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女不動産屋 柳本美土里

「さすがは地元の名士だわ、地域のお歴々が来られているわね」
美土里は、商工会議所の会員代表として葬儀に参列していた。
亡くなったのは、この町の地主の上月為治。
享年85歳、大往生である。
地域の顔役でもあった為治の葬儀には、市長を始め、地元選出の議員たち、地域団体の長や商店主たち、学校関係者などなどの庭に急遽並べられた椅子にも座れないでいる人々が寺の入り口まで溢れていた。
上月の家は、代々この町で農家を営んでおり、多くの小作人もかかえていたようだ。
そうした田畑は、大阪から電車で30分あまりと立地のよいエリアだったこともあり、多くがアパートや駐車場に変わっていった。

「それにしても暑いわね、まだ7月に入ったところやのに・・・」
美土里の横に座る藤田涼子はハンカチを首にあてながら、顔をしかめた。
藤田涼子は、美土里と同業者の不動産会社アートエステートの代表だ。
同じ不動産協会に所属しているということで、研修会などで顔をあわせてから、一緒に旅行に行く仲になっていた。
だからといって、葬儀に仲良く二人で来たわけではない。
美土里は商工会議所の会員代表として、涼子は支持政党がらみのお役目で来ているようだった。
ひときわ背が高く、ハッキリとした顔立ちの美土里は、喪服を着ていてもやはり目立っているようで、美土里を見つけた涼子が声を掛けた。

「あら、美土里ちゃんも、このお葬式に参列?ご苦労様。で、美土里ちゃん、上月為治さんって、よく知ってんの?」
のぞき込むように、涼子は見た。
「ううん、私もお役目で来ただけで、全然面識もお付き合いもないわ」
「そうやね、私たちの父親よりもずっと上の年の人やもんね、名前は聞いたことあるけど、私も顔は知らんわ。でも、この中で私たちみたいな人がどれだけいるんやろか?」
「そうね、私たちみたいな人が、かなりいるのかも知れないわね」

「それはそうと、かなりの資産家だって話だから、相続税も大変でしょうね。きちんと相続税対策はしてたのかしら?」
「どうやろ?でも、アパート経営や駐車場経営もしていたようやから、それなりにやってたんちゃう?」
美土里と涼子は、仕事柄、こんな場所では不謹慎と思いながらも、ついつい不動産がらみの話をしてしまうのだった。
「そういえば、相続税の取得費加算が改正になるかも?って話、聞いた?」
まるで聞こえてなかったように、そう訊ねた美土里の顔をポカンと涼子は見つめていた。
聞こえなかったのだろうか?
「涼子、聞いてる?」
美土里は、涼子の顔の前で手をヒラヒラさせた。
「聞いてる、でも、その、え~っとなんやったっけ?相続税の何が無くなるって?」
「相続税の取得費加算よ、何回か前の協会の講習で出てたでしょう?あれ?もしかして涼子、寝てた?」
「はは、バレたか?」
涼子は、片目を閉じた。

「あのね、土地を売却した時には、その土地を買ったときの価格と費用、売ったときの費用を、売却価格から差し引いた分、簡単に言うと売って得た利益に対して不動産譲渡税がかかるのは知っているわね」
「ええ、もちろん。保有期間が5年を超えるかどうかで長期譲渡か短期譲渡かに分けられて、長期の場合は利益の20%、短期の場合は利益の39%の譲渡所得税がかかるってやつよね」
「そうよ、その39%や20%っていうのは、所得税と住民税を合わせてのパーセンテージだけどね」
「で、その売った土地が相続で譲り受けた土地で、相続開始から3年10ヶ月以内に売った場合には、取得費の中に支払った相続税の一定割合を含むっていうことになっているのよ」
涼子は首を傾げた。
「え~っと、え~っと・・・」
「ごめん、ちょっとわかりにくかったわね。例えば、かなり昔に買った土地などでは、いくらで買ったのかが不明な場合や、わかっていても今と貨幣価値が全く違ってて、信じられないくらい安い値段だったってことは、よくあるわよね。購入費がわからない場合や売却価格の5%を下回る場合には、その土地の買った価格を売った価格の5%とすることができるってことは知っているわよね」
涼子は頷いた。
「計算が面倒だから、購入や売却の経費はこの際無視するとして、じゃあ1億円の5%が買った値段だったとすれば、500万円で買ったとされる土地を1億円で売って、1億円-500万円の9500万円の利益が出たって計算になるわ。それに長期譲渡所得税割合の20%を掛けるとすれば、普通なら1900万円が税金になるってこと」
「でも、その土地が相続で取得した土地で、相続から3年10ヶ月以内に売ったとしたら、その相続で支払った相続税の一定割合を買った土地の値段に加えてもいいってこと、この場合なら買ったとされる500万円に相続税の一定割合額を加えることができるの」
もし、この相続人が土地だけが唯一の相続財産で相続税を1億円支払ったとすれば。買った値段とされる500万円に1億円を加算することができるから、取得費が1億500万円となり、売却価格1億円を上回るから、譲渡所得税はかからないってことになるの」
「この相続税に取得費加算の特例を使えない場合なら1900万円の譲渡税が掛かってくるものが、税額0になるんだから、大きいわよね」
涼子は大きく頷いた。

そんな話をしているうちに、美土里たちの焼香の順番がやってきた。
大きな焼香台の前で二人は並んで手を合わせ、上月家を代表する喪主に一礼をして、席に戻ってきた。

席に座るのももどかしく、涼子は美土里に話の続きを促した。
「相続税の取得費加算というのは、相続税の分を売った土地の取得費になるから譲渡税が減るっていうことね、それが改正になるっていうのは、どういうこと?」
坊さんが経を読み、焼香の列が横に並んでいるのも気にせず、涼子は美土里に質問した。

「そうね、まず誤解してはいけないのは、この相続税の取得費加算については、不動産全ての売却に対して同じように適応できるのではないってことを押えておく必要があると思うの」
「と言うと?」
「先ほどの例で言えば、土地だけが唯一の相続財産で、相続した土地を売却したときには取得費に相続税額が加算されるって言ったでしょう。じゃあ、もし相続したのが土地だけじゃなくて建物も一緒に相続して、建物を売った場合は、どうなると思う?」
涼子は首を傾げるだけだ。
「相続財産のうちのひとつの土地を売った場合は、相続財産全部の課税価格のうちの全部の土地に対する相続税課税分が、売った土地の取得費に参入できる特例であって、建物を売った場合には、全部の相続財産の課税価格のうちの売ったその建物の課税価格の割合でしか、相続税の取得費参入しかできないってこと、これが大きな違いなのよ」
美土里は、自分で言っていても、この呪文のような説明じゃ理解できないだろうなと、話を言い替えた。

「例えば、相続財産が土地Aと土地Bと建物A建物Bの4つの財産だとするわね。そして、土地Aの課税価格が1億円、土地Bの課税価格が2億円、建物Aの課税価格が1億円、建物Bの課税価格が5000万円でそれら合計4億5000万円に対する相続税の額が1億5000万円だった場合」
「土地Aを課税価格と同じ1億円で売却した場合の計算をするわね。相続財産の全課税価格は4億5000万円よね。そのうち土地ABの合計額が3億円、土地分の全財産に対する割合としては、3分の2となる。ということは相続税額1億5000万円の3分の2である1億円が、土地Aの取得費加算分とすることができるの。そうすると、本来の土地購入価格と加算された取得費分を合わせると売却価格1億円より取得費の方が大きくなって譲渡益は無かったものとされ、譲渡税はかかってこない」
「一方、建物の場合はどうだと思う?建物Aを1億円で売った場合。この場合は土地と違って、全部の相続税課税額の4億5000万円のうち、売った対象の建物の課税価格1億円だけの割合、すなわち4億5000万円分の1億円なので相続税額の9分の2だけが取得費として参入できるっていうこと、建物Bの5000万円分は、計算の中に入れられないってことなの」
「そうすると、相続税額1億5000万円の9分の2である3333万円しか建物Aの取得費に参入できないってこと、さっきの土地Aの場合の1億円が取得費加算額になるのと比べて、同じ1億円の不動産を売ったとしても、税額は大きく違ってくるでしょう」
そこまで話を聞いて、涼子は相続財産のうちの土地を売却することのメリットを理解した。

「で、これをどう改正しようとしてるん?」
「元々、この制度が平成5年にできたのは、土地価格が高騰したバブル期に相続が発生した相続人が、相続税を払うために土地を売っても、それに相当の譲渡税がかかってくるため、税負担が極端に大きくなっていたの。それで土地の一部だけを売却したとしても、すべての相続した土地に対応する相続税分を取得費に入れて計算するようにしてやろうという特例を作ったの」
「それが、2012年に会計検査院が、この制度では土地を多く相続し一部を売却した人に著しく有利になる制度で公平性を欠くということや、バブルも崩壊して土地価格も低くなるという状況になったため特例の必要性が無くなったと指摘して、適切なものにする必要があると言っているの。だから、この土地の売却に対する特例はなくなってしまう可能性が出てきたってこと」

「え~、じゃあうちの親父も、早く逝ってくれへんと・・・」
「涼子、なにバカなこと言ってるの?」
涼子の言葉は冗談だと知っている。
美土里は軽く涼子を睨みつけた。
「そやけど~、今やったら払わんでもええ税金なんやから~」
「まだ、言ってる。おじさんに言いつけるわよ」
ぷっと二人は吹き出した。
その笑い声を聞いた前の席に座る初老の男性が、咎めるような視線を二人に送った。
「あいた!」ここは葬儀の席だったんだ。
それに気づいた二人は、背中を丸めて小さくなった。

葬儀が終わってから1週間ほど経ったある日、涼子は美土里の事務所に現れた。
「こんにちは、これそこのコンビニで買ったシュークリームやけど、意外といけるで、一緒に食べよ」
涼子は、コンビニの袋を美土里に手渡した。
「うん、ありがとう、じゃあ、紅茶でも入れるわね」
美土里は奥のキッチンで手際よく紅茶を入れると、皿に載せたシュークリームとともに運んできた。
お茶を飲みながら、ひとしきり世間話をした後、美土里は切り出した。
「で、今日はどうしたの?突然やってくるなんて、珍しいじゃない」
「そう?今日はね、土地情報を持ってきました。うちが売却を受けた直物件なんやけど、柳本不動産さん、買わん?」
涼子は、赤いブリーフケースからクリアファイルごと資料を取り出すと、テーブルに置いた。

「ここって、道路がついて、最近どんどん開発されているエリアの土地だわね。地形もなかなかいい感じの土地じゃない。とりあえず、現地を見に行きましょう」
「そうやね、じゃあ案内するわ」
二人は、涼子の愛車、ホワイトカラーのアウディに乗り込んだ。

「ここが、その物件なんよ」
涼子が指す土地は、四方道路に囲まれた長方形の土地だ。
「知っていると思うけど、このあたりは区画整理が入ってるエリアなんよ。元々は田圃や畑ばっかりやったんやけど、今はこうして宅地にして家がどんどん建てられてるんよ」

まだ空地も多いエリアだが、涼子の言うようにあちらこちらに新築らしい住宅が建っている。
ハウスメーカーの名前が付いたシートが掛けられ、今まさに建築中の家も見られる。
メインの道路は8m幅、住宅内には6m幅の道路がついていて、ゆったりとした住宅地だ。
涼子が持ってきた資料を見ると、第一種低層住居専用地域のエリアで地区計画により最低敷地面積が45坪という制限もある。
つまり、ゆったりとした敷地を持ち、低層の住宅ばかりが立ち並ぶ住環境重視のエリアなのだ。

「ここの土地は、家庭菜園のような畑をやってるみたいだわね」
「そうやね、最近まで売る予定がなかったからね」
美土里は、土地の周囲を歩き、いろいろな角度から土地を眺めた。
「400坪ほどだったわね、これなら50坪の敷地が8区画はとれるわね。なかなかいい土地ね」
涼子はにっこりと微笑んだ。
「そうでしょう、前々からこの土地は分譲するにはもってこいだと思ってたんよ」
「わかった、とりあえず買う方向でよろしくお願いします。もう少し事業計画の検討をして、買い付けは明日にFAXさせてもらうわね、それでいい?」
”買い付け”とは、買い付け証明書とか購入申込書という、購入希望の意思と条件を提示して売主に出す書類のことだ。不動産業界では単に”買い付け”ということも多い。
「ええ、もちろんOK、美土里社長、よろしくね」

さっそく美土里は、事務所に戻り事業計画を立てた。
建売事業とすることにした。
宅地造成の費用、測量や区画割りをする分筆費用、建物の建築コスト、販売経費、土地購入から販売完了までの借り入れ金利や利益などを計算し、販売見込み価格から差し引くと、売主が提示していた金額とほぼ同じくらいになった。
美土里は、購入申込書に売主の提示額と同額を打ち込み、涼子の会社であるアートエステート宛に送信した。

折り返し涼子からの電話が美土里の携帯電話にかかってきた。
「涼子ちゃん、今、買い付けを受け取ったわ。満額でいいの?ありがとう。売主さんに話をして、契約日とか諸々、また連絡するわ」

契約日は、1週間後。
事前に関係書類を受け取っていたので、柳本不動産への銀行融資の承認も出た。
契約日にアートエステートにやってきた売主は、仕立ての良さそうなスーツを着た50歳代くらいの男性だった。
何ごともなく契約は無事に終わった。

美土里と涼子は、契約のお祝いという口実で、駅前の寿司屋にいた。
「この度は、ご購入いただきまして、ありがとうございました」
冷酒が入ったぐい飲みをつまんで、あらたまった言葉遣いの涼子は小さく頭を下げた。
「ううん、こちらこそ、いい物件を紹介してくれて、ありがとう」
「でも、あれってもしかして・・・・」
美土里の疑問の言葉を聞いて、涼子はニヤリと笑った。
「う~ん、美土里ちゃんは勘がええなあ」
涼子は大げさに手の平を額に当てた。
「勘じゃないわよ、謄本を見たら想像つくじゃない。相続が原因で所有権移転をしてからまだ3年足らずって載ってるんだから・・・」

「そりゃ美土里ちゃんならわかるわな、こないだ美土里ちゃんから聞いた相続税の取得費加算の話のおかげや。たまたまうちが駐車場管理させてもろうてるお客さんで、3年ほど前に亡くなりはった方がおられるんよ。で、いくつも土地を持ってはる方やって、後を継いだ息子さんが相続税もかなり払ったみたい。その際も、土地を売ろうかどうしようか迷ってはったんやけど、売ったら譲渡税が結構かかるように思ってはって、まあ預貯金もあったんやろな~、結局は売らんと預貯金から相続税を払いはったんよ」
「それで、美土里ちゃんに相続税の取得費加算の話を聞いたやろ、もしかしたらあの売主さんのケースに当てはまるんじゃないかって思って息子さんに話をしてみたんよ、そしたら税理士に確認してみるっていうことになって・・・で、これは特例が使えると。だから、それなりの値段で売っても譲渡税はかからないみたいなんよ。相続してから3年10ヶ月の期限もあるでしょ?だったら特例が使えるうちに売りましょう、ということになって、売却依頼を受けたって訳。もともと、美土里ちゃんの話を聞いてなかったら動かなかった話だから、まずは柳本不動産さんに、情報をお持ちしようと思って・・・」

「ふ~ん、その息子さんも良かったわね、特例が使える期間に間に合いそうで・・・誰かさんのせいで、知らないままに時期を過ぎて売ったとしたら、特例が使えずに譲渡税を多く納めないといけないことになるとこだったわね」
「あら、美土里ちゃん、意地が悪くなってきたんじゃない?」
お互い本気で憎まれ口を叩いているわけではないことは、誰よりも二人が知っている。
「でも、美土里ちゃんの言うことももっともだよね。相続が発生して相続税を収め、その後に土地売却をしたとしても、相続税申告をした税理士は、相続された不動産を相続人がその後どうするかなんて知ったことじゃないし、後の土地売却を推測して親切に教えてくれるとは限らないし、不動産業者にしたって、謄本を確認すると相続された不動産だということはわかったとしても、不動産を売りたいって来たお客さんに、すべての不動産業者が所有者に相続税を支払ったかどうかまでは聞かないし、既に売却依頼を受けた時点では特例の適用時期が過ぎているかもしれない。相続税の取得費加算の特例のことを知っている業者ばかりちゃうから、相続人は何も知らなくて普通に譲渡税を納めてるケースも多いんちゃうやろか?」
「そうよね、ましてや税務署は、本人が申告しないと特例の適用はされないから、特例が使える状況だったとしても、知らない顔して税金を受け取るでしょうしね」
「今回の売主さんは、涼子のとこのお客さんで良かったわね」
「その言葉も、なんか嫌味に聞こえるのは気のせいやろか?」
「そんなに悪いようにとらないの」
美土里はそう言って、涼子の膝に手を置いた。

「涼子、ありがとう、気を遣ってこの土地情報をうちに持ってきてくれて。黙って他に持って行っててもわからない話なのにね」
小さくお辞儀をする美土里に、涼子は顔の前で手を振った。
「とんでもない、しっかりと仲介手数料はいただきますから」
「はいはい」
二人は寿司屋のカウンターで、鱧の湯引きを肴に、大吟醸のおかわりをした。(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。