卑屈な思いをしているだろう娘の名誉回復のため、家族の礎を強固にするための幸せの基盤を一生掛けて求めたということなのだろう。
40年経って、金額としては僅かなものでしかなくなったが、この家はそれだけのエネルギーを放ってきて、役目を終える時期になったということなのだろうと路子には思えた。(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。