トップページ > 2013年12月号 > 女不動産屋 柳本美土里

女不動産屋 柳本美土里

「それでどうするつもり?」
ネイルサロンのオーナーでネイリストの美希と学生時代からの友人の沙也香は、大量のホイップクリームが乗せられたパンケーキで有名な喫茶店のテーブルを挟んで座っていた。
美希と沙也香は、お嬢様学校と言われている関西の女子大の付属中学校からの同級生で、仲良し5人組のメンバーだ。
二人はエスカレーター式に大学まで進み、卒業後は、それぞれ別の会社に就職した。
その後、美希はネイリストの道へ、沙也香は社内結婚をして専業主婦になった。
「もう、あの人と続けるのは無理やわ。家を出て女と暮らしてるみたいやし、もう帰って来る気もないのちゃう?」
「まあ、あの人が家にいても、喧嘩ばっかりして雰囲気悪いから、子供たちにもかえって良くないと思うし」
沙也香は、小さく溜息をついた。
「そういえば、真由ちゃんは高校受験やもんね。家の中でお父さんとお母さんが喧嘩してたら、受験勉強どころじゃなくなるやんね」
「うん、だから出て行ってくれたのは、かえって良かったと思うわ、静かに勉強できるしね」
「でも、真由ちゃんたち、淋しがってない?」
「ううん、上手くいってた頃から、あの人が家に帰って来るのは夜中やったし、子供たちにとっては、普段、お父さんが家にいないのが当たり前になってたのよ」

沙也香が製薬会社にいた頃、バリバリと仕事をするやり手の営業マンの知彦に惹かれて付き合い始めた。
付き合っている最中でも、仕事を優先してデートの約束がキャンセルになったり、遅れてきたこともしばしばあったのだが、彼の頑張っている姿勢が好きで、咎めたことは一度も無かった。
知彦も、そうした沙也香のことを愛おしいと思っており、交際は順調に進んだ。
沙也香の実家は創業150年の老舗の和菓子屋なので、一人娘の沙也香の結婚には困難が伴うと周りは思っていたのだが、意外にも父親の反対もなく二人は結婚に漕ぎつけたのだった。
結婚後、ほどなくして1女をもうけ、2年遅れて男の子を授かった。
夫の様子が変わってきたのは、その頃からだ。
営業マンの知彦は、接待で遅くなっても必ず家には帰ってきていたのだが、ちょくちょく朝帰りをするようになってきたのだ。
会社の近くのマンションに住んでいた頃には、繁華街にもほど近かったのだが、沙也香の実家の近くに家を建てて移り住んだせいで、会社からも繁華街からも遠くなってしまった。
だから、タクシーで遠い自宅まで帰るより、ビジネスホテルにでも泊まった方がいいと知彦が選択しているのかもしれない、沙也香はそう思っていたし、そう思いたかった。
自分の実家の近くに家を建てたことで夫に負担を掛けている、そういう負い目もあったのか真実を知ることを恐れたのか、沙也香は朝帰りの理由を問うこともしなかった。

ある日のことだ。
知彦と子供たちを送り出した後、朝食の後片付けをしている沙也香の耳に、洗面所の方から携帯電話の振動音が聞こえてきた。
行ってみると、洗面台の棚で知彦の携帯電話が震え、止まった。
一瞬ためらったものの、仕事などの重要な用件だといけないからと自分に言い聞かせ、棚に手を伸ばし、二つ折りの携帯電話を開いたのだ。
メールは、女からだ。
そこには、デートの痕跡、その後の男女の睦を明らかにさせる内容があった。
今から思えば、女の存在を感じさせるものはいくつもあった。
朝帰りしたのにプレスの効いたズボン、時々漂ってくる見知らぬシャンプーの香りなどなど。
それに気付かなかったのは、夫を信じていたからなのか、疑う自分に対する嫌悪からだったのか、よく判らない。
帰宅した知彦に問うと、観念したように全てを白状した。
女は行きつけのスナックの女性だということ、女の家に時々泊まっていたこと、既に2年ほどの付き合いがあることまでも。
子供たちのためや、親や親戚の手前、仮面を被っても結婚生活を続けたいという気持ちはあったものの、元来、潔癖なたちの沙也香には、矛盾する気持ちと自分の性格に両方から引き裂かれるように精神が破れそうになり、体調を崩した。
が、知彦が家に帰ってこなくなってから、それが日常となり、皮肉にも沙也香は体調を取り戻してきた。
沙也香の披露宴に友人として出席した美希は、お似合いの二人の幸せそうな笑顔を今でも覚えている。

「二人の間では話し合いもついて、もう離婚することは決めたんよ、お父さんにも話したしね。お父さんも離婚に賛成してくれて、子供たちを連れて帰ってきたらええって言うてくれてるんやけど・・・」
「そら、ええやん。お母さんも元気やから子供の面倒もみてくれるし、家事も分担できるやろうから、働こう思うたら働くこともできるし、自由に出歩けるやん」
美希は、今にも沙也香と遊びに行く予定を企画しそうな勢いだ。
「美希、何言うてるんよ。実家に戻ったら戻ったで、近所の目とか、何かと煩いんやから」
「そうかな~、いまどき出戻りなんて珍しくもないんやから、気にすることもないと思うけどなあ」
残念そうに美希は舌打ちした。

「私としてはね、今の家で暮らしていたいの。それなりにご近所づきあいもしてきて、ママ友もいるし、第一、真由の受験が真っ最中だしね。実家が近いとは言っても、学校区は変わるから中学校に入ったばかりの下の子の慎吾も転校させるのは可哀想だし・・・」
「問題はね、あの家が知彦の名義だってこと」
「それって、財産分与でもらったらええのちゃうの?」
「そりゃあね、非は向こうにあるんやから、住宅ローンが無かったら財産分与でもらったらええってもんやけど、実はまだかなりの額の住宅ローンが残ってるんよ」
「実は、一緒に生活していた頃から、何かと理由をつけて生活費を減らされたりしてて、ローン支払いまでまわらなかったから、私が結婚前の蓄えから住宅ローンの一部を払っていたんよ。私に隠してる借金もあるみたい」
「そやから、離婚してから後、ずっと知彦が住宅ローンを払い続けてくれる訳ないと思うし、もしローン支払いが止まって競売にでもされたら、家が人手に渡るだけじゃなく私たちも住んでられなくなると思うし・・・」
そう言うと沙也香はブラックコーヒーをひと口啜った。
「そうね、万一そうなったら大変やろね。知り合いの不動産屋さんから聞いたんやけど、住宅ローンの支払いも止まって旦那が行方不明になって、銀行との交渉もできないまま、競売になって家を追い出されたって人もいるみたいだから」
「よかったら、その不動産屋さん紹介しようか?女社長で切れ者よ、きっといい提案してくれると思うけど」

「えっ!ここ?」
ガラス張りのお洒落なオフィスをイメージしていた沙也香は、思わず聞いた。
そこは、古くて小さな不動産屋前。
切れ者の女社長の事務所には到底見えない外観だった。
木製の建付けの悪い引き戸を開け、二人は柳本不動産へ入った。
「いらっしゃい」
美希と沙也香を迎えてくれた女性は、事務所の外観とは違和感がある、くっきりとした顔立ち、背が高く、身体のラインが見て取れるスーツをまとったモデルのような女性だ。
「初めまして、柳本美土里です」
美土里は、細くて白い指で、名刺を差し出した。

沙也香は、離婚をすることになったこと、家は夫名義で住宅ローンがまだまだ残っていること、それでも今の自宅に住み続けたいことを美土里に説明した。
「ええ、大体判ったわ」
美土里は、メモをする手を止めて口を開いた。
「まず、家が旦那さん名義である限り、奥さんとお子さんが住み続けられる保証はないということ。特に、住宅ローンなどの抵当権設定がされている場合は、支払いが滞った場合、沙也香さんが心配するように競売になってしまう可能性があるわね。聞くところによると、旦那さんの経済状況は、あまり良いとは言えないようだし、旦那さんは離婚後の生活費も必要となって、さらに逼迫する可能性も高いから、家の差押、競売になることも充分考えられるわ。それから、たとえ住宅ローンを返済してしまって抵当権などがなくなっても、旦那さんのものである限り、いつ借金して担保物件にされるかもわからないからね」
「競売になると誰が落札するか判らないから、誰かに落札されてしまうと、立退きを迫られるのが一般的でしょう。競売になる前に、任意売却で知人に買ってもらって賃貸物件として賃料を支払って住ませてもらうっていう方法や、買い戻すっていう方法もあるけど・・・上手い具合に、そうした条件で買ってくれる知人を探すことができるかどうかという問題もあるわね」
そう聞くと、沙也香は思い出したように美土里を見た。
「実は、父が買い取ってもいいぞって言ってくれてるんです」
「そう、お父さんがキャッシュを用意できるなら可能だわね。縁故者売却」
「とりあえず自宅のある住所と住宅ローンの残額を教えてくれる?ちょっと調べてみるわ。ちょっとお茶でも飲んで二人で話でもしてて」
美土里は、沙也香の住所を書き留め、パソコンの前に移動した。

30分ほど経った頃、美土里は応接セットのソファに戻ってきた。
「お待たせしました。ちょっと簡単な物件査定をさせてもらったわ。ローンの残額が2500万円ほどだから、オーバーローンになってるわね」
「どういうことかと言うと、査定価格としては物件価格は2000万円ほどなんだけど、ローンが2500万円と、売れる金額よりローン額の方が大きい状態になっているってこと。2000万円で売れたとしても、500万円が返済に不足するために、債務が残ってしまうっていう状態なの」
「沙也香さん家族が住み続けるには、所有権を自分もしくは親族に移し、もちろん抵当権も消すことが必要だわね」
黙って聞いていた美希が口を開いた。
「だったら、沙也香のお父さんに2500万円で買ってもらえば、名義はお父さんのものになるし、抵当権も消すことができるんじゃないの?」
「そう、美希ちゃんの言う通り。でも、相場が2000万円の物件を2500万円で買うのも、お父さんに悪いじゃない?言い方を替えれば、旦那さんの借金2500万円を沙也香さんのお父さんが支払ってやって所有権を取得するみたいな話になっちゃうじゃない。それって、お父さんにとっては心外じゃない?もちろん、沙也香さんのためなら、相場なんて関係ないって言われるかもしれないけどね」
「他の手段としては、沙也香さんのお父さんが住宅ローンの残額2500万円を知彦さんの代わりに弁済し抵当権を抹消させる、知彦さんから分割で返済を受ける、抵当権が外された物件を財産分与で沙也香さん名義にするっていう方法。でも、そうなると知彦さんとお父さんの関係も続いてしまうけど・・・」
沙也香は、黙って首を振った。

「ところで、旦那さんとは自宅の所有権を誰かに移すっていう話はできてるの?」
「いえ、それがまだ・・・家については、旦那がローンを支払っていくっていう話になってるんです」
「だったら、旦那さんと話をしないと、どうしようも無いわね。所有権者は旦那さんなんだから」
沙也香は、困った。
旦那に会いたくないし、話もしたくないというのが偽らざる心境だ。
美土里は、それを察知したのだろう。
「美希ちゃん、旦那さんのこと知っているんでしょう?美希ちゃんから、旦那さんにうちに来てくれるように頼んでみてくれない?その場に沙也香さんがいなくても、私から話すから」
「はい、わかりました」美希は快く承諾した。

やって来たのは、肩幅の広いスポーツマン体型の男性だ。
押しの強そうな顔立ちは、営業としては向いているのだろう。
「初めまして、角野知彦です。この度はいろいろとご面倒掛けているようで、すみません」
自分に非があるのを承知しているのだろう、終始恐縮している様子だ。
「私は不動産屋ですので、今回のことで、あなたのことを非難するつもりもありません。私の友人の友人という関係なので、なんとか力になろうと思っているだけですので」
美土里は、知彦の眼を直視して言った。
「ありがとうございます。私のせいでこうなってしまったからには、私も沙也香と子供たちの幸せを願いたいと思いますし、私にできることなら何でもしたいと思っています」
浮気をして家庭を壊した男の割には、誠実な言葉だ。
確かに、直接的な原因となったのは旦那の浮気だろう。しかし、そこに至るまでの何かが夫婦の間にあったのかもしれない。そして歯車が狂っていって、どんどん修復できなくなっていったのかもしれない。男女の間には、時代劇のように悪者と善者とをはっきり分けることなどできないのだろう。
言葉とは裏腹に、そんな勝手な想像をしてしまった自分を反省し、美土里は言葉を繋いだ。

「沙也香さんは、ご自宅にずっと住み続けたいと希望されています。あなたは、住宅ローンを完済するまで払い続けるって言われているようですけど、それって本当に可能ですか?」
「はい、もちろんそのつもりです」
知彦はきっぱりと言った。
「そうは言われますが、何十年も先のことなんて、誰にも判らないじゃないですか?あなたが払い続けるっていう保証は何もないと思いますけど」
美土里は自分で言っていて、キツイ言葉だなあ~と思った。
「まあそうですけど・・・」知彦は黙ってしまった。
「そこで、私に提案があるんです。あなたにとっても、これから何十年もローンを払い続けるのはしんどい話だと思うんです。幸いにも、沙也香さんのお父さんが買い取ってもいいと言ってくれているようなので、この際売ってしまったらどうでしょうか?そうする方が、あなたにとっても楽になると思いますよ」
「私の計算では、ローン残額2500万円ですが、相場の2000万円で売れば500万円の債務があなたに残ります。でも。2500万円のローンを背負うより、よっぽど負担は軽くなるでしょう?」
「確かに、私はあの家に未練はありませんから、それに越したことはありませんけど、銀行にとっては担保が無くなってしまうのに承諾してくれるのですか?」知彦は、首を傾げた。
「銀行が承諾してくれるかどうかは判りません。これからの交渉です。承諾してくれないなら、それなりの手段に出ることもあるでしょう。その前提として、あなたの売却意思と、その協力をお願いしたいのです。沙也香さんの望みをかなえるためにも」
美土里は、言葉に力を込めた。
「はい、わかりました。わたしにとっても悪い話じゃないですし、ご協力させていただきます、どうぞよろしくお願いします」
知彦は、テーブルに両手をついた。

銀行との交渉は難航した。
「ローンの支払いもきちんとしていただいていますし、任意売却なんて応じられません。残債よりも低い金額で抵当権抹消はできませんから・・・抵当権抹消を望まれるなら、残債を完済してください。そうしたら抵当権の抹消をさせていただきますから」
木で鼻をくくったような対応だ。
こうなると、任意売却にもっていくためには、支払いをストップさせて滞納を発生させるしかない。
でも、そうなると債務者である知彦さんの信用情報に傷がつき、今後一定期間はローンを組むこともクレジットカードを作ることもできなくなるだろう。
知彦は協力すると言ってくれているが、そうしたペナルティまで許容するのだろうか?
沙也香は、それを望んでいるのだろうか?

「沙也香さん、一度、お父さんも交えてお話させていただきたいのですけど。いくつかご提案させていただきますから、ご相談いただいて判断いただきたいのです」
美土里は、沙也香とその父が待つ実家に向かった。
有名な和菓子屋で、全国さまざまな百貨店にも出店している発祥の本店だ。
間口の大きな店の並びに、塗りの塀に囲まれた和風建築の家。
小屋根のついた門を入ると、日本庭園の間を道は家屋の玄関に繋がっていた。
屏風絵の衝立が立つ玄関から沙也香に導かれ奥に通された座敷で、床の間を背に沙也香の父は座っていた。
和服をきちんと着た姿からは、老舗の風格が感じられる。
「この度は、娘のことで、大変ご迷惑をお掛けしております」
父は、膝に両手を置き頭を傾げた。
「いえいえ、ご迷惑だなんて、ご協力ができればと思っているだけですから」
父は、静かに頷いた。
「沙也香の家についてのご提案をいただけるそうですが、お聞かせ願えますか?」
「承知しました、それではご提案させていただきます」

沙也香が、今の家に住み続けられるようにするには?という条件を前提とした提案を、美土里は3つした。
1つ目は、知彦から父が買い取り、残債務2500万円を、知彦に代わって銀行に代位弁済する。
そうすると、相場の不動産価値2000万円を越える負担となるので、オーバーした500万円を知彦から返済を受ける。
この場合は、知彦からの返済が完了するまで、債権者、債務者の立場で関係が続く。
2つ目は、知彦のローン返済をストップさせて滞納させ、任意売却にして父が買主となる。
この場合、知彦の信用情報に傷がつくのと、銀行がいくらの売買価格で抵当権抹消を承諾するのかが不明だということ。
ただ、相場が2000万円ほどなので、銀行はその金額であれば応じる可能性は高いとは思われるとの意見もつけた。
3つ目は、父に所有権移転を行い、2000万円で抵当権抹消請求を銀行にするという方法。
銀行は、請求に応じて提示された2000万円で抵当権抹消をするのか、競売を申し立てるのかの判断を迫られる。
この場合、すんなりと銀行が抵当権抹消請求に応じてくれればいいけれども、これを認めるとオーバーローンの債務者からの請求が押し寄せる懸念があるため、実際は落札金額が不明だとしても、競売を選択することが多いということ、競売になると入札に参加はできるが落札できるかどうかは不明。
それに競売になると、この家が競売に掛かっているということが公になってしまう。

美土里は、これらの提案を行い、選んで欲しい旨を告げた。

沙也香の父は、話を聞き終わると、美土里に向かって深々と一礼し頭を上げた。
「柳本さん、ありがとうございます。私は確実に娘の希望をかなえる方法を選びたいのです。3つ目のご提案では、それは適わない可能性も高いし競売の事実を公にするのもよろしくない。2つ目のご提案は、知彦君の経済的信用を傷つけることになってしまう。確かに、娘と知彦君は離婚することになったが、縁があって結ばれ、絆が薄れて別れるというだけのもの。離婚の原因も沙也香から聞いているが、果たして知彦君だけを責めることが正しいのか?娘や孫を可愛く思うあまり、私が知彦君にいらぬプレッシャーを与えていたことも原因の1つかもしれません。必要もないのに彼の経済的信用に傷つけることまでする必要はないと考えます。私に500万円を知彦君が支払うかどうかは私にとってはどうでもいいことです。知彦君自身のプライドで行ってくれたらいい。したがって、私は1つ目のご提案を受けさせていただきたい」
父は、きっぱりと言い切った。

沙也香の父の優しさと器の大きさに触れ、美土里は感銘した。
「承知しました。お父様のご意思にしたがって手続きを進めさせていただきます」
美土里は、畳に手をつき恭しく頭を下げた。(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。