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今年のスポーツ総決算!実は国家戦略としてとても重要なのです


東京オリンピック2020招致に成功!

今年も残すところ一月足らず。皆様、この一年は如何でしたか?
2014年も国内外、様々な出来事が起こり、直接、間接問わず、皆様の生活や人生にも大きな影響を与えた事案もあったことでしょう。そんな2014年も後残り僅か。一年の重大ニュースランキングが毎年ニュースを賑わせるこの時期、スポーツ界のそれも多分に漏れず、年初の田中将大投手(元楽天)のニューヨークヤンキースデビューに始まり、2月のソチ冬季オリンピック、6月にはサッカーワールドカップなど国際メジャーも目白押しで、ファンを一喜一憂させた一年でした。


中高年に勇気をくれたスキージャンプ葛西紀明選手の雄姿(共同通信)

スポーツと政治の分離は叫ばれて久しいが、世界の大国と目される国々や新興国でも国家戦略としてのスポーツ振興は盛んだ。国際社会においても企業においても、広報的役割を担うスポーツの存在は重要度が高く、外交や営業戦略に組み込まれるスポーツの位置づけは、ともすれば国家間、企業間の立場に大きな影響を及ぼすことも知られている。


政治的配慮でサッカーワールドカップ予選出場を取り止めた国も(画像:イメージ)

国内大会とは違い、国際試合に出場する各分野の選手たちには、大きな期待と使命を背負わせることになる。

「日の丸」。

勝者にのみ許されるウィニングラン(共同通信)

それまでの個々の実力からすれば、表彰台に上ることを約束されたスター選手が、ここぞという時に力を出せない事実を何度となく見せられてきたファンたちは、選手個々の状態に心を砕き、同情や慰め、非難や中傷を自由気ままに論じ、酒の肴に夜毎楽しむのが平和な国の姿でもある。
しかし、当人達の苦悩や重圧に触れることは関係者以外感じる術は無く、国家の威信を懸けて競技場へ向かう姿は、先の大戦まで多くの兵士たちが戦場へ送り出されるそれと完全に重複する。
折しも今年、1964年東京オリンピックのメイン会場となった国立競技場が閉鎖され、2020年に向けた新しいスタジアムの建設に取り掛かる。この地は、太平洋戦争も終盤に差し掛かったあの日、戦況悪化の一途を辿る我が国の命運を託した学生達が、学徒出陣式を行った悲運のステージでもあった。
※学徒出陣式:国立霞ヶ丘陸上競技場(国立競技場)の前身にあたる明治神宮外苑競技場において、1943年10月21日には文部省学校報国団本部の主催による「出陣学徒壮行会」が行われ、強い雨の中で出陣学徒25000人が競技場内を行進した。


競技場を更新する出陣学徒(資料:昭和と戦争)

今月のコラムは、今年活躍したスポーツ選手達の光と影に視線を向け、新しい年に向けた強国日本、大国日本への復権を目論む社会を背景に、スポーツが担わされている役割の闇を探る。

「ガンバレ日本!がんばれニッポン!」

【世界で活躍するスター選手が背負う日の丸の重み】
2014年2月7日、第22回オリンピック冬季競技大会がロシアの都市・ソチで23日までの16日間に亘り行われた。同大会での注目競技の結果については未だ記憶に新しいと思うが、とりわけスキージャンプの高梨沙羅選手と葛西紀明選手にスポットを当てる。


世界一美しい飛行姿勢(共同通信)

今期それまでの国際大会で、10度の金メダルを獲得し、表彰台の頂点を独り占めしてきた高梨沙羅であったが、同大会では4位という、表彰台にも届かない成績で初めての五輪を締めくくった。
一方、男子ジャンプの葛西紀明は、これまでに6度の五輪を経験してもメダルに届かなかったが、ラージヒルでついに念願の銀メダルを手にし、日の丸を掲揚台になびかせた。
その差はいったい何だったのか…。


最後まで笑顔は無かった(共同通信)

ソチ五輪を迎えるまで、高梨沙羅の戦績は、W杯13戦10勝。この数字は単に勝率76.92%で表される単純な凄さではない。高梨は10月8日生まれであるから16歳~17歳という年齢条件がある。所謂経験値、キャリアという面からは多くのプレッシャーを撥ね退けるほどの苦難を経てはいない。それは反面、競技に勝利するために必要な経験が蓄積されていないということでもあり、並みの選手であれば相応の素質があったとしても勝率7割以上をキープすることなど出来ないといえる。であれば、高梨の実力は並外れた次元であって、彼女の敵など自分以外には存在しないとみるべき、そのぐらいのアスリートだということなのだ。高梨に匹敵する強者を探しても、他の分野において見つけることも出来ない。比較の対象にすること自体、顰蹙(ひんしゅく)ものであることを覚悟して言わせてもらえば、中央競馬において圧倒的な強さをキープして引退した名馬、「ディープ・インパクト」ぐらいしか浮かんでこないのである。

※ディープ・インパクト:(英: Deep Impact、2002年(平成14年)3月25日 - )は日本の元競走馬、種牡馬。史上6頭目の中央競馬クラシック三冠馬(史上2頭目の無敗での三冠馬)。2005年(平成17年)、2006年(平成18年)JRA賞年度代表馬、2005年(平成17年)JRA賞最優秀3歳牡馬、2006年(平成18年)JRA賞最優秀4歳以上牡馬。戦績・14戦12勝(中央及び凱旋門賞失格を含む)。photo:amazon

その実力を持ってして、何故ソチでは勝てなかったのか。人の精神に入り込むことは不可能だが、やはりプレッシャーが最大の原因であると思う。何のプレッシャーか?数多くの国際大会においても、選手は皆、胸に「日の丸」を縫い付けて競技する。日の丸を背負う大会での個々の心情は同じだと言う。ならば何が違うのか?五輪とW杯のどこに違いがあるのか。それは、見る側、すなわち我々国民の期待と注目度の差であろう。それほどオリンピック大会は日本人にとって特別のものであると思うからだ。

一方、葛西紀明の経験は高梨沙羅とは正反対と言っていい。葛西は長野冬季大会において個人ラージヒル及び団体メンバーから外され、屈辱的な敗北感を味わい、その後のソルトレイクシティー、トリノ、バンクーバー、とオリンピック4大会連続出場を続けるも、一度も表彰台を経験することは無かった。それでも彼は挫折することなく、重ねてゆく年齢とは反比例するかのような肉体の鍛錬と練習に明け暮れ、五輪での金メダルを目標に選手生活を続けた。
そして、ソチ。それまでの努力が報われる瞬間を迎える葛西に、気負いも日の丸の重圧さえも感じる心の隙間は無かったのではないか。全てを乗り越えてきた経験が心技体に余裕すら与えたに違いない。

結果でどうのこうのを言うのではなく、高梨も葛西にもコントロール出来ない外圧とも言うべき五輪への日本人の執念は、葛西の比ではない実力者の高梨から表彰台を遠ざけ、皮肉にも驚異的な精神力を屈辱の人生の中で培ってきた41歳のレジェンドにシルバーメダルを授ける力となった。
それほどまでに、オリンピックにおける「日の丸」の重圧は想像を絶するものであることは、経験した者しか味わえない重さであり、1964年の東京オリンピックに由来する、日本人が日の丸を付けて戦うことが許されたあの時の、日本国民の期待が詰まっているのだと感じずには居られない。


(画像:イメージ)

【ニッポン復活!根性論に再び脚光か!?】
中国の上海で行われたフィギュアスケートのグランプリシリーズ第3戦。中国杯最終日の2014年11月8日、男子フリーの6分間直前練習で、日本の羽生結弦選手が後ろ向きの滑走から前を向こうとしく瞬間に、同様の動作をしようとしていた地元中国のイエン・ハン(閻涵)選手と正面から衝突。どちらもスピードに乗って振り返ったタイミングだったため避けようがなく、羽生選手の額が、イエン・ハン選手の顎に激突し、羽生選手ははじきとばされるように顔面からリンクに落ち、顎を強打した。比較的ゆっくりと転倒したイエン・ハン選手はその後すぐに上半身を起こしたが、羽生選手は一度立ち上がろうとしかけるものの、脳震盪を起こしたのか、ひざを折ったまま顔を押さえて氷上にうずくまり、しばらく動かなくなった。


接触事故直後の両選手(共同通信)

羽生選手がフリーに選んだのは「オペラ座の怪人」。開始冒頭に4回転ジャンプが2回、後半にはトリプルアクセルを始めとする3回転ジャンプが繰り返される構成だ。羽生選手は最初の4回転ジャンプを3回転に回避し、2回目の4回転ジャンプで転倒を重ね、計5回のジャンプを転倒。しかし、後半の3連続ジャンプを決め、最後まで滑り切った。得点(ショートとの合計237.55)が発表されると、羽生の瞳からは涙があふれ、会場からは喝采が巻き起こった。

羽生は演技後、あごを7針、右側頭部を3針縫い、帰国後の精密検査で頭部挫創、下顎挫創、腹部挫傷、左大腿挫傷、右足関節捻挫により、全治2~3週間と診断されたと発表。

この事態に対し、医療の専門家(日本脳神経外科学会など)からは、「スポーツによる脳震盪は、意識障害や健忘がなく、頭痛や気分不良などだけのこともあり、そのまま競技・練習を続けると、脳震盪を何度も繰り返し、急激な脳腫脹や急性硬膜下血腫など、致命的な脳損傷を起こすことがある。スポーツによる脳震盪を起こしたら、原則として、ただちに競技・練習への参加を停止し、競技・練習への復帰は、脳震盪の症状が完全に消失してから徐々に行うべき」と忠告する(2013年:スポーツによる脳損傷を予防するための提言)。


様々なスポーツで遭遇するシーンだが(画像:イメージ)

当然、当日の競技を観戦していた国民の多くからは賛否両論の意見が噴出したのであるが、賛辞に絞ってその共通点を明らかにすると、最近のあらゆるジャンルで過去の遺物となっていた「根性論」がその中心をなしている。

  • ◆一国の総理大臣が過去に放った賛辞。「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」。
  • ◆箱根駅伝で毎年繰り広げられるシーン。精魂尽き果てて倒れる選手からタスキを受け取る次の区間のランナーに、「自らの命を懸けて繋いだ伝統のタスキが今繋がりました!」。
  • ◆夏の全国高校野球も準々決勝に掛ると、連投で腕も上がらなくなるエースを讃え、「選手生命を縮めることになっても投げ切る姿に、場内から、相手チームの応援団からも拍手が沸き起こっています!!」。
  • ◆そして、元プロテニスプレーヤーからは、「ぼくは羽生さんのことを誇りに思う。~中略~これを日本の子供たちはどんなふうに感じるか。諦めるなとか、無理だとか、そういう言葉では片付けられない。普通の人ではできない!」と。

これは教育の一環として、子供たちへのメッセージとも受け取れてしまう。「男たるもの、命を懸けてでも頑張る時は頑張らねばならない。」


根性の無い奴には栄冠は無い?(画像:イメージ)

我が国の自殺者は、年間3万人を数える。頑張って、頑張って生きてきて、そして10年で30万人。それなりの都市が一つ消失するに匹敵する事態を美徳とする道徳観に共感は出来ない。


【スポーツ大国は世界を制す】
世界の国々にはスポーツ振興政策という政治手法もしくは行政手法が存在する。その目的は、自国民の健康増進、健全な社会の形成、青少年の育成と国家にとって重要な経済活動の一環も担うものである。
その一方で、経済や国防レベルでの国家間競争を外交の目玉とすることの難易度に比べ、スポーツを全面に用いた国際大会などでの国家威信の顕示は、国民の支持という政治にとっては不可欠の要素を手に入れる手法として、又、スポーツ振興の名の下に、スポーツ振興投票制度(振興くじなど)を採用し易く、資金調達面においても有効な政策であると言える。
それらの政策過程はいずれの国家でも当然に組み込まれており、近代国家形成以後において、米国、ロシア(旧ソビエト連邦)、中国などの大国は国家戦略としてのスポーツ振興政策に注力してきたのである。
1992年ソビエト崩壊後、ロシアは政党結社の自由を認め、法整備を進めるなど民主的な政治体制に移行した。特に、スポーツは国威高揚の重要政策と位置付けられ、国際競技力の維持のためスポーツ法の制定がすばやく着手された。
ロシアは一貫してスポーツの普及と強化を国策とし、世界で初めてスポーツを国家の管理下に置き、国際競技力の強化に励み、優れた競技者を日常の労働から解放し、スポーツの強化に専念できる環境を整えた。全国から英才を集め、訓練し、優秀な競技者とコーチには名誉称号と褒賞金を与え、国民的英雄として生涯を通じて厚く処遇した。

アメリカでは、「スポーツを抜きにして文化は語れない」という言葉通り、アマチュア・スポーツからショーアップされたプロ・スポーツまで、他の国を寄せつけない多様性と規模をもっている。この様子は、全米いたるところで見られる光景であり、この背景には、それを支える膨大なスペース、施設などのハード面とメディアやプログラムなどのソフト面の充実、そして大衆のための娯楽として意義の認識や、スポーツそのものの価値を認める国民性など、あらゆる条件が兼ね備えられていることが挙げられる。それがスポーツ大国アメリカと言われる所以である。

中国のスポーツに関する行政改革は、「改革・開放」を目指す国家行政改革の一環として1978年より活発に行われてきた。スポーツ政策としては、2008年の北京オリンピックの開催を契機に法制度などの整備が進み、後は、一般国民のスポーツ参加、競技スポーツ、学校体育、スポーツ産業、スポーツの国際交流などの多方面で推進が図られ、総合的に展開されている。
現在の体育政策法規は、1995年8月29日に制定された「中華人民共和国体育法」(第8回全国人民代表大会常務委員会第15回会議通過)を基本に、関連する行政法規、中央文書、部門規章(行政命令)、規範性文書及び地方立法によって体系化され、総合的に制度構築と政策実施が図られている。また、生涯スポーツ及び競技スポーツに関係する法規だけでなく、スポーツの経済、人事・資格、教育、宣伝、外交など、我が国に比べても非常に広範囲にスポーツ法の整備が進んでいるといえる。

※笹川スポーツ財団調査研究資料参照

スポーツの名の下に目指すは世界の強国…(画像:イメージ)

これら諸外国の政策を見ても、単なる国民の娯楽的観点から、健康増進政策だけでは語れない、国家としての戦略が伺えるのであるから、たかがスポーツと侮るなかれ。現代における「武力無き戦争」の構図を確立しているのがスポーツなのである。

さあ、貴方は何のためにスポーツを始めますか?