トップページ > 2013年1月号 > 女不動産屋 柳本美土里

女不動産屋 柳本美土里

「このところ、チラシの反響が全然ありませんわ」
柳本不動産のソファで、山本が愚痴った。
山本は、美土里と同業の不動産屋さんで、売買仲介をメインの業務としている。
個人や法人の所有物件を売って仲介手数料を貰うのが生業だ。

売主を見つけ、売り物件として動くのが「値付け」、買主を見つけるのが「客付け」と呼ばれている。
「客付け」は、「値付け」から物件情報を入手し、新聞広告や折り込みチラシ、戸別のチラシ投函やダイレクトメール、インターネット広告などなど、あらゆる手段で購入客を見つけるのだ。
同じ仲介業者が「値付け」と「客付け」の立場を兼ねることもあり、その場合は売主と買主の両方から仲介手数料を貰うことができるため、仲介業者としての利益は大きくなる。
以前に美土里が値付けした物件に、山本が客付けをしたことから、業者づきあいが続いている。

「山本さんとこは、まだチラシを新聞折込してるの?」
そういう美土里を山本は訝しげに見た。
「折込チラシは、仲介業者として広告の基本ちゃいますの?」
美土里は、ふふっと鼻で笑った。
「そうかしら、うちなんて1年以上も折込チラシしてないわよ」
「ええっ」
山本は大仰に驚いた。
「山本さん、新聞を購読している人が減っているって知ってます?特に、住宅購入の中心層である30代や40代の人は新聞を読んでいる人がかなり少なくなっているらしいわよ」
「じゃあ、美土里さんとこは、どうやって広告してはるんですか?」
「そうね、最近ではインターネット広告が多いかな?」
「イ、インターネット広告?わしパソコン苦手なんですわ」
「そんなこと言うてる場合やないと思いますよ。お客さんがいるところに広告していかないと、折込費用もバカにならないでしょう?」
山本は大きく頷いた。
「ほんま、そうです。折込チラシは経費ばっかりかかって、こないだなんて3万部入れたのに、いっこも反響ありまへんでしたわ」
「山本さん、協会の勉強会とかでパソコン講習があったり、インターネット広告のこととかも教えてくれるから、ちゃんと出席したほうがいいわよ。協会から送られてくるFAXにきちんと目を通して」
「すんまへん、FAXの紙やインクがもったいないから夜はFAXの電源切ってますねん」
「そりゃあかんわ」
美土里は呆れた。

「それはそうと、今日は美土里さんにちょっと相談があって来たんですわ」
「どうしたの?」
「自分の高校時代の同級生から相談があって・・・田代って名前です。そいつは、賃貸住宅に嫁と子供との3人で住んでるんですが、先日、裁判所から調査官が競売の調査にやってきたらしいんです」
「てことは、その賃貸物件が競売の準備に入ったってことね」
「ええ、そうなんです。で、競売になったら自分たちはこのまま住んでられるのか?入居時に入れた保証金は返ってくるのか?とか、いろいろ聞かれてしまって・・・で、ちょっと調べてからまた教えるからって逃げたんです」
山本は頭を掻いた。
「で、私に聞こうと?」
「はい、そうなんです」
「呆れた、そんなこと自分で調べたら判ることじゃないの?まあいいわ」
そう言って美土里は話し出した。

「賃貸されてる物件に競売の原因となった権利、一般的には抵当権が設定されているわけだけど、それがいつの時点で設定されたかによって対応は変わってくるのよ」
「つまり、賃貸借契約の時期が抵当権設定の日の前か後かによって異なるわけ」
「物件を買うときには、自分で住むための住宅ローンであれ、投資物件用のアパートであれ、金融機関から借りて物件を買う。そして、所有権移転と同時に抵当権設定がされる。それから賃貸募集をするケースが多いわよね」
「ということは、賃貸借契約よりも抵当権設定が先にされているケースが多いってことか?」
山本が応えた。
「そうね、そのケースが圧倒的に多いでしょうね」
「そうだったとしたら、借主は競売の落札人に対抗できないのよ。落札人が出て行って欲しいって言うなら、6ヶ月の猶予期間内に退去しないといけなくなるわね」
「保証金の戻りは落札者が支払ってくれるんでっか?」
「いや、それも落札者は払う必要がなくて、あくまで賃貸借契約をしていた貸主である前所有者に義務が残るだけなの。とはいえ、競売にかかるくらいだから、敷金や預かり保証金も貸主が使ってしまって、なかなか返っては来ないでしょうね」
「ってことは、6ヶ月以内に引越ししないといけないし、保証金は返ってこない、借主としたら踏んだり蹴ったりですやん」
山本が憤った。
「そうよね、以前は短期賃借権の保護っていうのがあって、このケースでも3年以内の短期賃貸借契約であれば、契約期間満了までは住み続けることができたのにね・・・その規定を使って占有屋っていうやくざまがいの連中が物件に居座って、落札者に過度の負担を強いてたりしたから」
「そうなると、競売入札では短期賃借権の付いている物件の入札者が減る、そこを狙って占有屋と繋がった不動産業者が安値で落札しようとして、競売申立人の債権回収額を妨げるっていう構造があったのよ。それで法律を改正して、抵当権設定後の賃貸借契約は競売の落札者に対抗できないようになったってこと」
「なるほどね、でも借主だけが貧乏くじを引くみたいで、なんだかすっきりとせんのやけど・・」
友人が借主の立場だからか、山本は借主に同情的だ。

「でも、実際にどうなるかは落札者しだいよね。例えば落札者が、投資目的で、そのまま借主に住んでいてもらいたいって思えば、住み続けることはできるでしょうし、再販業者が落札したのなら、早く部屋の改装をかけて売りに出したいだろうから、保証金や引越代も出すから退去して欲しいと持ちかけられることもあるでしょうね」
美土里は山本を慰めるように言った。
「まあそうかもしれんけど・・・田代に話をするのが辛いわ」
山本はうなだれた。

「いずれにせよ、内容の確認をしましょう。山本さん、田代さんに言って賃貸借契約書と重要事項説明書のコピーを貰ってきて。私は、登記簿を調べるから」
「美土里さん、お世話になります。じゃあ、ちょっと行ってきますわ」
山本は、木製の引き戸をつっかえながら開けた。
山本を見送ってから、美土里はパソコンの前に座り、インターネットで登記情報を引っ張り出した。
「ふ~ん」
そう言うと、画面の登記情報をプリントアウトして、しげしげと見つめた。
翌日、山本がやってきた。
「美土里さん、良かったら、これどうぞ」
山本の手には、口の中でスーッと溶けてなくなるほどの生地だと評判で、10年ほど前から大阪で「魔法のロール」と言われているロールケーキが携えられていた。
「おや、山本さん、気が利くわね」
「美土里さんは辛党だって聞いてたんで、甘いものはどうかな?って思いながら持ってきたんですが、大丈夫でしたか?」
「ええ、このロールケーキなら、冷酒のあてにいいかもね?」
美土里は、片目を瞑って応えた。

「ところで、昨日のお話の契約書と重要事項説明書は?」
「あっ、それそれ」
山本は、鞄からクリアファイルに入れた書類を差し出した。
「あれ?契約書はあるけど、重要事項説明書は?」
「それがですね~、重要事項説明は受けてないって言うんですよ。そんなはずはないやろ?って言ったんですが、本当に契約書にしか署名捺印はしていないし、そんな説明を受けたことは無いって言うんですわ」
困った顔で山本は言った。
「どこの業者やろうね?」
契約書に記載された仲介業者の名前を確認した。
「床下不動産か、あそこなら重要事項説明を省きかねへんわ」
美土里ははき捨てるように言った。
「そやけど、重要事項説明せえへんって、宅建業法違反でしょう?そんなこと有り得るんやろか?」
山本は不思議そうに腕を組んだ。
「程度の低い賃貸業者は、重要事項説明をしないことも往々にしてあるみたいよ。協会の無料相談で来た消費者に聞くと、説明受けていないってことが時々あるもの」
協会の役員をし、消費者からの相談業務も受けている美土里は、呆れたように言った。

ひと通り契約書に目を通した美土里は、「うん」と小さく頷いて笑みを浮かべ、山本を見た。
「で、田代さんは、これからどうするのを希望されているのかしら?」
「ええ、契約書を預かるときにも話したんですが、あいつは今まで通り住めることを望んでいるようですわ、住んで3年ほどしか経っていないけど、しっかりと住み慣れた部屋と環境になってるようですわ」
「となると、誰に落札されるか判らない競売じゃあ具合が悪いわね。今の段階で、任意売却に持っていって、賃貸のオーナー業をされている人に買ってもらうか、田代さん自身が購入する必要があるわね」
「なるほど、その手があったか!」
山本は膝を打った。
「でも、うちは任意売却を取り扱ったことないからな~」
山本は縋るような目で美土里を見上げた。
「大丈夫よ、ちょっと手間なだけで難しくはないし、私がアドバイスしてあげるから、これを機に挑戦してみたら?」
「よろしくお願いします」
殊勝にも山本は頭を下げた。
「魔法のロールの力ね」
二人は顔を見合わせて笑った。

夜の7時過ぎに山本から電話が掛かってきた。
「美土里さん、あれから田代と話をしたら、あの部屋を買えるのなら買いたいって言ってるんですよ。あいつは、大学を卒業してからずっと大手の電機メーカーに勤めているし、所得も結構あるようなんで、ローンは通ると思うんやけど・・・」
「そう、じゃあ所有者に話をして任意売却に持っていくように話をつけないとね、それができたら、債権者に任意売却をしたいからって手続きを進めていくことになるわ。」
「賃貸借契約書の貸主と謄本に載っている所有者が同一人物の三田義三のようだから、この三田さんに連絡してみて、任意売却の話をしてみるわ」

美土里が所有者に連絡をとった。
「柳本不動産の柳本美土里といいます、突然のお電話で失礼します。実は、賃貸に出されているお部屋が競売の準備に入っているようなので、ご相談がありまして、お電話させていただきました」
「そんな話を誰から聞きはったんでっか?」
年配と思しき声が訝しそうに問い返した。
「実は、部屋に裁判所の調査官が来られたみたいで、入居されている田代さんがそれを知ったみたいなんです。で、わたしどもは田代さんから相談を受けて、こうしてお電話させていただいています」
「はあ、そうでっか?で、ご用件は?」
三田は、投げやりに言った。

「もし、このまま競売が進み落札されることになると、三田さんと借主の田代さんとの賃貸借契約は解除になります。それに伴い、保証金の返還義務が三田さんにかかってきます。そうですね、契約書では50万円の返還義務ってことになりますね」
「そうでんな、そやけど物件も競売になり、借金はあっても他に財産も無いし、自己破産でもしようかと思うてますんや。田代さんには悪いけど、保証金の返還は適いませんわ」
三田は開き直った。
「そうですか、それなら相談なんですが、このまま競売になってしまう前に部屋を売りませんか?」
「それも考えたことありますんやけど、売っても1000万円ほどにしかならんのですわ、借入の残債務が1500万ほどありまんねん。足らずの500万円を用立てることもできまへんから、もうどうにでもしてくれって感じで競売に進んでるみたいなんですわ」
「ええ、それも承知しています。弊社が査定させていただいた金額でも1000万円ほどです。よかったら弊社が銀行に話をして、残債務が1500万円あったとしても、1000万円の売却で抵当権を抹消して売れるように交渉をさせていただきますが・・・」
「でも、それと競売とではどう違うのでっか?」

「まずは競売では相場よりも安く落札されてしまうことが多いのです。相場の1000万円で売れるとしたら売却後の銀行への債務は500万円残ることになりますけど、800万円でしか売れなかったら残る債務は700万円となります。基本的にはこの残った債務はそれ以降、銀行に返済していくことになるんです。となれば、少しでもその金額を減らすためにも高く売った方がいいでしょう?」
「実は、借主の田代さんに購入のお気持ちがあるようなんです。もし、任意売却できるのなら、保証金返還分を差し引いた金額で売買代金を設定すれば、保証金返還義務も無くなることになり、田代さんにご迷惑を掛けることもなく、三田さんも負担が少し軽くなるんじゃないですか?」
「そうやな、銀行はともかく、借主の田代さんには迷惑掛けたくないからな」
「そうできるのなら、あんたに任せるわ」
三田は、お金に困って自棄になっているようだが、本来は律儀な性格なのかもしれない。

銀行と任意売却の話が進み、契約金額の承諾もOKが出て、貸主借主が、今度は売主買主として契約をした。
契約から1週間後。
「美土里さん、田代の住宅ローンの事前審査の結果があり、融資の事前承認が下りました」
「そう、良かったわ。それで今回、山本さんは田代さんから仲介手数料をちゃんと貰えるの?」
「ええ、今回の件で、田代はとっても喜んでくれて、仲介手数料は正規の金額を払うって言ってくれたんですが、田代にしても当初は買うことなんて考えていなかったから購入経費なんて考えていなかったみたいなんですわ。友人だし、広告費用もかかっていないから半分くらいで辛抱せなあかんかな~って・・・」
山本は諦め顔で答えた。
「わかったわ、じゃあ、ちょっと付き合ってくれる?」
そう言って、山本を事務所から連れ出した。

「どこへ行くんでっか?」
「あの部屋の仲介をした床下不動産よ」
「床下不動産に行ってどうしますんや?」
「まあ、わたしに任せなさいって」
そう言って、美土里は床下不動産に入っていった。
「柳本不動産の柳本美土里ですけど、床下社長おられますか?」
そこへ、ちょうど奥から床下が出てきた。
「おお、これは柳本社長。今日はなんぞ御用で?」
警戒感を持って、床下は美土里を見た。
「ちょっとお話があるんだけど・・」
美土里と床下は初対面では無い。
以前、美土里が協会が行う不動産相談の相談員をした際に、床下不動産に対する苦情が消費者から寄せられたのだ。それが原因で床下不動産は協会からの処分を受けたことがある。

「ここではなんですから、どうぞこちらに」
カウンターにいる客をちらりと見た床下は、奥の応接室に美土里たちを案内した。
椅子に腰掛けるなり、美土里が切り出した。
「床下さん、3年ほど前にこの物件の仲介をしたわね」
そう言うと、田代の住むマンションの賃貸借契約書を差し出した。
それを受け取り、床下は仲介業者の欄に押された自身の仲介印を確かめた。
「うちは、多くの取引をしてますから、いちいち覚えてませんが、この契約書を見ると、確かにうちが仲介した物件みたいですな。それが何か?」
床下が伺うように、美土里の顔を覗き込んだ。
「借主に聞くところによると、重要事項の説明を受けてないって言ってるんだけど、本当かしら?もし、本当だとすると、宅建業法違反だわね」
美土里は睨んだ。

「いや、重要事項説明はちゃんとしてるはずなんですがね~」
知らないふりをしているのか、本当に知らないのか、床下は惚けた。
「じゃあ、借主の署名捺印のある重要事項説明書が保管されてるんでしょうね」
「そんなの、探さんと判りませんわ」
「じゃあ、探しておいたほうが身のためよ。今回、この物件が競売準備に入っているみたいなんだけど、知ってると思うけど、競売で落札されると借主は退去をさせられることになるわね。そうなったとしても、借主には引越し費用どころか保証金の返還もされないことになるケースが多いわけ」
「そうでっか?それがうちと何の関係が?」
「まだ惚ける?ここに謄本があるから見てみたら?借主が賃貸借契約をした日には、既に物件に対する差押が入っているのよ。そして結果、競売申立がされたってこと。もし、重要事項で差押が入っていることを説明していないとしたら、借主が被った損害について賠償する責任が仲介業者に課せられるのよ」
「たしか床下さん、あなたのところは以前に協会から処分されてたわよね。もし今回の件で宅建業法違反が明らかになったら、さらに重い処分がされる可能性が高いし、下手をしたら行政処分なんてこともあるかもしれないわよ」
美土里の話を聞く床下の顔色が、みるみる青ざめていくのが判った。
その顔を見て、美土里は優しい小声口調になった。
「でもね、床下さん。別に床下不動産を摘発して処分をさせようって思っているわけじゃないから安心して」
「じゃあどうして・・・」
「実はね、借主の田代さんの友人が、このエステート山本の山本さんなの。で田代さんから相談を受けたんだけど、このまま友人が競売で損害を受けるのは見過ごせないから、床下不動産さんに責任の一端を担ってもらいたいってことなんです」
「まあ、早い話が、返ってこない返還保証金の50万円と引越し代20万円ほどの合計70万円とは言わないけど、返還されるべき保証金の50万円と引き換えに重要事項説明義務違反を見過ごし、借主からの損害賠償請求をしないように取り計らおうってこと」
「う~ん」
床下は、唸って契約書に目を落とした。
「まあ、差押が入っているって説明をした重要事項説明書があるのなら何の問題もないけど、せいぜい探すことね。でも、早くしないと、競売が進んでしまうとその金額ではまとめられないわよ」
美土里と山本は床下不動産を後にした。

翌日、床下不動産から電話があった。
重要事項説明書は見つからなかったけど、説明はしたはずだと、単に書類の管理ミスだからと苦しい言い訳をした上で、この状況で表沙汰になると不利だから、提案に応じて50万円で話をつけて欲しいとのことだった。

順調に、融資の本承認も下りて所有権が三田から田代に移り、競売申立は取り下げられた。
「美土里さん、売主からは保証金分として売買価格から50万円を差し引いて契約し、床下不動産からは重要事項説明の不備をついて和解金50万円を引き出した。ほんまに、あっぱれですな」
「そのお蔭で、田代からは感謝されて、仲介手数料も正規金額を払わせてくれって言われましたわ」
「それは良かったわね。うちも値付けとして仲介に入らせてもらったから、売却代金から仲介手数料の配分を受けたし、話を持ってきてくれた山本さんに感謝やわ」
「損をしたのは、銀行と床下不動産ですか」
「床下不動産には、あれくらいのお灸がちょうどいいのよ。きちんと仲介業者としての責任を果たさないと。それに銀行も競売になるよりも多くの金額が回収できたでしょうから、喜んでるんじゃないかしら?回収できるかどうかわからないけど、これからも三田さんから債権回収を図るでしょうし、そのうちその債権も、債権回収会社に売っぱらっちゃうでしょうから、そんなに損はないはずよ」
うんうんと、山本は頷いて聞いた。
「美土里さん、この次は、美味しいお酒を持ってきますわ」
「あら、嬉しい。やっぱり寒い冬はお酒がいいわよね」
二人は、笑いあった。

※このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。