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女不動産屋 柳本美土里

「美土里さん、お礼が遅くなってすみません」
ネイルアーティストの美希はそう言うと、江戸切子の草の葉にカットが施されたクリスタルグラスを美土里と合わせた。
以前、美希の母親が賃貸住宅を借りる際に、危うく悪徳業者に騙され、過分の費用を支払わされそうになったのを、美土里の機転で仲介業者を柳本不動産に変更し、助けたことがあった。
そのお礼に、美希が美土里にご馳走することを約束していたのだ。

「ううん、こっちの方こそ、何度も誘ってくれたのに予定が入っていたりして、断り続けてごめんね。でも、こんな素敵なところに来られたんだから、延ばした甲斐があったのかも?」
「そう言ってもらえると嬉しいです。この貴船の川床(かわゆか)は、床が川に近いっていうのが特徴だそうです」
「そうね、自然の風が川面に流れて周りの木々の葉を揺らす、山の中だから下の街よりも気温が低いのでしょうけど、見た目にも涼しげだわね。でも美希ちゃん、気になったから指摘するけど、貴船は川床(かわゆか)じゃなくて、川床(かわどこ)って言うんだよ」
「川床(かわゆか)は、京都の町中に流れる鴨川の高床(たかゆか)のことを(ゆか)とか、(かわゆか)と言うの。貴船や高雄は、京都の奥座敷っていう意味で床の間(とこのま)の床(とこ)で、川床(かわどこ)って言うようになったそうよ」
「へ~、そうなんですか?どっちでもいいのかなって思ってました」
美希は舌を出した。
「そんな美希ちゃんの適当なとこも好きだけど・・・」
美土里は微笑みながらグラスの冷酒を空けた。

ほどなくグラスと同じデザインのクリスタルガラスの徳利も空になった。
「お飲み物のお代わりは、よろしおすか?」
タイミングよく、店の仲居さんがやってきた。
美土里は鮎の塩焼きと格闘していた箸を止めた。
「このお酒、美味しいですね。もうひとつお願いします」
「へえ、このお酒は伏見の吟醸酒どす。飲み口がすっきりとしてるのが特徴で人気がありますんや」
「ほんと、とっても飲みやすいわね、いくらでも飲めちゃうわ」
空になった徳利を振って、美土里はおどけた。

「ふふっ」
美土里と仲居さんのやりとりを聞いていた隣のテーブルのカップルの女性が、思わず笑い声を洩らした。
笑い声の方を見た美土里は、カップルの女性と目が合った。
小さな顔に切れ長の目が特徴的で、陶器の人形のような肌の女性がそこにいた。
顔の小ささや上半身の華奢な作りから、座っていても小柄だということが判る。

美土里は、平均的な女性に比べて背が高く大柄だが、決して太っている訳ではない。
欧米人のようなスタイルの良さを持っている。
目鼻立ちのハッキリとした顔立ちも相まって、そうした容姿の美土里は、それだけで目立つ存在だった。
でも幼い頃には、そうした自分の容姿にコンプレックスを感じた。
もっと背が低く可愛いタイプの女の子だったら良かったのに・・・そう思うことも無かった訳ではない。
大人になってからは、そうした気持ちは霧消してしまい、遠の昔に忘れてしまっていたが。
そのカップルの女性は、美土里にかつて自分が持っていたコンプレックスを思い出させるほどの、まさに小さく可愛いタイプの女性だ。
女性が女性に見とれる。
そんなこともあるのだなあと思っているところに、違う方向から声が飛んできた。

「美土里さんじゃないですか?ご無沙汰しています」
そう言葉が発せられたのは、小さくて可愛い女性の向かいに座るカップルの男性の方だった。
「あら、たしか岩崎司法書士事務所の・・・」
「ええ、岩崎事務所の大山です」
「そうそう、大山さん。こんなところでお会いするなんて奇遇ですね~」
司法書士は、不動産登記の手続きを行う資格だ。
岩崎事務所は、美土里の父の代から時々お世話になっている司法書士事務所だ。
元々は岩崎司法書士だけでやっていた事務所だったが、業務が忙しくなり、現在では3人の司法書士を擁する事務所になっていた。
大山は、その岩崎事務所の司法書士のひとりで、美土里の仲介した不動産取引で何度かお世話になっている。
美土里とは同じ並びに座っていたからか、お互いに気付かなかったようだ。

「それにしても、こんな可愛い彼女がいてるなんて知らんかったわ。大山さんも、なかなか隅に置けないわね」
美土里のカマをかけた言葉に抗することもなく、大山は恥ずかしそうな、それでも嬉しそうな顔をした。
「ありがとうございます。学生時代の友人の妹で恵って言うんです。実は今年の10月に結婚することになりまして・・・」
「そうなんですか。それは、おめでとうざいます」
美土里は、心から祝福した。
年齢のせいか、最近では弔事ばかり多くて慶事はめっきり少なくなった。
そんな中に、久しぶりのめでたい話だ。
初々しい大山の喜んでいる顔を見ると、こちらまで温かい気持ちになってくるようだ。
目の前の美希も、嬉しそうにキラキラと目を輝かせていた。
ただ彼女の場合は、結婚への憧れが前面に出たようだったが。

「二人で住むところも探さなくちゃいけないんです。賃貸にするか買うかは、まだ決めてないんですけど・・・その節は、よろしくお願いします」
大山の言葉に、美土里は笑顔で応えた。
鮎の串焼きに、山菜の天ぷら、鱧の湯引きなどを肴に、京都の風情とお酒を4人は存分に楽しんだ。

貴船の川床から2週間ほど経った頃、司法書士の大山は柳本不動産にやってきた。
「美土里さん、先日のお話なんですが、いろいろ相談した結果、家を買おうということになったんです。年齢が高くなると住宅ローンも組みにくくなるし、今ならローン金利も低い水準ですからね。消費税が上がるって話も現実化してきたので、今のうちに買ったほうがいいかも?って結論になったんです」
「そう。で、うちで物件探しをさせて貰ってもいいの?司法書士の先生なら、不動産会社に多くの知り合いがいるでしょうに。この前貴船で会って、その場の勢いで柳本不動産に依頼するって言ったのだったら気にしなくていいのよ」
美土里は、大山の立場を慮った。

「いえ、結婚する話はプライベートなことですから、特に公にはしていないんです。あの時、お話をさせていただいて、恵もとても美土里さんのことが気に入ったようで・・・貴船でお会いしたのも何かの縁かも?って言うものですから」
「あの可愛いお嬢さんね、それは光栄だわ。じゃあ、頑張っていい物件を紹介するわね。で、希望条件は?」
美土里は、顧客カードを机の引き出しから引っ張りだし、テーブルに置いた。
「一戸建てにしたいんです。不動産価格もかなり下がりましたから、僕でも一戸建てが買えるように思えるんですが、どうでしょう?」
「そうね、一戸建てって言っても、いろいろあるから・・・土地建物の広さや築年数、それにエリアによっても大きく変わるわね。その辺の希望条件ってある?」
「べつに新築じゃなくていいんです。新築に比べて程度のいい中古の方が不動産価値としても、値段に見合ったものがあるように思うんです。二人とも車で動くことが多いので、駅から少々遠くてもいいですけど、できれば駐車スペースが2台ある方が望ましいんですが・・・」
美土里は、ひとしきり大山の希望条件を聞き、ペンを走らせた。

「さすが司法書士さんだけあって、的を射てるわね。新築か中古かってことで言うと、言われているように値段に見合った不動産価値という点では、中古の方に軍配が上がるケースは確かに多いように私も思うわ。でも、新築の場合は、どこをとっても未だ誰も使っていなくて新しいという点が新築の価値でもあるわけだし、設備も最新のものが入っているわよ。それに今は、住宅瑕疵担保履行法によって、新築住宅の売主が事業者の場合、建物の主要構造部については、10年間の保証が約束されているの。個人が売主の中古住宅の場合は、そうした規制が無いから、通常は引渡しを受けてから数ヶ月で建物に問題が起こった場合でも、自分で修繕しないといけないことになるのよ。これは、新築が優位な点でしょうね」

「じゃあ、中古住宅でも売主さんに10年間の責任を持ってもらうように売買契約をすればいいんじゃないですか?契約自由の原則があるわけですから、そういう契約も可能じゃないんですか?」
「たしかに、そうした契約をすることも可能でしょうね。でもそれは、そうした契約もできるってことだけで、実行力が伴わないでしょう?絵に描いた餅に過ぎないわ。もし、売主が物件を引き渡してから住所を転々としていたり、見つけても修理をさせるだけの資力がなかったとしたら、どうするの?現実問題として売主に責任をとってもらうことができなくなるわ」
大山は、黙ってしまった。
中古の一戸建てを買うことに大きな不安を持ってしまったようだ。
美土里は、ちょっと言いすぎたようで気が咎めた。

「でも、そう心配することはないかも?今は中古物件でも既存住宅瑕疵担保保険っていうのがあるから、それを利用するといいわ。検査料や保険料がいるし、実際に補修する場合には免責金額として一定額の負担もあるけど、中古住宅でも主要構造部等については5年間の保証をしてもらえるから、一定限度の安心にはなるわね」
「この保険の仕組みとしてはこう。まず、住宅の検査を検査事業者に依頼するの。そして検査事業者が合格と判定し依頼人に保証書を発行する。この検査事業者が保険に加入することで、期間内に主要構造部等に問題があった場合は、保険が下りて補修ができるってこと」
さっきまで不安げだった大山は、少し光が差し込んだように表情が明るくなってきた。

「それって、いくらくらいの費用がかかるんですか?」
「そうね、大きさによって違ってくるみたいよ。いくつか保証会社があるから内容も合わせて比べてみるといいと思うけど、7万円前後から12万円くらいでできるみたいね」
大山は、安心の程度がかなり高まったようだ。
「それなら、購入諸費用のひとつとして考えられるレベルですね」

「ただ、保険に入れるのは、検査をして合格した建物だけになるの。検査をしたけど合格しなかったら、問題のある部分の補修をしてからでないと保険に加入できないし、その場合の検査費用や修理費用は誰が持つかという問題も残るわね」
「例えば、大山先生がある中古の戸建を気に入ったとする。で、先生の費用で検査をしたとして問題が見つかった場合、その状態では保証書を発行してもらうことはできないの。その場合、売主が費用負担をして問題箇所を修理してくれるかどうか、先生が修理費用分を売買代金に上乗せしてでも買おうと思うかどうか?もし、買わないとなると検査費用分が無駄になるってことよね」
「だから、いくつもの建物を検査するんじゃなくて、最終的に購入するかどうかの判断をする段階になって検査をして、合格をとって安心し、既存住宅瑕疵担保保険を利用するようにすればいいんじゃない?万一、問題が見つかった場合は売主に交渉して修理をしてもらうか、その分の値引きを要求する方向で進めればどうかな?売主がこちらが思うように動いてくれるかは判らないけどね」

「でも、それってなんだか納得しにくいですよね。建物の検査の負担をするのが購入検討をしている人で、最終的に買わなくても、その費用は戻ってこない。建物の検査をして実際にメリットがあるのは、売主だと思うんだけど・・・」
「もし、売却をしている全ての建物を検査していれば、合格しているかどうか、合格するための修理にどれくらいの費用がかかるかも見積もることができるんだから、中古住宅を購入する大きな判断材料になるんじゃないかな?そうしたら安心して中古住宅を買えるのに・・・法律で、売り物件の検査を強制するようにはできないのかな~?」
大山は眉間に皺を寄せ、口を尖らせた。

「そうね。確かに先生の言う通り、全ての売り物件が建物検査をしていたら、購入を検討するには便利だわね。でも、それだけの費用負担をすることが無理な売主もいるんじゃない?住宅ローンや税金を支払うことができなくて任意売却になっている物件なんかは、売主にそうした費用の捻出は無理でしょうし、建物検査費用や修理費用を売却金額から配分するっていうのも、債権者の回収額が減ることなので、今の段階では同意が得られないでしょうし。ただ、購入者に安心を与えるために、売主費用負担で住宅検査をして、瑕疵担保保険がつけられるだけのレベルの住宅ですよということが、アピールポイントとしてこれからの売り物件に出てくるようには思うわね」
「いずれにせよ、今は希望条件に近い物件を探すことが先決やね。検査や保険については、それから考えていきましょう」

大山と恵は、週末ごとに美土里の紹介する中古住宅を内覧した。
そして、最終的に2軒の物件をピックアップした。
1軒目は、駅から徒歩10分にある中古一戸建て、建築後15年、土地面積が約45坪。
2軒目は、駅から徒歩20分ほどの立地の中古一戸建て、建築後20年、土地面積が55坪ある。
どちらも駐車スペースが2台あり、値段は2500万円だ。
1軒目は2軒目に比べて新しい分、室内外の汚れも少なく見た目も綺麗だ。駅から徒歩10分なら近い方だと思われる。
2軒目は、ゆったりとした敷地に売主が注文住宅で建てたものだが、外壁や内装の汚れが目立ち、設備の耐用年数も気にかかるところだ。
どちらも一長一短あり、決め手に欠ける。大山も判断しかねていた。

「美土里さんならどちらの家を選びますか?」
そう聞いてきたのは、大山の婚約者の恵だ。
「それは、とっても難しい質問ね。これだけの情報だと、外壁塗装や設備の入替の費用が近いうちにかかってくることを考えたら、1軒目の築後15年の方がいいかもしれないけど・・・もっと詳しく調べないと、不動産価値の比較も難しいわね」
「よし、じゃあ両方の売主に話をして、住宅診断(ホームインスペクション)をさせてもらいましょう。診断させてもらうのに承諾が得られれば、費用はお祝い代わりに私が負担するわ」
「え~、でもホームインスペクションって、結構費用がかかるんでしょう?そんなに甘えてしまっていいのですか?」
「恵さん、大丈夫よ。インスペクションの業者にもお願いして安くしてもらうようにするから」
美土里は、2軒の中古住宅の売主側業者に住宅診断させてもらえるように申し入れた。
間もなく、2軒とも要請を受け入れてくれた。

「値切ったからって、仕事の手抜きはしないでよ」
「解ってますよ。美土里さんに睨まれて、そんなことできるわけないじゃないですか」
泣きそうな顔で、ホームインスペクターが屋根裏を覗いた。
以前に従兄弟の実家のホームインスペクションをしてもらった業者だ。
「2軒とも、3日以内に報告書を作って頂戴。結論を長引かせると、売主さんにも迷惑だからね」
「はいはい、もう美土里さんには敵いませんわ」
3日後、美土里の元に住宅診断(ホームインスペクション)の報告書が2軒分届いた。

「大山先生、ホームインスペクションの結果が出たから報告するわね」
大山は、受験の結果を待つ学生のような緊張した面持ちで美土里を見つめた。
「まず、1軒目については白蟻が発生していて、洗面所の床下がかなりやられているみたいね。一定範囲で床下の柱や土台の取替と防蟻処理が必要みたいよ。それに、屋根裏に雨漏りの跡が発見されてるわね。そんなに大きな雨漏りじゃないみたいだけど、外壁を調べたら、パネルの間に施されて雨水の浸入を防ぐコーキングが切れていたのが原因かもしれないわね。それと、柱と梁の接続部分に使う接続金物が、あちらこちらで抜けてるみたい。建売住宅だからって訳じゃないと思うけど、この報告からすると、あんまり丁寧な工事じゃなかったみたいね」
「そして2軒目、こちらは設備については、給湯器やガスコンロが耐用年数を越えて使用されているから、替え時みたいだけど、まだ故障はしていないみたいね。外壁にはヘアークラックといって、少しの塗装割れがあるようだけど、雨漏りがするようなレベルではないみたい。20年経っているけど、10年ごとに防蟻工事をしているみたいだし、柱や梁も、しっかりと接続されていて問題は無いそうよ」

黙って美土里の報告を聞いていた大山が、口を開いた。
「それで、もしそれぞれの補修をするとしたら、どれくらいの費用がかかるんですか?」
「そうね、きちんと見積をとらないと正確な金額は判らないけど、ざっくりと言うと、1軒目は床下の一部の柱や土台の取替が30万円、防蟻処理が20万円、コーキングの打ち直しが10万円、金物の取付が10万円くらいはかかるかな?ざっと70万円ってとこね。2軒目は、給湯器とガスコンロの取替をしたとすると30万円、どちらもクロスの張替や畳襖の張替などの内装工事は入れてないから、それを入れるとどちらもプラス70万円くらいかな?」

「そうですか、それで美土里さんは、どう思われますか?どちらを選べばいいと思われますか?」
「そうね、この結果を見て、私ならズバリ2軒目を選ぶわね。1軒目の構造部分に問題があるっていうのは、それが他の場所に影響を与えている可能性があると思うの。2軒目は、精密な検査じゃなく住宅診断のレベルだけど、構造には問題が無さそうだし、設備や内装なんてのは、取替えたり張替えたりしたら、いつでも何度でも新しくできるものだわ。でも、建物本体の基本的性能の問題があるかないかっていうのは、修理に費用もかかるし、建物の問題で一番大きな部分だと思うの。さらに言うと、そんないい加減な工事をして建物を建てた工務店に対しては信頼できないから、将来他の部分にも問題が発生するような気がするわね」

「美土里さん、ありがとうございます。ある程度のリフォームはしようと思ってましたから・・・決めました。2軒目にします。恵ちゃん、いいよね」
大山は、傍らに座る婚約者に同意を求めた。
小さな顔に切れ長の目の小柄な婚約者は、大山の腕を掴みながら頷いた。
中古だが、しっかりと建物の状態を把握し、二人のこれからの生活の場所を決めた安堵感だろう、大山も満足そうな表情で大きく頷いた(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。