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女不動産屋 柳本美土里

美希のネイルサロンが入っているビルの1階のカフェは、幾重にもカーブしたガラス管がカウンターの向こうに見える水出しコーヒーが売りだ。
美土里は、クラシカルな木目調のテーブルの上にある、コーヒーが残り少なくなったカップに目を落とし、ウインドウの外に目を移した。
朝から嵐のように強い雨と風が吹き、傘の天が裏返ったり、骨が完全に折れたりして歩いている人が、何人も見られる。
「あらら、大変そうね」
テーブルを挟んだ向かいに座る美希が呟いた。

美土里は、柳本不動産の女社長だ。
銀行を退職し、父親の不動産会社を継いだ2代目。
背が高い容姿と、ハッキリと物を言う性格は、相手を圧倒する女性だ。
しかし男っぽい女性ではなく、ファッションにも敏感で、整った顔立ちと、タイトなスーツに包まれたプロポーションは、街行く男性の視線を集めるのだった。
美希は、そんな美土里が通うネイルサロンのネイリスト兼オーナー。
二人は、しばしば飲みに行ったり、遊びに行ったりする仲だ。

美希は、思い出したように突然テーブルの上に置いてあるレシートを裏返した。
「えっ、もう帰るの?」
美土里がびっくりして言葉を出す前に、美希はレシートの金額欄を指差した。
「この店、消費税アップしてないわ。そうよね~」
なんだ、そういうことだったのか、それを確認するためにレシートを見たのか。
4月から消費税がそれまでの5%から8%にアップした。それに伴い多くの店では、消費税アップ分を価格に転嫁していた。
「美土里さんとこは、消費税はどうしているの?不動産なら消費税も大きいでしょ?」
美希はカフェのレシートと美土里の顔を見比べた。
「そりゃ、うちはちゃんと8%で消費税を貰ってるわよ、金額が大きいからこそ、きちんと貰わないと納めるのが大変じゃない」
「そうね、でもうちなんてお客さんからチクチク言われそうだから、まだ5%のままにしているんやけど・・・」
「そうね、消費税が上がって消費者の財布の紐が絞られたら、お店の経営は厳しくなるものね。でも消費税アップ分をお客さんから貰わなかったら、それだけ利益が圧縮になるんだから、店にとっては、それも辛いものがあるわね」
「ほんと厳しいわね。アップ分を値上げすると、他の店にお客さんを取られそうやし・・・」
美希は、コーヒーカップの底を見つめた。
「あら?いつになく弱気だわね」
「えっ、聞き捨てならない言葉やね。もともと私は、気の弱い女性ですから~残念!」
顔を上げた美希は、すでにいつものような恵比寿様の笑顔になっていた。
「なに、そのちょっと前に流行ったギャグみたいなの?」
「まっ、仕方ないか。その分、お客さんが来てくれるように頑張るわ」
「うん、そうそう、頑張れ~」
美土里は、美希のそうした前向きな気持ちが好きなのだ。

「そう言えば、先日来てくれたネイルのお客さんが、今度結婚されるらしいんだけど、なかなか気に入るマンションがなくて、そうこうしているうちに4月になって消費税がアップになったから、購入から賃貸に変えようかと思っているって言ってたけど・・・そういうふうに購入を止めるってお客さんは、美土里さんとこはいないの?」
「へ~、そうなんだ、やっぱりそういう人がいるんだね」
美土里は、独り得心した。
「消費税がアップしたからって、購入する人が損をするって訳じゃないんだけどね」
美土里は細くて長い人差し指を立てた。
「え?それってどういうこと?消費税が上がれば、その分だけ値段が上がるんじゃないの?」
「確かに、消費税のアップ分は売買総額が上がるっていうのはそうなんだけど、不動産価格の内訳として、土地代金、建物代金、消費税の合計額が販売価格となるの。そのうち消費税っていうのは土地には課税されずに、建物だけに課税されるのよ。だから、消費税抜き価格が3000万円の分譲マンションの消費税が5%から8%になったからといって、差額の3%は、90万円になるわけじゃないの」
「例えば3000万円のうち、土地代金が1000万円、建物代金が2000万円だとすれば、消費税は建物代金2000万円の8%となって160万円となるのよ。5%の100万円と比べると60万円はアップすることになるけどね」
「それに、消費税アップ前から分譲しているマンションによっては、アップ分を値引きしているケースもあるから、その場合は消費税アップ前でも後でも、購入値段は変わらないってこと」
「それに、消費税がかかるのは法人だけだから、個人所有の中古マンションなんかは、そもそも消費税がかからないので関係無いのよ」
「へ~、そうなんだ。じゃあ物件によっては、消費税アップしても損をする訳じゃないんやね」
「うん、そうよ。それどころか、場合によっては、消費税アップの後の方が得するっていうケースも結構あるんじゃない?」

「消費税が上がって得する?そんなことってあるの?」
美希は、疑わしそうに首を傾げ美土里を見た。
「本当よ。消費税が8%になった4月1日より、住宅ローン減税が拡張されることになったの」
「住宅ローン減税って、住宅ローンの残高に応じて税金が還ってくるってやつ?」
「よく知っているわね、美希。そう、その住宅ローン減税。3月末までは、ローンの年末残高2000万円までのうちの1%だったんだけど、4月からは4000万円までの1%と拡張されたの」
「つまり、ローンの年末残高が4000万円の場合なら、4月までは2000万円までの1%ということで20万円が税金から還付されるのだけど、4月以降は残高4000万円までの1%の40万円が還ってくるってこと。そして、それが10年続くの。だから、4月までなら最大200万円の減税が、4月以降なら最大400万円まで減税されるから、4月以降の方が200万円も得するってこと」

「へ~、200万円も得するの?だったら、消費税がアップしても、得するやんか」
「そうね、でもそれは物件の値段やローンの年末残高、それとどれくらいの所得税や住民税を支払っているかによるから、得するか損するかは直ぐに判断はできないけどね」
「例えば、住宅ローン減税は、住宅ローンを利用していて、所得税を支払っている人が家を買う場合に適応されるものなの。だから、住宅ローンを利用しないで現金で家を買うような人や、還付される対象の所得税を支払っていない人は使えない減税なんだけど、消費税を支払っていない人が住宅ローンを借りることは、まずできないでしょうから、どっちみち使えないわね」
「住宅ローン減税は、所得税や住民税の減税だから、支払った税金の額以上には還ってはこないのよね。例えば、住宅ローンの年末残高が4000万円あったとして、その1%の40万円が還付されるっていうのが減税額の計算なんだけど、そもそも税金を40万円未満しか支払っていないのだとすれば、その支払った額が限度ってこと。20万円しか税金を支払っていない人は、4000万円の残高があったとしても、20万円までしか還ってこないってこと」
「それと、これは消費税がアップされたことで景気が減速することに対する景気対策だから、4月以降に物件の引渡しを受けた人でも、消費税の経過措置で税額5%となる場合や、もともと消費税のかからない個人が売主の物件では、今回の拡大の措置は受けられなくて、以前の住宅ローン減税の年末残高の200万円までっていうのが適応されるの」
「じゃあ、ひとりひとりのケースで計算してみないと判らないってことやね」
「そうね、これ以外にも、居住用であるということや、適応できる物件の条件、ローン自体の条件などもあるから、それぞれチェックしていかないと、適応できるのか?いくら減税になるのかは判らないのよね」
「じゃあ、もし、こないだのお客さんが相談したいって言ったら、話を聞いてあげてもらえる?」
「ええ、もちろんオッケーよ」
話が一段落して、窓の外が明るくなったことに美土里は気付いた。
「やっと、雨もマシになったみたいね」
「でも、これじゃ開きかけた桜も散っちゃってるんちゃう?」
「そうかもね~、じゃあ明日のお花見延期しよっか?」
「うん、どうせ道もぬかるんでるやろうしね、来週にしよ」
二人は椅子を引いて立ち上がった。

美希から紹介を受けたカップルがやって来たのは、1週間後だった。
「どうぞ、座って」
美土里は、緊張して入口を入ったところに立ち止まっている二人をソファに案内した。
「ちょっと、待ってね。コーヒーと紅茶とどっちがいい?」
「は、はい。僕は紅茶を・・・」「じゃあ、私も」
二人はソファに腰を引っ掛けるように浅く座った。
気持ちを落ち着けるには、ハーブティーね。
美土里は、ラベンダーティーを選び、ポットにお湯を注いだ。
しばらくすると、ラベンダーの香りとともに、美土里がやってきた。
「いい香りでしょう、どうぞ、飲んでちょうだい」
カップを持ち上げると、ラベンダーの香りが鼻をくすぐり、口元に持ってくると、鼻腔を通って肺に充満するのが感じられた。

「お二人は、ご年齢はいくつなの?」
「はい、僕が24歳で彼女が25歳なんです」
少し落ち着いてきたのか、先程までのおどおどとした表情は、すっかり消えていた。
「そう、若いわね~、羨ましいわ。お仕事は?」
「僕は、高校を卒業してから建設会社で仕事をしているんです。彼女は派遣社員としてうちの会社にやってきて、事務をしてもらってます」
「高校を卒業してからというと6年ほど働いているってことね」
働き出して間もない場合は、住宅ローンの審査が厳しいのだが、6年間働いているのなら、まあ大丈夫だろう。
「で、ご結婚はいつ?」
「はい、12月に予定しています」
「そう、で、消費税が上がったからマンションを購入するのを止めたって聞いたけど・・・」
「そうなんです。消費税が上がるまでにと思って探していたんですけど、なかなかいいのが見つけられなくて・・・そうこうしているうちに4月になってしまったんです。で、なんだか消費税アップ分の3%を損するみたいに思えて、だったら購入はしないで、賃貸にしようかと話しているんです」
美土里は目を閉じ、口を一文字にし、顎に手を添えて彼氏の話を聞いていた。
ひと呼吸を置いて、そして目を見開いた。

「賃貸にするか、購入するかは、それぞれの考え方やライフスタイルによると思うけど、消費税が上がったことだけで、購入を断念するのはちょっと早計かもしれないわよ」
「今回、購入を検討していた時には、自己資金はどれくらいを考えていたの?」
「はい、これから結婚式も控えていますし、家具や電化製品も買わないといけません。だから、できるだけ自己資金を出さずに買えないものかと思ってたんです。これも、断念しようかと思った一因なんです」
彼氏は、そう言うなり肩を落とした。
「それなら、住宅ローンが通れば、賃貸よりも購入の方が有利よ」
「え?それってどういうことですか?」
うなだれていた首をもたげて、彼氏は美土里に顔を向けた。
「賃貸の場合はね、敷金や保証金、前払い賃料や、手数料や火災保険料などを、引渡し時までに現金で準備しないといけないの。家賃が7万円くらいの部屋なら少なくても50万円くらいはかかるんじゃない?でも、購入なら物件価格100%まで、それに加えて購入のための諸費用までローンが組めたりするから、実際の手持ち資金が0円でも、購入することができるわけ。もちろん、ローンの審査に合格しないといけないけどね」
「えっ、そうなんですか?購入の方が賃貸よりもお金がかかるって思ってました」
彼女がビックリして声を出した。

「どういったマンションを欲しいって思ってたの?」
「はい、新築マンションは値段が高いから無理だろうって、それで中古マンションでもいいかと話していたんです。子供ができて小学校に入るくらいまでの期間は住みたいので、3LDKくらいの広さは欲しいなって」
「なら、ほとんど消費税は関係ないわね。というのは、中古マンションの所有者はほとんど個人所有だから、消費税なんてかからないのよ。もちろん、購入諸費用には消費税がかかるものもあるけど、消費税アップによる負担増はしれたものね」
「この辺りの中古マンションなら、築10年くらいのもので、2000万円ほどよ。そうなると、100%ローンを組んだとしても、2000万円までの借入だから、住宅ローン控除は2000万円までの1%となるわ、とすると、拡張した4000万円までの1%っていうのは使う必要は無くて前回の2000万円までの分で充分だわ」
「ところで、年収はいくらくらい?」
「400万円弱です」
美土里は、手元のiPadで住宅ローンシュミレーションをした。
「物件価格が2000万円で諸費用が150万円だとすれば、合計で2150万円、それを2.475%の金利で35年返済とすれば・・・」
「はい、出ました。月々7万6573円の返済でボーナス払いは0円、年間返済額が91万8876円になるわ。とすると、返済比率で23%ほどね」
返済比率とは、年収に対するローンの割合のことだ。
融資の審査の際には、年収に応じた返済比率の限度額が銀行により決められており、それを越えて融資をすることはできないのだ。
「これなら、他に借入や問題が無ければ融資も可能でしょう。管理費や修繕積立金がだいたい2万円ほど、固定資産税の分を入れても、月々ざっと10万円ほどの負担ね」

「結論から言うと、あなたの場合は、消費税アップや住宅ローン減税の拡張は、ほとんど関係ないってこと。それで、手持ち金を全く出さなくて、月々10万円程度の負担で2000万円ほどの中古マンションの購入が可能だろうってことよ。賃貸にすると最低でも50万円ほどは準備しないといけないし、どう?」
「どうって言われても・・・」
彼氏は口ごもった。
「まあ、そりゃそうよね。2000万円でどんな物件が買えるかも判らないものね。よかったら、次の週末にでも予算が合う希望エリアの物件をピックアップしておくけど、案内しましょうか?」
「そうですね、お願いします。できるならば賃借するんじゃなくて買えるなら買いたいんです」
「だったら、賃貸という選択は最後にとっておいて、とりあえず希望に合う物件を探しましょう」
大きく頷いたあと、二人は嬉しそうに目を輝かせて目を合わせた。

週末に、二人は再びやってきた。
「いらっしゃい、物件ピックアップしたわよ」
そう言うと、美土里はテーブルの上に、中古マンションの資料を4枚広げた。
「予算とエリアで選んだ中で、より良いと思われるもの4件よ。住宅ローン減税を利用するには、いろいろな条件もあるから、その辺りも少し説明しておくわね」
「まずは、マイホームを持つのは初めてだよね?」
彼氏は不思議そうに頷いた。
「ならオッケー。住宅ローン減税を使える物件というのは、中古マンションの場合は基本的に築後使用されたもので25年以内の物件、それを越えるものは耐震基準が満たされているっていう証明書があれば利用できるんだけど、手間も費用もかかるのよ。今回の場合は2000万円の予算だから、もっと新しい物件が多くあるわ。だからこの点は問題なくクリアするわね」
「次に、床面積は登記簿上の専有面積が50平米以上あること。これも、3LDKタイプなら大抵これ以上はあるわね。そういうことでこれらの物件は、条件をクリアしたものだからね」
「でも、このローン控除の適用を受けるには、まだまだ条件があるのよ」
静かに話を聞いていた二人は目を丸くした。
「まだ、あるんですか?」
「そう、もっぱらローンを借りた自分が住む家っていうことが条件だから、人に貸すことが目的での購入の場合はダメなのよ。だから、買ってから6ヶ月以内に居住して、引き続き年末まで住み続けていないといけないっていう規定があるのよ。いくら結婚が先だからといって、買ってから6ヶ月以上経って住み始めたとしたら、この減税は使えなくなるから気をつけないといけないわね」
「それに、年収が3000万円以下であること。残念ながらこれは問題にならないわね」
彼氏は、苦笑いをした。
「他にも、取得の時に生計を一にしており、その取得後も引き続き生計を一にする親族や特別な関係のある者などからの取得でないことや、贈与による取得でないことなど、いろんな条件があるわ」
二人はため息をついた。
「でも、これらの物件は条件を満たしているし、あなたたちが引渡しを受けてから6ヶ月以内に普通に住んで、住み続ける限り、問題なく住宅ローン減税は受けられるわよ。年収が3000万円を越えない限りはね」
美土里は、舌を出した。

「それでも心配なら、契約前にでも税務署に行って、住宅ローン減税が利用できるかどうかを確認したらいいわ」
「それともう1つ気をつけないといけないことは転勤ね。この減税は、住んでいるっていうことが条件だから、転勤なんかで住まなくなった場合は、適用を受けられる場合と受けられない場合、限定的に受けられる場合があるから、気をつけないといけないわね」
「例えば、単身赴任をして家族が残る場合は適用を受けるんだけど、家族が全員で転勤してしまった場合は、ローン減税の残存期間がある間に、また戻って住み始めたなら、再度受けられるようになるとかね、これも細かい規定があったりするから、転勤になりそうになったら相談に来て、話をするから」
「はい、ありがとうございます。なんだか、減税を受けるのは面倒な条件がいっぱいあるんですね」
「そうね、でも、居住用の不動産を購入して普通に住んでいる場合は、受けられることが大半だろうから、還付してもらえる税金はしっかりと還付してもらわないとね。申告しないで放っておくと、減税が受けられないからね。下手をすると何百万円も損をすることになるわ。税務署から該当する人を探して教えてくれたりなんて絶対にしてくれないんだから」
美土里は、税務署に対してあまりいいイメージは持っていないようだ。

「ところで美土里さん、どうして最初に僕がこれまでマイホームを持っていなかったかどうかを聞かれたんですか?」
「ああ、それ。それはね、住宅ローン減税の適用条件のひとつなの。買った不動産に住み始めた年の前後2年間、つまり5年間のうちに、マイホームを売った場合の3000万円の特別控除制度を使ったことがある場合は、住宅ローン減税は受けられないの、これまでマイホームを持ったことがないなら、この課税の特例を利用したことは無いはずだから、住宅ローン減税の条件の1つはクリアってこと。この課税の特例は売るときのことだから、今度買ったマンションを売ろうかなって思ったときに、また詳しく説明するわね」
美土里は、微笑んでコクリと首を傾げた。
「じゃあ、そろそろ物件のご案内しましょうか?どうぞ、外に停めてある車に乗ってね」
それぞれの親元を巣立ち、新しく家族となって暮らし始める若い二人の部屋探しに関われる喜びと責任を感じて、美土里はボルボのステアリングを握った。(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。