トップページ > 2013年3月号 > 女不動産屋 柳本美土里

女不動産屋 柳本美土里

「まだ寒いね~」
藤田涼子は、電車から降りながら手を擦り、その手を口元に持っていった。
彼女は、美土里の同業の不動産業者、アートエステートの代表である。
美土里とは、協会の研修会で知り合った。
女性が少ない業界の中で、比較的若い二人は意気投合した。
それから数回、仲介、売主、買主と立場を変えて取引をしている。
飲むことも食べることも大好きな二人は、いつの頃か、毎年冬の時期には、カニツアーに行くようになっていた。
今年も、そのカニツアーにやってきたのだった。

「ほんと、もう3月だというのに寒いわね」
美土里が、ブラックのラムコートの首元をつまんで応えた。

兵庫県の北部にある昔から栄えたこの温泉街は全国的にも有名で、小説や歌の舞台となったことが、それに拍車をかけていた。
冬の時期には日本海で獲れる松葉カニをメインとした料理を提供する宿が軒を連ねている。
大阪からも2時間あまりで行けるとあって、美土里と涼子は、ここ数年はこの温泉街に来ていた。

「いつもありがとうございます。お待ちしておりました」
旅館の法被を着た番頭が、二人を駅まで迎えにきていた。
「どうも、お世話になります。番頭さんのお顔のつや、一段と良くなられてますね~」
涼子が番頭に近づいて笑った。
「いやあ、毎日温泉に浸かってると肌つやが良くなるんですわ。お客さんらも、帰るころにはつるつるお肌になってますわ」
そう言って、番頭は自分のピカピカの頭を撫で上げた。
美土里と涼子は顔を見合わせ、一呼吸置いたあとに吹き出した。

「さあさあ、寒い中で立ち話をして風邪でもひいたらいけませんから、どうぞお乗りください」
駅のまん前に停めたマイクロバスに、番頭の案内で二人は乗り込んだ。
旅館までは、駅からバスで5分ほどの近い場所にあるのだけれど、雪道を歩くのに慣れていない客が途中で転んでもいけないとの思いから、この旅館では駅までマイクロバスで迎えに来ているのだ。
スタッドレスタイヤをはめたマイクロバスは決して乗り心地はいいとは言えなかったが、窓から見える雪景色が、遠くの町までやってきたような旅情を感じさせた。

「いらっしゃいませ、いつもありがとうございます、ようお越しくださいました」
薄いグレーに牡丹の刺繍が施された上品な和服で迎えてくれた女将は、親しみのこもった笑顔で丁寧にお辞儀をした。
年齢は40代後半くらいだろうか?大人の女性の艶と気丈そうな雰囲気を兼ね備えた女将。
カニが美味しいだけでなく、女将の雰囲気が染み渡った落ち着きのあるこの旅館を二人は好み、今年もやってきたのだ。

テーブルいっぱいに広げられたカニ料理を食べ、お酒を飲んだ二人は、食後のコーヒーを飲む頃になって口数が増した。
「カニは美味しいけど、食べるのに一生懸命で会話が少なくなるのが玉に傷やね」
ぽっちゃりとしたお腹をさすりながら、涼子は言った。
「だって、涼子は食べているときには話しかけられないほど集中しているもの」
「そういう美土里ちゃんも、かなり集中してたやん」

「ほんと、旅行はいいわよね」
「そうね、でも暮らすとなると大変なんでしょうね」
「土地も安いだろうから、仕事にはなれへんね」
「うん確かに、土地は安いし需要も少ないだろうから、なかなか不動産の仕事は難しいでしょうね」
美土里は、旅行に来てまで仕事の話をするのは、なんだかな~と思ったが、二人が共有できる話題として一番気兼ねなく話ができるのは、やっぱり仕事絡みの話なのだろう。
「この辺りは市街化調整区域やろね」
「それとも都市計画区域外なのかも?」
そんな話の流れの中で、涼子は何かを思い出したようだった。
「美土里ちゃん、市街化調整区域って、一般の人はどうしても建物を建てられへんのかな~?」
「どうしたの?何か困ったことでもあったの?」

「実はね、従兄弟が家を建てようと思って調整区域の土地を買ったんやけど、家が建てられへんって・・」
「そりゃ、調整区域だからね、農家とかでないと無理でしょうね、涼子が仲介したの?」
「いや、それがあいつアホやから、塗装屋が持っていた土地を仲介も無しで直接買ったみたいなんよ。で、困って私に泣きついてきたって訳」
「何それ?涼子と仲が悪かったの?」
「そうでもないんやけど、あいつケチだから仲介手数料を払うのが惜しかったんちゃうかな?ほんまアホや」
「涼子にかかったらボロカスね、でも仲介業者入れてたら、その土地に家が建てられるかどうかなんて、説明してもらってから、買うか買わないか判断できたのにね」
「そうよ、私に仲介させてたらこんなことにならなかったのに・・・広い土地が安いからって飛びついたんでしょ」

「でも、涼子の従兄弟だし、困っているようだから何とかしないとね」
「そうなんよ、なんとかならへんかな?」
「平成13年以前は既存住宅と言って、調整区域の線引きがされる昭和45年以前に住宅が建っていた土地であれば建替ができる制度があったんだけど、それも無くなったしね。その土地は、幹線道路に面しているの?」
「ううん、田んぼに囲まれた土地。道路はちゃんとあるようだけど」
「そう、じゃあ幹線道路沿いの沿道サービス業としての建物も無理だわね。う~ん、なかなか難しいわね。じゃあ、その土地って、市街化区域から近かったりしない?」
「近いか遠いか判らないけど、そうね、たぶん市街化区域から車で5分くらいは行かないとあかんやろなあ」
「それじゃ、連たん区域の制度も無理やね」
「連たん区域制度って?」
「市街化区域と隣接していて市街化区域と日常的に同じ生活圏にあり、概ね50戸以上の家が連たんしている地域の場合、許可が受けられる場合があるんだけど・・・これも無理そうだよね」
「じゃあ、どうしよう」
「いっそのこと、農家の養子にでもなったら?って、それは無茶な話よね。」
「そうね、ちょっと発想を変えないといけないかもね」

「発想を変えるって?」
「そう、発想を変えるの」
美土里は細くて長い指を立てた。
「今は、調整区域にある土地にどうしたら家を建てられるかばかりを考えているでしょう?」
「この際すっぱり諦めて、家が建てられる地域で探しなおした方がいいんじゃないの?で、調整区域の土地は売ると」
「売るって言ったって、そう簡単には売れへんのちゃう?」
「そうよね、市街化区域の土地に比べたら売りにくいだろうね。だって家を建てられるのが農業・林業・漁業を営んでいる人とかでないと無理なんだから」
「売るのも難しそうやけど・・・」涼子はうな垂れた。
「できないじゃなくて、やるのよ。どうしたらできるかを考えましょう」
「そやね、この話は帰ってからにして、もう一度温泉に入って、今日はゆっくり寝よ。お肌のためにもしっかり睡眠とらなあかんし」
こういった切り替えの早いところが涼子の良いところだ。
美土里にタオルを手渡して、涼子は微笑んだ。

「どう?私のお肌つるつるになった~?」
「涼子は、もともとお肌つるつるでしょ?」
「またまた~、嬉しいこと言ってくれるやん」
温泉から帰ってきた翌日に、涼子は美土里の事務所、柳本不動産にいた。
「でね、こないだの話なんだけど、どうしたらええやろか?」
「そうね、さっき教えてもらった場所なら、海からは遠いから漁業の人に売るってのは、考えにくいわね、売るとしたら農業や林業をしてる人でしょうね」
「でも、農業や漁業をしている人で家を建てようって人をどうやって探したらええんやろね?」
「そうね、う~ん、ちょっと待って、農業といえば農協かぁ、でも、農協から農家のリストなんて手に入らないだろうし・・」
「あっ、そうだ!農業委員会なら、農業従事者のリストがあるはずだけど・・・」
「でも、それも手に入れることは難しいんちゃうの?」
「もしかしたら、なんとかなるかも?」
「え?ほんと?」
涼子はびっくりして美土里の顔を見返した。
「ちょっと、頑張ってみるね」
美土里は、何か策がありそうに、頷きながら、にっこり微笑んだ。

「すみません、佐野友之さんおられますか?」
美土里は、市役所の窓口にいた。
「ああ、人事部の佐野さんですよね。どういったご用件ですか?」
窓口の女性が尋ねた。
「いえ、高校時代の同級生なんです。市役所に寄ったら声を掛けてくれって言われてたもので・・・」
「そうですか」
女性は、何の疑いも無く、呼び出してくれた。
「よお、柳本やんか。久しぶりやな~、どうしてたんや?」
そこには、ちょっと歳をとった同級生の佐野君がいた。
「ここではなんなので、ちょっとどこか話せる場所ない?」
「なんや、その言葉遣い。東京に行ってからは、すっかり標準語なんか?」
「いや、そんなことないけど・・・たまに、こっちの言葉が出ることもあるよ」
「「あるよ」っときたか。まあええわ、何か話あるみたいやし、役所の隣に喫茶店があるから、そこに行こ、すぐに行くから先に行ってて」
そう言うと、佐野君は奥へ引っ込んだ。
涼子の従兄弟が購入した市街化調整区域のある市の市役所には、偶然にも美土里の高校時代の同級生である佐野が職員として勤めていると聞いていたのだ。

「お待たせ、でも柳本が来てくれるって嬉しいなあ、なんせ同級生のマドンナやった女子やもんな」
「佐野君、なに言うてんの?そんな何十年も前の話」
「いやいや、相変わらず美人やけど、結婚はしたんか?」
「佐野君、えらい口が上手くなったんちゃう?でも、残念ながらまだ独身です」
「ほお、こんな美人が嫁に行かれへんなんて、不思議やな~」
「行かれへん?聞き捨てならんな~、行かれへんのやなくて、行かへんだけや」
美土里は、ふくれっ面をした。
「こりゃ失言してもたわ」
佐野は、笑うとコーヒーを一口啜った。
「で、何か話があるんとちゃうんか?柳本が何も無いのに、わしを訪ねてくるわけあらへん」
そう言って、佐野は美土里の顔を直視した。
「あっ、ばれたか。実はね、佐野君に頼みがあるのよ」
「やっぱりな・・・で、頼みって何や?金なら無いで」
「そんなん違うわ、ちょっと農業委員会の人を紹介して欲しいの」
「農業委員会?」
「そう、農業委員会。農業従事者のリストが欲しいんよ」
佐野は驚いて美土里を見つめて黙った。
「どう?なんとかならん?」
「わしは人事部やから農業委員会にある農業従事者のリストなんて手に入れることはでけへんけど、農業委員会の職員を紹介するくらいならしたるから、その後は自分でなんとかしいや」
「うん、ありがとう、じゃあ早速なんだけど、今から紹介してくれるかな?」
「えらい急やな」
「当たり前や、民間は何でもすぐに仕事せなあかんのや、お役所とは違うわ」
「こりゃ手厳しいな。ほな行こか?」

「増谷君、ちょっとちょっと」
農業委員会に美土里を連れてきた佐野が、ひとりの職員を手招きした。
「佐野さん、どうされたんですか?」
「仕事中にすまんな。実は、この人、わしの高校時代の同級生やねん。農業委員会に用があるから職員を紹介してくれって・・・なんとか上手いことやってくれへんか」
佐野は増谷に小声で話し目配せをした。
「佐野君の同級生の柳本って言います。増谷さん、よろしくお願いします」
美土里は、ペコリと頭を下げた。
「柳本さんですか、じゃあどうぞこちらでお話を伺いますから」
他の職員から少し離れた小さなテーブルへ美土里を案内した。
「どういったご用件ですか?」
「はい、こちらに農業従事者の台帳があると思うんですが、それを見せてもらいたいんです」
「柳本さん自身が、この市の農業従事者なんですか?」
「いえ、私は違います」
「農業従事者台帳は、農地の農業従事者か所有者とかの関係人しか閲覧することができないんです。どなたかの委任状はありますか?」
「いえ、それも無いんです」
「そうですか~」増谷職員は、目をつぶって天井を見上げた。
「ちょっと待ってください」
そう言うと席を立ち、自分の机に戻っていった。
しばらくして戻ってきた増谷の手には1枚の紙と台帳らしき綴りがあった。
「柳本さん、これ私からの委任状です。私の家も農業をしていますので、この台帳に載っています。委任状に柳本さんの名前と住所を記入してください。それで、台帳を閲覧することができますから。ただ、台帳は該当の部分しか閲覧することはできないんです」
そう言って、増谷は委任状と台帳をテーブルの上に置いた。
「私も他に仕事がありますから、あなたが他のページを見ないようにずっと監視することはできません。私は向こうで他の仕事をしますので、用件が終わったら声を掛けてくださいね」
増谷は、瞬間片目をつぶって机に戻っていった。
「ありがとうございます」
後ろから声を掛ける美土里に、増谷は後ろ向きのままに片手を挙げた。

「あんなに手書きしたのは、ほんと久しぶりやったわ。で、この手に入れたリストにダイレクトメールを送ってみましょう。文言は、こちらで適当に作ってアートエステートの名前で出すから、反響があったら話をしてよね」
「美土里ちゃん、ありがとう。ほんとに恩に着るわ。決まったら御礼するからね」
「そうなることを期待してるわ」

美土里がダイレクトメールを出してから1週間ほど経った頃、涼子から電話が入った。
弾けるような涼子の声だ。
「美土里ちゃん、反響あったわ!あのダイレクトメール。明後日に案内だから、また結果を連絡するね」

問合わせがあったのは、物件の近くに住む人だった。
もちろん農家だ。
これなら、文句無く調整区域でも家を建てられる。
涼子は、物件に案内するために、お客さんの家を訪ねた。
その家は、田んぼの中の大きな旧家。
かなり年数は経っていそうなので建替えする必要はあるかもしれないが、新たに建てる必要があるとは思いにくいのだが・・・。
「アートエステートの藤田さんやな。お世話になります」
玄関に出てきた男性の顔には皺が深く刻まれ、手は黒く、いかにも長い年数を野良仕事に費やした手だ。
女性の方は、少し腰が曲がった小さな体格だ。
二人を車の後部座席に乗せ、涼子は車のハンドルを握った。

「うちの息子は、大阪で働いてるんやが、いずれ帰ってきて農家を継いでもらおう思うてな。そのために近くに家を建てたろうと思うて・・・ほんで土地を探しとったんや。まあ、畑の一部をつぶして宅地にしてもよかったんやが、田畑が減るのはあんまり好きやないんや」
「今時の若い連中は、結婚したから言うて実家の敷地に家をこさえても、あんまりええ顔せえへんしな」
しわがれた声で男性は笑った。
車で5分もいかない場所に、従兄弟の買った土地はあった。

「こちらが、その土地になります。こちら側が南側になっていますので、日当たりもいいと思いますよ」
「広さは、50坪くらいかな?」
「はい、60坪をちょっと切るくらいの広さがあります。土地の形もいいですし、いかがですか?」
「そうやな、ここなら家からも田畑からも近いし、ええやろ」
なんと、調整区域内の土地が、あっさりと売れてしまった。

「美土里ちゃん、ありがとう、あの土地決まったわ、それもキャッシュのお客さん。近くの農家の人が息子のために買うって、美土里ちゃんのお蔭やわ」
「そう、ほんとラッキーだったわね」
「ほんま、アホな従兄弟のためにゴメンね~。それでね、あいつ今回の件で懲りたみたいで、私に土地探しを任せるって言うてきたわ」
「そう、良かったじゃない」
「まあね、それでね、美土里ちゃんのとこで何かいい宅地を持ってない?」
「そうね~、あの辺りに適当な土地は持ってないけど、こないだ買って欲しいってやってきたお客さんの古家があったわね」
「それって、どこ?」
「ちょっと待ってね」
美土里は、棚から住宅地図を引っ張り出してテーブルの上に広げ、ページをめくった。
「ああ、これこれ、ちょっと大きいんだけどね、100坪くらい」
「100坪かあ、それはちょっと無理やろな~、そやけど、これなら分割できそうやん」
「そうよね、間口が広いからきれいに2分割できるわね」
「50坪くらいならちょうどいいと思うから・・・もし従兄弟が興味を持つようなら、分割して売ってもらえるかな~?」
「そうね、買取の話をまとめてからでないと無理だけど、ここなら坪50万円でどうかしら?」
「それなら十分予算内だし、いいんじゃない。とりあえず従兄弟に聞いてみるわね」
「わかった、じゃあこっちも買取りの話を進めてみるね」

涼子からの電話は3日後だった。
「こないだの物件ね、従兄弟を連れて行ったら、場所は気に入ったみたいなんよ。そやけど、まだ古家が立ってるからイメージが掴めないみたいで、ほんま世話のかかるヤツやわ」
「あの状態で、さらに分割してからの土地を買うかどうかって話でしょう、一般の人なら、そりゃ仕方ないわよ」
「まあ、そうなんやけど・・・だから、結論は出せてないの、ゴメンね」
「ううん、そんなのいいわよ。どちらにせよ、買取はしようと思って話は進めているから。売主さんもまともな人で、きちんと説明をしたら買取価格も納得してくれたし。月末にも決済する予定で、決済後すぐに建物解体に入るから、更地になってから、また検討してくれたらいいから」
「うん、わかったわ、なんとか頑張るから」
「無理はしなくていいからね」

順調に解体も終わり、更地になると、涼子からすぐに電話が掛かってきた。
「美土里ちゃん、こないだ従兄弟に紹介した土地ね、もう解体終わったんやって?」
「うん、昨日に完了して更地になったとこなんだけど、情報早いわね」
美土里はびっくりした。
「それがね、あの従兄弟が、あれから自分で現地に行ってたらしくて、解体されるのを見てたらしいのよ、で、解体されたとたんに直ぐに購入申込したいって言ってきたの」
「へえ~、よく言えば行動力があるタイプ?悪く言えば、慌てんぼう?」
「どう考えても、慌てんぼうの粗忽ものやな、あいつは」
「でも、今回は美土里ちゃんのとこの物件やし、間違いないわ。申込書をFAXさせてもらうから、よろしくお願いね」
「はい、でも分筆もまだだけどね」
「その辺りは任せるわ、決済できたら、お祝いしましょうね」
「賛成、じゃあいつもの焼酎バーに行きましょう、男も連れて行くね」
「男?美土里ちゃんにしては珍しい話やね」
「うん、お世話になった市役所の職員を二人ね」
「わあ!楽しみが増えたわ、よろしくね~」
電話を切って間もなく、FAXの着信音が鳴った。(完)

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。