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女不動産屋 柳本美土里

「美土里さん、おられますか?」
柳本不動産の木製の引き戸を開けて入ってきたのは、叔母の息子、美土里からすれば従兄弟の孝一だ。
叔母の末子は美土里の父親の妹であり、その息子の孝一は、美土里より5つほど年下だったと思う。
「あら、孝一くん、お久しぶり。今日はどうしたの?」
「うん、ちょっと相談があって・・・とりあえず、これ。美土里さん甘いのダメやったやろ、だから」
孝一は、おかきで有名な店の手提げ袋を美土里の目の前に差し出した。
「やった~!この塩味の方が好きなんよ。すぐにお茶いれるから座って待ってて」
しばらくすると、おかきが入った菓子器とお茶をのせた盆を、美土里が運んできた。
「じゃあ、いただきま~す」
美土里は合掌をすると、さっそく袋のままおかきを割り、そのひとかけらを口に放り込んだ。
「ほんと、美味しいわよね、これ。お茶がまた合うし」
満面の笑みの美土里は、両手で湯呑みを持ち上げた。

「あっ、ごめん、相談があるって言ってたわね。どうしたの?」
やっと従兄弟が来た目的に気が付いて、湯呑みをテーブルに置いた。
「美土里さんは、いつまでも子供みたいや」
孝一は、呆れて笑った。
「実は、父が亡くなって5年経ち、独りで住んでる母親も歳やし、一緒に住もうかと思ってるねん。嫁も賛成してくれてるし」
「そう、良かったわね。私もこの仕事してるから、親と同居や別居の話はよく聞くけど、お嫁さんが賛成してくれるのは珍しいかもね」
「まあ、僕は長男だから、いつかは親と一緒に住むことになるって、嫁も前から覚悟していたのかもな」
「で、相談って?」
「それで、母親が住んでいる実家を売ってしまおうと思って、それで美土里さんにお願いしたいと」
「それは、どうもありがとうございます」
美土里はテーブルに両手をついて、わざとらしく頭を下げた。

「でも、美土里さんも知ってる通り、うちの実家は、建替えてから30年ほど経っているし、売れるんかな~って思って」
「そっか、もうそんなに経つんだ。そういえば、新築のお祝いに、父と伺ったわね。孝一くんと庭に縁台を出してスイカとか食べたよね。その辺りに種を飛ばして、どっちが遠くまで飛ぶかなんて遊んだり、まさかあのスイカの種からスイカが育ってるってことは無いでしょうね?」
「あの種でスイカがなるわけないやん。僕が小学生で、美土里さんが中学生だったっけ?すごくお姉さんに感じてた」
「孝一くんも、可愛い子供だったのにね、もうすっかりオジサンだわね」
「ちょっと美土里さん、オジサンはないでしょう?」

「木造建物の場合は、築25年経つと不動産評価としては0になってしまうから、売却査定するときも、建物は0円で計算することになるのよ。築30年の中古戸建を買って住もうという需要はないから、一般的には建替用の土地として購入する人がターゲットとなるわね。となると、建物を取り壊して更地にする費用が余計にかかるってこと」
「あの家を取り壊すのかぁ?」
孝一としては、子供の頃から住んできた家なので、郷愁の想いがあるのだろう。
「そうね、一般的にはね」
「その費用は、うちが出すの?」
「もし、土地を探している人をターゲットにするとしたら、古家があるよりも解体して更地にした方が土地の形状も解るし、すっきりと見えるから、売主側で解体撤去してから売り出す方が売れやすいと思うわ。でも、手持ちのお金を出したくないって場合は、買主側で解体撤去してもらうっていう条件で売ることもできるけど、売買価格は結局、更地の価格から解体費用を差し引いた価格くらいでの取引になるでしょうね」

「そっかぁ、30年も経った家を買おうという奇特な人はいないか」
孝一は、実家の解体にはやはり未練が残るようだ。
「それで結局、いくらくらいで売れるんやろう?」
「そうね、ちょっと資料を確認してみるから、ちょっと待ってて。実家の住所って、何番地やったっけ?」
そう言いながら、美土里はパソコンの前に移動し、インターネットから登記情報を閲覧して図面をダウンロードした。
その後、近隣の成約事例や公示価格、路線価の情報もインターネットから引っ張り出すと、そのデータをキーボードで打ち込み、プリントアウトした。

美土里は、数字が並んだ紙をテーブルに広げた。
「こっちが、建物の査定価格ね。建物延床面積が40坪あるけど、築年数が30年経っているから価格は0。土地については、近くの成約事例やその他のデータから計算すると、この土地なら坪あたり50万円になるわね。土地面積が50坪あるから、土地の価格は2500万円、そこから建物を解体して更地にする費用が、そうよね、40坪なら180万円くらいはかかるかな?とすると、2500万円から180万円を引いた2320万円が売却査定価格になるわね」
「わかった、じゃあ、お願いします」
「ええ、了解。でも、あの家って叔母さんと孝一くんとの共有名義になっているわよね。叔母さんは売ることを承知してるの?」
「そりゃ、もちろん。孝一、お前に任すって」
「そう、判ったわ。叔母さんは家にいるの?一応、家の状態とかも見ておきたいから、今から一緒に行きましょう。叔母さんにも売却依頼の書類にサインをしてもらいたいし」
美土里と孝一は、孝一の実家に向かった。

「こんにちは、ご無沙汰しています、美土里です」
美土里は、孝一の実家の玄関で挨拶をした。
「あらあら、美土里ちゃん、久しぶりね~」
台所で水仕事でもしていたのだろうか、叔母の末子は前掛けで手を拭きながら玄関に出てきた。
「孝一から聞いてくれた?この度はお世話になるわね。さあ、どうぞ」
叔母は応接間に招いてくれた。
応接間のソファに座り、ぐるりと周りを見回した。
確かに、木を組み合わせた飾り天井など、年代を感じるデザイン。
床のフローリングも、正方形の升目を組み合わせたような、ひと昔前に流行ったものだ。
それでも、廊下も応接間の床も、床鳴りやたわみも感じられない。
「叔母さん、この家って、しっかりした造りの家ですね」
「ええ、美土里ちゃんのお父さんが紹介してくれた工務店さんに建ててもらった家だからか、30年も経ってるのにしっかりしたものよ」
「ええ!?そうなんですか?」
なんと、この家は父が紹介した工務店の仕事だったのだ。
「もしかして、宮脇工務店ですか?」
「そうねえ、そんな名前だったかしら・・・鼻の下に髭を生やした社長さんだったのは覚えてるんだけど・・・」
「ああ、それなら宮脇社長です。あの髭、特徴的ですからね。今は息子さんが会社を継いでおられますよ」
「そう、どこも代替わりしてるんやね」
叔母は、少し淋しそうな表情をした。
今回、家を出て息子家族と暮らすことになったのも、自分の気持ちよりも息子の意見を尊重したのかもしれない。
「老いては子に従え」
それが上手くいく方法なのだと自分に言い聞かせたのだろう。
自分の息子や孫と一緒に暮らせるとはいえ、住み慣れた家を出て環境が変わることや、息子の家族と上手くやっていけるのか不安を覚えているのかもしれない。

「母さん、さっき美土里さんに査定をしてもらったら、この家は古いから潰さないといけないみたい。売れるのは2320万円くらいだって、それでいいよね」
「ええ、私は・・・あなたに任せてるんだから、美土里さんと話をして、いいようにしてください」
叔母の末子は、美土里の方に向き直して続けた。
「美土里さん、この件は孝一に任せているから、細かいことは孝一と話をしてね」
「はい、解りました。なんとか頑張らせていただきます」
美土里はペコリと頭を下げた。

美土里は、孝一の方に向き直って座った。
「あのね、孝一くん。ちょっと私に考えがあるから、この売却の件の一切を私に任せてくれない?悪いようにはしないから」
「え?一切を?美土里さんのことやから、信用して任せるけど・・・でも、どんな考えなんやろ?」
「それはちょっとまだ内緒、査定価格以上はちゃんと受取れるように保証するから、黙って全てを任せて欲しいんだけど・・・」
「美土里さんがそこまで言うんやったら、何も言わんと任せるわ。よろしくお願いします」
孝一は、自分の膝に両手を付いた。

それから2ヶ月後、孝一は柳本不動産にいた。
「こちらが、買主さんの山本さんです」
契約のために臨席した孝一が美土里から紹介されたのは、実家の買主だった。
「いやあ、柳本さんに紹介された一戸建てが、建ってから30年経った建物だと聞いていたので、いくら改築工事をしたからといってもまず購入はないだろうと思ってたんですけどね・・・見せていただいてビックリしました。どう見ても新築と変わらないように見えたんです」
買主の山本は、最初に見たときの興奮がそのまま続いているような口ぶりだ。
「ええ、僕自身ビックリしました。まるで以前の家と全く違う家が建っているようで・・・」
孝一も、興奮気味だ。
「そりゃそうですよ、モルタルの外壁にサイディングを貼り、瓦の屋根をカラーベストに張替え、0.75坪サイズのタイル貼りの浴室を1坪サイズのユニットバスにし、キッチンはリビングに続くカウンターキッチンとし、トイレも洗面化粧台も取替え、床も以前のフローリングの上に新しいものを貼りつけたり、クロスも全て取り替えて、以前のものがほとんど無い状態に改築したんですから。それもデザイナーを入れての改築改装ですから、そのへんの建売住宅より、よっぽどお洒落にできあがりました」
美土里も、自慢の仕上がりのようだ。
美土里の説明を待ちかねるように買主の山本が付け加えた。
「実は、それでも私は心配だったんです。外見は綺麗にしても、構造部分はどうなんだろう?30年経った古い柱や梁がそのままで、大丈夫かな?と思ってたんです。それが、改築の際に耐震補強もおこない、その補強された構造部分を写真に残したものを、見せていただいたんです。その上、建築士さんに耐震適合住宅だと証明をしていただき、住宅診断士さんには、家の状態を細かく診断報告いただいたので、もうこれは間違いないと思って」
「それに、あの家の庭も気に入ったんです。綺麗に剪定されて整えられた庭木は、新築住宅では何年もの時間を掛けないとできません。それがあの家なら、住んだその日から庭木を愛でることができるんですから」
山本はあの家を手に入れられることを、とても喜んでいるようだ。
契約は売主買主の笑顔のもと、順調に完了した。

「美土里さん、この度はありがとう。まさか、あの家を残して売ってもらえるとは思わへんかったわ。建物はすっかり以前の面影は無くなったけど庭は以前のままやし、きっと母も喜んでいると思うわ。僕自身も子供の頃から育った家が、生まれ変わったようで嬉しい。それに思いがけなく高い値段で売れたことも」
孝一の言葉を聞いて、美土里は微笑んだ。
「日本では中古住宅を購入する人は新築住宅の8分の1なんだけど、欧米では、中古住宅は新築住宅の何倍もの取引があるのよ。それは、日本では建物の耐用年数という考え方が優先されて、建物メンテナンスをして、どれだけ大切に使ってきても、建ててからの経過年数が同じなら、きちんとメンテナンスをしていない家とほとんど評価が変わらないのに比べ、欧米では維持管理がきちんと出来ている家かどうか、リフォームをして建物の価値が上がっていることも評価されるというのが、日本との大きな違いのようなの」
「その上、日本の中古住宅は、地震が起こったときの耐震性能があるのかどうか?建物の状態がどういう状態なのか?などという建物に対する情報があまりにも少なすぎて、買う人が不安だというのが、中古住宅を敬遠される理由でもあるようなの。だから、買う人の不安を解消するために、耐震補強を行い、建築士による耐震適合住宅の証明をしてもらい、住宅診断士による検査を行い細かいチェック、そして報告書を作ってもらったのよ」

「売却依頼を受けるときに家を見て、30年経ったからといって、あれだけしっかりとした家を潰してしまうのはあまりにも勿体無いと思ったの。だったら、どうやったら買いたいと思ってもらえる住宅にできるかを考えたとき、現代人の価値観にマッチした設備や間取りにし、中古住宅という不安点を解消し、センスのあるデザインを目指したわけ。たぶん、あれと同じ家をあの土地に新築で建てようと思ったら、4500万円は下らないでしょうね。それが3500万円で買えるんだから、買主さんもいい買い物だったと思うわよ。耐震適合証明がとれたことによって、いろいろな税金の軽減も受けることができるようにもなったし。孝一くん側にしても、改築や改装費用に800万円ほど掛かったけど、それを差し引いても2700万円残ったんだから、解体撤去して売った場合より400万円弱ほど高く売れた計算になって、良かったわね」

「この方法は、築年数の古い中古住宅を売りたいって思っている人なら、使えるやり方だよね」
「う~ん、それは一概には言えないわね」
「どうして?」
「それはね、孝一くんの家は元々の造りがしっかりしていたから800万円で済んだけど、基礎や土台からやり直しをしないといけないとなると、建替えと同じくらいの費用がかかったりするから。それに、中古住宅を売りたいと思っている売主さんが何百万円も掛けて改築や改装をするかどうか?それだけ高く売れなければ費用を掛ける意味が無いし、そのリスクを引き受けてやろうとする売主さんがどれだけいるかは疑問だわね」
「それでも、耐震適合証明と住宅診断は必要かも。住宅診断をして問題点が判ったら、その問題を解消する工事をすればいいことだし、そうした工事履歴をもって買主さんに、問題解消工事をしましたから安心ですよ、ということができるから。また、買主さんは、住宅診断の内容によって補修箇所やそのために必要な費用がどれくらいかかるのかを見積もることもできるだろうから、中古住宅を買って予想外に補修費用がかかったなんてことが無くなるから、その点でも安心でしょう。耐震適合証明については、さっきも話したように、いろいろな税の軽減が受けられるから、これも買主さんにとって大きなメリットがあるから、やっておく方がいいでしょうね」
「今回、これだけ大胆なことができたのも、孝一くんが親戚で全てを任せてもらえたからでしょうね。それなりの金額で売れるだろうって確信もしてたから、リスクはうちで持とうとも思えたし」
「でも、美土里さんとこにリスクを負わせて悪かったような・・・」
「ううん、いいのよ。そのぶん売買価格が高くなったから、それに応じて仲介手数料も当初予定よりも多く貰えるしね」
美土里は片目を瞑ってウインクした。

「美土里さんには、ほんと感謝や。そやけど、さっきの話の中で、その耐震適合証明がとれたから税金の軽減が受けられるってどういうことなん?」
「中古住宅がいろいろな税制の軽減措置を受けるためには、住宅の広さや築年数などが規定されているの。例えば住宅ローンの年末残高に応じて所得税を還付してもらえる住宅ローン減税についていうと、床面積が50平米以上あって、木造住宅の場合は取得の日以前20年以内に建てられたものというような規定があるの。だから基本的には築20年を越えた中古住宅の場合は住宅ローン控除が利用できないんだけど、一定の耐震性能があるとして、耐震適合証明を出せた住宅については築年数20年以上のものでも住宅ローン減税が受けられるようになるの。その他、登記をする際の登録免許税や不動産取得税、他にもいろいろ、この耐震適合証明があれば受けられるようになる場合があるのよ。もちろん築年数以外の基準に合致しているってことが前提だけどね」
「ふ~ん、そうなんや。なんか難しくてよく解らんけど、なんせ耐震適合証明を取ってたら、いろいろメリットがあるんやな」
「それって、費用はどれくらいなん?」
「そうやね、建築士さんに発行してもらうんやけど、大体5万円から6万円くらいかな」
「その費用でいろいろな税金の恩恵が受けられるんやったら、やっておくメリットの方が大きいよね」
美土里は大きく頷いた。

「実はね、今回の改築改装工事は、あの家を建ててもらった宮脇工務店にお願いしたの。髭の社長の息子さんが、2代にわたって同じ家に手を入れさせてもらえるなんて感激だと言っておられたわよ。孝一くんのところも、宮脇工務店も、そしてあの家も2代目の時代になったってことね」
「そうなるよね、2代目の時代というと、柳本不動産もそうやけどね」
二人は時代の移り変わりを感じた。

「ところで、叔母さんと一緒に暮らすようになって2ヶ月くらい経つけど、どう?仲は上手くいってる?」
「うん、まあまあ上手くやってるようだけど・・・」
「そう、それならいいんだけど・・・初代あっての2代目ということも忘れずに、末子叔母さんを大切にね。時にはお嫁さんとギクシャクすることもあるかもしれないけど、孝一くんがお互いの話をしっかりと聞いて潤滑剤になるのよ。まあ結婚したこともない私が言うのは変な話だけどね」
「ちぇっ、わかってるよ。柳本不動産も2代目で終わらないように、美土里さんも頑張ってよ」
「それは、余計なお世話」
孝一を横目で睨んだ美土里の口元は、優しかった。(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。