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女不動産屋 柳本美土里

ルーフバルコニーへ続く開け放たれた掃きだし窓から、秋の乾いた風が部屋に吹き込んできた。
「やっと秋らしくなったわね。いつまで暑さが続くのかと思っていたけど・・・」
美土里は呟き、夏の頃に比べ柔らかくなった青色の空に、ぽっかりと浮かんだ雲を見た。

美土里は、誰もいないマンションの1室にいた。
マンションは海まで歩いて15分ほどの場所に建つ、13階建ての分譲マンションだ。
今年、マンション全体の大規模修繕が行われ、真っ白だった外壁が薄いブルーに塗り替えられており、高さ制限のために、8階より上の階は階段状になっており、あたかも瀬戸内海に舳先を向けた客船のようだ。
その南側の端部屋にはテラスバーベキューでもできそうなルーフバルコニーが備え付けられ、美土里がいる9階部分からは、瀬戸内海を挟んだ淡路島の稜線がくっきりと見えていた。
部屋は4LDK。玄関や廊下部分にゆったりとスペースをとった間取で、室内の面積は108平米の広いタイプだ。

美土里は、この部屋でオープンハウスを行っている。
オープンハウスとは、内覧を希望する人に気兼ねなく見てもらうために、日時を設定し、一定時間だけ部屋を開放する営業方法である。
不動産会社へ連絡をして鍵を開けてもらったり、まだ入居中であったりすると入居者立会いのもとに内覧することに比べ、オープンハウスでの内覧は、購入を検討している人にとっては心理的負担が少ない。
不動産会社に部屋の内覧希望を告げると、まだ具体的に購入を考えていない段階から、こちらのことを根掘り葉掘り聞かれるし、その上、入居者がいたりしようものなら、スペースの広さを確認したいと思っても、収納部分のドアを開けるのも遠慮がちになってしまう。
その点、オープンハウスならば、じっくりと部屋をチェックすることができるし、キッチン周りの収納も見放題だ。

本日の来場者は今のところ3人。いずれもこのマンションの住人だ。
総戸数150室の部屋のほとんどは、60平米から70平米の広さの3LDKタイプのため、僅かしかない4LDK100平米を越える広い部屋の買い替えを希望しているのだろうか?
それとも、東南西と3方向にバルコニーがあり、海の見える南側には広いルーフバルコニー、玄関には戸建感覚のポーチがあり、同じフロアの中では、間違いなく一番いいと言える部屋への憧れがあるのかもしれない。

そんな希少性があり、誰もが欲しくなりそうな部屋だというのに、1年近く売れ残っている。
そして売れ残るには、それなりの理由もある。
自殺のあった部屋!
そう思う人がいるかもしれないけれど、現実には、そんなショッキングな理由は、そう多くない。
一言で言うと、売り出している値段が高いのだ。
美土里は思う、売れない不動産は無いと。
不動産には、それぞれの価値があり、その価値を見出すことができる人に、それに見合う価格で売ることができるのだと。
逆に言えば、価値に見合う価格でない限り売れないのだ。
けれども、この「価値」というものは厄介だ。
不動産は世界で唯一無二のものである。
同じ場所に建つ同じ種類の同じ間取の不動産は存在しないのだ。
特定の不動産について、他に代えられないほどの価値を感じる人がいると思えば、同じ物件に対して全く価値を見出さない人がいる。
購入を検討する場合、他と比較する物件が多いほど、他に比べての優位性を見出さないと、その物件は選んでもらえないのだ。

例えばこの部屋。
駅から徒歩3分の立地にあり、部屋は3方角部屋で南面にはルーフバルコニー、海が見える100平米越えの4LDK。
平成2年築なので、建築後23年が経過している。
同じマンション内の3LDK75平米の部屋の売買相場は、750万円ほどだ。
いくらいい部屋だからといっても、2000万円はどうみても高すぎる。
3LDKタイプの部屋を2部屋買って、高級セダンの新車を買えるほどの値段だ。
新車も、2つの部屋もいらないという人でも、このエリアなら、敷地面積40坪以上、駐車場スペースが2台分付いた木造2階建て4LDKの新築一戸建てを買うこともできる値段なのだ。
どうしてもこのマンションの、この部屋が欲しいと思っている人で、この値段でも買う必要や動機がある人でないと売却は難しいと思う。

この部屋の売出し価格が高いことは、美土里は誰よりも承知している。
それでも、頑張って売却活動をすることが何より大切なのだ。
そして、奇跡かもしれないけれど、この部屋にこの値段の価値を見出せる1人の人を探し出すことができれば、それに越したことはないのだが・・・

売主は、大阪船場の衣料品問屋の社長である大西和雄。
もともと、この地に実家があった彼は、会社をリタイアした後は、この部屋で老後を暮らそうと思い、買っていたのだが・・・
大阪市内の高級住宅地のひとつと言われる帝塚山に家を建て、子供を育て暮らすうちに、そちらでの暮らしの方がはるかに永く、心の置ける地となってしまっていた。
「もう、あの部屋に住むことはないな」
いつかはここで、と気に入って新築分譲時に買ったのだが、もう手放してもいいだろう。
売却したお金を、ブティックを経営する娘の役に立ててやりたいとの気持ちも後押しとなった。
でも、果たして今では、あの部屋はいくらで売れるのだろうか?
知人を通じて、柳本不動産へ査定の依頼をした。
「そうですか?そんな値段に・・・」
言葉が続かなかった。
確かにバブル崩壊以降、日本の景気が落ち込んでいることは、仕事柄にも身に染みて理解している。
バブルの中心だった不動産価格も、落ち込んでいることは承知していた。
柳本不動産の女性社長である美土里は、同じマンション内の別の部屋の売買事例を元に、自分の部屋と比較してのプラスマイナスの理由、周辺の需要動向など、いちいち納得できる説明を丁寧にしてくれた。
美土里が弾いた査定額は、頭では理解できる数字だが、どうしても心が納得してくれない。
その矛盾が、しかめっ面に出ていたのかもしれない。

「じゃあ、とりあえず高めから売り出しましょう。この部屋を非常に気に入られた方が現われたら、相場より高くても売れる可能性はあるでしょうから」
たぶん、相場から考えて、自分が思い描く価格では、売却は無理であろうことを、美土里は判っているのだろう。
自分の心が理解できる値段で売出し、それでは売れないという現実を突きつけられることで、心の理解を頭の理解に近づけることができそうな気がする。
いや、そうしないと、心はいつまでも理解できないような気がしていた。
寄り添ってくれる美土里の言葉が嬉しかった。
心のソフトランディングに、美土里はひと役買ってくれるつもりなのだろう。

「こんにちわ!ちょっと見せてもらってもいいですか?」
玄関ポーチの中、開け放たれたドアから上半身を玄関に入れた女性の声がした。
「はい、いらっしゃいませ。どうぞ、ご自由にご覧下さい」
美土里は、玄関近くまで進み、中へと促した。
「子供もいるんですけど、大丈夫ですか?」
「ええ、もちろん。どうぞ」
女性の斜め後ろには、幼児を抱いた夫と思われる男性がおり、2人を掻き分けて3人の子供が部屋に飛び込んできた。
「ちょっと、あなたたち、おとなしくしなさい!」
母親の注意なんて耳に入っていないようで、幼稚園から小学校低学年くらいの2人の男の子と1人の女の子は、追いかけっこをするように、部屋をグルグルと走り回っていた。
床は防音フローリングにリフォームしているけど、下の階への音は大丈夫だろうか?
「お元気ですね」
美土里の言葉に、母親は恐縮して「すみません」と小さく頭を下げた。
いえいえ、非難するつもりで言ったんじゃないんですが・・・

「今、4人子供がいるんです。そして5人目がここに」
男性に抱かれた幼児のふくよかな腕を柔らかく握り、握った手を自分のお腹に持っていった。玄関では気が付かなかったのだが、母親のお腹は膨らんでいた。
「そうですか。それは、おめでとうございます」
「ありがとうございます。でも、今の家が狭くて・・・この部屋広いでしょう。それで、いいな~と思って」
年齢は20代後半くらいだろうか。ショートカットの髪型が陽気そうな顔立ちに似合っている。ハキハキとした物言いは、まさしく毎日が戦争のような4人、いや5人の子供のお母さんだ。
「今のお住まいは、賃貸ですか?」
「はい、そうなんです。知っておられるかもしれませんが、2丁目のオレンジ団地なんです」
オレンジ団地は、昭和50年代に建てられた5階建ての団地だ。
エレベーターがなく、階段を上ったフロアの両隣に各部屋があるタイプだ。
「ということは3DKのタイプですね。何階にお住まいなんですか?」
「3階なんです」
「じゃあ、上り下りも大変でしょう?」美土里は、母親のお腹に視線をやった。
「そうなんです、それもあって・・・」
住み替えをしたいのだろう。

「この部屋が売り出されているのは、前から知っていたんです。でも、ちょっと値段が高いかな~って思って敬遠してたんです」
なかなか、はっきりと言う女性だ。
その点は、美土里も負けていない。
「そうですね、私も相場からすれば高いと思います。でも、この広さで3方角部屋のお部屋は、この辺りのどのマンションを探しても、滅多に無い希少なお部屋ですから、相場は関係ないと購入される方もいるかもしれません」
1年も前から売れ残っている現実を考えると、美土里自身、その言葉はむなしく聞こえ、言い直した。
「でも、未だに売れないっていうことは、やっぱり高いってことなんでしょうね。それと、水周りは古いままなので、見られた方はイメージダウンになっているのでしょうね。分譲時のままの水周りは取り替えるとして、その分の値段交渉をされたらいいと思いますよ。壁のクロスや床はリフォームしていますから、キッチンやお風呂とかを取り替えたら見違える部屋になるでしょう」
母親の目には、真新しいキッチンが取り付けられた状態が浮かんでいた。
「ここなら、小学校も転校しなくていいんですよ」
母親は決めたようだ、買おうと。
そして、隣にいた夫に承諾を求めるため、下から彼の目を覗いた。
「いい?」「うん、でも・・・」「どうかな~」
視線を美土里に移した母親は、いくぶん不安げな表情に変わっていた。
「あの~、欲しいんですけど、ローンは大丈夫でしょうか?」

お客さんが住宅ローンを借りられるかどうかは、不動産業者にとって大きな問題だ。
家を買いたいと思っても、住宅ローンが通らなければ購入はできない。
ローンを利用せずに、全額現金を用意できる人は例外だが、そういう人は稀だ。
ほとんどの人は、住宅ローンを頼りに家を購入するのだ。
これまで、どれほどの人が購入意欲は高いのに、住宅ローンが借りられずに家の購入を断念したことか。
こんな小さな柳本不動産でさえ、年に数件はそうしたお客さんと出会う。
それらのお客さんの全てが住宅ローンを借りられたとしたら、取引が10%以上は増えるだろう。日本全国なら、膨大な経済効果があるだろうと思う。
そういえば、住宅購入者を増やすため、安倍政権では、「住宅購入者には現金30万円をあげよう」なんて、どこかのディーラーの新車販売キャンペーンみたいな経済対策を考えているというニュースをやっていた。
そんなことをするくらいなら、その分の予算を住宅ローンの保証会社にぶち込んで、焦げ付きリスクを大きく設定する代わりに審査基準を緩める方が、よっぽど住宅購入者は増えるんじゃないの?と美土里は思うのだが。

「ご年収はおいくらくらいですか?」「会社の勤続年数は?」「現在、何か他に借入はありますか?」
西田誠一、28歳、年収約300万円、大手鉄鋼メーカーの子会社に4年間勤めている。
他に借入も無いということだ。
奥さんの名前は和歌、旦那さんよりも3歳年上の31歳。
印刷会社に勤務していたが、2ヶ月前から産休に入っているようだ。
美土里は携帯タブレットに組み込んだローン計算ソフトに数字を入力し、借入可能額を算出した。必要資金の2000万円は、借入可能なようだ。
「とりあえず、住宅ローンの事前審査をしてみましょう。必要事項を記入いただいて銀行に簡易審査してもらい、審査結果で融資可能と出れば、契約に向けて進ませていただきたいのですが。」
美土里は、準備していた事前審査の書類をファイルから引っ張り出し記入を促した。

そんな話に気を取られているうちに、部屋を走り回っていた子供たちは、部屋内だけでは飽き足らず、ルーフバルコニーへも、その範囲を広げていた。それも、裸足で。
ああ、リビングのフローリングに無数の白い小さな足跡が付いている!
「あんたら、ええ加減にしいよ!」
和歌の叱る声の効果は、子供たちにはあまりなかったようで、彼らの暴走が止まることは最後まで無かった。
はあ、仕事増やしてくれるわね~、これだから子供は嫌いだ。

住宅ローンの事前審査の結果は比較的早く出る。
審査申込の翌日に銀行から回答があった。
「残念ながら今回はご希望に添えられませんでした」
え?なんで?申込内容から問題なかったじゃない。
「それって、過去に事故があったってことですか?」
「そのようですね」担当者がすまなそうに答えた。
ローン審査で過去の事故というと、クレジットカードの支払いが滞ったことがあったり、支払わないままになっている借入があるということだ。
「そんな話、聞いてないよ~」
どこかのお笑い芸人のような言葉が出そうになった。
過去に事故があるなら、しょうがない。どこの金融機関に出しても無理だろう。
美土里は和歌宛に連絡をとった。
「せっかく事前審査の申込をいただいたのですけど、残念ながら結果はダメでした。個人情報の記入された審査用紙を返却させていただきたいのですが」
「そうですか、やっぱり」
「え?やっぱりって?」
ダメだっていう結果が予想されてたってこと?
心当たりがあるのなら、先に言っておいてくれたら良かったのに・・・

「相談したいことがあるので、事務所にお伺いしてもいいですか?」
「ええ、どうぞお越し下さい。お子様もご一緒ですか?」
「いえいえ、子供は実家にみてもらって行きますから」
(ご安心を)という言葉が続きそうだった。

初めて訪れる柳本不動産の事務所の木製の玄関引き戸を開けるのは、誰にとっても難しいようだ。
西田和歌は大きなお腹をかかえ、ドアの桟の部分に手をかけ、唸りながら横に引っ張った。
少しの隙間が開いたかと思っても、手を離すと、すぐに元に戻ってしまう。
美土里は、玄関まで小走りに行き引き戸に内側から手を掛けた。
ガタッと大きな音がひとつしたかと思うと、マジックでもかけたように、スルスルと引き戸が開いた。
「すみません、古いドアなもので。さあ、どうぞお入りください」
美土里は和歌の手を取り、招き入れた。
俊敏に動けない身体をソファに沈めると、和歌は小さなため息をついて話し出した。
「ローン審査が通らないかもとは、思っていたんです」
美土里は黙って続く言葉を待った。
「1年ほど前にクレジットカードの申込をしたのですが、それもダメだったんです。だから・・・」
「過去に、カードの支払いを滞納されたりしてたんですか?」
和歌は、少し首を傾げて口を開いた。
「主人は奨学金を借りて大学に通っていたんです」
「主人が高校時代に、機械部品の制作工場をしていた父親の会社が倒産し、大学への進学が経済的に難しい状態になりました。頑張って受験勉強をしていた主人は大学を諦めることができず、奨学金を借りて大学に通うことを決めたんです」
「そのお蔭で大学に進むことができ、無事に卒業を果たすことができたのですが・・・世間は不況で新卒採用を控える企業が多かったりしたこともあり、希望する企業への就職はかなわず、結局、学生時代にアルバイトをしていた飲食業の会社へ就職することになったんです。会社が倒産してからというもの父親は病気がちになり、あいかわらず実家の経済状況は好転しません。主人は、就職浪人なんてできるような恵まれた境遇ではありませんでした。その上、借りた奨学金の返済も始まっていましたし」
そこまで言うと、和歌は出されたお茶に口をつけ、苦い顔をした。

「それからは、希望の業界ではなかったものの、主人は飲食業界で頑張っていたようです。が、よくよくついてないのでしょうか?主人の就職した会社が2年で倒産してしまったんです。それからというもの、コンビニで働いたり警備員のアルバイトをしたりしながら、なんとか食いつないでいたのですが、父親が入院しないといけなくなった頃、どうしても奨学金の返済ができなくなって、何ヶ月か滞納してしまったそうです」
奨学金の返済を滞納したのが、信用情報に載ってしまい、ローンの借入審査に落ちたのだ。
和歌が西田と知り合ったのは、その頃だ。
和歌が離婚後に、子供を3人抱え印刷会社にパートに行っていた時、会社の前の道路工事の警備員をしていたのが、西田だったそうだ。
和歌の父親のツテで、西田は倉庫会社に就職した。
そして西田と再婚した後、和歌には西田との子供が1人でき、そしてお腹に二人目がいる。

「これって、どうしようもないのですか?いつまで経っても家は買えないのですか?」
和歌は、訴えるように美土里を見つめた。
「そうね、ご主人が借入をしようと思うと、信用情報から滞納の履歴が消えないと無理でしょうね。滞納していたっていうのは、どれくらい前?」
「4年弱くらい前です」
「そう、事故歴の情報は5年程度信用情報機関に登録されるようですね。だから、あと1年あまりして、ご主人の信用情報の開示請求をすれば、消えているかどうか判ると思います」
「それまでに住宅ローンを借りたいのなら、ご主人の名前で借りないで、奥さんとか親御さんとかが借入者本人になれれば、借りられる可能性もあると思いますよ」
「奥さん、今は産休されていますけど、去年の年収はきちんと出るのでしょう?年収が借入に不足するのなら、同居される親御さんとかがおられたら、その方の収入の一部も合算して計算することもできるでしょうし・・・」
「そうなんだ、そういう方法もあるんですね」
ウンウン、和歌は美土里の話から希望を拾うように、幾度も首を振り頷いた。
「ご家族で、よく話をされたらいいんじゃないでしょうか?信用情報の開示の手続きにしても、借入者を代えての審査でも、お手伝いさせてもらいますから、方向が決まれば、また連絡くださいね」
「はい、解りました。今週末に家族でいろいろ話をして、またご連絡させてもらいます」
和歌の顔は、打って変わって晴れやかだった。
話をしているなかに、彼女に自然と備わっている素直さとひたむきさを、美土里は感じていた。
きっと彼女なら、自分たちの将来設計をしっかりと立てられるだろう。
どういう方向になるにせよ、自分が彼女たち家族の役に立てることができるのなら、頑張って応援してあげよう。和歌の帰っていくゆっくりとした足取りの背中に、美土里は思った。(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。