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女不動産屋 柳本美土里

「あら、いやだ」
美土里は、鏡に映る自分の髪の中から光るものを見つけ、指先で引っ張り出した。
白髪である。
「そりゃ、白髪が出てきても仕方ない歳だもんね」と自分を慰めながら、大きなため息をついた。
ため息が途切れると同時に、「えいっ」と、それを憎々しげに引っこ抜いた。
「ああっ、もう」
抜いた髪の毛を乱暴にゴミ箱に押し込むと、乱暴に頭を掻いた。
美土里が苛立っているのは、白髪を見つけたせいだけはない。
というよりも、白髪は美土里の苛立ちに膨らんだ風船を刺した針のような役割に過ぎないのだろう。

柳本不動産が売却依頼を受けている中古戸建に東京在住の会社員から問合わせがあり、契約へ向けての話が進んでいる。
いや、本当に契約に向けて話は進んでいるのだろうか?
インターネット広告から問合わせがあり、本人が東京から、こちらに帰省のたびに物件の案内をし、今回で3回目となるが遅々として話が進まないことに、美土里は苛立っていた。

対象の一戸建ては、木造3階建て築15年の4世帯住宅。
4LDKの部屋が2つに、3DKの部屋が2つ、それぞれに玄関がありキッチンや浴室も各戸にある。
まるでアパートのような家だ。
各部屋の住人が家族でなければ、アパートと言ったとしても何の抵抗もないだろう。
建物延床面積も100坪を越え、敷地も150坪もあり、固定資産税などの税負担も、一般的な一戸建てに比べ数倍という金額になっている。
購入を検討している東京の会社員は、友人と共同で購入し、数年後にやってくる退職を機に生まれ育ったこの街に帰って来て住むつもりなのだ。
友人との共同購入のため、購入意思の決定権者が分散し、それぞれの家族の意向も無視する訳にもいかない。
その上、当の本人が遠方の東京にいるため、帰省の際にしか友人との話もできていないようである。

多くの問合わせが見込めるような物件ではない。
靴の上から足裏を掻くような話でも、美土里としては、大切に進めていくしかないのだ。

「カットに行こう」
こういうときは、髪をカットし髪型を変えることで、流れが変わるような気がする。
美土里は、いつも行く美容室「オーベルヴィリエ」に予約を入れ、愛車の赤のボルボのハンドルを握った。

オーベルヴィリエに到着すると、初めて見る女の子が美土里のバッグを受け取り、大きな鏡の前のスタイリングチェアに案内された。
間もなく、奥から店のオーナーであり美容師の由香里がやってきて、美土里の後ろに立った。
「美土里さん、いらっしゃい。今日はカット?」
芸能人のヘアメイクも担当していたという由香里とは、この街で店を開く際に、美土里が店舗を紹介したのが付き合いの始まりだ。
美土里よりも6歳年上の年齢だということは、他のお客は知らないらしい。
由香里は誰に聞かれても年齢は絶対に言わないのだが、店舗を借りるときの保証会社への審査の際に、生年月日を隠すことができず、美土里だけにはバレている。
もちろん、顧客の秘密を守るのも不動産業者として大切なことなので、美土里は決して口外するようなことはない。
秘密の共有が、お互いの信頼関係を築くこともあるようだ。

とりとめの無い話をし、カットをして髪が整ってくるにつれ、美土里の気持ちも癒されてきた。

「新しい女の子入ったの?」
髪を梳く由香里に美土里は訊ねた。
「ええ、先週から来てもらってるの。以前、真由子ちゃんて娘いたでしょう?」
「うん、いつもニコニコしていた美容師さんね」
「ええ、その真由子ちゃんが辞めちゃって・・・それで、新しく来てもらうことになったの。夕子ちゃんって名前、よろしくね」
「うん。それにしても、真由子ちゃん辞めちゃって残念ね、いい感じの娘だったのに・・何かあったの?」
「ううん、特にトラブルとかは無いわよ。あの娘、自分のお店を持ちたいって・・・お父さんの資金援助も受けて開店するみたい。あの娘なら頑張り屋だし、お客さんの受けもいいから、きっと上手くいくと思うわ。だから頑張りなさいって言ってあげたの」
仕事に慣れた従業員を手放すのは、小さなお店では痛いはずだ。
なのに、由香里は気にしている様子はない。
「さすが、由香里さん、太っ腹ですね」
「ええ、この体型ですから」
由香里は、丸々とした自分のお腹を太鼓のように叩いた。
若い子の夢の応援をしてあげたい、人を育て、夢を実現させてあげるのが自分の役割だ、そう由香里は思っているようだ。
そんな大きな由香里に、美土里は好感を持っているのだった。

そんな由香里から翌日に電話があった。
由香里から電話があるなんて、本当に珍しい。
「あれ?由香里さん、私、忘れ物でもしていました?」
「ううん、そうじゃないの。昨日、話をした真由子ちゃんのこと」
「どうかしたんですか?」
「どうって訳じゃないんだけど、真由子ちゃんが、お店をオープンするって話したわよね。そのお店の候補の店舗が見つかって、昨日、借りる契約をしたらしいんだけど、なぜかいつまでもそこでお店をできないようなことを不動産屋さんに言われたらしいのよ」
「いつまでも店舗を借りておけないってことですか?」
美土里は、定期借家契約だろうか?と思った。
賃貸借契約には、普通借家契約と定期借家契約がある。
普通借家契約は一般的な借家契約で、契約期間中に特に問題が無く、貸主側からは解約に対する正当な事由が無い限りは契約期間設定をしていたとしても契約は更新される。
一方、定期借家契約の場合、契約期間満了により終了する契約で期間更新はない。
それで美土里は「定期借家契約」かと思ったのだ。

「なんだかよく判らないんだけど、計画道路がかかっているとかどうとか・・・」
定期借家契約ではないようだ。
「計画道路」
ははあ、敷地に計画道路があり、将来的に計画道路が施工されることになった場合、建物は取り壊されて、道路になり店舗として続けられないのだろうと推測された。
本人は契約したものの、後になって不安になってきたようで、由香里に相談したものの、由香里には何のことだか、さっぱり判らないから、美土里に詳しい説明を依頼してきたようだ。
「いいですよ、真由子ちゃんにうちの事務所まで来てもらって」
美土里は、二つ返事でOKした。
由香里の話では、すぐにこちらに来るということだ。
美土里は、机の上にある処理しかけの書類をファイルに入れ、机に押し込んだ。

ガタガタ。
玄関の引き戸から音がしてきた。
柳本不動産の玄関ドアは、昔ながらの木製の引き戸だ。
枠も当然のごとく木製で、かなり慣れた者でないと、すんなり開けることは難しい。
そのうち、引き戸の向こうから「う~ん」とか「やーっ」とかの声が聞こえてきた。
真由子ちゃんだな。
美土里は、ニヤニヤしてドアに近づき、内側からスルスルと開けた。
「え~、どうしてそんな簡単に開くのよ~」
そこには、真っ赤になった膨れっ面の真由子が立っていた。

「真由子ちゃん、久しぶり。このドアを開けるのには年季がいるのよ。どうぞ入って」
美土里はそう言って、真由子を招きいれた。
「ありがとうございます。この度はすみません、お手数をかけて・・・」
そういう真由子には答えず、応接テーブルに案内した。
美土里は、奥から紅茶を2つ持って来てテーブルに置くと、真由子をじっと見つめた。
「真由子ちゃん、ちょっと冷たいんじゃない?うちが不動産屋だって知ってたでしょう?それなのに店舗探しをうちに依頼せずに他で探したそうね」
咎めるような口調で、美土里は言った。
本当は、そんなこと、何とも思っていない美土里なのだが、ちょっと真由子をからかってやるつもりだ。
「あー、ごめんなさーい」
そう言って、真由子は大げさに手を伸ばしてテーブルに突っ伏した。
顔を上げた真由子は、慌てて言い訳をしようと支離滅裂の言葉を発した。
「ははは、冗談よ。ちょっとからかっただけ、きっと事情があるのでしょう。別に気にしていないから、もういいわよ」

「ところで、由香里さんから少し話を聞いたんだけど、借りた店舗の建物に計画道路がかかっているって?」
真由子は、ソファに座りなおし、契約書と重要事項説明書を取り出し、テーブルに置いた。
まずは、契約書を開いた。
心配していた定期借家契約ではなく、普通借家契約だ。
次に、美土里は、重要事項説明書を取り上げ、捲った。
都市計画道路予定地になっていると重要事項説明書の中にも記載されており、添付の用途地図にも法令上の制限とともに図面に計画道路の予定のラインが表示されていた。
「確かに、都市計画道路の予定はあるようね。それも、敷地全体にかかってるわね。でも、計画がどの段階なのかは、これじゃ判らないわ」
「ちょっと役所に行って調べてみましょう。真由子ちゃんも一緒においで」
バタバタと、事務所の戸締りをし、二人は車に乗り込んだ。

この計画道路については、以前、美土里も調べたことがあったのだ。
美土里が売買仲介の立場で取引した土地の一部が、この同じ都市計画道路に予定されていた。
たしか2年ほど前の話だったように記憶している。
この計画道路の担当は、県であり、県庁から離れているため、県の出先機関である県民局へ行って調べたことがある。
美土里は、県民局へ向けて車を走らせた。

美土里はボルボのハンドルを握りながら話した。
「真由子ちゃん、今回の場合は前の道路を広げようっていう計画があるみたいだわね。将来的には道路にしようという計画で、どの段階かによって状況は大きく変わるのよ」
「都市計画の段階としては、計画決定の段階と、実施決定の段階があるの。計画決定がされると、その道路敷地内に建てる建物は、地下室などがなく、木造や鉄骨の2階建てまでなど、取り壊しが容易なものしか建てることができなくなるのよ」
「今回借りた店舗の建物は、大通りに面しているからコンクリートのビルが建っていてもおかしくないのに、木造2階建てっていうのは、そういう理由なのかもしれないわね」
「で、計画道路に事業予算がつけば事業決定がされ、計画決定の段階から一段階進むことになるの。その段階になると、土地の収用や立退き交渉などが始まり、同時に道路工事もされ始めるし、普通の建物は建てられなくなるわけ。今回借りる建物の敷地上に予定されている計画道路が、そういう段階になっているとしたら、そう永い間は営業できないでしょうね」
助手席に座る真由子は、心配そうに美土里を見つめていた。

「でもね真由子ちゃん、計画道路は何十年も前から計画決定されたままの状態でいっこうに道路が通らないケースもよくある話よ」
そんな話が気休めになるのかどうか判らないけれど、これから自分の店を開いて頑張っていこうという娘に、元気を取り戻して欲しいという思いで、美土里は、そんな話をしていた。
間もなく県民局の駐車場が見えてきた。
「とりあえず、よく話を聞いてみましょう」

道路課は、4階にあった。
去年、建替えられたばかりのビルのエレベーターは、以前とは比べ物にならないくらい速い。
滑るように静かに、しかも、あっという間に4階に着きドアが開かれた。
担当部署のドアを開き、カウンター越しに職員を呼び、住宅地図を広げた。
「すみません、この道路の拡幅工事による計画道路があるようなのですが、その詳細について教えてください」
カウンターの向こうには、定年間近くらいの年齢の男性だ。
メガネを少しずらし、覗き込むような視線は、あまり気持ちのいいものではなかった。
「ああ、その道路ね。はいはい、ちょっと待って」
口をあまり開けずに話す言葉は潰れている。
その職員は、廊下側にあるキャビネットから太い1冊のファイルを取り出すと、カウンターに置いてページを捲り始めた。
「ああ、これこれ」
目的の計画道路のページを探し出した。
「で、この道路の何が聞きたいの?」
下から見上げるような視線で、美土里たちを見た。
「はい、この計画道路は、今はどの段階なのでしょうか?計画決定とか事業決定とか?」
「ここは、まだ計画決定の段階やね。予算も付かないし、なかなか事業決定になるのは難しいやろうな」
事業決定の見通しはつかないのだろう、何年先に?なんて質問をしても、確かな答えなどは出ないだろうし、個人的な判断でそれを言うことも役所の職員では、まずありえない。
その時期により大きく影響される関係者としては、宙ぶらりんの状態が続くわけなのだが、役所としては踏み込んだ回答をするわけにもいかないのだろう。
それでも、美土里は質問した。
「なかなか判断は難しいでしょうけど、もし事業決定がされるとしたら、どれくらい先になりそうですか?5年後とか10年後とか?」
職員は、困った顔をして美土里を見返した。
「それは、判りませんな~、まずは予算がつかないとなんとも・・・この場所の西側200m辺りに南北の計画道路がありますやろ、その道路は土地収用もほとんど終わって道路の築造にかかってますのや、それが完成してから、こちらの道路にどれくらいの交通量の変化があるかを調べた上で、交通量が多いようなら計画を進めないといかんということになると思うんやが・・・さあ、計画道路を入れたものの、その結果によっては実施はされないかもしれないし・・・まあ、いずれにせよ、なかなかやってことやな」
なんとも曖昧な回答だ。
それでも、ある程度の状況とニュアンスは掴めただろう。
美土里は、真由子とともに県民局を後にした。

「真由子ちゃん、聞いたとおり他の道路の状況や交通量によって、また行政の事業に対する方向性によって、どうなっていくのかは正確には判らないわね。私も、確かな話はできないけれど、たぶん、あの様子じゃ暫くは事業決定はされないでしょうね。真由子ちゃんが、あの場所で店をオープンさせるかどうかの判断は難しいと思うけど、改装前の今なら損害も限定的だろうし、他の場所を探しなおすこともできるわよ。でも、あの場所を気に入ってるのなら、できる限りの年月を頑張って、その時が来たときに、その時の状況をみて考えるっていうのもありかもしれないわね」
真由子は美土里の言葉にニッコリと微笑み、少し考えてみると答えた。

翌日、真由子は設備工事費と改装費用の見積をさせるために業者を呼んだ。
「ここで美容室をする予定なんですけど、そのための設備工事と改装費用を見積もってもらいたいんです。ええ、改装についてはある程度の内容は決めておきましたから、それにしたがって見積もってください。設備工事については、将来転居する場合に取り外していけないものもあるでしょうけど、持っていけるものはどれだけあるか、その値段なども算定しておいて欲しいんです。それと、申し訳ないのですが3日以内に、その見積を出してください」
なんと、真由子はテキパキと業者に指示をしたかと思うと、店の前に立ち、車と人の通行量を測り、車で店の前を行ったりきたりして、店がどれだけ目立つのか確認した。
2日目の朝、業者の見積を手に、最終的な判断をするべく、もう一度店の前に立った。
「よし、決めた」

その日、真由子は柳本不動産にやってきた。
「美土里さん、先日はありがとうございました。いろいろ考えたんですけど、あの場所は大通りに面していてとても目立つ場所にあるので、気に入ってるんです。やっぱりあの場所でお店をオープンしようと思います」
真由子は、霧が晴れたようなすっきりとした表情で話した。

「美土里さんが言われるように、計画道路の事業決定がいつされるのかは判りません。県の職員さんが言っていた話では、まだまだ進まないような話でしたけど・・・もしかして早ければ5年後くらいに急に事業決定に進むかもしれないですよね。そうなると、美容室をするための設備や内装に掛かったお金は、もしかすると捨てないといけないかもしれません。でも、そうなるならそうなるで諦めようと思ってるんです、それも運かもって。今、他の場所で探したとしても、その場所が今回と同じように将来的に計画道路が通るかもしれないし、地震で潰れてしまうかもしれない。そうなったら、何のために他の場所を探したのか判らないですよね。だから、将来には立ち退かないといけないかもって思いながら、それまでに1人でも多くのお客さんに気に入ってもらえるお店にして、もし転居しても、次の店に来てくれるように頑張ろうと思うんです。もし、事業決定がずっとされなかったら、それはそれでラッキーじゃないですか」
真由子は、ニッコリと微笑んだ。

美土里は驚いた。
まだ若い娘と思っていた真由子は、きちんと将来のリスクも含んだ上で、顧客戦略も持っている。そして、そのリスクを前向きに捉え、頑張りに変えようとしている。
既に、しっかりとした経営者としての判断だと思えた。
「そう、判ったわ。真由子ちゃん頑張ってね。私もたまには行かせてもらうわね」
「美土里さん、ありがとうございます。でも、美土里さんはオーベルヴィリエのお客さんだから、うちに来られたら、由香里さんにお客さんを盗ったって怒られちゃうかも?まあ、多分、由香里さんならそんなことは言わないと思いますけど・・・」
「そうよ、由香里さんはそんな小さな人じゃないわ。気持ちも身体もね」
「あ~、スタイルのことは禁句なんですよー」
二人の笑いが、柳本不動産から街中に流れていった。(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。