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女不動産屋 柳本美土里

柳本不動産の女社長、美土里は都内の銀行で有能な行員として働いていたのだが、訳の解らない内向きの仕事や女性軽視の行内の体質に嫌気がさし、父親の病気が見つかったのを機にさっさと退社し、不動産営業を経験したあと柳本不動産を継いだ。
誰かれ構わずハッキリとものを言う性格は、不動産屋になっても相変わらずだ。
ハッキリとした顔立ちに、170センチを越える身長に長い脚、抜群のプロポーションだからだろう、街を歩いていても多くの人の目に留まり、ひとことで言って目立つ女性と言えるだろう。

海の見えるホテルのバー。
窓側に並べられたテーブルからは、波止場に泊まった外国船と商業施設が立ち並んだ湾岸エリアが見下ろせる。
会話を妨げない程度の音量でモーツァルトが流れている。
優しく包み込むようなソファは、グレードの高いホテルのバーを感じさせた。
目の前のテーブルには、季節限定の苺のカクテルと、バーボンのロックがある。
「凄~い、素敵!こんなところに連れて来られたら、メロメロになりそうですよね~」
苺のカクテルを目の前にした女性が声をあげた。
バーボンの方の女性が、その声の音量が他の客の話の邪魔になってはいないかと、素早くフロアを見回した。
ひとりは柳本美土里、そしてもうひとりは、遠井不動産の事務員である幸江だ。
美土里は柳本不動産を継ぐ前に、父の友人がやっている遠井不動産で不動産の勉強をさせてもらっていた。
幸江は、遠井社長の姪にあたり、地元の高校を卒業してから事務員として働いている。

テーブルの上のバーボンが美土里ので、苺のカクテルは幸江である。
美土里は、たいていの酒はいけるくちなのだが、女性が好むような甘いカクテルだけは苦手なのだ。
「こんな素敵なところに、いい年の女が二人って寂しすぎません?」
独りでどこにでも飲みにいく美土里は、幸江の言葉に共感はできなかったのだが、少し微笑んで頷いた。
「幸江ちゃん、一緒にこんなとこに来るような男性はいないの?」
美土里は覗き込むように幸江の目を見た。
「ぜ~んぜん、朝から晩までおじさんの会社にいて、休みは水曜日、出会いなんて全くないですよ~」
口を尖らせて幸江は言った。
「その点、美土里さんは綺麗だから彼氏とかいるんでしょう、彼氏の友達とか紹介してくださいよ」
当然のことのように言う幸江に、どういえばいいのか美土里は思案した。
確かに男友達は多いかもしれない。サバサバとした男勝りの性格が、男性からすると気負いなく付き合えるのだろう。
その中には、美土里にアプローチしてきた勇敢なヤツもいる。
でも、美土里からすると彼らは頼りなく映り、彼氏という対象とはとうてい思えない連中ばかりだ。
「幸江ちゃん、私だって彼氏いないわよ。男友達はそれなりにいるけど・・・そうねえ、幸江ちゃんに紹介できるような男の人ってなるとねえ~」
いくら考えても、思いあたるヤツはいない。
無下にそういう訳にもいかず、美土里は返事を濁した。

モーツァルトの音楽が小さくなったと思うと、フロアの隅のピアノの音が響き、振り向くとピアノの横にはワインレッドのカクテルドレスの女性がマイクを手に立っていた。
女性が歌いだしたのは、昔の映画に使われた曲だ。
たしか映画「慕情」だったように思う。
どこかで聞き覚えのある曲を数曲聴いた後、美土里は右手奥のテーブル男性からの視線を感じた。
薄暗くて誰だか判らなかったのだが、視線が合い男性が立ち上がって近づいてくると、その容貌ははっきりと見て取れるようになった。
「柏木さん」
美土里は小さく驚きの声をあげた。
柏木は以前、悪徳不動産業者が所有する私道路に面した土地を購入し、配管工事のための道路掘削同意を得るための法外な承諾料を請求され困っていたのだ。
それを美土里が、隣接する他の土地を開発することにより、そちら側から配管工事を行うことで解決した経緯があった。
「やっぱり、美土里さんでしたか。暗くてお顔までは判らなかったのですが、入ってこられるときに、背が高くて素敵な雰囲気の女性だな~って思ってたんですよ」
「まあ、そんなお上手をいつから言えるようになったんですか?」
二人は笑いあった。
「美土里さん、こちらの方はどなたですか?」
放ったらかされて焦れた幸江が、美土里の袖を引っ張った。
「ああ、ゴメン幸江ちゃん、こちらは柏木さん。以前、司地所が持っている私道に接道した土地を購入されて、大変な目にあわれた方です。その相談を受けたことがあったの」
「はい、その大変な目にあった方です」
お酒が入っているのか、柏木はおどけて自己紹介をした。

潤んだ眼で柏木を見る幸江を見て、美土里は慌てて付け加えた。
「よろしければ、こちらに来られませんか?」
「ありがとうございます。でも、今日は連れもいますから遠慮しておきます。でもホントこのタイミングで美土里さんに会えるなんて奇遇だな~、実は友人が、ちょっと困ったことになってて、相談をされていたとこなんですよ。不動産がらみのことなので、美土里さんに相談しようと思っていた矢先だったもので・・・」
「ん?不動産がらみのこと?」
「ええ、また明日にでもご連絡してお伺いします」
柏木は、美土里に、そして幸江にも会釈して元のテーブルに戻っていった。
「美土里さん、素敵な男性と知り合いじゃないですか~」
幸江は膨れっ面で言った。
そういえば、柏木さんって独身だったかな?と思いながらも、頭の中は不動産がらみの問題って何かということでいっぱいだった。

「こんにちは」
柳本不動産の事務所に柏木はやってきた。
「先日は、お楽しみのところ失礼しました。突然に美土里さんと話し始めて、ご一緒におられた方は気分を害されていませんでしたか?」
柏木の手土産の柏餅を手際よく皿に載せて、美土里は応接セットに戻ってきた。
「いえいえ、彼女は私が以前に勤めていた不動産会社の事務員なんです。といっても社長の姪にあたるんですけど。柏木さんのこと、お気に入りみたいな感じでしたよ」
美土里は柏木の反応を確かめるように言った。
「そうですか、それは光栄です。たしか、美土里さんとは違ったタイプの小柄で丸顔の可愛いタイプの方でしたね」
「あら?私は可愛くなくて悪かったですね」顎を少し上向けて美土里は言った。
「いえ、そんな意味で言ったんじゃ・・・」
焦って言い返す柏木を美土里は笑顔で返した。

「ところで、不動産がらみの問題って何ですか?」
美土里は笑顔を消して顔を引き締めて言った。
「ええ、それがですね、先日一緒にいたのは会社の同僚なんですが、彼の実家の話みたいなんです。これが彼の元に送られてきたんです」
そう言うと、柏木は鞄から1通のブルーの封筒の手紙を差し出した。
宛先は曽谷幹也、差出人は不動産会社名だった。
「開けてもいい?」
柏木は頷いた。
文面は、不動産会社が柏木の同僚であろう曽谷幹也の所有不動産に処分制限が入ったことを知り、不動産の売却を勧める内容だ。
「彼の実家は広島県なんですが、父親が亡くなってから家の名義は母親との共有になっているんだそうです。この手紙がきて曽谷はビックリして実家に電話をしてみると、確かにその文面にあるように、市役所と税務署から家の差押を受けているんだそうです」
「市役所と税務署というと税金の滞納とかが原因でしょう、差押されるような心当たりはあるの?」
「はい、曽谷の母親は年金で生活しているらしいのです。ただ、父親も母親も学校の先生をされていたみたいなので、かなりの額の年金は貰っているはずなんです。特に借金もないから税金を滞納するようなことは無いはずだと曽谷は思って聞き質したところ、母親が騙されたって言っているようなんです」
「騙された?」
それと税金滞納がどのように繋がるのだろうかと訝しく思えた。

「曽谷の母親が言うにはですよ、15年くらい前に不動産屋になったかつての教え子に勧められて、自分が所有している土地に銀行から借金をして賃貸マンションを建てたらしいんです。それが新築のときは入居者で満室だったものが、少しずつ入居者が減ってきて、5年ほど前には空室が増えてしまって、借金の返済も難しくなったようです」
美土里は、黙って頷き話を聞いた。
「それで、教え子の不動産屋の勧めもあって、その賃貸マンションを売って借金返済に充てることになったのです。賃貸マンションを売れば、なんとか借金は完済できるし楽になれると思ったんでしょうね。税金のことなんて何も考えずに・・・」
「売ってしまった後に、賃貸マンションを所有していた最終年の固定資産税の請求と税務署から譲渡税の督促が来て慌てたみたいです」
「今から考えると、その賃貸マンションの建築も不動産屋が紹介した建築会社が施工したらしくて、かなり建築費も高かったように思うって、騙されたってお母さんは思われてるみたいです」柏木は苦しそうに目線を下げた。

建築費については建物や設備のグレードや内容をよくみないと高いか安いかは判らないが、賃貸マンションを建てる際には、賃貸需要があるエリアなのか、間取や設備がその需要にマッチしているのかなどの検討は必要だ。
ましてや、売却した場合の税金については不動産業者として知っておくべきであり、お客さんに教えてあげるのは当然のことだろうと美土里は思う。
教え子の不動産業者が騙す意思があったかどうかはともかく、認識してもらうべきことをきちんと話していなかったことで、お客さんから騙されたと思われるのは仕方がないところだ。
「それで結局、マンションは売って銀行の借入は完済したけど、固定資産税と譲渡税が払えなくて滞納し、自宅を差押えられたってことね。今回手紙を送ってきた不動産屋も、お母さんの教え子の不動産屋なの?」
テーブルの手紙を指差して美土里は訊ねた。
「いえ、それは違うようです。曽谷が確認すると、その不動産屋は教え子の不動産屋とは関係なくて、独自で差押の情報を調べてダイレクトメールで営業しているようなのです」
美土里は少しは救われる気持ちになった。
教え子の不動産屋だとしたら、譲渡所得税の納付が必要であり、その納付が曽谷側にできないことを知っていた上で、実家も売らせる目的で、あえて賃貸マンションを売らせた疑いも残る。
そうなると、自分の教え子だからと信頼して任せた曽谷の母親には、辛すぎる事実になるからだ。

「でも、ちょっと解らないことがあるんです」柏木は首を傾げた。
「解らないことって?」
「曽谷に聞くと、マンションを建てた値段より売った値段の方が低かったようなんです。買った値段よりも売った値段が高ければ譲渡所得税ってかかるのですよね、じゃあこの場合は譲渡所得税はかからないんじゃないのですか?」
柏木は首を傾げたまま、眉間に皺も寄せた。
「ああ、それ。一般の人がよくやる間違いなのよ」
美土里は長い人差し指を柏木の目の前に出した。
「まず、土地については元々持っていた土地なんでしょう?先祖代々の土地だったとしたら、いくらで取得したかわからないケースがほとんどだわね。そうすると売った値段の5%が取得費とみなされるので、売った値段の95%の利益があったとされ、それに対して長期所有の場合、譲渡所得税15%住民税5%の合計20%の税金がかかるのよ。次に建物だけど、建物は建てた値段が取得費じゃなくて、売るまでには何年か経過しているでしょう?その間については減価償却がされるので、減価償却分を差し引いた金額が取得費とされるのよ。だから実際に建てた値段より売った値段が低くても、譲渡所得税がかかってくるってわけ」
柏木は頭をフル回転させて美土里の話を聞いているようだったが、天井を見上げた柏木は理解できていないみたいだ。

「じゃあ、もう少し具体的に話してみるわね」
そう言ってテーブルに広げたコピー用紙に数字を書き始めた。
「例えば、建築費が1億円だったとするわよ。建物構造が軽量鉄骨だったとすれば、耐用年数が27年間、15年経過だからその間の減価償却をすると・・そうねえ、15年経った建物価格は6000万円弱になるかしら。とりあえず6000万とするわね。この建物と土地を合わせて8000万円で売れたとしましょう、すると土地の値段は、土地建物合計の売却価格8000万円から減価償却後の建物価格6000万円を引いた2000万円となるでしょ。その場合、譲渡所得税はどうなるか?」
「面倒だから諸費用分は参入せずに計算するわね、土地については2000万円の5%の100万円が取得費とみなされるから、1900万円が課税価格になり、その20%の380万円が譲渡所得税と住民税の合わせた金額となり、建物については6000万円としているので減価償却後の金額と同額で課税は無し、つまりこの場合は1億円で建てた建物を土地建物合わせて8000万円で売ったとしても、380万円の譲渡所得税等がかかるってこと」
「じゃあ次に、このケースで土地は売らずに建物だけを売った場合はどうなるか?」
「1億円で建てたけれども、減価償却した後の金額は6000万円なので、売った金額が8000万円だとすると、2000万円について課税され、400万円が税金となるのよ、まあ実際は取得費に参入できる費用とかいろいろあるから、数字は変わってくると思うけどね」美土里は諭すように話をした。

「う~ん、そうなんですか?建てた値段よりも安く売ったとしても税金がかかることがあるんですね」柏木は感心して腕組みをした。
「そうよね、だから不動産を売るときには税金の計算をして売却しないと大変なことになるのよ。それ以前に賃貸需要があるのか、建築費は適正価格なのか、空室リスクを考えて借入を行っているのか、売却するとしてもその価格は妥当なのか、などなど、よく検討して賃貸経営事業をしないと失敗する可能性が高くなるわよね」
美土里は年老いてから税金の督促を受けている曽谷の母親を想って胸が詰まった。

「で、結局どうしたらいいんでしょう、曽谷は?」
「そうねえ、それを検討するには、本人にもっと詳しく話を聞いたほうがいいわね、近いうちに曽谷さんを連れてきてくれない?」
「わかりました、じゃあ今から確認しますから、ちょっと待ってください」
そう言うと柏木は、スーツの内ポケットから携帯電話を取り出した。
「もしもし、柏木だけど・・・お疲れ様、こないだ話をした不動産屋さんに今いるんだけど、曽谷にも話を聞きたいってことで、近いうちに時間ある?・・・うん・・・うん・・明後日の日曜日の10時な、ちょっと確認するから待って」
会話を聞いていた美土里は、目配せして頷きOKのサインを出した。

「この度はお世話になります」
柏木とともにやってきた曽谷は、柏木に比べ痩せていて面長の顔が、さらに細さを際立たせているようだ。
少し緊張しているのか、言葉や動きがぎこちない。
「美土里さん、曽谷は僕と会社の同期なんですよ、といっても僕はあれ、Uターン組だから、僕の方が歳は2つ上なんですけどね」
曽谷は微笑んで頷くだけだが、親しみある雰囲気が漂っていた。

「実家は広島なんですってね」
美土里は曽谷の緊張をほぐすように、当たり障りの無い話から聞いた。
「はい、広島の市内です」
「お母さんは、お1人で暮らされてるの?」
「はい、実家に1人で住んでいるのですが、近くに嫁いだ姉がいるものですから、僕も安心してこちらにいるのです」
「そう、それなら心強いわね。でも、今回の件では、お母さんも大変でしょう?」
そろそろ核心の話に入ることになる、
「はい、税金の滞納については、かなり前からの話のようです。でも、何とか、やり繰りをして少しず支払ってたようなのですけど・・・この度のダイレクトメールが来るまで僕や姉にも何も話してくれてなくて・・・・」
子供にも話さず自分だけで苦しんでいた母の気持ちを想ったのだろう、曽谷はこみ上げるものを抑えて、続けた。
「そう、でもこうして曽谷さんも知るところとなって、解決方法を探っているんだから、お母さんも少しは楽になったんじゃないかしら?」
「それならいいんですけど」曽谷は俯いた。
「それで、税金の滞納はいくらくらいあるの?」
「はい、全部で500万円弱くらいです」
柏木も金額は聞かされていなかったらしく、ため息を殺して天井を見上げた。
「そう、もしこのまま放っておいたら、ご実家は競売になって強制的に売却されてしまうでしょう、それで税金が完納できれば、まだましなんだけど、完納に足らないとなると足らない分は引き続き督促を受けることになるの、一般的に競売は安い値段で落札されてしまうから、どうせならそれまでに売ってしまって任意売却を選ぶほうがいいと思うんだけど・・・」
「実家を売却することについては、お母さんはなんて言われてるのかしら?」
「ええ、一時は実家の売却も考えて近くの不動産屋さんに査定をしてもらったようですが、建物は古いし、なにせ道路に接していないからという理由で、まともな値段が出ないみたいです」
「まともじゃない金額って?」
「はい、200万円ほどみたいです。母親としては、それじゃ、売りたくないみたいです」
「そりゃあそうよね、住み慣れた家だしね」
曽谷は救いを請う目で美土里を見た。
でも、どうしたものか?と美土里は目をつぶり頭をひねった。

このまま放っておくと競売になる、任意売却をしようと思っても200万円程度ならまだ300万円も税金が残ることになるし、役所にしても任意売却の同意は難しいだろう。
美土里は口を開いた。
「役所には分割で支払うってことで承諾をとって競売申立を待ってもらい、家を貸して賃料を税金に充てるってのはどう?で、お母さんは曽谷さんか、お姉さん一家と暮らすっていうのが一番だろうけど・・・もしくは任意売却の同意を役所にしてもらって実家を売却して残りについて分割で支払うとか」
曽谷は即答できそうになかった。
「ご家族と一緒に住むのが無理ならお母さんに賃料の安い部屋を借りてもらって、実家の賃料は税金の支払いに充てる・・・お母さんは、それなりの年金も貰っているみたいだから、それでもやっていけるんじゃない?」

黙って聞いていた曽谷は重い口を開いた。
「姉ちゃんとこは旦那さんのお父さん、つまり義父も同居しているみたいなんです。だから、どう転んでも姉ちゃんとこに母親が入るわけにはいかないと思います。となると、僕が一緒に住むか、母親が安い部屋に移るかになりますよね。僕としてはいつまでも母親に独りで暮らして欲しくはないのですけど、母親も住み慣れた地元を離れるのは嫌がるだろうし・・・」
「でも、ありがとうございます。どうすべきかがクリアーになりましたので、母ちゃんと姉ちゃんと話をして、何とか頑張ってみます」
思ったより晴れやかになった曽谷の表情をみて、美土里は少し安堵した。(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。